2010年05月20日
もう一つのアメリカ、日本
もう一つのアメリカ、日本
「国家とはすべて戦争、征服、犯罪の中から生まれたものだが、ふつうははるかな過去の暗闇がそれを隠している」。ところが、アメリカ合衆国は「皎々たる歴史記録の光のもとで」生まれた。自由を求めて新大陸に渡った入植者たちが、先住民の土地を奪い、「奴隷化した人々の汗と涙」で自給自足を確立し、祖国との血塗られた戦争で「自由と平等」の国家をつくった事実は、隠すべくもなく後世の史家の目にさらされている。だから、誰もがその汚点を非難することができる。著者のポール・ジョンソンはアメリカという国家の成り立ちをこのように特徴づける。確かに、日本の淵源は古代の彼方で渾沌としている。しかし、ジョンソンの「アメリカという国家」は、かなり明瞭に司馬遼太郎の『「明治」という国家』をイメージさせるのである。
米国駐日大使館がホームページに公開する・・・・・・・
日本政府への“年次改革要望書”
今日までの改革が、
敗戦時の“GHQ”による大日本帝国“改造”の延長線上にこれがあるのかどうかは“眉唾”だ。
米国大使館のホームページに“情報公開”される“年次改革要望書”。
郵政民営化反対派政治家がこれ見よがしにテレビで言う、
あたかもそれが“機密情報”でもあるかのように・・・・・・
(ネバダリポートも似たか寄ったかだが)
なんのことはない完全なる“財閥”の復活のための情報操作。
敗戦、解体60年後にいよいよ“それ”の完全復活なのか・・・・・・
それの象徴に、あの西武帝国“帝王”の逮捕である(と思う)。
実に意味深ではないか・・・・・・
かくして米連合軍に接収された旧財閥の資産、土地。
戦後新興財閥に二束三文で盗まれるようにして買い取られたそれら。
今や、小佐野の国際興行も危ない。
そして西武がご案内のとおりだ・・・・・
戦後新興財閥は尽く“破産”に追い込まれ、
国家がその旧財閥の代理人となって“法律”を改正してでもその権力と財産を“奪還”しようとしている。
「それを、アメリカに言わせて」
明治維新以来・・・・・・
大日本帝国、天皇を中心とした“神国”はそんな軟ではないのでは(笑)。
確かに“敗戦”はしたが・・・・・
もっとも、その大日本帝国天皇を中心とした“神国”。
その本当の“主”はまさに“闇将軍”で、
天皇を盾にこの“神国”の上座に位置する旧財閥そのものではないのか。
考えてみれば“アメ公”ごときにしてやられる玉ではないだろう。
戦国の時代からヤクザ集団“武家階層”を手玉に焼太りを繰り返してきたその集団。
歴史的に見れば、欧州の何とか、
“ロス”だか“チャイルド”だか・・・・・
それらの盗賊集団と互角ではないのか。
そいつらが下層民に殺し合いを仕組み、世界中から金銀財宝を泥棒し続ける。
そして火の無いところに煙を立てては殺戮合戦をさせながら“懺悔”を繰り返す。
大日本帝国・・・・・・
こことて同じ、政治家なんて、
“アメ公”の手先なんかじゃあないのじゃあないか(笑)。
ニッポンの“闇将軍”のパシリだろう。
米帝の闇の帝王。
誰が好き好んで政治家、道化師の真似なんかするものか・・・・・
日本だって、政治の世界が“闇将軍”だった時には財界も政治家(藤井丙午)を送り出すが、
その闇将軍を失脚させるや、財界、経団連は完全なパトロンに徹し、政治をコントロール。
旧国鉄、旧電々、旧専売・・・・・・・
全てが戦前、戦争に負ける前は旧財閥の持ちモン。
電気、ガス等々、エネルギーから金融まで全てが旧財閥、個人個人の所有物。
そいつらが資産財産の拡大拡張を狙って“起こさせた”のが、
日中戦争であり、満洲建国であり、大東亜戦争であり・・・・・
ではなかったか。
60年目にして復活。
大都市と言う大都市のバブルで二束三文となった土地はただ同然で元の持ち主の手に納まったと言うことか。
西武のプリンスも、ダイエーも・・・・・
この間のバブル、金融機関破綻もそれら負債を公的資金(税金)で贖わせ、
全ての資産を、旧財閥は再取得したのではないか。
その“年次改革要望書”も・・・・・
その方便だろう。
なぜなら、恰もそれを隠すフリをして、
ご丁寧に日本語訳までつけて米国大使館のホームページに掲載する。
まさに日本国政府の無能振りを国民に知らせているようなものではあるが、
それを“旧敵国”にやらせてこの国・・・・・
いや、知らせているのだろうこの国の主。
大日本敵国の復活を。
もう一つのアメリカ、日本
「国家とはすべて戦争、征服、犯罪の中から生まれたものだが、ふつうははるかな過去の暗闇がそれを隠している」。ところが、アメリカ合衆国は「皎々たる歴史記録の光のもとで」生まれた。自由を求めて新大陸に渡った入植者たちが、先住民の土地を奪い、「奴隷化した人々の汗と涙」で自給自足を確立し、祖国との血塗られた戦争で「自由と平等」の国家をつくった事実は、隠すべくもなく後世の史家の目にさらされている。だから、誰もがその汚点を非難することができる。著者のポール・ジョンソンはアメリカという国家の成り立ちをこのように特徴づける。確かに、日本の淵源は古代の彼方で渾沌としている。しかし、ジョンソンの「アメリカという国家」は、かなり明瞭に司馬遼太郎の『「明治」という国家』をイメージさせるのである。
米国駐日大使館がホームページに公開する・・・・・・・
日本政府への“年次改革要望書”
今日までの改革が、
敗戦時の“GHQ”による大日本帝国“改造”の延長線上にこれがあるのかどうかは“眉唾”だ。
米国大使館のホームページに“情報公開”される“年次改革要望書”。
郵政民営化反対派政治家がこれ見よがしにテレビで言う、
あたかもそれが“機密情報”でもあるかのように・・・・・・
(ネバダリポートも似たか寄ったかだが)
なんのことはない完全なる“財閥”の復活のための情報操作。
敗戦、解体60年後にいよいよ“それ”の完全復活なのか・・・・・・
それの象徴に、あの西武帝国“帝王”の逮捕である(と思う)。
実に意味深ではないか・・・・・・
かくして米連合軍に接収された旧財閥の資産、土地。
戦後新興財閥に二束三文で盗まれるようにして買い取られたそれら。
今や、小佐野の国際興行も危ない。
そして西武がご案内のとおりだ・・・・・
戦後新興財閥は尽く“破産”に追い込まれ、
国家がその旧財閥の代理人となって“法律”を改正してでもその権力と財産を“奪還”しようとしている。
「それを、アメリカに言わせて」
明治維新以来・・・・・・
大日本帝国、天皇を中心とした“神国”はそんな軟ではないのでは(笑)。
確かに“敗戦”はしたが・・・・・
もっとも、その大日本帝国天皇を中心とした“神国”。
その本当の“主”はまさに“闇将軍”で、
天皇を盾にこの“神国”の上座に位置する旧財閥そのものではないのか。
考えてみれば“アメ公”ごときにしてやられる玉ではないだろう。
戦国の時代からヤクザ集団“武家階層”を手玉に焼太りを繰り返してきたその集団。
歴史的に見れば、欧州の何とか、
“ロス”だか“チャイルド”だか・・・・・
それらの盗賊集団と互角ではないのか。
そいつらが下層民に殺し合いを仕組み、世界中から金銀財宝を泥棒し続ける。
そして火の無いところに煙を立てては殺戮合戦をさせながら“懺悔”を繰り返す。
大日本帝国・・・・・・
こことて同じ、政治家なんて、
“アメ公”の手先なんかじゃあないのじゃあないか(笑)。
ニッポンの“闇将軍”のパシリだろう。
米帝の闇の帝王。
誰が好き好んで政治家、道化師の真似なんかするものか・・・・・
日本だって、政治の世界が“闇将軍”だった時には財界も政治家(藤井丙午)を送り出すが、
その闇将軍を失脚させるや、財界、経団連は完全なパトロンに徹し、政治をコントロール。
旧国鉄、旧電々、旧専売・・・・・・・
全てが戦前、戦争に負ける前は旧財閥の持ちモン。
電気、ガス等々、エネルギーから金融まで全てが旧財閥、個人個人の所有物。
そいつらが資産財産の拡大拡張を狙って“起こさせた”のが、
日中戦争であり、満洲建国であり、大東亜戦争であり・・・・・
ではなかったか。
60年目にして復活。
大都市と言う大都市のバブルで二束三文となった土地はただ同然で元の持ち主の手に納まったと言うことか。
西武のプリンスも、ダイエーも・・・・・
この間のバブル、金融機関破綻もそれら負債を公的資金(税金)で贖わせ、
全ての資産を、旧財閥は再取得したのではないか。
その“年次改革要望書”も・・・・・
その方便だろう。
なぜなら、恰もそれを隠すフリをして、
ご丁寧に日本語訳までつけて米国大使館のホームページに掲載する。
まさに日本国政府の無能振りを国民に知らせているようなものではあるが、
それを“旧敵国”にやらせてこの国・・・・・
いや、知らせているのだろうこの国の主。
大日本敵国の復活を。
もう一つのアメリカ、日本
Posted by 昭和24歳
at 19:54
│Comments(3)
大日本帝国復活なんて2チャネラーくらいしか喜びまへん
\(^o^)/
自民党ですらお払い箱にされて…嫌な時代だわ
(;¬_¬)
(;¬_¬)
しかし説明が荒くもなかったというわけでもなかったのですが、私個人は地元群馬で特に交友も人間関係もございませんからある意味気楽ですが、無駄と言っても我々においてはあくまでも頂いているお金です(汗)
一方でおおらかに捉えますと、報道はあるテーマについて、その受け手の多様性を排除して特殊(簡素)な切り口をすることで汎用性を得ます、よく言われていることでうっとおしいわけですが(;¬_¬)
つまり無駄の定義には我々個人の便益や利益から支出に至る情報をケアする必要がありますが、報道で語られる無駄は個人単位、地域単位に対する無駄を考慮するにおかれては簡素過ぎます。
つまり報道は我々に無駄か無駄でないかの判断の基準をほとんど与えてはくれません、という平凡な結論を得ます(;¬_¬)