2010年12月20日
“壊れる”町並・・・・・
“壊れる”町並・・・・・
縮みゆく社会をクリエイティブに再編する提言集。郊外、団地、高齢社会、水辺、不動産...。
再生への世界的アクティビティを日本で実践。初版限定DVDは、ヨーロッパで話題の巡回展シュリンキング・シティの映像満載。
平成の大合併とは何だったのか・・・・・・・
それは昭和30年代前後の市町村合併とはことを大きく異とする。
昭和のそれは、人口増加、経済発展の一途だった。
しかし平成のそれは、年中心地でさえ過疎化、そして高齢化と、
昭和のニュータウン開発のゴーストタウン化。
明らかに「縮む社会・都市」なのに、なぜ右肩上がりの都市計画 ???
町々は近代化、再開発と称して時代の撹乱の中、
面妖に変貌させられた。
“忙しい”とは「心を亡くす」。
ならば“多忙”とはその極みだろうか。
勝者は「心を亡くし」、他者を思いやることもなく社会の様態を攫うようにして・・・・・
昨夕、NHKラジオで都市と災害をテーマに、
それを歴史的観点から国土交通省の官僚OBが話していた。
どうやら云われる所、“都市を造る”ということは、結果人間の営みを破壊することのようだ。
希代の政治家、豊臣秀吉は天下人とはなったものの、
発展の賭けに朝鮮侵略に失敗しそこに時代の終焉を見せた。
名前は失念したがそのOB官僚・・・・・・
戦国時代のほぼ“100年”。
そしてそれ以前の仏教の興隆と、貴族公家社会は“京・大坂”・・・・・
近畿地域の自然を破壊尽くしたのだと。
その、千年からに亘る時代、奈良、京都、大坂を中心とした文化圏・・・・・
凡そ、時代々々に数百万人が生活するにあたり、
その時代の“資源”・・・・・それは樹木、森林。
一人の人間の生涯需要資源は平均“2千本弱”の樹木天然資源を消費したと言う。
化石燃料が発見されるまでは人類のエネルギー資源は洋の東西を違わず“樹木”であったと。
そしてそれは、住居に、武器に、燃料に・・・・・
そしてこの国にあっては都市創造の100%が樹木“材木”。
豊臣の時代、家康は箱根越えの関東に国替えを勅令された・・・・・・
当時の関東平野。とりわけ今日の“東京”、江戸十里四方は湿地。
人気のない“寒漁村”。未開の僻地だったと。
しかし政治家、徳川家康は時に開かれた、鎌倉幕府・・・・・
そして藤原につながる東北地帯の全貌を知るにつけ、
巨大な資源開発の可能性を発見したと。
江戸入り江に注ぐ並々とした河川と大河、利根川・・・・・
そしてどこまでも果てしなく広がる三国までの平野、穀倉地帯。
当然そこには戦国の世に戦禍を逃れた民百姓の生活と、
足利からつながる由緒の新田、徳川の庄。
その元官僚OB・・・・・
「家康は、今でいえば新しい油田を発見発掘したようなもの、
京大坂の秀吉の残り滓のような都市を見限り、天下人となったが大坂城を捨て、
“江戸村”の開発、遷都に着手したのです。」
それからほぼ300年、江戸から明治・・・・・
やはり、京の公家集団を神輿に政権奪還した明治新政府は、
21世紀、今日現代まで、そうした意味では“徳川家康”の歴史遺産に安穏としていると。
当然商工業、大坂商人は江戸に・・・・・
文明文化の中心はそろそろ5百年、江戸“東の京”に。
時代の発展速度からいえば、徳川以前の千年をこの5百年ははるかに超え、
時代は・・・・・
気象学の観点からも既に“東京”は限界値に達していると。
先般の東京先端都市の大水害・・・・・・
これは明らかに人口増からの“地盤沈下”がもたらした政策災害。
巨大構造物と地下水の枯渇が海抜数メートル以下の現象を引き起こした。
自然現象の猛威は地球温暖化による気温の変化。
米国、ルイジアナ一帯も石油採掘地帯のための地盤沈下は海抜3メートル以下が平均の都市。
200万人都市をも水没させる大自然災害の猛威。
この歴史的“地理気象学”から見れば至極当然の現象・・・・・・
そしてこれはけして自然現象などではなく、
文明文化、科学技術の発展の結末としての人工災害。
巨大地震、水害・・・・・・
そこを考えれば“遷都”は必然ではないかと。
東京を“忙しくない”都市にしなくてはとか。
東京だけではない。
津々浦々の中堅都市も“再開発”で人の空間は破壊し尽くされた。
そこに人の吸う空気“自然”を亡くしてしまっている。
昨今の「殺しあう社会」の通り魔事件・・・・・・
“ヒト”も自然の一部なのだ。
自然が壊れれば人も壊れる。
この街もそうだ、中核都市とか37万都市とかだが、片腹痛しである
無理やり寄せ集めて、うちのカミさんのボディースーツ(-_-;)
「あ~苦しかった」
男には分からない、そうまででしなければならない理由が(笑)。
で、手を加えれば加えるほど・・・・・・
街は壊れてゆく。
“壊れる”町並・・・・・
縮みゆく社会をクリエイティブに再編する提言集。郊外、団地、高齢社会、水辺、不動産...。
再生への世界的アクティビティを日本で実践。初版限定DVDは、ヨーロッパで話題の巡回展シュリンキング・シティの映像満載。
平成の大合併とは何だったのか・・・・・・・
それは昭和30年代前後の市町村合併とはことを大きく異とする。
昭和のそれは、人口増加、経済発展の一途だった。
しかし平成のそれは、年中心地でさえ過疎化、そして高齢化と、
昭和のニュータウン開発のゴーストタウン化。
明らかに「縮む社会・都市」なのに、なぜ右肩上がりの都市計画 ???
町々は近代化、再開発と称して時代の撹乱の中、
面妖に変貌させられた。
“忙しい”とは「心を亡くす」。
ならば“多忙”とはその極みだろうか。
勝者は「心を亡くし」、他者を思いやることもなく社会の様態を攫うようにして・・・・・
昨夕、NHKラジオで都市と災害をテーマに、
それを歴史的観点から国土交通省の官僚OBが話していた。
どうやら云われる所、“都市を造る”ということは、結果人間の営みを破壊することのようだ。
希代の政治家、豊臣秀吉は天下人とはなったものの、
発展の賭けに朝鮮侵略に失敗しそこに時代の終焉を見せた。
名前は失念したがそのOB官僚・・・・・・
戦国時代のほぼ“100年”。
そしてそれ以前の仏教の興隆と、貴族公家社会は“京・大坂”・・・・・
近畿地域の自然を破壊尽くしたのだと。
その、千年からに亘る時代、奈良、京都、大坂を中心とした文化圏・・・・・
凡そ、時代々々に数百万人が生活するにあたり、
その時代の“資源”・・・・・それは樹木、森林。
一人の人間の生涯需要資源は平均“2千本弱”の樹木天然資源を消費したと言う。
化石燃料が発見されるまでは人類のエネルギー資源は洋の東西を違わず“樹木”であったと。
そしてそれは、住居に、武器に、燃料に・・・・・
そしてこの国にあっては都市創造の100%が樹木“材木”。
豊臣の時代、家康は箱根越えの関東に国替えを勅令された・・・・・・
当時の関東平野。とりわけ今日の“東京”、江戸十里四方は湿地。
人気のない“寒漁村”。未開の僻地だったと。
しかし政治家、徳川家康は時に開かれた、鎌倉幕府・・・・・
そして藤原につながる東北地帯の全貌を知るにつけ、
巨大な資源開発の可能性を発見したと。
江戸入り江に注ぐ並々とした河川と大河、利根川・・・・・
そしてどこまでも果てしなく広がる三国までの平野、穀倉地帯。
当然そこには戦国の世に戦禍を逃れた民百姓の生活と、
足利からつながる由緒の新田、徳川の庄。
その元官僚OB・・・・・
「家康は、今でいえば新しい油田を発見発掘したようなもの、
京大坂の秀吉の残り滓のような都市を見限り、天下人となったが大坂城を捨て、
“江戸村”の開発、遷都に着手したのです。」
それからほぼ300年、江戸から明治・・・・・
やはり、京の公家集団を神輿に政権奪還した明治新政府は、
21世紀、今日現代まで、そうした意味では“徳川家康”の歴史遺産に安穏としていると。
当然商工業、大坂商人は江戸に・・・・・
文明文化の中心はそろそろ5百年、江戸“東の京”に。
時代の発展速度からいえば、徳川以前の千年をこの5百年ははるかに超え、
時代は・・・・・
気象学の観点からも既に“東京”は限界値に達していると。
先般の東京先端都市の大水害・・・・・・
これは明らかに人口増からの“地盤沈下”がもたらした政策災害。
巨大構造物と地下水の枯渇が海抜数メートル以下の現象を引き起こした。
自然現象の猛威は地球温暖化による気温の変化。
米国、ルイジアナ一帯も石油採掘地帯のための地盤沈下は海抜3メートル以下が平均の都市。
200万人都市をも水没させる大自然災害の猛威。
この歴史的“地理気象学”から見れば至極当然の現象・・・・・・
そしてこれはけして自然現象などではなく、
文明文化、科学技術の発展の結末としての人工災害。
巨大地震、水害・・・・・・
そこを考えれば“遷都”は必然ではないかと。
東京を“忙しくない”都市にしなくてはとか。
東京だけではない。
津々浦々の中堅都市も“再開発”で人の空間は破壊し尽くされた。
そこに人の吸う空気“自然”を亡くしてしまっている。
昨今の「殺しあう社会」の通り魔事件・・・・・・
“ヒト”も自然の一部なのだ。
自然が壊れれば人も壊れる。
この街もそうだ、中核都市とか37万都市とかだが、片腹痛しである
無理やり寄せ集めて、うちのカミさんのボディースーツ(-_-;)
「あ~苦しかった」
男には分からない、そうまででしなければならない理由が(笑)。
で、手を加えれば加えるほど・・・・・・
街は壊れてゆく。
“壊れる”町並・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 18:44
│Comments(2)
春かうらうの華の宴~♪ハミングしちゃいます