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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2019年07月21日

夜明け前が一番暗い。

夜明け前が一番暗い。


苦難や雌伏の期間は、終わりかけの時期が最も苦しい。それを乗り越えれば、事態が好転するだろう。

僕らが終わる前にその夜明けが見たい。

多くの若者たちが夢と希望を心にキラキラと輝くそんな時代を。

孫や、ひ孫、そんな幼子が陽の光を燦々と浴びて遊ぶ世界を。

僕らが終わる前にそんな夜明けが見たい。

戦争に負け、みんなが貧しかった昔新聞紙で作ったグローブ。
ボロ切れを丸めて作ったボールに棒切れを削って作ったバット。
そしてみんなお下がり、継ぎ当てのズボンに擦り切れたズック。
それで三角ベースの野球遊びは路地とっつきの社宅の公園・・・

その路地には紙芝居のおじさん、突貫豆屋のおじさん。
学校の正門にはこじんまりした屋台の焼きそば屋のおじさん。10センチ四方のヘギに乗せた焼きそばに青のりと紅生姜、それが5円。
お新粉細工のおじさん、屋台の中で糸切りハサミを使ってお見事にニワトリの一丁上がり。
針金細工のおじさん、実に手際よく機関銃なんかをこしらえる、お見事。

駄菓子屋、お好み焼き屋、みんなが貧乏だったそんな時代、昭和30年頃ここ高崎に、いや、全国の横丁という横丁でおりなされていたであろうそんな光景。

そんな光景が、高砂町、弓町、九蔵町、山田町そして椿町と限界集落化。

「絶メシ」どころか「絶マチ」横丁からは魚屋が消え、酒屋が消え、米屋が消え、自転車屋が消え、しまいには「絶メシ」どころか「絶メン」「絶オジ」「絶オバ」。

そこからは子どもたちの遊ぶ声も消えた。おじさんの、おばさんの声も消えた。
そしてそんな昔を知る人がみんな消えようとしている。
僕らの東小学校は児童生徒数1,000人からいた。
一学年、ひとクラス40人(43人)。それが4クラス6学年。
だもの、日清製粉入口の「竹田文房具店」は栄えたはずだ。旭町の「島田」も八間道路の「をざき」も、沢田の模型屋も連日そんな子どもたちで賑わった。

銭湯も「椿湯」「東湯」、八間道路にあった銭湯、失念してしまった。どこも超満員。
そんな街並みが全部消えた、絶えた。
子どもの頃随分とお世話になったおじさんおばさん、みんな絶えた。
「釜浅」(釜や)のコウモリがいつしか消えていた。燕も巣を作らなくなった。セミも消えた、トンボも消えた。彼らのエサ場の日清製粉が消えた。
そして僕らも消える。

それを知る僕らが消える。

そう遠くない日に。

後のことなんか知るもんか、オマイら、気づくのが遅かったんだ。  


Posted by 昭和24歳  at 20:08Comments(0)

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