2010年05月28日

昨日今日のニュース

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「お聴かせください、あなたの想い」
とかいわれてもねぇ・・・・・







戦後65年・・・・・・・

その時僕らはいわゆる“高齢者”と呼ばれるようになっていた。

敗戦、占領・・・・・そして独立・・・・・

僕の実感としては“敗戦”は意識の中にはあるが、

“占領”と“独立”は全くといっていいほど“それ”がない。

しかし、はたして僕ら世代にどれほどが“敗戦”意識しているだろうか。

今僕はそれを知りたい。

僕にとっての“敗戦”の意識は、それは父の言葉であり・・・・・・・

まさに教育を受けた時代そのものの中にある。

父は招集で“高崎十五連隊”から“北支”へと出征。

奇しくも僕の中学はその“高崎十五連隊”の兵舎が学校、教室、教育の現場だった。

昭和35年入学・・・・・

その学校、校舎の裏手が高崎国立病院で、もともとは“高崎十五連隊”の病棟。

僕らが入学したのはその敗戦から数えて15年の年だが・・・・・・

そこには朽果てた兵舎がまだその敗戦、“戦後”を僕らに教えていた。

一クラス50人前後で、一学年“9クラス”。

全校では1500人ほどの・・・・・

今では想像もできない“マンモス中学校”だった。

さらに同じ規模の中学校がその“高崎十五連隊”跡地に校庭を合わせるようにして、

高崎市立第三中学校が隣接していた。

それは、まさに敗戦、戦後、たしかにその終戦から15年だったが・・・・・・・

それは“戦後”そのものだった。

僕らが、2年のなる時全ての旧兵舎は取り壊され、校舎は新築された。

国立病院も改築され、その“旧大日本帝国陸軍高崎十五連隊跡地”は・・・・・・・・・

市庁舎と裁判所、検察庁、警察署、消防署、日本専売公社工場、電電公社、税務署、労基局等々が集合され、

兵門は撤去され戦後がかたされた。

奇しくも昭和40年。53歳で僕の父が亡くなったのは・・・・・・・

その高崎十五連隊内の“国立病院病棟”だった。

最後まであの戦争をひきずって逝った父の思いはいったいどんなだったろうか。

腑に落ちない・・・・・

今もテレビでは沖縄が、普天間が、辺野古がと騒々しいが、

そこには“僕ら”が・・・・・誰もいない。誰一人としていない・・・・・

こうした政治の最中に、ソレはまるで他人事のように、陰惨な事件が立て続けにニュースになる。

政治家が口にする言葉はそうした“現実社会”とは全く乖離したものが飛沫する唾。

マッカーサー将軍が言った“日本人12歳論”。

今まさにそれが、国権の最高機関の場で再現されている・・・・・

まさにその“12歳”の国会議員、閣僚、官僚が国民の教育を騒いでいる。

その象徴が、平気で“嘘”をつく内閣総理大臣だろう。

腑に落ちない・・・・・




Posted by 昭和24歳  at 15:22 │Comments(0)

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