2008年06月16日
未来の子どもたちへ。
未来の子どもたちへ。
昭和24年に生まれた僕らは「未来の子どもたち」だった・・・・・
漆黒の戦乱、戦渦に過ごした祖父母、父母世代はその「未来の子どもたち」になにを託し、なにを遺しただろうか。
僕らの時代も、そして今も、いわゆる「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の歴史的検証が『日本史』の中で全くなされていません。
そのことは現代に生きる僕ら、そして「未来の子どもたち」にとって生存する上で“羅針盤”のない船にいるようなもの・・・・・・
戦後(敗戦後)60余年、そのときの「未来の子どもたち」のほとんどが“還暦”を迎え、今やその子、孫が社会の中心をなし、就学年齢に達するそんな時代。
その時代に、政治は腐敗と混迷、世界一優秀と言われた東大閥の官僚が行政する“国家”は極めて不審の様で、
「政治は三流、経済は一流」といわれた高度成長期の「財界」、経済は己の利益ばかりに腐心し、
国民大衆の日々の生活を困窮に貶めても平然とする。それどころか「当たり前」とさえの暴言も聞き及ぶ昨今。
この国はこれから、いったいどんな国になっていくのだろうか・・・・・・・
「改革、改革」と言った内閣は、当初30年後には無料解放と言っていた「高速道路」を永久有料の「民営化」、つまり個人の集合体の『私有物』にし、
法律加護下の国民の虎の子、「郵貯・簡保」をやはり「民営化」、株式化して『私有物』にしようとしている。
そして「美しい国」とか言った内閣はこれも国民のなけなしの年金掛け金総数“5,000万件”を該当者不明とさせ、
挙句“140兆円超”あるハズの年金掛け金になぜか言及せず「年金保険料」を上げ(増税)、年金給付年齢を交代(増税)させ、
しまいには「給付額」を減少(増税)させると言った暴挙に・・・・・
「私の内閣で絶対にやります。出来ないことは言わないんです」。
と大法螺を吹きながら「出来ないことは・・・・・」どころか、何にもしない内に1年と経たずに、
嘘八百八百閣僚の3名もの辞任騒動と、前代未聞の現役閣僚自殺といった汚点を残し、突然内閣を放り出してしまった。
そして今次、「生活者中心の政治」を言いながらの内閣は、
その生活者の中の「弱者」から真っ先に絞るといった悪代官さながらの「後期高齢者医療制度」と言った“姥捨て山政策”を実施。
さらに「生活者」を言うなら、国民生活にとって欠くことのできない“ガソリン税”増税と、パーパー商法に詐取されるがごときの石油価格暴騰に全くの無策。
世界でトップレベルと言われた行政官の“官僚”の下での政治・・・・・・
戦後、いつからか、復興期から高度成長期に、そしてその成長期の微温湯の中それら“政官”、
そして経済までが、嘘に嘘を重ねて暴利を貪る。そしてあろうことか国民生活の基盤でもある「労働」までを「日雇い制」で低賃金化させ、
正規雇用はせず、 「労働市場」から「人身を買い集めて」史上空前の高収益と饗宴する。
なぜだ、どうしてなんだ・・・・・・??!!!
一般国民大衆はそれでも懸命に生きようとしている。生きている。
それなのに、物価は上がり、所得は減少、実質増税の公共料金の値上げ。
挙句が800兆円という想像も出来ない負債があるという。
いやそれどころか地方自治体にもわかっているだけで300兆円からの負債が、さらに国、地方には「隠された借金」も。
そんな中、北朝鮮がどうしたとかの全てが作り話、寓話の類の外交偽装。
日本政府は日本国民に対して、この『ニッポン国』がどんな状況にあるかきっちりと情報公開する。
いや、国民自身がそれを要求し、させる。
本来、それが「国会議員の仕事」のはずだが国会議員にはその権能は全くない・・・・・
その“権能”が機能したのは戦後の一時期だけではなかったか。
つまり、国会というところに年間“1,000億円”から投じる税金は全て無駄ガネということになる。
事実、この間、国民生活、何かが良くなっただろうか?
頻発する陰惨な事件、親殺し、子殺しや通り魔事件、自殺・・・・・・
未だに絶えない政官財の談合、贈収賄汚職、公官庁の裏金犯罪。そのたびに逮捕者が出ても一向にそれがなくなることはない。
優秀である官僚の政策で「都市計画」がなされ、結果、地方の都市という都市の「街は破壊」され、地方中核都市の商店街は壊滅的状態。
妙に符合する「戦前の官僚」と「戦後の官僚」。
かの大戦の責任は一握りの征服軍官僚が責任(絞首刑)を取らされただけで、
ほとんどの優秀な官僚は総理大臣になったり、閣僚大臣になったり、政治家になったり戦後解体された財閥の責任者になったり・・・・・
実は何も変わらなかった(笑)。
戦争に負けて、一般国民300万人余の犠牲を出すも、戦争を遂行した責任者は何ら責任を取らずに平然と為政する側に。
今も変わらず、公害で国民を苦しめようが、薬害で国民を死に貶めようが、税金を横領詐取しようが、責任者は一切「責任を取らない」。
実に笑える話ですが・・・・・・
「責任を取れ」とは法律に書いてないのだそうです。
当然と言えば当然かも知れませんが、「自分を縛る縄を綯う」泥棒はいませんよね(笑)。
未来の子どもたちへ。
昭和24年に生まれた僕らは「未来の子どもたち」だった・・・・・
漆黒の戦乱、戦渦に過ごした祖父母、父母世代はその「未来の子どもたち」になにを託し、なにを遺しただろうか。
僕らの時代も、そして今も、いわゆる「大東亜戦争」と「太平洋戦争」の歴史的検証が『日本史』の中で全くなされていません。
そのことは現代に生きる僕ら、そして「未来の子どもたち」にとって生存する上で“羅針盤”のない船にいるようなもの・・・・・・
戦後(敗戦後)60余年、そのときの「未来の子どもたち」のほとんどが“還暦”を迎え、今やその子、孫が社会の中心をなし、就学年齢に達するそんな時代。
その時代に、政治は腐敗と混迷、世界一優秀と言われた東大閥の官僚が行政する“国家”は極めて不審の様で、
「政治は三流、経済は一流」といわれた高度成長期の「財界」、経済は己の利益ばかりに腐心し、
国民大衆の日々の生活を困窮に貶めても平然とする。それどころか「当たり前」とさえの暴言も聞き及ぶ昨今。
この国はこれから、いったいどんな国になっていくのだろうか・・・・・・・
「改革、改革」と言った内閣は、当初30年後には無料解放と言っていた「高速道路」を永久有料の「民営化」、つまり個人の集合体の『私有物』にし、
法律加護下の国民の虎の子、「郵貯・簡保」をやはり「民営化」、株式化して『私有物』にしようとしている。
そして「美しい国」とか言った内閣はこれも国民のなけなしの年金掛け金総数“5,000万件”を該当者不明とさせ、
挙句“140兆円超”あるハズの年金掛け金になぜか言及せず「年金保険料」を上げ(増税)、年金給付年齢を交代(増税)させ、
しまいには「給付額」を減少(増税)させると言った暴挙に・・・・・
「私の内閣で絶対にやります。出来ないことは言わないんです」。
と大法螺を吹きながら「出来ないことは・・・・・」どころか、何にもしない内に1年と経たずに、
嘘八百八百閣僚の3名もの辞任騒動と、前代未聞の現役閣僚自殺といった汚点を残し、突然内閣を放り出してしまった。
そして今次、「生活者中心の政治」を言いながらの内閣は、
その生活者の中の「弱者」から真っ先に絞るといった悪代官さながらの「後期高齢者医療制度」と言った“姥捨て山政策”を実施。
さらに「生活者」を言うなら、国民生活にとって欠くことのできない“ガソリン税”増税と、パーパー商法に詐取されるがごときの石油価格暴騰に全くの無策。
世界でトップレベルと言われた行政官の“官僚”の下での政治・・・・・・
戦後、いつからか、復興期から高度成長期に、そしてその成長期の微温湯の中それら“政官”、
そして経済までが、嘘に嘘を重ねて暴利を貪る。そしてあろうことか国民生活の基盤でもある「労働」までを「日雇い制」で低賃金化させ、
正規雇用はせず、 「労働市場」から「人身を買い集めて」史上空前の高収益と饗宴する。
なぜだ、どうしてなんだ・・・・・・??!!!
一般国民大衆はそれでも懸命に生きようとしている。生きている。
それなのに、物価は上がり、所得は減少、実質増税の公共料金の値上げ。
挙句が800兆円という想像も出来ない負債があるという。
いやそれどころか地方自治体にもわかっているだけで300兆円からの負債が、さらに国、地方には「隠された借金」も。
そんな中、北朝鮮がどうしたとかの全てが作り話、寓話の類の外交偽装。
日本政府は日本国民に対して、この『ニッポン国』がどんな状況にあるかきっちりと情報公開する。
いや、国民自身がそれを要求し、させる。
本来、それが「国会議員の仕事」のはずだが国会議員にはその権能は全くない・・・・・
その“権能”が機能したのは戦後の一時期だけではなかったか。
つまり、国会というところに年間“1,000億円”から投じる税金は全て無駄ガネということになる。
事実、この間、国民生活、何かが良くなっただろうか?
頻発する陰惨な事件、親殺し、子殺しや通り魔事件、自殺・・・・・・
未だに絶えない政官財の談合、贈収賄汚職、公官庁の裏金犯罪。そのたびに逮捕者が出ても一向にそれがなくなることはない。
優秀である官僚の政策で「都市計画」がなされ、結果、地方の都市という都市の「街は破壊」され、地方中核都市の商店街は壊滅的状態。
妙に符合する「戦前の官僚」と「戦後の官僚」。
かの大戦の責任は一握りの征服軍官僚が責任(絞首刑)を取らされただけで、
ほとんどの優秀な官僚は総理大臣になったり、閣僚大臣になったり、政治家になったり戦後解体された財閥の責任者になったり・・・・・
実は何も変わらなかった(笑)。
戦争に負けて、一般国民300万人余の犠牲を出すも、戦争を遂行した責任者は何ら責任を取らずに平然と為政する側に。
今も変わらず、公害で国民を苦しめようが、薬害で国民を死に貶めようが、税金を横領詐取しようが、責任者は一切「責任を取らない」。
実に笑える話ですが・・・・・・
「責任を取れ」とは法律に書いてないのだそうです。
当然と言えば当然かも知れませんが、「自分を縛る縄を綯う」泥棒はいませんよね(笑)。
未来の子どもたちへ。
Posted by 昭和24歳
at 10:33
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