2012年08月15日

“火垂るの墓”そして“はだしのゲン”の67年

“火垂るの墓”そして
“はだしのゲン”の67年


“火垂るの墓”そして“はだしのゲン”の67年


不戦の誓い新たに=67回目の終戦記念日―東京で戦没者追悼式
 67回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれた。天皇、皇后両陛下と野田佳彦首相、遺族ら計5850人が参列。戦争の犠牲となった約310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人)の冥福を祈り、不戦を誓った。
<抜粋引用:時事通信 8月15日(水)12時10分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120815-00000054-jij-soci

フジテレビ2007「はだしのゲン」原爆投下




火垂るの墓


自虐論と大東亜共栄、欧米列強の植民地政策からの解放論・・・・・

結局、その戦争犯罪は検証されないまま、平成の今日の8月15日の光景。

それは改めて言うまでもなく日本という国の大きな転換期だった。

もしあの戦争がなければ、日本が中国大陸、インドシナ撤退していたら?

まあ、そうさせないように謀られていたという真相がそこにあったようだが、

朝鮮戦争もベトナム戦争も、インドの独立運動もなかったかもしれない・・・・・

大東亜共栄圏
大東亜共栄圏は、アジアの欧米列強植民地をその支配から独立させ、日本・満州・支那(中国)を中心とする国家連合を実現させる概念とされた。大東亜共同宣言には、『相互協力・独立尊重』などの旨が明記されており、日本が国際連盟規約委員会において人種的差別撤廃提案を持ち込んだ過去があることから、これを現在の欧州連合のような対等な国家連合を志向したものであるという見方が存在する。

しかしその一方で、大東亜共栄圏を構成していた国家の多くが、実際にはいずれも日本政府や日本軍の指導の下に置かれた傀儡政権または従属国にすぎず、実質的には日本による植民地支配を目指したものに過ぎなかったとする意見がある。これは、特に、フィリピンとビルマを除くフィリピン第二共和国、ベトナム帝国、ラオス王国、ビルマ国、カンボジア王国、満州国の政府と汪兆銘政権(中華民国)の政府首脳に日本側が選任した人物(親日的、協力的な人物)が就任していたためである。この事から、大東亜共栄圏の構成国の実質的な独立を遠ざけたとしている。但し、この点については、フィリピンとビルマには既に当時から民選による自治政府が存在していた事から、戦時下故の過渡的な措置であり、終局的には完全な独立が意図されていたという反論がある。

<出典:ja.wikipedia.org>

まあ、戦勝国によって作られた歴史・・・・・

しかし、200数十年の長きに渡った欧米列強のアジア植民地政策が終焉。

この67年間で植民地支配されていたアジア諸国は独立した。

ベトナム、カンボジア、インドネシア、ラオス、ビルマ、フィリピンetc

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Posted by 昭和24歳  at 15:52 │Comments(0)

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