2008年09月01日
日本に生まれてよかった。
定ならぬことを書き連ねております・・・・・・
今の日本の社会・・・・・・
実は、僕はできるだけ悲観的なことは書きたくはないと思っておるのですが、
現実を見るとなかなかそうもいかない(笑)。
しかしながらどうでしょう・・・・・・・
もうすぐ終わろうとしている僕らが現下、この国をそう悲観してみても始まらないような気がするのです。僕自身が書いていることを棚に上げてなんですが(笑)。
悲観しつつも、戦後、この日本という国が1億2千万人からの民を世界でも稀有といわれる、
復興、発展、成長のなか、それこそ近隣諸国、常時臨戦態勢、徴兵制の中であるにもかかわらず、
見事に「一国平和主義」で、
過去60年、自衛隊という軍隊をもちつつも幸いにして直接他国と戦火を交えることなくこれた・・・・・・
たしかにそれが、占領政策の結果であったことは事実であったとしても、
この60年間という歴史は、占領する側も強力に再軍備を促し、世界戦略に組み入れようと試みるも、
この1億2千万の日本国民のこれまでのその働きは「戦争」よりも、「モノづくり」、経済でそれを支えてきた・・・・・・
アメリカという軍事大国を、日本という工業、経済産業大国がとくにその資金面では、強力に支えてきた。
そのようにアメリカが占領政策として取ったかはその歴史において怪しく、
あえて日本政府が、とくに冷戦構造下では、日本国自体は軍備せず、日本列島不沈空母の揶揄はあるが、
それほど工業、経済産業の大国として西側経済を支えてきた・・・・・
その意味では同じ敗戦国でもドイツのような精神的負担はなかった。
まあ、そこのところはかつての日本の植民地の朝鮮半島が南北に分断され、日本の代わりをさせられているとも考えられる現実はあるが、
少なくとも、戦後、一貫して非武装、非軍事国家として少なくとも昭和50年、60年代は総中流意識といわれるほど、
凡その日本人が平和と安全の中、他の国、国家にはない幸福感に浸ってこれたのも事実ではなかっただろうか。
そうした中、そこに中核をなした僕ら世代、その世代がそろそろ、“ごっそり”大挙して消え去ろうとしている・・・・・・・
正直、僕らの人生(とくに戦後生まれ)は世界でもっとも恵まれた世代の国民ではなかっただろうか。
先人も、敗戦、廃墟の中知恵を絞りあって、全くの“無”、いや、マイナスの中から今日を築き上げてきた。
資源もない、資金もない、そんな中、国民が知恵を出し合って、労力を惜しまず汗をかきあって、
「戦争さえしなければ」
これほど豊かに、幸せになれることを世界に実証してみせた。
確かに、今日、国そのものが混沌としている、そう見える現実があることは否めない。
しかし、過去60年間、僕らの父母世代が生き抜いてきた時代はこんな豊かな時代ではなかった・・・・・・
政治改革、公務員制度改革もさることながら、この国の99%を占める日本国民、市民、大衆の意識改革こそが、
今は求められる最大のテーマではないのだろうか。
たしかに、不況、失業率、自殺、孤独死、介護疲労、年金問題、医療問題、とどのつまりが教育行政の荒廃、
そして昨今の凄惨な事件等々、さらには政治家の、官僚の汚職、腐敗を見るにつけ聞くにつけたしかに悲観的になるざるをえないが・・・・・・
これまでの僕らの歴史のはじまりは、これ以上に惨憺たる現実ではなかったのか。
それを、僕ら父母世代は、遮二無二、我武者羅にわが子を思い、家族を思い無心で今日を築いてきた。
その意味では、夢を語るのは、美しい日本を語るのは政治家でもなければ、官僚でもない。
それは僕ら、「国民」なのではないだろうか。
少なくとも、僕らがそれを大声をあげて語り、希求すれば政治は動く!!
今日、今、ここに、この国に、このニッポンに、日本人として生まれた赤ちゃんのためにも、
僕らが大きな声でこの国の夢を語り、この国の美しさを語り継がなければいけない。
それが、もうそろそろ終わろうとしている僕らの大きな仕事ではないのだろうか・・・・・・
そして、僕らに夢を託して逝った父母世代、あの戦禍に没した先人への手向けではないのだろうか。
この国の復興は奇跡に違いない・・・・・・
それは「平和」という奇跡。
内にあっても、世界に向けてもそれを叫びたい。
昭和24年2月11日。僕は日本に生まれてよかった。
今の日本の社会・・・・・・
実は、僕はできるだけ悲観的なことは書きたくはないと思っておるのですが、
現実を見るとなかなかそうもいかない(笑)。
しかしながらどうでしょう・・・・・・・
もうすぐ終わろうとしている僕らが現下、この国をそう悲観してみても始まらないような気がするのです。僕自身が書いていることを棚に上げてなんですが(笑)。
悲観しつつも、戦後、この日本という国が1億2千万人からの民を世界でも稀有といわれる、
復興、発展、成長のなか、それこそ近隣諸国、常時臨戦態勢、徴兵制の中であるにもかかわらず、
見事に「一国平和主義」で、
過去60年、自衛隊という軍隊をもちつつも幸いにして直接他国と戦火を交えることなくこれた・・・・・・
たしかにそれが、占領政策の結果であったことは事実であったとしても、
この60年間という歴史は、占領する側も強力に再軍備を促し、世界戦略に組み入れようと試みるも、
この1億2千万の日本国民のこれまでのその働きは「戦争」よりも、「モノづくり」、経済でそれを支えてきた・・・・・・
アメリカという軍事大国を、日本という工業、経済産業大国がとくにその資金面では、強力に支えてきた。
そのようにアメリカが占領政策として取ったかはその歴史において怪しく、
あえて日本政府が、とくに冷戦構造下では、日本国自体は軍備せず、日本列島不沈空母の揶揄はあるが、
それほど工業、経済産業の大国として西側経済を支えてきた・・・・・
その意味では同じ敗戦国でもドイツのような精神的負担はなかった。
まあ、そこのところはかつての日本の植民地の朝鮮半島が南北に分断され、日本の代わりをさせられているとも考えられる現実はあるが、
少なくとも、戦後、一貫して非武装、非軍事国家として少なくとも昭和50年、60年代は総中流意識といわれるほど、
凡その日本人が平和と安全の中、他の国、国家にはない幸福感に浸ってこれたのも事実ではなかっただろうか。
そうした中、そこに中核をなした僕ら世代、その世代がそろそろ、“ごっそり”大挙して消え去ろうとしている・・・・・・・
正直、僕らの人生(とくに戦後生まれ)は世界でもっとも恵まれた世代の国民ではなかっただろうか。
先人も、敗戦、廃墟の中知恵を絞りあって、全くの“無”、いや、マイナスの中から今日を築き上げてきた。
資源もない、資金もない、そんな中、国民が知恵を出し合って、労力を惜しまず汗をかきあって、
「戦争さえしなければ」
これほど豊かに、幸せになれることを世界に実証してみせた。
確かに、今日、国そのものが混沌としている、そう見える現実があることは否めない。
しかし、過去60年間、僕らの父母世代が生き抜いてきた時代はこんな豊かな時代ではなかった・・・・・・
政治改革、公務員制度改革もさることながら、この国の99%を占める日本国民、市民、大衆の意識改革こそが、
今は求められる最大のテーマではないのだろうか。
たしかに、不況、失業率、自殺、孤独死、介護疲労、年金問題、医療問題、とどのつまりが教育行政の荒廃、
そして昨今の凄惨な事件等々、さらには政治家の、官僚の汚職、腐敗を見るにつけ聞くにつけたしかに悲観的になるざるをえないが・・・・・・
これまでの僕らの歴史のはじまりは、これ以上に惨憺たる現実ではなかったのか。
それを、僕ら父母世代は、遮二無二、我武者羅にわが子を思い、家族を思い無心で今日を築いてきた。
その意味では、夢を語るのは、美しい日本を語るのは政治家でもなければ、官僚でもない。
それは僕ら、「国民」なのではないだろうか。
少なくとも、僕らがそれを大声をあげて語り、希求すれば政治は動く!!
今日、今、ここに、この国に、このニッポンに、日本人として生まれた赤ちゃんのためにも、
僕らが大きな声でこの国の夢を語り、この国の美しさを語り継がなければいけない。
それが、もうそろそろ終わろうとしている僕らの大きな仕事ではないのだろうか・・・・・・
そして、僕らに夢を託して逝った父母世代、あの戦禍に没した先人への手向けではないのだろうか。
この国の復興は奇跡に違いない・・・・・・
それは「平和」という奇跡。
内にあっても、世界に向けてもそれを叫びたい。
昭和24年2月11日。僕は日本に生まれてよかった。
Posted by 昭和24歳
at 20:48
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