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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2019年12月21日
昭和「高崎物語り」70歳の...
昭和の街灯り。
すっかり変わっちまった“街灯り”のしじま。
あの時代のこの街はひっそりと静まり返っても どこ彼処に、温かいものがあった。
ソレが今はどうだ、それはコンクリートで塗ったくられ 冷え冷えとして、人肌のない無機質なソレしかない。
これを発展と言うのか。そうだとしたら全く愚かしい極み。
戦後の昭和に始まった「テレビ時代」は映画の衰退もたらした。
しかしそれでも平成のとまくちまではこの街にも「小屋」は細々ながらも木戸を開けていた。
新紺屋町、元紺屋、辺りの“東宝”と“松竹”。
元紺屋の洋画と、邦画を一階と二階に分けた“オリオン座”
オリオン座は僕が小学校4年の時に華々しくオープンした高崎一の映画館だった。
たしか、その建設は井上工業だったかどうだったかの記憶は定かではないが多分そうだと思うが。
4年3組の時だった。同級生の北沢君のお父さんがその建設工事にかかわっていて...
担任の新井先生が 「今度新しくできた映画館、“オリオン座”は北沢君のお父さんが造ったのよ」とかいって、みんなで拍手をして北沢君のお父さんを讃えたのをかすかに記憶する。
そして「おしゃれデパート」の角を入ったところには“電気館”、大映系の上映館があった。
ここいらは僕の中学校時代の通学路だった...
その電気館のまん前には同級の田代君ちが小料理屋のような商いをしていた。
その隣が須永さんち、そして数軒おいて阿久沢さんち。
まあ、その時代、昔ならば遊郭だったそこを通学して行くのだから、 今思えば、あの頃のいろんな思い出、可笑しさがこみ上げてくる(笑)。
「ローマオリンピック」の映画を観たのはその“東宝”だった小学校6年の時。
たしか体操の金メダリスト、相原選手は高崎工業出身で大いに高崎も湧いた記憶がある。
で、たしか同級の島田くんのお兄さんも高工の体操部で、その島田君もだいいぶ自慢していたような(笑)。
“オリオン座”は、アリ・マクグロー(ALI MACGRAW)の「ある愛の詩」や、御存知「大脱走」を観た。
スティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、
そして後にテレビ映画「ナポレオン・ソロ」でスパイ役を演じた、デヴィッド・マッカラム...etc
名優中の名優。しかしすでに鬼籍の方も多い。それは昭和40年代の話だ。
「電気館」はたしかご案内の大映系で市川雷蔵モノや怪談モノ。たしか子どもの頃「怪談夜泣き沼」なんていうのを観た憶えがある。
高崎銀座通りアーケードを抜けて鞘町に入るとオノヤ、学陽書房の対面には、新たに東映系の新館ができた。
そこは僕の娘たちが子どもの頃は「アニメ映画専門館」のような趣になっていた・・・・・
名曲喫茶「あすなろ」の並びだ。
あそこは連雀町になるのだろうか、その後、デパート十字屋から、
書籍・楽器・スポーツ専門店”新星堂“へと変わっていった、「銀星座」という古めかしい映画館、というより「小屋」。
まあ、そのしばらくは高崎の文化の拠点だった新星堂も撤退、で、その空っぽになったビルの表札をのぞくと・・・・・
それを示すかのように、「所有者・野中興行」のプレートがそれを教えていた。
銀星座といえば忘れもしない「力道山物語」や「土俵の鬼・若乃花物語」。
それらは僕が小学校3、4年ではなかったか父親に連れられて観に行ったモノクロの世界。
僕が中学の頃は洋画というか、エキゾチックというか、「世界の夜」とか「世界惨酷物語」とかを上映。
やはり通学、その下校時にはそれらの映画の看板、写真を興味津々で覗き見した。
http://www.takasakiweb.jp/takasakigaku/t-archive/article/018.html
それは、まだその辺りの通りが未舗装の道路。
その辺りといえば、十銭ストア高島屋、なべや、名残としてはお茶の金子園だけだろうか令和の今。
そういえばデパートなるモノも結構あったその界隈には...
映画館
しんがりは、なんと言っても洋画館「ピカデリー」だろう。
ここでは、クラウディア・カルディナーレの「ブーべの恋人」や、 「鉄道員」 、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」...etc
僕の思春期、忘れられない映画がいっぱいあった。
その昔には駅前通にも映画館と言うか芝居小屋があったらしいが...
それにしても、“109シネマ”、通称「マルキュー」で高崎の映画館は全館、閉館の憂き目に。
その“マルキュー”でさえ、“イオン・シネマ”の出現でどうも危ないとのお噂。
そうだ、「電気館」柳川町のそれはその所有者から高崎市が譲り受け結構なお金をかけて復活させたそうだ。
しかし栄枯盛衰は世の倣い。
それも仕方が無いと言えば仕方が無いが、時代は「高崎ゲージツ劇場」ですから、色々とですけど(笑)。
すっかり変わっちまった“街灯り”のしじま。
あの時代のこの街はひっそりと静まり返っても どこ彼処に、温かいものがあった。
ソレが今はどうだ、それはコンクリートで塗ったくられ 冷え冷えとして、人肌のない無機質なソレしかない。
これを発展と言うのか。そうだとしたら全く愚かしい極み。
戦後の昭和に始まった「テレビ時代」は映画の衰退もたらした。
しかしそれでも平成のとまくちまではこの街にも「小屋」は細々ながらも木戸を開けていた。
新紺屋町、元紺屋、辺りの“東宝”と“松竹”。
元紺屋の洋画と、邦画を一階と二階に分けた“オリオン座”
オリオン座は僕が小学校4年の時に華々しくオープンした高崎一の映画館だった。
たしか、その建設は井上工業だったかどうだったかの記憶は定かではないが多分そうだと思うが。
4年3組の時だった。同級生の北沢君のお父さんがその建設工事にかかわっていて...
担任の新井先生が 「今度新しくできた映画館、“オリオン座”は北沢君のお父さんが造ったのよ」とかいって、みんなで拍手をして北沢君のお父さんを讃えたのをかすかに記憶する。
そして「おしゃれデパート」の角を入ったところには“電気館”、大映系の上映館があった。
ここいらは僕の中学校時代の通学路だった...
その電気館のまん前には同級の田代君ちが小料理屋のような商いをしていた。
その隣が須永さんち、そして数軒おいて阿久沢さんち。
まあ、その時代、昔ならば遊郭だったそこを通学して行くのだから、 今思えば、あの頃のいろんな思い出、可笑しさがこみ上げてくる(笑)。
「ローマオリンピック」の映画を観たのはその“東宝”だった小学校6年の時。
たしか体操の金メダリスト、相原選手は高崎工業出身で大いに高崎も湧いた記憶がある。
で、たしか同級の島田くんのお兄さんも高工の体操部で、その島田君もだいいぶ自慢していたような(笑)。
“オリオン座”は、アリ・マクグロー(ALI MACGRAW)の「ある愛の詩」や、御存知「大脱走」を観た。
スティーブ・マックィーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン、
そして後にテレビ映画「ナポレオン・ソロ」でスパイ役を演じた、デヴィッド・マッカラム...etc
名優中の名優。しかしすでに鬼籍の方も多い。それは昭和40年代の話だ。
「電気館」はたしかご案内の大映系で市川雷蔵モノや怪談モノ。たしか子どもの頃「怪談夜泣き沼」なんていうのを観た憶えがある。
高崎銀座通りアーケードを抜けて鞘町に入るとオノヤ、学陽書房の対面には、新たに東映系の新館ができた。
そこは僕の娘たちが子どもの頃は「アニメ映画専門館」のような趣になっていた・・・・・
名曲喫茶「あすなろ」の並びだ。
あそこは連雀町になるのだろうか、その後、デパート十字屋から、
書籍・楽器・スポーツ専門店”新星堂“へと変わっていった、「銀星座」という古めかしい映画館、というより「小屋」。
まあ、そのしばらくは高崎の文化の拠点だった新星堂も撤退、で、その空っぽになったビルの表札をのぞくと・・・・・
それを示すかのように、「所有者・野中興行」のプレートがそれを教えていた。
銀星座といえば忘れもしない「力道山物語」や「土俵の鬼・若乃花物語」。
それらは僕が小学校3、4年ではなかったか父親に連れられて観に行ったモノクロの世界。
僕が中学の頃は洋画というか、エキゾチックというか、「世界の夜」とか「世界惨酷物語」とかを上映。
やはり通学、その下校時にはそれらの映画の看板、写真を興味津々で覗き見した。
http://www.takasakiweb.jp/takasakigaku/t-archive/article/018.html
それは、まだその辺りの通りが未舗装の道路。
その辺りといえば、十銭ストア高島屋、なべや、名残としてはお茶の金子園だけだろうか令和の今。
そういえばデパートなるモノも結構あったその界隈には...
映画館
しんがりは、なんと言っても洋画館「ピカデリー」だろう。
ここでは、クラウディア・カルディナーレの「ブーべの恋人」や、 「鉄道員」 、アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」...etc
僕の思春期、忘れられない映画がいっぱいあった。
その昔には駅前通にも映画館と言うか芝居小屋があったらしいが...
それにしても、“109シネマ”、通称「マルキュー」で高崎の映画館は全館、閉館の憂き目に。
その“マルキュー”でさえ、“イオン・シネマ”の出現でどうも危ないとのお噂。
そうだ、「電気館」柳川町のそれはその所有者から高崎市が譲り受け結構なお金をかけて復活させたそうだ。
しかし栄枯盛衰は世の倣い。
それも仕方が無いと言えば仕方が無いが、時代は「高崎ゲージツ劇場」ですから、色々とですけど(笑)。