2013年03月25日

渋谷ジャンジャンⅡ

渋谷ジャンジャンⅡ

渋谷ジャンジャンⅡ

渋谷の駅を丸井方面に向かって歩く・・・・・

丸井を背中に「公園通り」をNHK方面に、緩やかな坂道の両脇には民家がつづく。

そして「山手教会」の看板、その地下に「渋谷ジャンジャン」はあった。

堀口機械「三兄弟」の絆。

「プラネッツ」のところでも書いたが「ビーズ」と云うバンドは、

この堀口機械の「三兄弟」が中心となってやっていた。

長男「武ちゃん」、次男「清美ちゃん」、三男、末っ子の「おスエちゃん」。

僕がプラネッツ解散後にはその「ビーズ」もボーカルのジュンちゃんが辞めドラマーの深津君が辞め、

その後釜の山口君、通称「オトヤ」も理由は定かではないが「警察官」になるというので辞めて・・・・・

「ナベさん…タイコ、オトヤ辞めちゃうんだけど手伝ってくれねえかい?」

そんなこんなで、あの頃は先程の話ではないが色んなバンドが解散し最後に高崎に残ったのが、

堀口三兄弟の内の、次男の清美ちゃんがベース、末っ子、おスエちゃんがリードギター、

そして僕がドラム、ボーカルにその頃「ベイビーズ」を解散したばかりの「佐藤君」をボーカルに。

「ハードコミュニケーションスーパーグループ」なるわけのわからないバンドを結成した・・・・

が、結局音にならず、すぐに解散(笑)。

で、当時のバンドメンバーもそれぞれにある意味普通の社会人になっていった、そんな時代だった。

しかし、当時、昭和44、5年未だ夢覚めやらぬ22、3歳、「もう若くない」と言いつつ、

最後のあがきで、企んでいたのが「東京行」だった。

そこで、堀口機械。今はもうたたんでいるが当時は「古川鉱業」の下請けで活況を呈していた。

大型の工作機械を数台おいて鉄の塊を忙しそうに削っていた。

「ッチワーーーッ」

僕が、いつものように立て付けの悪い工場のガラス戸を開けると毎度の毒舌で・・・・・

大型旋盤の向こうから社長でもある長男「武ちゃん」が

「ナベェーーーッ、生きてたんか」

と、大声で相変わらずであった。

次男の清美ちゃんは群大の工学部に通いながら「堀口機械」を手伝っていた。

清美ちゃんが旋盤の手を止めて大きな声で言った。

「ナベーーー、おスエが東京へ行きてえんだと」

武ちゃんはそれがまるで僕のせいでもあるかのように嫌味ったらしく・・・・・

「オトヤの馬鹿が何を狂っちまったか女と一緒に東京でバンドをやるって行っちまいやがった」

「だって、やつ、警察・・・」

「馬鹿いうな、ナベ、オトヤは捕まる方で捕まえるほうじゃあねえよ。ガハーーーッ」

「ナベさん・・・・オトヤ、竹ノ塚のスタンドでバイトしてるらしいよ」

お末ちゃんが小さな声で言った。

「オトヤから電話がかかってきて、メンバーが見つかったからお末に来いって」

 清美ちゃんが半ば呆れ顔で僕に言った。

「ナベ、で、どうなんだ、おめえは」

武ちゃんが〈どうせ大した事はねえんだろ〉とでも言わんばかりに僕に言葉を向けた。

僕は今までの東京でのいきさつ、そして近々「渋谷ジャンジャン」のオーディションを受ける話をした。

「へーーーッ、そいつはスゲエじゃあねえか、所でその『渋谷ジャンジャン』ってなんだ?」

相変わらずの武ちゃんである。もちろん「渋谷ジャンジャン」は普通の人は知らない。

いや、実は僕も知らなかった。その渋谷ジャンジャンにオーディションの申し込みに行くまでは。

「結構、一流のミュージシャン、アーティストが出てるんだ。ジャンジャン」

武ちゃんは半信半疑。いずれにしてもお末ちゃんが工場を辞めて東京に行くというのが面白くないようだ。

「雪村いずみの月例とか、五輪真弓、山崎ハコとかがレギュラーで出ている都内でもひとつしかないメジャーなライブハウスなんだ」

「なんだかスゲーみてえだけど、雪村いずみしか知らねえな俺は」

武ちゃんは〈そんな事はどうでもいい〉というような風で・・・・・

「で、ナベはそこでなにをするってんだ?」

「なにをたって、未だ、ただオーディション受けるって言うだけの話で。取敢えずは『松岡計井子ビートルズを歌う』って云うバックのドラムなんだ」

「なんだ、そりゃっ」

武ちゃんも清美ちゃんも、お末ちゃんも全く知らないと云った顔で。

「兄貴、兎に角、すげえんだとーーー」

と、清美ちゃんが、「ククッ」と笑いながらいつものように締めくくった。

おスエちゃんは池袋に既にアパートを決めていた。

堀口機械のトラックで来週中にも引越しをするんだと云う。

荷物は布団と貴重なコレクション「レコード」が数百枚。

それに「アルテック」のスピーカーとフェンダーのストラトにフェンダーのツインリバーブ、

かなりの荷物だったが既にまとめてあった。

「ナベ。兎に角頑張れや」

と言って僕を見送る武ちゃん、どことなく寂しそうであった。

おスエちゃんから池袋のアパートの地図を貰うと僕はアルバイトの陸送の仕事で、

「ふそう」の4トン半ロングボディーの荷台無しの。

いわゆる「骸骨」を倉賀野の「ふそう」に置くと実家には寄らずそのまま新井薬師に帰った。

挫折

お末ちゃんは、はなから示し合わせていたようで・・・・・

高崎にいる頃から付き合っていた「スミちゃん」との同棲生活を始めていた。

バンド活動はオトヤの誘いで「くもすけバンド」に参加し阿佐ヶ谷方面を中心に結構頑張っていた。

その頃の僕は「渋谷ジャンジャン」のオーディションは受かったものの練習というか特訓の毎日。

リハーサルでは松岡さんにケチョンケチョンに貶されるし、社長の高嶋さんからは、

「本番までに何とかなる?」

なんて言われる始末で、その間、「渋谷ジャンジャン」では・・・・・・

毎月第三金曜日がその「松岡計井子ビートルズを歌う」のプログラム。

で一度、二度は大木トオルブルースバンドのドラマー、成沢さんと云う人がトラでやってくれていたが、

その内に文楽の近松門左衛門「夫婦心中」をロック版を「ジャンジャン」箱バンでやるのだという。

で、打合せに呼ばれて話を聞くうちに情けないことにすっかり自信を無くしてしまっている、

そんな情けない自分に気付いて憔悴しきってしまっていた僕だった。

いやぁ、流石、東京と云うか、中央のレベルは格段と違う。そもそも考え方からして違う。

今回の松岡さんのプログラムはビートルズ「ホワイトアルバム」と「アビ―ロード」、

それををレコード通りに進行する。バイオリンもマリンバも一流のセッションプレイヤーを参加させて。

「カム・トゥギャザー」とか「ユー・ネバー・ギブ・ミー・ユア・マネー」等など。

これなんか最も僕の好きなビートルズで絶対にやりたいと思っていたのだったが・・・・・

イザ、譜面を渡されてやってみると難しいの、難しくないのって、もう無茶苦茶な「タイミング」。

そんな中ギターの「松本さん」が途中で来なくなった。

相当なテクニシャンなギタリストだったが結局二度と現れることはなかった。

リハーサルでは「松岡さん」の苛立ちも限界に達していたようだった。

「ナベさん、あなたやる気あるの」

松岡さん言葉を社長の高嶋さんが受けて・・・・・

「今日はこれくらいにしよう」

そう言って、助け舟を出してくれた。

「ナベさん、話があるんだが」

と、高嶋さんが僕を呼び止めた。 てっきり「クビ」を言渡されるものと覚悟していた僕。

「ナベさん、ギター誰かいないかなぁ、松本君多分もう来ないしこのままトラって云うわけにも行かないし、出来ればメンバー固めたいんだハウスバンド」。

すっかり自信を無くしてしょ気かえっている僕に高嶋さん・・・・・

「松岡のプログラム、うちの売りだし、松岡も完全主義だからな、何とか頑張ってよ。それに、ギター、この間、大木さんの時に紹介してくれたブルースやってるって云う友達、やる気あるか聞いてみてくれないか」

ありがたい話だったが、すっかり自信を無くしている僕だった。

そんなところに、ギター、それもお末ちゃんを連れて来いって云うんだから・・・・・

それはそれでいい話には違いないが、

おスエちゃんが「ビートルズ」やるわけないしなといっそう気が重くなってしまった。

翌日僕は思い足取りで池袋のお末ちゃんの所へ行った。

もちろんダスキンの営業のアルバイトをするためだったが。

「お末ちゃん、実はさ、ジャンジャンの高嶋さんがお末ちゃんにギターをやらねえかって云うんだ。知ってると思うが、当然ビートルズの」

おスエちゃん、とくに驚きもせず「へ~」と、言葉もなく頷くようにして、

「実はさ、俺、もう限界なんだあのビートルズ。兎に角レベル違い過ぎるよ、他のミュージシャン、バイオリンも、ピアノも一流なんだからやんなっちゃうぜ」

僕とおスエちゃんは何時ものように、池袋西口の「焼きそば」を食べ・・・・・

歩いて、大塚の「ダスキン」へ向かった。

ところで、話は全く変わるが「デジャヴー」、本当にあったのだった。

その「ダスキン」。お末ちゃんとバイトをしていたその「ダスキン」の真ん前にその20年後、

シェクターというギターメーカーをやっていた時の話だが、

シェクターのリペアを頼んでいたリペアマン、茂木俊則氏がツールボックスというショップを開いていた。

その「ダスキン」。店長だったお兄さんもすっかりお御髪も退化されていたが、

あの時のまんま忙しくしていたから人生とは可笑しなものである。

別に運命の悪戯でもないだろうが、二度の「デ・ジャヴー」は弘前のタクトだった。

そのタクトは「くもすけバンド」弘前凱旋コンサーの打ち上げをやったロック喫茶その場所だった。

チョイト意味は違うかも知れないが兎に角、20年昔と全く同じ所に立つと云うのも・・・・・

偶然とは云え運命を感じさせられた。

二度あることは三度あるで、三度目を待っているが今の所は無い。

おそらくある日突然に「うむっ」て云う感じでそれはやって来るのかもしれない。

ダスキンのサンプルの「玄関マット」とパンフレットを持ってオフィスビルを営業する。

それでも、一日に、2、3件は契約取れただろうか。たしか契約一本800円だったか。

それに交通費が200円。帰りは営業所から大塚の駅まで歩いて、

途中、屋台の焼き鳥屋で「キューッ」と一杯やるのが何よりの楽しみだった。

「ところでおスエちゃん。ジャンジャンの話だけど会うだけあってくんねえか」

僕自身が気が進まないどころか相当に嫌気がさしているのだから半ば諦め気分で最後の念を押してみた。

「いいよ、取敢えずいってみるよ」

おスエちゃんは意外と、「サラッ」と言った。

「じゃあ早速高嶋さんに電話しておくよ」

数日後、お末ちゃんを連れ立って渋谷ジャンジャンの高島さんの所へ向かった。

「ナベさん、やっぱり俺には向いてねぇや、ビートルズは」

そんなおスエちゃんの言葉を最後に、ジャンジャンを後にした・・・・・

渋谷ジャンジャンⅡ



Posted by 昭和24歳  at 19:57 │Comments(0)

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