2013年02月20日
あの世はある・・・・・
あの世はある・・・・・
それはそれぞれの人の“心”意識の中に。
“ヒト”には他の動物、生き物のように研ぎ澄まされた“感”。
その“虫の便り”は日常にはない。
しかし“ヒト”は心で、脳で“自分”を記憶し、
それを時には己の感情で醒めおこし、現実と交差させながら“想い”として体験する。
“デ・ジャヴー”
初めて来た所なのに・・・・・
始めてあったヒトなのに・・・・・・
いつか何処かで見たことがあるような?
初めてであったヒトなのに?
いつか何処かで遇ったことが・・・・・・あるような。
おそらく生涯をともにする男女の恋愛の始まりなどは今ある、
“あの世”の再現なのではないだろうか。
>死んだらあの世で父母兄弟に会えると言うのは本当ですか?
僕は時々、昭和40年に53で死んだ実父に夢で逢う・・・・・・
もちろんその時の僕は16歳だった時の僕でもなければ64歳の僕でもない。
夢の中、あの世の中での話だから、父の背中におんぶされることもあれば・・・・・
僕が父を背中におんぶすることもある。
でも父は僕が一番記憶に深い、未だ病に臥す前の40代のころのそれがほとんど。
柔道の師範で、相撲の好きだった父が連れってくれた“土俵の鬼”と“力道山物語”。
今はもうその映画館はないがそれは“高崎銀星座”。
“デ・ジャブー”だろうか?
その銀星座の跡がデパートになり、その跡が“新星堂”という楽器店になり、
それも今はもうないが・・・・・
不思議なもので、その楽器店にはある時期、足繁く通うことになるのである。
その楽器店に行くたびに、“銀星座”を、そして父を思い出す。
僕は父に逢いたくなるといつも「逢いたい、逢いたい」と念じる。
時に、その思いが通じたかのように・・・・・夢の中で“父”に逢える。
その父は今の僕より“若い”・・・・・はずであるが、
その時の僕は、その時の僕こそがその父にしてみれば“あの世”の存在なのかもしれない。
少年になったり・・・・・背中に眠る子供になったり。
「もう帰れ・・・・・おかあちゃんが心配しておるぞ」
一度、その父にそう言われたことがあった・・・・・・夢の中で。
“おかあちゃん”とはその父の妹、僕の養母なんだが。
あの世はある・・・・・
それはそれぞれの人の“心”意識の中に。
“ヒト”には他の動物、生き物のように研ぎ澄まされた“感”。
その“虫の便り”は日常にはない。
しかし“ヒト”は心で、脳で“自分”を記憶し、
それを時には己の感情で醒めおこし、現実と交差させながら“想い”として体験する。
“デ・ジャヴー”
初めて来た所なのに・・・・・
始めてあったヒトなのに・・・・・・
いつか何処かで見たことがあるような?
初めてであったヒトなのに?
いつか何処かで遇ったことが・・・・・・あるような。
おそらく生涯をともにする男女の恋愛の始まりなどは今ある、
“あの世”の再現なのではないだろうか。
>死んだらあの世で父母兄弟に会えると言うのは本当ですか?
僕は時々、昭和40年に53で死んだ実父に夢で逢う・・・・・・
もちろんその時の僕は16歳だった時の僕でもなければ64歳の僕でもない。
夢の中、あの世の中での話だから、父の背中におんぶされることもあれば・・・・・
僕が父を背中におんぶすることもある。
でも父は僕が一番記憶に深い、未だ病に臥す前の40代のころのそれがほとんど。
柔道の師範で、相撲の好きだった父が連れってくれた“土俵の鬼”と“力道山物語”。
今はもうその映画館はないがそれは“高崎銀星座”。
“デ・ジャブー”だろうか?
その銀星座の跡がデパートになり、その跡が“新星堂”という楽器店になり、
それも今はもうないが・・・・・
不思議なもので、その楽器店にはある時期、足繁く通うことになるのである。
その楽器店に行くたびに、“銀星座”を、そして父を思い出す。
僕は父に逢いたくなるといつも「逢いたい、逢いたい」と念じる。
時に、その思いが通じたかのように・・・・・夢の中で“父”に逢える。
その父は今の僕より“若い”・・・・・はずであるが、
その時の僕は、その時の僕こそがその父にしてみれば“あの世”の存在なのかもしれない。
少年になったり・・・・・背中に眠る子供になったり。
「もう帰れ・・・・・おかあちゃんが心配しておるぞ」
一度、その父にそう言われたことがあった・・・・・・夢の中で。
“おかあちゃん”とはその父の妹、僕の養母なんだが。
あの世はある・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 20:40
│Comments(1)
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同じくらいの距離に
きっと
あると 思います
その世界が…