2021年07月09日

ゴミを拾う大谷翔平

ゴミを拾う大谷翔平

「人が捨てた”運”を拾っている」

メジャーの大舞台で「ゴミ」を拾った大谷翔平
実は、大谷翔平は意識してグラウンドのゴミを拾っている。2015年、チームの大先輩、稲葉篤紀(現侍ジャパン監督)が、ベンチ前のゴミを拾ったのを見て感動して、それを真似るようになったのだ。彼自身はそれを「人が捨てた”運”を拾っている」と表現した。
https://toyokeizai.net/articles/-/216939?page=3

当然親の躾なんだろうが、そうした所作は日本人の哲学、思想ではないかと。

グランドでも「白線」は踏まない打撃の後、バットは静かに置く。それはまるでバットに感謝しているかのように。

父親が監督だった少年野球時代からの父親に教えられた習慣なのかもしれない。

それは当然西洋人には理解不能なのかも知れないが日本人という民族はそもそも一神教ではない、至るところに神が宿る。

野球ならば、それを職業としている人であればグランドに、バットにグローブに、ボールに「神が宿る」そうした信仰心からだろう。

そのことは大相撲に顕著だが、同じく野球人にしてみればグランドは土俵と同じく「神聖にしてけがされるべき「場所」ではない。


日本のプロ野球はあえて注視しなかったが、MBLの選手みたいに矢鱈グランドに唾を吐いたり、ごみを捨てたりしないのではないか。

それは大工であればノミやカンナを神聖なものとして大切にする、つまり職業を、そのものを神聖な神宿るものとして考える。

言いえて妙だ大谷選手曰く「人が捨てた”運”を拾っている」、ゴミを「運」に例えるなんてまさしく自然神、八百八百万の神思想そのものだろう。

西洋から見れば極度に「時間に正確」とか街中でも矢鱈ゴミを捨てないとか唾を吐かないとか・・・

大谷翔平、1997年生まれ、僕の末娘と同い年だが僕の娘も妙に律儀だ(笑)。

自然を敬う、自然を疎かにしない、自然を畏怖する。「イマドキの若者」は古代思想の日本人、そうして生きるべきだと日本と言う自然が教えているのかも知れない。

そしてそれがどのようにして生きてきたかを体現して見せている。物質文明のそれではなく自然の中に調和してどう生きるべきか。

昨今の熱海の土石流も土石流も起こるべくして起きた物質文明の弊害、それだろう。

西洋文明の象徴とも思われる「オリンピック」がこの神代の国にあらぬ人災をもたらさなければよいが。
  


Posted by 昭和24歳  at 19:14Comments(0)

< 2021年07>
S M T W T F S
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
過去記事
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 125人
プロフィール
昭和24歳
昭和24歳
オーナーへメッセージ