2008年05月21日
路地裏のつぶやき・・・・・
ヒロポン中毒で背中には「唐獅子牡丹の刺青」・・・・・
ご存知、畳屋の“セーちゃん”。ご存知といったところでここの横丁だけの話だが。
「年端とりたかねえなぁ、えぇっ、背中の唐獅子牡丹がキャベツになっちまっちゃあ俺もおしめぇだぜ!!」
そう言って、
「おうっ、飲めっ!!」
そんな畳屋のセーちゃんだったが今は鬼籍の人。
黄泉の国の横丁でもきっと啖呵を切っているのではないだろうか誰彼となしに・・・・・・
僕の“横丁”にはそういう意味では「エライ」人が随分と居た。
全身カラクリモンモンの鳶頭の「新井さん」とか、なぜか「団子屋のマーボー」と呼ばれていて僕ら横丁のガキにはどことなく不気味だったオッサン。
そして縄抜けの「真ちゃん」とか・・・このオジサン、若かりし頃は警察に捕まっても必ず脱走を繰り返したとか。
あぼん屋の「ナミチャン」なんて云う人も居た。
戦後は右も左も・・・「エライ」時代だった。
昭和31年、“赤線”が消え・・・ここ“横丁”の街はは北関東きっての「歓楽街」と名を馳せた。
そんなわけで“横丁”の長屋には、「お水」のお姉さんがどことはなしの色香で一方の風情を織り成していた。
もちろん僕らがその風情を楽しんでおったわけではないのだが・・・・・
あの時代、何処の「横丁」にも、横丁という横丁にはコップ酒場があった。
大体が、酒屋がそのコップ酒を供していた。今で云うなら「コンビ」の趣、カウンターで飲む。
ちょいとしたカウンターらしきものがしつらえてあり、そこで、南京豆かなんかをツマミにして頂いているようだった。
それというのも、良くは知らないが、何でも「料飲法」という無粋な法律があって・・・・・
「座らせて飲ませてはいけない」決まりがあったようだ。
そんな立ち飲みの酒場、「エチルアルコホール」のきついのが一杯も入れば「矢でも鉄砲でも持って来い」のご時世、横丁での酔っ払いの喧嘩は日常茶飯事・・・・・
しかし「料飲法」とは、いつの世も“御上”と云う奴は「庶民」には横柄だ。
昭和30年代・・・買防でパクラレル、お姉さん。選挙違反でしょっ引かれる、小父さん。
垣根越しの悪たれ、罵詈雑言、鍋釜が飛び交う夫婦喧嘩・・・それでいて「離縁」なんて云う話は聞くこともない。
もっとも、「出て行けーーーっ!!」
「ああ、出て行くよ!!」は、横丁の風物。
実は僕がガキの頃は何度となくそんな親父とオフクロを目にしてはおののいたものだった(笑)。
6畳一間の長屋に下手をすれば、三世代・・・・・そして共同便所に、共同炊事場、共同水道、それが当時の横丁の長屋。
疫痢、赤痢、はたけに、田虫・・・チョイト運が悪ければ、トラホームに蓄膿とデキモン問屋。
町医者にしたって、ヤブもヘボもない・・・・・
国民皆保険がやっと始まる頃の話だから、医者なんかにはかかる筈もないし、殆どが往診。
もっとも、病院たって、別に「医療機器」があるわけじゃあないから、医者もこられても困っただろう。
あの頃、あの時代の“ガキ”だから、僕らの「ジンバラ」は今の“ガキ”の「ジンバラ」とは「ジンバラ」が違う。
当時の駄菓子ときたぁ日には食品添加物どころの騒ぎじゃあない・・・・・
しかし毎日買い物する魚屋、八百屋、変なものを出せばたちまち客足は他所へ行っちまうからそりゃあシナモンは確かだったに違いない。
考えてみれば、肉こそ食わなかったものの・・・
冷蔵庫と云う物が無かったお陰でいつも、旬の物・・・新鮮な物を食べていたわけだ。
ここは、内陸、海なし県だから鮮魚は殆ど縁が無い。
そんなわけで秋刀魚、鯖、鯵の開き、鰹のナマリに、鯖の煮付け・・・
佃煮屋も「横丁」には必ず一軒あった、豆腐屋、八百屋は引き売り、納豆屋、卵屋は朝の目覚まし・・・・・
牛乳も、搾りたて、野菜も採れたて、梅干、糠漬け、沢庵に白菜漬け・・・
今頃は、チョイト漬き過ぎた、紫紺の「ナス」と口の曲がりそうな「キュウリ」があれば、3杯飯は行ける。
今朝も、そのナスと、大根・・・
豆腐と大根の味噌汁でレトロな贅沢三昧。
今日日、大型冷蔵庫には・・・・・
賞味期限すれすれの生鮮食品が汗をかいている。
「時代」という物は、随分と無駄を作る・・・・・
しかし、食糧自給率を言う割にはスーパー、コンビにでは捨てるほど物があふれている。
まあ、船場吉兆の「もったいない」は噴飯ものだが・・・・・
どこぞの秋田のデパ地下『魚きん』が売れ残り消費期限切れの刺身をパックしなおして販売とか。
どうやら、ずっと続けていたらしい。昨日今日の話ではないようだが・・・・・
まあ、このあたりのスーパーでも夕刻のピークを過ぎると半値で売ったりしている。
そんな刺身、あっという間に売り切れる(笑)。
秋田の『魚きん』それをしなかったんだろうか・・・・・
まあ、政治が消費期限切れを、とっくに腐りきっているのにパック詰め直して、平気な顔。
吉兆の女将「絶対に止めません、死ぬまでがんばります!!」と・・・・・
吉兆の女将がなんと言おうとかまわないが政治がそれではたまらない。
路地裏のつぶやき・・・・・
ご存知、畳屋の“セーちゃん”。ご存知といったところでここの横丁だけの話だが。
「年端とりたかねえなぁ、えぇっ、背中の唐獅子牡丹がキャベツになっちまっちゃあ俺もおしめぇだぜ!!」
そう言って、
「おうっ、飲めっ!!」
そんな畳屋のセーちゃんだったが今は鬼籍の人。
黄泉の国の横丁でもきっと啖呵を切っているのではないだろうか誰彼となしに・・・・・・
僕の“横丁”にはそういう意味では「エライ」人が随分と居た。
全身カラクリモンモンの鳶頭の「新井さん」とか、なぜか「団子屋のマーボー」と呼ばれていて僕ら横丁のガキにはどことなく不気味だったオッサン。
そして縄抜けの「真ちゃん」とか・・・このオジサン、若かりし頃は警察に捕まっても必ず脱走を繰り返したとか。
あぼん屋の「ナミチャン」なんて云う人も居た。
戦後は右も左も・・・「エライ」時代だった。
昭和31年、“赤線”が消え・・・ここ“横丁”の街はは北関東きっての「歓楽街」と名を馳せた。
そんなわけで“横丁”の長屋には、「お水」のお姉さんがどことはなしの色香で一方の風情を織り成していた。
もちろん僕らがその風情を楽しんでおったわけではないのだが・・・・・
あの時代、何処の「横丁」にも、横丁という横丁にはコップ酒場があった。
大体が、酒屋がそのコップ酒を供していた。今で云うなら「コンビ」の趣、カウンターで飲む。
ちょいとしたカウンターらしきものがしつらえてあり、そこで、南京豆かなんかをツマミにして頂いているようだった。
それというのも、良くは知らないが、何でも「料飲法」という無粋な法律があって・・・・・
「座らせて飲ませてはいけない」決まりがあったようだ。
そんな立ち飲みの酒場、「エチルアルコホール」のきついのが一杯も入れば「矢でも鉄砲でも持って来い」のご時世、横丁での酔っ払いの喧嘩は日常茶飯事・・・・・
しかし「料飲法」とは、いつの世も“御上”と云う奴は「庶民」には横柄だ。
昭和30年代・・・買防でパクラレル、お姉さん。選挙違反でしょっ引かれる、小父さん。
垣根越しの悪たれ、罵詈雑言、鍋釜が飛び交う夫婦喧嘩・・・それでいて「離縁」なんて云う話は聞くこともない。
もっとも、「出て行けーーーっ!!」
「ああ、出て行くよ!!」は、横丁の風物。
実は僕がガキの頃は何度となくそんな親父とオフクロを目にしてはおののいたものだった(笑)。
6畳一間の長屋に下手をすれば、三世代・・・・・そして共同便所に、共同炊事場、共同水道、それが当時の横丁の長屋。
疫痢、赤痢、はたけに、田虫・・・チョイト運が悪ければ、トラホームに蓄膿とデキモン問屋。
町医者にしたって、ヤブもヘボもない・・・・・
国民皆保険がやっと始まる頃の話だから、医者なんかにはかかる筈もないし、殆どが往診。
もっとも、病院たって、別に「医療機器」があるわけじゃあないから、医者もこられても困っただろう。
あの頃、あの時代の“ガキ”だから、僕らの「ジンバラ」は今の“ガキ”の「ジンバラ」とは「ジンバラ」が違う。
当時の駄菓子ときたぁ日には食品添加物どころの騒ぎじゃあない・・・・・
しかし毎日買い物する魚屋、八百屋、変なものを出せばたちまち客足は他所へ行っちまうからそりゃあシナモンは確かだったに違いない。
考えてみれば、肉こそ食わなかったものの・・・
冷蔵庫と云う物が無かったお陰でいつも、旬の物・・・新鮮な物を食べていたわけだ。
ここは、内陸、海なし県だから鮮魚は殆ど縁が無い。
そんなわけで秋刀魚、鯖、鯵の開き、鰹のナマリに、鯖の煮付け・・・
佃煮屋も「横丁」には必ず一軒あった、豆腐屋、八百屋は引き売り、納豆屋、卵屋は朝の目覚まし・・・・・
牛乳も、搾りたて、野菜も採れたて、梅干、糠漬け、沢庵に白菜漬け・・・
今頃は、チョイト漬き過ぎた、紫紺の「ナス」と口の曲がりそうな「キュウリ」があれば、3杯飯は行ける。
今朝も、そのナスと、大根・・・
豆腐と大根の味噌汁でレトロな贅沢三昧。
今日日、大型冷蔵庫には・・・・・
賞味期限すれすれの生鮮食品が汗をかいている。
「時代」という物は、随分と無駄を作る・・・・・
しかし、食糧自給率を言う割にはスーパー、コンビにでは捨てるほど物があふれている。
まあ、船場吉兆の「もったいない」は噴飯ものだが・・・・・
どこぞの秋田のデパ地下『魚きん』が売れ残り消費期限切れの刺身をパックしなおして販売とか。
どうやら、ずっと続けていたらしい。昨日今日の話ではないようだが・・・・・
まあ、このあたりのスーパーでも夕刻のピークを過ぎると半値で売ったりしている。
そんな刺身、あっという間に売り切れる(笑)。
秋田の『魚きん』それをしなかったんだろうか・・・・・
まあ、政治が消費期限切れを、とっくに腐りきっているのにパック詰め直して、平気な顔。
吉兆の女将「絶対に止めません、死ぬまでがんばります!!」と・・・・・
吉兆の女将がなんと言おうとかまわないが政治がそれではたまらない。
路地裏のつぶやき・・・・・
Posted by 昭和24歳
at 18:11
│Comments(1)
この記事へのコメント
便利になればなるほど薄れていくものがあって・・・いろいろな面で寂しさを感じています!今の子供たちにはいまが当たり前・・・時代は変わるというけれど、‘情’だけは変わってほしくないです・・・! 昭和24歳さんは日本酒お好きなんですよね・・・吉田類という人の‘酒場放浪記’という番組素敵ですよ!(土曜pm10:30~BSiにて)
Posted by ひまわり at 2008年05月21日 18:57