2019年11月29日

若き日の平成の大勲位

スポーツカー「MG」に跨る若き日の平成の大勲位


高砂町の(上)は広い。(下)に比べたら三倍はあるのではないだろうか。恒例の「毎日元旦駅伝」のある国道356、駒方街道を跨いでもまだ高砂町(上)なのだ。
その辺りどちらかと言うと豪邸の立並ぶ「お屋敷町」の趣き。

高砂町(上)には末広町とは背中を合わせてあの平成の大勲位「中曽根康弘元内閣総理大臣」の事務所があり、その大勲位のお建てになった「青雲塾」なる会館もそこにある。
大勲位と言えば、僕が小学校の頃は選挙と言えば高砂町「五本辻」で決まって演説をしていた。
高砂町の五本辻の辻角には渡辺薬局、魚市場、朝日材木店、堀越専売所と煙草屋、確かそこには赤い郵便ポストが立っていて、向いには鰻の寝床のような飯島靴製造所があった。隣に碓井理容店。
子どもだった僕はよくは知らないがあの辺りの横丁のスーパースターの趣の当時の大勲位。当時は科学技術庁長官。高崎に「原子力研究所」を作る作らないとかの頃ではなかったか。

それは、今から50年ほども昔の話だから、大勲位、その時、御年40なったかならないか。そんな時代のある選挙の時の話だ。
高砂町五本辻での演説に大勲位―――白塗りだったかクリーム色だったかのスポーツカー「MG」(だと思ったが)に、まさに跨るようにして「白馬の騎士」よろしく颯爽と万雷の拍手歓声の中来た。

「え―――、高砂町、そして山田町のご町内の皆さん―――」

白っぽい高級な背広に身を包み、背筋をシャンっと伸ばすと、ちょいと顎を引いた風にして白手袋に襷がけでそう切出した。その襷には「衆議院議員候補中曽根康弘」とある。
まあ子どもの僕らにしてみれば、まだ自動車だって物珍しい時代だって言うのに、なんとスポーツカー、それも「外車」。
格好いいのなんのって半端じゃあなかった。しかも身の丈はそん所そこらの横丁の親父よりは頭ひとつデカイ。
マイクロフォンを握らせればあのバリトンがかった、一語一語がはっきりとした物言い・・・・・・
近所のオバサンときた日には「ぽーっと」なっていたようないなかったような。
それに、高砂町と言えば、婦人会の「あやめ会」。それは「中曽根康弘ファンクラブ」の趣き。
それこそ横丁の玉三郎、と言ったかどうかは知らないが・・・・・横丁、路地裏のご婦人方のアイドルであったことは「間違いない」。
大勲位、お生まれも、お育ちも、高砂町のお隣。末広町の貴公子で、町内、そのご婦人方の中には小学校当時の同級生も沢山居られたご様子で、横丁のオバサンたちの・・・・・

「やっちゃ―――ん、やっちゃ―――ん」

〈素敵―――!〉

と、言ったかどうかは知らないが、そうした黄色い声が耳元に残っている。
きりっとした太い眉毛、目鼻立ちはどう見ても横丁のそれではない。
まあ、大勲位が大勲位だから取巻きの後援者もこの街の名士と言うよりは、ノリノリの「若旦那衆」の趣で、そんな戦後昭和の横丁に、突然として、いきなり大輪の花が咲いたような感じだった。

時々、テレビで見る大勲位―――

大勲位も既に九十路。大分お疲れのご様子。そして、その「あやめ会」とかのファンクラブの横丁のオバサンたちのほとんどは鬼籍に入ってしまっている。

そんな横丁は・・・今はない・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 18:04Comments(0)

2019年11月29日

「大勲位」中曽根元首相逝く...

「大勲位」中曽根元首相逝く...


【速報】“昭和を知る最後の首相”中曽根康弘氏死去 「大勲位」と呼ばれた政治家
昭和を代表する政治家の一人で、受章した勲章から「大勲位」と呼ばれた中曽根元首相が29日、東京都内の病院で老衰の為、亡くなった。

【画像】米レーガン大統領来日時など在りし日の中曽根氏.

中曽根氏は群馬県高崎市の出身で、1947年に衆議院議員として初当選し、運輸大臣や防衛庁長官などを歴任した。
1982年、「戦後政治の総決算」を掲げて総理に就任した中曽根氏は、86年、衆参同日選挙を断行して自民党を大勝に導いた。

当時2年だった自民党総裁の任期は、特例として3年に延長され、総理総裁として2期5年の任期を全うした。

政策面では旧国鉄や電電公社、専売公社の民営化を実現させ、行政のスリム化を進めましたが、大型間接税の「売上税」導入は断念に追い込まれた。.

「大勲位」と呼ばれた政治家

外交面では、当時のアメリカのレーガン大統領と、互いに「ロン・ヤス」と呼び合う蜜月関係を築いたが、一方で1985年の終戦の日に靖国神社を公式参拝し、中国などとの関係を悪化させることにもなった。

晩年は、最高位の勲章を贈られたことにちなんで「大勲位」と呼ばれ、2003年に議員を引退した後も憲法改正に向けた活動を続けてきたが、最近は公の場に出る機会が少なくなっていた。

昭和に総理大臣を務めた存命の政治家は中曽根氏が最後で、時代の証人がまた一人、この世を去った。

<引用:11/29(金) 13:23配信 FNN.jpプライムオンライン>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191129-00010005-fnnprimev-pol  


Posted by 昭和24歳  at 17:38Comments(0)

2019年11月29日

高崎劇場談合「高崎財団の拡大とラジオ高崎増殖

高崎劇場談合「高崎財団の拡大とラジオ高崎増殖


高崎市長の後援会、高崎芸術劇場元館長の会社に支出
 高崎市の富岡賢治市長の後援会の平成30年分の収支報告書が公開され、同年1月の「新春の集い」で、高崎芸術劇場元館長の菅田明則容疑者が社長を務めていたラジオ高崎(同市八島町)に映像製作代として約398万円を支払っていたことが明らかになった。

 後援会は、菅田容疑者が起業し、かつて社長を務めていたグラスロード社(同市上中居町)にもパンフレット、チケットの制作代として計約44万円も支払っていた。

 菅田容疑者は逮捕後、劇場館長や、劇場を運営する高崎財団副理事長、ラジオ高崎社長などを辞任した。

<引用:2019年11月29日 7時0分 産経新聞>
https://news.livedoor.com/article/detail/17451706/

>菅田明則容疑者が社長を務めていたラジオ高崎(同市八島町)に映像製作代として約398万円を支払っていた...

まっ、富岡賢治市長の後援会の平成30年分の収支報告書が公開され、同年1月の「新春の集い」で、恒例だったわけですからその前年度2017年度分がコレ


https://www.pref.gunma.jp/contents/100085871.pdf

ラジオ高崎(同市八島町)に映像製作代4,814,741円ですから100万円近いさがあるんだけどグラスロードが129,600円が44万円とかでそっちに載せたんだろか、わからんが?

で、どういうわけか高崎芸術劇場備品の納入業者、市議会の特別委員会ではグランドピアノとかムービングライトとかだけだったんだけど高額なミキサーとかパワーアンプとか音響周りがごっそり、ほんとに指名入札してたのかね、わからんけど。

で、こう言うので行くと高崎アリーナの備品、高崎サウンド創造スタジオ(タゴスタジオ)のグランドピアノやら、ドラム楽器、マイクロホン、ミキサー等レコーディング機材等などこれらプロ対応仕様だっていうから半端な金額じゃあないともうけど、ましてや市内の業者の手に負えたんだろう、わからんけど。

それにしても、この一連の入札参加業者はほとんどが指名競争入札参加業者だってぇことだからほんとに競争があったのかどうかわからんけど、下級市民は取られるだけで辛いです。芸術劇場にも行けないし、アリーナにも行けないしトホホです。

高崎劇場談合「高崎財団の拡大とラジオ高崎増殖
  


Posted by 昭和24歳  at 11:14Comments(3)

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