2019年11月02日

巣鴨プリズンと日本政府

巣鴨プリズンと日本政府


米軍管轄下のスガモプリズン
第二次世界大戦で日本は敗れ、連合国軍の占領下に置かれた。東京拘置所は連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)によって接収されて「スガモプリズン」と呼ばれ、戦争犯罪容疑者が多数収容された。処刑場入口の13号鉄扉を通って、BC級戦犯52名が処刑された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%A3%E9%B4%A8%E6%8B%98%E7%BD%AE%E6%89%80

子どもの頃、父はそれを「省線」言っていた。

大塚の三業地で父の姉、伯母が旅館をやっていた。旅館と言っても、後で知ることだが、それは「温泉マーク」。

その省線が、大塚の駅に近づくと伯母の家の「温泉マーク」がすぐに目に入った。

よく伯母に連れられて大塚駅から都電で池袋まで行った。

「ほら・・・あそこ、昔、刑務所だったのよ」

と、伯母は話してくれた。

「巣鴨プリズン」。

今は「サンシャインシティ」となっている。西武鉄道、堤家が払下を受けたのか。元々が国有地、堤康二郎が代議士の時代ではなかったか。

その時代・・・戦後10年。まさに「ホームレス」の時代。当時、省線の駅と言う駅の路地裏は怪しげな「市場」に黒山の人、人、人。

そんな市場は停電はいつものことで、テント張りの露店はカーバイトのカンテラの灯り・・・

とても臭かったのを覚えている。

あれからもう60年からの時が過ぎた。時々仕事で大塚に行くことがあるが、その面影を教えるものは・・・ない。

あるとすれば、都電荒川線の「線路」くらいだろうか。チンチン電車は冷房完備のスマートな形になっている。

昔のそれを知る者は、もうそうは多くないのではないだろうか。

7人のA級戦犯が処刑された「巣鴨プリズン」。

その翌日、戦後史「自民党」の首魁が無罪放免になっている。そして、その子、孫が、今尚「永田町」の雛壇を飾っている、この妖気さが この国の本当の姿なのではないのだろうか。

幼児虐待、子殺し、親殺し・・・失業、倒産、ホームレス、自殺。

精神的に未成熟な永田町の住人にはかつての「焼跡」は思い浮かぶことはないのだろう。

新宿のションベン横丁・・・

渋谷にも、新橋にも、有楽町にも・・・・そして上野には今もある。

昔、山崎元幹事長がテレビで言っていた「北朝鮮と事前折衝は米国大使館にも話してあります」と。

米国も未だ、ホームレスは凄いと言う。

アメリカのの女性兵士はトレーラーハウス育ちの貧困層だと言う。この時代、兵士になるのはそうした社会の歪に暮す人たち。

この国もそうだ。今は、「自衛隊」は、隊員募集はしていないのだと言う。徴兵でもしようと言うのだろうか?

政治不信、無力な政治家を俎上に上げて槍玉は国民世論への「ガス抜き」だろうか。

戦後、占領軍、米国によって与えられた「憲法」と、「米国型民主主義」。それは 国民が闘争、汗と血で勝ち取った「それ」ではない。

「巣鴨プリズン」知る僕等世代、戦後のバラックを知る僕ら世代がまもなく消える。

それは僕らの世代ひとりひとりが真剣に考える最期の時間かも知れない。

次世代が、飢え、苦しむ・・・このままでは想像に難くない。 少なくとも僕等の子育てはこんな憂鬱な時代ではなかった。

巣鴨プリズンと日本政府
  


Posted by 昭和24歳  at 22:01Comments(0)

2019年11月02日

昭和60年「一人100ドルづつアメリカ製品を買いましょう!!」

昭和60年「一人100ドルづつアメリカ製品を買いましょう!!」


そう言えば昭和60年と、だいぶ昔になるけど、わが郷土の誉れ中曽根康弘元内閣総理大臣が…

「日本国民のみなさん、一人100ドルづつ外国製品(アメリカ製品)を買いましょう!!」

とかテレビで記者会見していたが、当時はまだアメリカ製品、正真正銘のアメリカ製品はあったかな?

つまり、自動車なら“トヨタ”じゃあなくて“ビッグスリー”を!!
っていうことなんだけど、その“トヨタ”も今やほとんどが“MADE IN USA”だったはずだけど。
今や、リーバイスもコンバースもフィリッピン製だし、アメリカのホームセンターで売られているもののほとんどが・・・
何から何まで、中国製、韓国製、ベトナム製、フィリッピン製、中南米製で 正真正銘のアメリカ製は“拳銃”くらいしかないんじゃあないだろうか、あと戦車とかミサイルとか戦闘機とか・・・
そんなもん日常生活には必要ないし、まあ、“やっぱり“拳銃”くらい!?


あの頃君は若かった!

食料品の鶏肉はメキシコとかブラジルだし、まあ、牛肉だけ・・・
あっ、そう言えば最近「産地偽装表示」で新聞に載っていた“フジマート”には「アメリカ産豚肉」なんていうのもあったからそれはありかも。
まあ、しばらくアメリカには行ってないから最近のことはよくわかりませんが。

ところで、僕は40代の半ばまで“アメリカ製”のギター工房をやっていた。
“アメリカ製”とはいっても正真正銘の“MADE IN USA”ではない。なんて言ったらいいんだろうか、「アメリカンスピリッツ製」とでも言ったらいいんだろうか。

もちろんそれは“エレキギター”の話である。

知っている人は知っている、知らない人は全く知らない・・・

で、どんな商売だったかっていうと、元々“シェクター”っていうのはLA郊外でスタートした、一時は隆盛を極めたほどのギター工房だったんですけど、結局、アメリカンスピリッツが災いしてか、無茶苦茶高級志向にこだわりすぎて倒産っていうことになって僕の古い友人がどういうわけかその権利を手にして日本に持ち込んでアメリカでの“シェクター復活”と日本での販路成功を期しスタート。

そう、ちょうど昭和60年の春にアメリカから製品を持ち込んで“シェクター・ジャパン”がスタート。
しかし、その時はもうアメリカでは一切の“シェクター”は生産されていませんでした。
倒産で、残った部品を、それでも200台分位はあっただろうか、それを徹夜で組み上げてお茶の水の楽器店にセールスした。

で、その後はエレキギターの心臓部である“ピックアップ”は元シェクターの技術者だった“T.A氏”に依頼し「モンスタートーン」というブランドで売り出した。
ボディとネックは松本にある信頼のおけるギター木工メーカーに内緒で依頼。そしてそれをアメリカに輸出して組み立てる。
で、それを日本へ輸入する。“ピックアップ”以外は全部僕が日本で仕込んだ。もちろんアメリカに優秀な組み立て技術者がいるわけではないので、日本から送った。
つまり、作っているのもアメリカに渡った“日本人”。正直、アメリカ人では日本人、つまり僕が満足する“シェクター”は作れなかった。

木材の買い付けも自ら品定めをした。とにかく、エレキは「木が命」なんです。
“木取り”も自分でやって、磨き、塗装の工程も一切の妥協を許さず、もちろん最後の仕上げも。そんなわけで 月間生産数は40本~60本が限界、平均価格は20万円~30万円。
もちろん、ほとんどが材料代に消えた。

僕ら世代にとって「アメリカ」とは特別な存在だった。
とにかく戦後のロカビリーからフォーク、ロックと、とにかくそれにどっぷりつかった青春時代だった・・・
もっとも今もそのままだけど(笑)。

「バイ・アメリカン」条項

フェンダーもギブソンも、グレッチも部品のほとんどが“日本製”。僕はアメリカ人にちゃんと作ってほしいと思っているけど、多分無理。僕の憧れのフェンダー、ギブソンとそれらのほとんどのパーツが日本のどこぞのメーカーで下請けされている。
で、組み立てるのはメキシコの“経済特区”か、安い賃金で出稼ぎメキシコ人使っての組み立て・・・

昭和60年「一人100ドルづつアメリカ製品を買いましょう!!」
  


Posted by 昭和24歳  at 09:33Comments(0)

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