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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2019年01月22日

シンクロニシティⅠ

シンクロニシティⅠ


ユングは様々な著書で、人間の意識同士は実は、集合的無意識(collective unconscious)によって、そもそも交流しているということは述べている。
 底に潜む、「過去・現在」そして「未来」という時空はいつどこで自己の意識に覚醒するのだろうか。

「ザ・プラネッツ」

 それは僕、渡辺一(drum)が18でリーダーの高木賢次郎(Vo)、中島賢治(Bas)そして富岡博美(Gui)が二十歳。あれから50年という歳月が過去のものとなっていた。
その過去の50年間は取り立てての理由はないがそれは疎遠、それぞれのその過去は意識からは遠ざかっていた。
 というのも、リーダーの高木賢治郎は稼業の高木米穀店の跡取り、そして自ら創業した「しゃらく」を成功させその50年後には街の、横丁の名物おじさんになっていて、一方の富岡博美は渡辺一がザ・プネッツに参加し第一回の群馬音楽センターでの「ザ・プラネッツ・リサイタル」を最後にプロになるため離脱した。

 そして群馬音楽センター「第二回ザ・プラネッツ・リサイタル」を期に高木賢次郎率いるそれも、解散。そうした中、時代の流れで渡辺一はプロ修行のため東京へ、22歳の時だった。
 あれから50年。ありきたりな言葉で表現するなら「紆余曲折」それぞれがそんな人生の波に揉まれ、気がついたら高齢者、還暦、古希の齢をというか馬齢を喰んでいた。

「シンクロニシティ」

 平成28年、ずっと音楽活動を続けている渡辺一の発案で高崎シティギャラリーでこれも50年ぶりの復活「ニュー東京オールスターズショー 」を開催した。

 その「ニュー東京オールスターズ」とはご案内の向きの方もおあられるかもしれませんが昭和30年代から50年代初期まで高崎柳川町で活況を呈したグランドキャバレーでそこのバンマス「山村健(pf)」を中心に当時の往年のメンバー、みなさんご70歳代と高齢、そんな昭和を彩ったミュージシャンのコンサートと、ご高齢の皆さんなら知らない人はいない「ジャッキー吉川とブルーコメッツ」のジャッキー吉川(drum)さんをゲストに迎えてのそれ。そこへザ・プラネッツ時代の先輩でもありリーダーの高木賢次郎を渡辺一が誘い見事成功裏に終演した。

 その後、それを期に「ザ・プラネッツ」、50年ぶりの再結成の話が持ち上がり、平成29年9月、高崎電気館で「昭和の風」と題して「ザ・プラネッツ」のコンサートを大成功裏に・・・

「シンクロ二シティ」

 いろいろあって、再結成後の「ザ・プラネッツ」、ま、ミュージシャン特有の「自己中」でベースとドラムが離脱。

 そんな時突如として目の前に現れたのが身長186センチ、高校時代はラグビーのフォワードで名を馳せたという「松本裕」をベースに、そしてドラムにはこれも高校時代は全国吹奏楽コンクールで金賞を受賞した名門「県立高崎商業高等学校吹奏楽部」の打楽器奏者「小林修」が参加、現在のザ・プラネッツに至る。ということなんですが。それがこれを書く渡辺一にとっての「シンクロ二シティ」。

ユングは、coincidences コインシデンスについても、(その全てではないにせよ、少なくとも一部は)単なる「偶然」によって起きているのではなく、co-inciding(共に、出来事を起こすこと)、と見なしたのである。

 ということでこの続きは次章に・・・  


Posted by 昭和24歳  at 20:18Comments(0)

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