2010年10月28日
「イジメ」そして「最小不幸」。
「イジメ」そして「最小不幸」。
群馬・小6自殺 「いじめ」めぐり学校側と対立
産経新聞 10月28日(木)7時56分配信
23日に桐生市内の自宅で自殺した上村明子さん。自ら死を選ぶ1週間ほど前に「やっぱり『友達』っていいな!」という3ページの漫画をノートに記していた(写真:産経新聞)
「イジメ」はけしてなくならない。
残念だけど、それは「子ども社会」に限らず、どこにでもある。
それが、イジメられた側の我慢の限界からの「自殺」で、終わる、社会の現象だろう。
人間という、常に他者との「かかわり」の中に生きざるを得ない・・・・・・
共生の生き物である限り、イジメはなくならない。
だから、そこでの不幸をいかに「最小不幸」に止めるかが生活の知恵、生きる知恵。
しかし、何時の場合にも「浦島太郎」は必ずいる。
子ども社会の場合は、それが教師だったり、友達の中の一人だったり。
以前、小学校のころのイジメについては書いたが、そこでも勇気ある「浦島太郎」がいた。
「もう止めろうよ・・・・・・」
僕の記憶では、小学校3年のとき「瀬川君」という柔道を習っていた同級生。
そういえば瀬川君は「イジメ」には加わらなかった。
その「イジメ」はどんどんエスカレートして行き、最終的には田中先生の激怒で収まったのだが・・・・・・
その瀬川君の、一言がきっかけ出会ったことは間違いない。
中学3年のときもものすごいイジメがあった。
「K君」という転校生。体が弱かった。となりの中学から、少し変わったやつだった。
実は、体が弱かったということで、そのため一学年留年していて、実際はぼくらより一つ年上。
おそらく、中学3年生になっての転校は、その隣の中学でも相当のイジメにあってのことだったようだ。
「イジメ」のきっかけは、そのK君の言動だった・・・・・・
プロレスがものすごく好きで、誰彼となく「プロレスごっこ」を挑んでいた。
K君はその「ヒーロー役」のつもりでいたんだが、その内に「ヒール役」にされちゃって、
よってたかって、その「プロレスごっこ」が「イジメ」になってしまた。
それが原因で、K君は学校を休みがちになる。理由は「お腹が痛い」、腸が弱いとか言う理由で。
で、学校に出てくると「プロレスごっこ」が始まる。ついにK君は泣き出す・・・・・・
そんなとき浦島太郎が、小さな声で、
「もうやめろよ・・・・・」
おとなしい、島田君という浦島太郎。その浦島太郎はクラスで一番優秀だった。
その、浦島太郎の一言で嘘のようにK君に対する「イジメ」はなくなった。
子どもであれ、大人でアレ、その「イジメ」をしているときは、客観的に「イジメ」をしているという意識がない。
それは、一種の「遊び」の延長のような、そしてその始まり、動機は些細なことからだ。
まあ、往々にして、そこでは「イジメ」られる側に問題がある場合が少なくない。
それは、その「性格」だったり、「容姿」だったり、そして「臭い、汚い」とか、様々な事情からだろうが。
そこのところが、「最小不幸」を考える、イジメられる「本人」と、イジメる「他者」、そして・・・・・・
「浦島太郎」の小さな勇気と、知恵じゃないだろうか。
子ども社会は残酷だが、残忍ではない。ほんの小さなきっかけで目覚める。
周りの大人がそこを見逃さないことだ。
小6女児「いじめ」自殺 学校側と埋まらぬ溝…家族苦悩
産経新聞 10月27日(水)20時31分配信
今月23日、群馬県桐生市で小学6年の上村明子さん(12)が自宅で首をつり、短い人生に自ら終止符を打った。家族は学校でのいじめを苦に自殺したと訴える。しかし学校側は明子さんが学級内で孤立していたことは認めながらも「いじめの認識はない」と否定する。高木義明文部科学相や同県の大沢正明知事はいじめの存否を含めた調査を指示したが、学校側との埋まらない溝に家族の苦痛は増すばかりだ。
校長先生・・・・・・・
まずは「イジメ」を認めることだ。
想像すればいい。
上村明子さんがどんな思いで耐えていたかを。
フィリッピン人のお母さん、そしてその容姿・・・・・・
お父さんの事情を抱えての転居と転校。
想像すればいい。
「イジメ」そして「最小不幸」。
群馬・小6自殺 「いじめ」めぐり学校側と対立
産経新聞 10月28日(木)7時56分配信
23日に桐生市内の自宅で自殺した上村明子さん。自ら死を選ぶ1週間ほど前に「やっぱり『友達』っていいな!」という3ページの漫画をノートに記していた(写真:産経新聞)
「イジメ」はけしてなくならない。
残念だけど、それは「子ども社会」に限らず、どこにでもある。
それが、イジメられた側の我慢の限界からの「自殺」で、終わる、社会の現象だろう。
人間という、常に他者との「かかわり」の中に生きざるを得ない・・・・・・
共生の生き物である限り、イジメはなくならない。
だから、そこでの不幸をいかに「最小不幸」に止めるかが生活の知恵、生きる知恵。
しかし、何時の場合にも「浦島太郎」は必ずいる。
子ども社会の場合は、それが教師だったり、友達の中の一人だったり。
以前、小学校のころのイジメについては書いたが、そこでも勇気ある「浦島太郎」がいた。
「もう止めろうよ・・・・・・」
僕の記憶では、小学校3年のとき「瀬川君」という柔道を習っていた同級生。
そういえば瀬川君は「イジメ」には加わらなかった。
その「イジメ」はどんどんエスカレートして行き、最終的には田中先生の激怒で収まったのだが・・・・・・
その瀬川君の、一言がきっかけ出会ったことは間違いない。
中学3年のときもものすごいイジメがあった。
「K君」という転校生。体が弱かった。となりの中学から、少し変わったやつだった。
実は、体が弱かったということで、そのため一学年留年していて、実際はぼくらより一つ年上。
おそらく、中学3年生になっての転校は、その隣の中学でも相当のイジメにあってのことだったようだ。
「イジメ」のきっかけは、そのK君の言動だった・・・・・・
プロレスがものすごく好きで、誰彼となく「プロレスごっこ」を挑んでいた。
K君はその「ヒーロー役」のつもりでいたんだが、その内に「ヒール役」にされちゃって、
よってたかって、その「プロレスごっこ」が「イジメ」になってしまた。
それが原因で、K君は学校を休みがちになる。理由は「お腹が痛い」、腸が弱いとか言う理由で。
で、学校に出てくると「プロレスごっこ」が始まる。ついにK君は泣き出す・・・・・・
そんなとき浦島太郎が、小さな声で、
「もうやめろよ・・・・・」
おとなしい、島田君という浦島太郎。その浦島太郎はクラスで一番優秀だった。
その、浦島太郎の一言で嘘のようにK君に対する「イジメ」はなくなった。
子どもであれ、大人でアレ、その「イジメ」をしているときは、客観的に「イジメ」をしているという意識がない。
それは、一種の「遊び」の延長のような、そしてその始まり、動機は些細なことからだ。
まあ、往々にして、そこでは「イジメ」られる側に問題がある場合が少なくない。
それは、その「性格」だったり、「容姿」だったり、そして「臭い、汚い」とか、様々な事情からだろうが。
そこのところが、「最小不幸」を考える、イジメられる「本人」と、イジメる「他者」、そして・・・・・・
「浦島太郎」の小さな勇気と、知恵じゃないだろうか。
子ども社会は残酷だが、残忍ではない。ほんの小さなきっかけで目覚める。
周りの大人がそこを見逃さないことだ。
小6女児「いじめ」自殺 学校側と埋まらぬ溝…家族苦悩
産経新聞 10月27日(水)20時31分配信
今月23日、群馬県桐生市で小学6年の上村明子さん(12)が自宅で首をつり、短い人生に自ら終止符を打った。家族は学校でのいじめを苦に自殺したと訴える。しかし学校側は明子さんが学級内で孤立していたことは認めながらも「いじめの認識はない」と否定する。高木義明文部科学相や同県の大沢正明知事はいじめの存否を含めた調査を指示したが、学校側との埋まらない溝に家族の苦痛は増すばかりだ。
校長先生・・・・・・・
まずは「イジメ」を認めることだ。
想像すればいい。
上村明子さんがどんな思いで耐えていたかを。
フィリッピン人のお母さん、そしてその容姿・・・・・・
お父さんの事情を抱えての転居と転校。
想像すればいい。
「イジメ」そして「最小不幸」。
Posted by 昭和24歳
at 20:03
│Comments(2)
明子ちゃんが どうしようもできないことで いじめるのは 卑怯だな。
学校の先生も 金八先生みたいに いじめに 取り組んで いじめた子に 注意するべきだ。
いじめは一度もしたことありません。
中学で初めて大勢にナイフで脅され喧嘩に負けました。
今のいじめは大勢でいじめる狡猾なものです。
民主主義の醜い部分を削ぎ落とさないままの教育が自分だけ良ければという
個人主義を育てた日本の教育がいけないと思います。
昔のように子供の時だけは先生が賢明な級長を選ぶようにしなければならないと思います。