2020年01月17日

平成を回顧してみる

平成を回顧してみる


はっきり言えば僕らには「平成」という時代は用はない

ここの選挙区、その昔は群馬三区「福中戦争」といわれた地にあって、すでにお隠れだが、谷間のラーメン屋と揶揄された「平成オジサン」。

あの記者会見で新元号を言った“小渕恵三”のそれが「平成」だったとしても、その平成にはなかなかなじまない。年のせいなのだろうか。

また昭和も軍国主義高らかだった戦中戦前のそれも用はない。と言うよりは全く知らない。「知らぬが仏」というところの戦後のもやしっ子なのかも知れないが。

とはいうもの、「平成」には用ないなどと強がりを言ったところで、本当のところはその「平成」の方からしてみれば僕ら世代は用済みなのかも知れない。
それどころかもうじき「厄介モンのおもちゃつけぇ」かも知れない(笑)。
なにせ70歳、一人二人とお隠れになる頃なのだからそれはそれで仕方がないことにする。

しかし「平成」と言うのは実にいやらしい時代のような気がしてならない。

その日常は殺伐としていて新聞、テレビがいうことといえば、陰惨な犯罪、陰湿な事件のニュースとあいも変わらずの「政治とカネ」の話ばかりで なんとも時代が酸っぱい。

「酸っぱい」のはよろしくない。それは梅雨時のものの饐えたような臭いで、僕らの子ども時代のような「塩っパイ」、「塩っ辛い」それはまるで感じられない。

テレビで見かける政治家なんかはとくべつに酸っぱい臭いがしてならない。「門前の小僧の手習い」のような詰めのないもの言い。
それにひと目で「嘘」と顔に書いてあるような言い訳と、取ってつけたような自信のなさそうな討論議論。

バカヤローと叱られそうだが、あんなんなら俺にも出来る、といったような手合いの二世、三世の「地盤、看板、鞄」におんぶに抱っこのようなのが...

「わが国は」とか「国家国民のため」ではそうも言いたくなる。

あれは昭和四〇年代だっただろうか。井上陽水の歌った「傘がない」という題名のフォークソング。

♪都会では~自殺する~若者が増えている~♪ と、歌ったやつだ。

僕のように感性に乏しい人間はあの当時昭和四〇年代、その「傘がない」を聴きながら、

「ほんと?」と、疑ってみたりもしたがそれが世相の実態だったのかも知れない。
二十歳そこそこではその実ベトナム戦争だの平和だの、オイルショックだのよりは、都会での「孤独死」とか「自殺する若者」は確かに多かったかも知れない。

井上陽水は歌う...

せっかく彼女と会う約束をしたのに、雨が降ってきちまって出かけようにも「傘がない」と。

ならば、♪冷たい雨に~~♪、濡れてでも彼女に会うために、♪行かなくちゃ~君に会いに行かなくちゃ♪

待てよ、でもそんな軟弱なことを言っていて良いのだろうか?世の中これほど大変な時だと言うのに...

「君のこと以外は考えられなくなる、君のこと以外はまるで見えなくなる」

待てよ、そんなことで僕は良いのだろうか?と、自問自答する。

ある意味ノンポリでいて、どこかにその世の中に疑問を感じていた、そんなピュアな時代が僕らの、僕等だけの時代だったような気がしてならない。

その意味ではロックにしろフォークにしろその時代時代の若者、青春の叫び声であるのではないだろうか。

今のそれが、 “それ”であると信じがたいが。

それは一二歳くらいから二十歳そこそこ辺りまでの、非現実と現実との間を春秋する感情の戸惑いと揺れ。

今は全くそれがないような気がする。

というのも僕等、戦後生まれの膨大な塊が何もかもし尽くしてきてしまったからなのか。

何もかもが、その昭和という戦後の一時期に発生した「若者文化」。洋の東西にかかわらず、凡そが、音楽も、アートも、舞台もその時代のリメイクでしかない。

ひとつあるとすれば「ニンテンドー」と、この「パソコン」がネオカルチャーだろう。

今のそれは、歌を聴いても、演奏を聴いてもそれはそれは暗闇にうめく夜行性動物のそれ。けしてそれは嘶きではなく、雄叫びでもない。

それにしか、そうにしか聴こえないのは、僕等世代の後ろめたさなのか。

その後ろめたさが今日の「傘がない」状態を、状況を生んでしまったのではないだろうかと思わずにはいられない。

「都会では・・・自殺する、中高年が増えている」

皮肉だろうか。それはあの昭和四〇年代に歌われた「自殺する若者」。

そして、その傘がない若者達が、ぼっとかしたら、あの時代に「自殺しそびれた」出遅れの、間の悪い。

平成の自殺する、今は「中高年」なのかも知れない。「自分のことしか考えられない、自分のことしか見えない」と言いつつ、

「待てよ、そんなことで良いのだろうか」はもう、そう思えなくなってしまったほど疲れきってしまったのかも知れない。

少し休むだけで良いのに、ほんの少し自分を見つめなおすだけで良いのになにも終わってしまうこともないのに。

そんなに急いで逝かなくてもいいのに。

いずれにしても、それは僕らが過してきたあの「昭和」という時代は目を閉じればあの時代の風景が、音とともに僕の心に「パー」っと広がる。

それはその時代この目で見た、連合赤軍「浅間山荘事件」の、またここ高崎が舞台となった大久保清「連続婦女暴行殺人事件」のそれを伝える取材ヘリコプターのけたたましさ。 実は僕の同級生の妹がその被害にあい殺された。

そこに見た「昭和の音鳴り」。

白黒テレビで見た東大安田講堂の放水。
http://jp.youtube.com/watch?v=bhboOwV7HGI
国際反戦デー“新宿事件”
http://jp.youtube.com/watch?v=mnrgvmxEkdQ
浅間山荘事件。
http://jp.youtube.com/watch?v=XF8JoVte2DY&feature=related

それらの「音」はけして作り物ではなく、それが遠い、遠い、過去のことであったとしても思想などと言う高邁なものを持ち合わせているはずもない僕らノンポリの音楽家風情だったが、その時の、その社会の形は それのひとつひとつが僕等の「これから」を諭すように見せつけてくれていた。

それは夫々に今、初老を迎えんとしている僕らに、あの時代の青春の残像を今日までのそれなりの生き方の中にその「風景の音鳴り」として心に映す。

そして、それは、そこにはあった。

その時々の「音鳴り」はいろんなことを僕等に教えてくれていた。

僕らは、僕ら以前のそれも、そしてこれからのそれたちもけして経験する事の出来ない...

とてつもない時代を 生きてきたのかも知れない。  


Posted by 昭和24歳  at 19:39Comments(2)

2020年01月17日

高崎「横丁物語」。

高崎「横丁物語」。


その横丁の始まりは弓町、九蔵町、高砂町が三つ巴で交差する東二条通り、日清製粉入口、そして東小学校裏門入口だった。

弓町側の角には「竹田文具店」があり、九蔵町角には「中村パン店」。そしてその向こうは八百屋が、高砂町角は山田畳店、その対面が「安藤自転車店」。そこから、高砂町、その昔は鮮魚市場のあった五本辻までと続く 凡そが、200メートル弱、そこはまさにショッピングモールだった。

横丁の西側には、安藤自転車店のつづきに「山盛模型店(駄菓子屋)」、そのお隣が「長井下駄店(駄菓子屋兼お好み焼き屋)」そして「野中鶏屋」、赤提灯の「メガネ」。そして高崎保育所で、そのお隣が「表具店」「広川建具職店」「杉山貸本屋」「長谷川文具店」「竹細工店」 「碓氷理容店」「製靴店」そして五本辻のタバコ屋、塩専売所、材木店と返って「渡辺薬局」、その先踏切方面には「田村製菓」「富所商店」「長井米穀店」「浦野米穀店」そして日清製粉社宅」を渡辺薬局まで戻って...
「深堀木工所」「井田酒店」「水島紙工場」「釜浅肥料店」「藤宮銅鉄加工所」 「藤巻箪笥店」「大工の棟梁」「佃煮屋」「有間米穀店」「山田畳店」「宮崎旗店」「赤提灯」と、
まあ、これだけ見ても横丁、ないものはない。ほんの数軒先には「豆腐屋」「荒物屋」「和菓子屋」、そして「電器店」「ミシン屋」に、弓町になるが「うなぎ屋」「中曽根歯医者」「寺田精肉店」、 「柳沢靴店」「風呂桶屋」「おりもたばこ店」「ドジョウ屋」「小高理容店」「牛乳屋」と、そんな町並みがこの高崎の街中津々浦々に賑わっていた。

そして昭和、その戦後生まれが「高齢者」と言われる今日、その「昔」のほとんどが再開発というマジックで消えた。

今、「横丁を考える」!!

街の活性化ってなんだろう?

それを考えたとき、やはり「人」が集まる、生活感の中に集う。「それこそが」それではないだろうか。
憑かれたように 再開発に明け暮れる「街づくり」で「旧市街地」は置いてきぼり。ましてや、その「横丁」までが「再開発」では(笑)。
その意味での既存の「横丁」はこの旧市街地にいくらでもあるのではないか。 つまりそれは...
「再開発」ではなくて「再利用」。
そうすることで人も集い、活性化する。もちろんそこには「若者」の新しい発想も中高齢者の経験則からのはっそうも大事だろう。
それは「即興演奏」のような街づくり、横丁演出、演奏するように。

↓松戸市「路上で楽しむ大宴会」↓



まあ、これも一つのアイディアだろう。
つまりは、「アイディア」とは練りに練ったものではない。その時の「ひらめき」。


↓メルボルンの横丁↓



↓ そして路地裏では、コレ↓



高崎にも「芸術家」はたくさんいるはず。


洋画家の第一人者を排出するくらいの街(箕郷町だけど)。

それに、デザイナーだって、イラストレーターだってイッパイいるはずです。

そういう「芸術性」に富んだ、老若男女にしがらみに縛られることなく、 街角、横丁を解放する。
そんなアートを表現するために日本中から、世界中からアーティスト高崎にやってくるかもしれません。

「音楽のある街」、申し訳程度の路上コンサート。せっかくプロ仕様のレコーディングスタジオがあるわけだから日本中、世界中からジャンルを問わずミュージシャンに来てもらってオーディション企画し優秀なミュージシャンにレコーディングのチャンスをプレゼントする。

といった、高崎の街、そのものをアートの「キャンバス」にしてみてはどうだろうか?
そうすれば、「廃墟」もアート、芸術、「寂れ」も表現しだいでは、 「わび」と「サビ」です。
つまり、ここまで時代が進んで、長い平和な時代が続いたその有難い、それらが「遺産」。
「世界遺産」ばかりがそれじゃあないはずです。

寂れた、廃れた横丁だって、立派なその輝かしい過去からの「遺産」です。

高崎にも街中に「横丁」がありました。毎週土曜日の夕方から...

東一条通り商店会「昭和横丁」とか。



旧市街地のど真ん中です。駿河大納言忠長公廟のある「大信寺」参道口。
開催はPM3:00~PM10:00
2018年4月21日(土)スタートでしたからもうすぐ丸2年ですか。東一条通り商店会、丹下会長、高木実行委員長、雨ニモマケズ風ニモマケズ、雪ニモマケズ街中活性化に粉骨砕身していられます。
どちら様も時には如何でしょうか...

出店者募集中とか。条件:ショバ代無し、電気水道代無し、燃料は自前。
出店料は売上の5%だそうです。


高崎「横丁物語」。
  


Posted by 昭和24歳  at 11:11Comments(0)

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