2010年12月14日
随想録、上方情緒「てっぱん」。
随想録NHK「てっぱん」とか・・・・
梅田北、西崎西辺り・・・・・・・
昭和から平成になる頃大阪梅田駅から阪急裏を通り、
ホテルサンルート、能楽堂を抜け、路地を三つ折りした所に一軒のしもた家に営業所を借りていた。
そこはまさに「お父さんはお人好し」の世界であった。
駄菓子屋、オカズ屋、八百屋、魚屋・・・・・・
「おっちゃん、おはよう」
ふっと、振返ると小学生の子どもがなんと「生大阪弁」。
<へ~っ、大阪では子どもも大阪弁喋るんだ>
と、初めての頃は感心したものだった。
それは、関東で聞く「大阪弁」とは一味も二味もその味わいは違っていた。
やはり食い物も味付けは全くといっていいほど違う。
それにしても近くの定食屋の「ケツネうどん」は美味かった!
東京のそれとは全く違う・・・・・ただのお湯に醤油をひとさしした程度の色合い。
聞けば関西独特のものだという・・・・・
僕がスパゲッティが好物だと知る社員が、社員とは言っても二人しかいないのだが、
「社長、ええ店ありますぅ・・・・・行ってみますぅ?」
何故か僕と話す時は関東弁訛りの大阪弁になりながらそう僕を誘う。
その頃、昭和60年代は大阪では所謂「イタメシ系」はあまり大衆的ではなかったようだ。
イタメシはどちらかというと味付けは「コテコテ」でそれまではあまり盛らなかったらしい。
どうやら、テレビで「イタメシ屋」が騒がれ始めてボチボチ東京辺りで覚えたコックが出来合いの食堂を改装して、
「イタメシ屋」を開店していたような頃だった。
それにしても、どうも関東系の食いもん屋で「大阪弁」では食った気がしないのは何故だろうか(笑)。
偏見かも知れないが、オープンカウンターの店などではその言葉のやり取り・・・・・
客と、店の者との境がない・・・・・
馴れ馴れしいとでもいうのか、まさしく、吉本新喜劇のそれ。
「ボケと突っ込み」。
スキあらばボケて見せ、スキあらば突っ込む(笑)。
仕事のことで打合せしていてそれをやられると、関東の人間たまらない・・・・・
「ふざけてるんじゃネェよ!」
なんて言おうもんなら・・・・・・
みんな黙ってしまう。
関東人の言葉は、「キツイ」のだそうだ。
つまり、「間」がない(笑)。
東京都電話したりしていると・・・・・・・
「社長、なに怒ってはりますのん ??? 」
まあ、そんな感じに聞こえてしまうようだ。
で、そのボケと突っ込みが大阪の「間」、というか文化なんだろう ???
聞けば、京都も、神戸もあまりそれはしないという。
どちらかというと、和歌山、奈良方面にそれが顕著と聞く。
そういえば、和歌山のお得意さんなどは最初から最期まで「ボケと突っ込み」だった。
その店までが「ぶらくり横丁」なる横丁にあったのだから笑うしかない(笑)。
因みに、宮崎の人は関東の茨城、栃木訛りにそっくり。
尻上がりのイントネーションで・・・・・
電話などで注文を受けても、なにを言っているのかほとんど分からない。
それもどことなく控えめな話し方・・・・・・
で、今、NHKで朝ドラで「てっぱん」とかだが、どうも大阪弁がクサイ(-_-;)
尾道弁というか、その辺りとの融合が、なぜか「大阪」をつまらなくしている。
それに、富司純子の「大阪弁」もイマイチ、スベスベ感がない・・・・・・
竜雷太のソレはなおさらだ。
しかし、昭和60年代だが、梅田北の西崎あたりはまさにあの「てっぱん」の趣だった。
そういえば、お好み焼き屋、駄菓子屋があの雰囲気の中にあった。
まあ、関東の人間からしてみると、別世界・・・・・・
ちなみに、僕なんぞはその空気の中「異邦人」。
随想録NHK「てっぱん」とか・・・・
梅田北、西崎西辺り・・・・・・・
昭和から平成になる頃大阪梅田駅から阪急裏を通り、
ホテルサンルート、能楽堂を抜け、路地を三つ折りした所に一軒のしもた家に営業所を借りていた。
そこはまさに「お父さんはお人好し」の世界であった。
駄菓子屋、オカズ屋、八百屋、魚屋・・・・・・
「おっちゃん、おはよう」
ふっと、振返ると小学生の子どもがなんと「生大阪弁」。
<へ~っ、大阪では子どもも大阪弁喋るんだ>
と、初めての頃は感心したものだった。
それは、関東で聞く「大阪弁」とは一味も二味もその味わいは違っていた。
やはり食い物も味付けは全くといっていいほど違う。
それにしても近くの定食屋の「ケツネうどん」は美味かった!
東京のそれとは全く違う・・・・・ただのお湯に醤油をひとさしした程度の色合い。
聞けば関西独特のものだという・・・・・
僕がスパゲッティが好物だと知る社員が、社員とは言っても二人しかいないのだが、
「社長、ええ店ありますぅ・・・・・行ってみますぅ?」
何故か僕と話す時は関東弁訛りの大阪弁になりながらそう僕を誘う。
その頃、昭和60年代は大阪では所謂「イタメシ系」はあまり大衆的ではなかったようだ。
イタメシはどちらかというと味付けは「コテコテ」でそれまではあまり盛らなかったらしい。
どうやら、テレビで「イタメシ屋」が騒がれ始めてボチボチ東京辺りで覚えたコックが出来合いの食堂を改装して、
「イタメシ屋」を開店していたような頃だった。
それにしても、どうも関東系の食いもん屋で「大阪弁」では食った気がしないのは何故だろうか(笑)。
偏見かも知れないが、オープンカウンターの店などではその言葉のやり取り・・・・・
客と、店の者との境がない・・・・・
馴れ馴れしいとでもいうのか、まさしく、吉本新喜劇のそれ。
「ボケと突っ込み」。
スキあらばボケて見せ、スキあらば突っ込む(笑)。
仕事のことで打合せしていてそれをやられると、関東の人間たまらない・・・・・
「ふざけてるんじゃネェよ!」
なんて言おうもんなら・・・・・・
みんな黙ってしまう。
関東人の言葉は、「キツイ」のだそうだ。
つまり、「間」がない(笑)。
東京都電話したりしていると・・・・・・・
「社長、なに怒ってはりますのん ??? 」
まあ、そんな感じに聞こえてしまうようだ。
で、そのボケと突っ込みが大阪の「間」、というか文化なんだろう ???
聞けば、京都も、神戸もあまりそれはしないという。
どちらかというと、和歌山、奈良方面にそれが顕著と聞く。
そういえば、和歌山のお得意さんなどは最初から最期まで「ボケと突っ込み」だった。
その店までが「ぶらくり横丁」なる横丁にあったのだから笑うしかない(笑)。
因みに、宮崎の人は関東の茨城、栃木訛りにそっくり。
尻上がりのイントネーションで・・・・・
電話などで注文を受けても、なにを言っているのかほとんど分からない。
それもどことなく控えめな話し方・・・・・・
で、今、NHKで朝ドラで「てっぱん」とかだが、どうも大阪弁がクサイ(-_-;)
尾道弁というか、その辺りとの融合が、なぜか「大阪」をつまらなくしている。
それに、富司純子の「大阪弁」もイマイチ、スベスベ感がない・・・・・・
竜雷太のソレはなおさらだ。
しかし、昭和60年代だが、梅田北の西崎あたりはまさにあの「てっぱん」の趣だった。
そういえば、お好み焼き屋、駄菓子屋があの雰囲気の中にあった。
まあ、関東の人間からしてみると、別世界・・・・・・
ちなみに、僕なんぞはその空気の中「異邦人」。
随想録NHK「てっぱん」とか・・・・
Posted by 昭和24歳
at 08:12
│Comments(4)
そこで、この場を借りてお返事です。
過日は、紫文ライブのお誘いありがとう。
是非とも参加したいのですが、
残念ながら先約(地元の会合)がありまして
参加することができません。
これに懲りずに、是非次回も誘って下さい。
尚、ただいまブログを休んでおります。
近いうちに再開しますが、とりあえずの
ご連絡は、面倒でもメールでお願い申します。
おっちゃんたちは昼酒くらっとるわ、ネイちゃんは威勢よいわ、おばちゃんは豹柄で頭は紫だわ(=^▽^=)
そういえば『くいだおれ太郎』はどこが保護したんでしたっけ?
まぁ上州は『じり焼き』ですね。山芋すりおろし入りなんて、かつては知りませんでしたから、ふっくらしてません。かえってジャジャって木べらで押しつけてたり( ̄○ ̄;)
普通はソースですが、うちでは「ポン酢+もみじおろし」もイケてる~という酒肴ですね(^ε^)♪
あぁ韓国のチヂミも同系統だな。