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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2019年01月09日

MADE IN JAPAN「USA SCHECTER」



>当時からメイドインジャパンだったのですね。

僕は昭和60年ギター製作の会社立ち上げに参加した。
オーナーはダラスの投資家でLAで倒産しかけていたギターメーカー「SCHECTER GUITAR RESEARCH」を買収した。

「SCHECTER GUITAR RESEARCH」は1976年、デヴィッド・シェクターが創立したエレキギターパーツメーカー。
主にフェンダー、ギブソンのリプレースメントパーツ製造に集中した、なぜなら米国ロックシーンも変わり当時主流だった「フェンダー」「ギブソン」も販売不振から実質倒産の憂き目から修理用パーツもなくなったためにそのパーツメーカーとしての「SCHECTER GUITAR RESEARCH」は1976年のNAMMショーに出展、一躍脚光を浴びたが1983年そのムーブメントは終焉した。

MADE IN JAPAN「USA SCHECTER」

1985年僕はSCHECTERの本拠地LA近郊のヴァンナイズのファクトリーから全てのパーツ(素材)を輸入し加工して米国へ輸出。
エレキギターの素材、木材を輸入、木取り、磨き、塗装して輸出、組立をヴァンナイズのファクトリーで。もちろんビルダーは日本のスタッフを送り込んで。

日本の木工加工技術精度はすごい、日本では当たり前だけど塗装は最終仕上げコンマ2ミリの鏡面仕上げ、ピンホールは不可。
エレキギターの中枢、ピックアップ(マイク)素材、線材、ボビン、ポールピース、マグネットの
乾式フェライト磁石、それらの全てがMADE IN JAPAN。

たしか円高になった頃の輸出価格は日本の価格設定、米国での価格、円高の前は1200ドル~、円高になって1600ドル。それでも売上は落なかった。
なぜなら、MADE IN JAPANにしか作れないSCHECTERはヨーロッパでも安定した売上だった。

2006年(平成8年)全てのパーツが終わった。
もうMADE IN JAPANのSCHECTERは作れない。老兵は去るのみ。

そう、金属パーツ加工は高崎の町工場でやってました。
ピックアップマウントスプリングは医療用チューブは高崎のゴムメーカーから。
モノづくりは技術以上に日本の精神構造からですね、妥協しないという。

なんで円高が不利なのかわからない、円高になったらレクサスが6万ドル、7万ドルでも。
  


Posted by 昭和24歳  at 10:52Comments(0)

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