2011年06月27日

エレキギターな時代と、「ザ・プラネッツ」。

エレキギターな時代と、
「ザ・プラネッツ」。


エレキギターな時代と、「ザ・プラネッツ」。

フェンダー“ジャズマスター”とベンチャーズ




出演は「みゆきダンスホール」。

その時代、「みゆきダンスホール」は連日超満員だtった・・・・・・・

昭和43年、高崎中央銀座通り、今風に言うなら、

「中銀」(チューギン)

と、高二の娘はそういうが、まあ、あの頃の「チューギン」は、まさしく「銀座通り」の趣であった。

まっ、「ディスコ」とか「クラブ」とか、ましてや「ライブハウス」なんていう洒落たもののない時代の話で、

世の中、「高度経済成長」とかが騒がれていた真っ最中。

っていうか、「戦後復興」が完成され、あの、昭和20年8月15日から数えてて、

マッカーサー将軍の言った、「日本人12歳論」。

 「アメリカがもう40代なのに対して日本は12歳の少年、日本ならば理想を実現する余地はまだある」
<出典:wikipedia>

まあ、マッカーサー将軍のその真意は“wikipedia”本文に譲るとして・・・・・・

昭和43年といえば、僕ら世代、つまり、「オキュパイド・ジャパン」の赤ん坊がちょうど二十歳で、

「成人」になった、つまり、大人になった時代とでも(笑)。

戦後(敗戦・占領)すぐの、それは「アメリカ黄金文化」のトルネード、その第三波。

ジャズ・ブーム、それが下火になって、ロカビリー・ブーム、そしてベンチャーズ、ビートルズの、

エレキ・ブーム

しかし、まだそこには「ロック」なるイントネーションを含んだ物言いはなかった。

何がなんだかわからないうちに、「電気ギター」、つまり「エレキ」の誕生、まっ、アメリカではその戦勝に沸く、

そんな時代に、フェンダー「ストラトキャスター」が1954年に生産され、

それまでの、ジャズの「ギブソン」、そしてカントリーの「フェンダー・テレキャスター」から、いわゆるサーフ・サウンド、

ストラトとほぼ同時に開発されたギターアンプ「ツインリバーブ」、つまり、「ベンチャーズサウンド」の誕生。

昭和40年、オヤジが亡くなった時だから今でも忘れない・・・・・・・

リバーブをめいっぱい効かした、「アストロノウツ」の↓

♪太陽の彼方♪


で、今でこそフェンダーといえば「ストラト」なんだけど、発売当初のそれは、200ドルくらい・・・・・・

テレキャスターの後発で、いわゆる「キッズ・モデル」、サーフサウンドようなのか「トレモロユニット」の着いた。

そういえば、ベンチャーズも最初の頃のジャケ写は「ジャズマスター」で、その後「ストラト」から、

「モズライト」にと変遷していった。因みに「モズライト」のセミ・モズレー氏には1977年1月のLA NAMMで会った。

で、チューギンの「みゆきダンスホール」なんだけど、昭和30年代のダンスホールブームが去り、

僕が15歳で初舞台の、砂賀町にあった「社交ダンスホール」も既に幕を下ろしていた。

っていうか、「社交ダンスホール」の場合は、つまり「不良少年少女」の巣窟でしょっちゅう、「手入れ」補導があって、

そんなこんなで、閉めちゃったのかもしれない。ちなみに僕は補導歴はなしですけど(^^ゞ

で、昭和42年の頃といえば「モンキーダンス」に「ゴーゴー」が爆発的大ブーム。

まあ、世間でいう「不良」て云うやつ。そろそろ「フーテン」という言葉が流行り始めた頃だろうか・・・・・・

しかし、いわゆる「団塊世代」。それは、兎に角無茶苦茶いた同世代の人数、その数の青少年が「エレキ」に痺れ、

街中に繰り出していたのだから、今の少年少女どころの騒ぎではなかっただろう。

その頃の僕はと言えば、伊香保グランドホテルでエレキを弾いたり、もちろん「トラ」での仕事だったが、

つまり、18歳にして、いわれる「フーテン」だったのかもしれないけど、ちょうどそんな時だった・・・・・・

高崎ではかなり売れっ子の、っていうか僕はその意味では音楽のジャンルが全く違っていたので、

ほとんどそのグーループは知らなかったんだけど、たまたま、リードギターとドラムがプロになるために抜けたため、

近所の先輩の一言、

「プラネッツっていうバンドがドラム探してるんだけど、ヤル ??? 」

なんでも、週4回はあっちこっちのホールからお呼びのかかる、人気バンドだとか・・・・・・

で、「プラネッツ」はその「みゆき」をベースに、前橋の赤城会館、桐生、足利、熊谷と遠征していた。

プラネッツのリーダーは僕より2歳年上のボーカルの「高木さん」。

高木さん何処に行っても物怖じしない相当のロックスターだった。けして「上手い」分けではないのだが・・・・・・・

雰囲気は抜群の物があり、お得意のナンバーは「ナナ」、克巳しげるのヒット曲。

コレ、↓


まあ、ロカビリー歌手だった克美しげるの「歌謡曲」でした・・・・・・・

で、高木さん、♪ナナ♪を切実に歌いこんじゃうわけです、役者でした。

ちなみに高木さん、高商の3年のとき、「ホイホイミュージックスクール」の予選に出たとか(笑)。

そしてもう一曲、高木さん十八番がアダモの「ブルージーンと革ジャンパー」。

コレ、↓



まあ、とにかく人気がありました、高木さん・・・・・・

高木さん、得意のパフォーマンスで、「プラネッツ」ファンと言うよりも「高木」ファンが多かった。

正直…「何故?」って云う感じもしないではなかったのだが、兎に角芸人であったことは確かだ。

その芸人ぶりは今も変わらず彼方此方で披露しているようだ、風評(^^ゞ

「ザ・プラネッツ」リサイタル。

時はエレキバンドブーム真っ盛り。それこそ猫も杓子目「テケテケテケーーー」。

その頃、高崎にはそれなりに仕上がっているバンドが3つあった。

まず「プラネッツ」である。そして「ビーズ」に「マイティーズ」。

「ビーズ」。

ビーズは兄弟3人を中心に、確かドラムが従兄弟、そしてボーカルが「ジュンちゃん」。

この「ジュンちゃん」が結構名物であった。

見事な「ロングヘアー」。ルックスも、わが「ミックジャガー」よりは、もっと「ミックジャガー」だった。

あっ、「わがミックジャガー」って、高木さんのステージはストーンズの「ミック」そのものだった・・・・・・

で、ビーズのジュンちゃん、腰の辺りまで伸びに伸びた「ロングヘアー」を振り乱しながら歌う様は、

まさに「ミックジャガー」を髣髴とさせていた。

しかし、当時のボーカルは、わが「ミックジャガー」もそうだったが、

歌詞「英語」が無茶苦茶。それこそ外人が聴いたらどんな顔をするか想像するだけで可笑しい。

が、しかしそんなことはそんな事は全くお構いなしで・・・・・・・

「ロック」はハートだと言わんばかりにチンプンカンプンにノリノリの多国籍語、またそれが受けるのだから何とも云えない。

そうだ、そのミックジャガーの「ジュンちゃん」、今ごろ何処でどうしているだろうか ???

確か僕よりひとつ年上だから、今は「63歳」。

おそらく、髪の毛は「ロングヘアー」じゃあないとは思うが、風の便りも届かない。

「マイティーズ」。

このバンドは、僕とほぼ同時に「プラネッツ」のメンバーとなった、リードギター時夫ちゃんのお兄さん、

その人が、リーダーでリードギターを勤める、どちらかと言うとインストルメンツを得意とするバンド。

「寺内たけしとブルージーンズ」はお手の物だった。

お兄さんのギターテクニックは残念ながら、弟の「ジュリー」には及ばなかった。

そうそう、わが「プラネッツ」のリードギター「時夫ちゃん」はメンバー紹介の時「ジュリー」と言ってくれときかなかった。

もちろん、時夫ちゃん、このジュリーも、ロングヘアーではない。

天然パーマの縮れっ毛で、残念ながら「ロングヘアー」には出来ない。

それでも細工をして、ぺったりとはしていたがそこそこには伸ばしていてみたが・・・・・・・

やはり「ジュリー」と言うには無理があった(笑)。

しかし、そのジュリーこと、「時夫ちゃん」なかなかの好男子で、ジュリーと言うよりは、

ビートルズの「ジョージハリスン」を中国人にしたような感じだった。

そうだ、思えば「プラネッツ」、ロングヘアーは、ドラムの僕だけだった。

ベースの「中嶋さん」も癖っ毛で、ぺったりと「七三」に分けていて、そう、ルックスは当時絶大な人気を誇っていた、

あの、ブルーコメッツのベース「高橋」さんに似ていた。もしかしたら本人、意識していたのかもしれない。

昭和43年、「プラネッツリサイタル」。

群馬音楽センター、「プラネッツリサイタル」は2度目だった。

リードボーカルの高木さんとベースの中嶋さん以外は「初体験であった」。

「グヤトーン・エレキ大合戦」の二部が「プラネッツ」のリサイタル。確かその一部の大会で優勝したのが、

わが、「時夫ちゃん」のお兄さん率いるところの「マイティーズ」だった。

2000人は入ろうという「群馬音楽センター」。その、群馬音楽センターが「超満員」なのには驚かされた。

プラネッツ、オープニングのテーマ曲、そうストーンズの「タイムイズオンマイサイド」で緞帳が開いた。



ペインテッドブラック、ルビーチューズデイ、テルミーと、高崎の、角刈りの「ミックジャガー」がステージ所狭しと駆け回る。

確か、ベースの中嶋さんが、ブルーコメッツの「雨の赤坂」、ベースを弾きながらしっとりと歌う。

僕はビートルズの「イエスタデイ」と、R&Bの「サニー」が持ち歌・・・・・・・・

「三つ子の魂百まで」だろうか、その2曲は今でも空で歌える。

アレから40年チョイが過ぎ去った。リーダーで、ボーカルだった高木さんとはちょくちょく街中で会うが、

時夫ちゃん、中嶋さん、野中さん暫く会ってない。

そして、今は平成23年だけど、初夏といえば「プラネッツの季節」だった。

そんなあの頃のメンバー、今頃あの当時を夢の中を遊んでいるのだろうか・・・・・・・

エレキギターな時代と、
「ザ・プラネッツ」。






Posted by 昭和24歳  at 12:48 │Comments(0)

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