2018年05月04日

「高崎で安倍ヒトラー」そら、ヒトラーに失礼だろ(笑)

「高崎で安倍ヒトラー」そら、ヒトラーに失礼だろ(笑)

みなさん、こういうケシカラン輩に・・・
私は負けるわけにはいかないんです!!


【憲法記念日】群馬でヒトラーを模した安倍晋三首相のコラージュ画像が映し出される 俳優の宝田明氏、元朝日記者が講演
 憲法記念日の3日、群馬県高崎市の群馬音楽センターで、「第34回5・3憲法記念日集会」(5・3憲法記念日集会実行委員会主催)が開催された。

 集会では、「ゴジラ」などの映画出演で知られるベテラン俳優の宝田明氏と、元朝日新聞記者で市民団体「九条の会」世話人の伊藤千尋氏が講演した。

 84歳の宝田氏は満州・ハルビン出身。「俳優として人間として」と題した講演で、自身の戦争体験を振り返り、旧ソ連兵に銃弾で撃たれた体験などから、「ソ連という国全体を否定してしまう。戦争は憎しみしか残らない」と述べ、「旧日本軍も同じだ」と続けた。

 さらに、現職の国会議員のほとんどが戦争を経験していないとしたうえで、安倍政権の目指す憲法改正について、「しゃくに触る。私は怒っております」と語気を強めた。

 伊藤氏は「(憲法)9条は世界に広がっている。9条をほしがっている人が世界中にいるかもしれない」と話した。

 壇上のスクリーンには、安倍首相をヒトラーに模したコラージュ画像が映し出して、安倍政権を批判する場面もあった。

<引用:産経新聞 2018/05/03 22:>
http://www.sankei.com/politics/news/180503/plt1805030057-n1.html

なんだ、また朝日と産経のサルカニ合戦ですか(笑)。

まあ、アレです。憲法九条とかだって日本が戦争に負けたからです。

ていうか悪徳高利貸しにそそのかされて日清日露戦争やらされて二足三文にもならない領土を・・・・・

挙句、アメリカとの戦争に負けて侵略とか言われて、ただ欧米の真似しただけなのにね。

で、ときの大日本帝国なんだが、喧嘩始めるのに手仕舞いを全く考えていないで精神論、武士道とかだから国民たまらない。

まあ、現代、今も一緒です。財閥のお先棒かついで国民からかっぱいだ金をせっせと世界中にばらまく。

朝鮮半島だって満州だって、ま、当時の技術じゃあ掘ったってなんにも出てこやしない。

かといって、強欲な欧米資本みたいに植民地して原住民を奴隷まがいにこき使って略奪なんてできないお人好しニッポン(笑)。

ま、政治家も官僚も内弁慶だから自国民のケツをひっぱたいて外国に貢、見返りなんてありゃしない挙句が核ミサイルです。

まあ、アレだ。今だって政治家と官僚がグルになって嘘八百、あったことをなかったことに、なかったことをあったことに。

だからねジャーナリズムってぇのもいい加減で、左も右もエンドレス。

一番悲惨なのは「宝田明さん」じゃあないけどあの時代、満蒙開拓に駆り出された人、満蒙で生まれた人たち。

ま、内地だって広島長崎、東京大空襲と「神州不滅」とかホラ吹いていた軍官僚だけが安全地帯にいて「突撃!!」だもの・・・・・

挙句、本土決戦、「一億総火の玉」トップクラスの官僚が言ってるんだもの、ま、今もおんなじです。

つまり、あの戦争、敗戦で焼け太りした一族が今日の日本の中枢ですから、彼らにこの国を守れるわけがない。

「高崎で安倍ヒトラー」そら、ヒトラーに失礼だろ(笑)
  


Posted by 昭和24歳  at 09:53Comments(0)

2018年05月03日

やっぱり安倍は蚊帳の外

やっぱり安倍は蚊帳の外


北朝鮮との国交断絶を評価 首相、ヨルダン国王と会談
 ヨルダン訪問中の安倍晋三首相は1日昼(日本時間同日夜)、首都アンマンのフセイニーヤ宮殿でアブドラ国王と会談した。首相はヨルダンが1月に北朝鮮との国交断絶に踏み切ったことを評価し、両首脳は北朝鮮が「完全な非核化」を実現するまで最大限の圧力を維持する方針を確認した。

 首相は南北首脳会談など最新の北朝鮮情勢を伝えたうえで、「中東が抜け穴になってはいけない」として圧力維持を呼びかけた。国王は「日本の立場を支持する」と応じた。

 首相は、ヨルダンが約130万人のシリア難民を受け入れていることにも言及し、「ヨルダンの安定は地域の安定に不可欠。ヨルダンの社会的、経済的安定を確保し、発展を後押しするため、引き続き可能な限りの支援を行っていきたい」とした。国王は「シリア難民を受け入れる地域への支援は、社会の強靱(きょうじん)性を確保する上でも死活的に重要だ」と謝意を表明した。両首脳は、中東和平の実現に向けて、イスラエルとパレスチナが共存する「2国家解決」をめざすことを確認した。

 首相はこれに先立ち、ヨルダンのムルキ首相とも会談。ヨルダンのシリア難民受け入れ地域での廃棄物処理機材の整備計画に約16億円の無償資金協力を行うことを伝えた。

アンマン=高橋福子2018年5月1日21時09分
https://www.asahi.com/articles/ASL5151ZFL51UTFK00N.html

>北朝鮮との国交断絶を評価 首相、ヨルダン国王と会談

そんなこと、軽々に言っちゃっていいんだろうか(笑)。

ま、金王朝はしっかりと帝王学を学ばせてるわけです。

その意味では金正恩労働党委員長、帝王として報道では残虐極まりない面もみせて、

一方、今回の南北会談といい、核の完全廃棄といい、言葉通りには受け取れないにしてもだね・・・・・

そら、韓国の大統領だって、その生い立ちからただものではない、おそらくサシでは勝負になりませんね安倍帝王。

だって、出自は「敗戦」から始まってるんだし、当然、帝王学なんって受けてるはずもない、多分ね。

政治力学から言っても、ノンキャリで官房長官から突然内閣総理大臣っていうのがそもそもおかしい。

ま、その意味では安倍首相の祖父は「A級戦犯容疑者」からなんの事情なのかは知らないけど無罪放免されその8年後に内閣総理大臣に。

しかし、こうも代わるものがいないという自民党も珍しいけど、未だに一枚岩になれない野党にも呆れますね

やっぱり安倍は蚊帳の外
  


Posted by 昭和24歳  at 11:11Comments(0)

2018年05月02日

八間道路物語

八間道路物語



どうやらこの町は秀吉、“関白宣言”の最中・・・

16世紀の半ばに箕輪城から「高崎」に城が移築された頃からが始まりのようだ。
その「高崎」は東は現在の弓町、羅漢町辺りまで。北は赤坂、南は新町、若松町までのところだろうか・・・
西に烏川を背にした「高崎城」。正式な呼称が何であったかは咄嗟には浮かばないが、それを「和田城」とも聞く。

古い地図を見ると面白い。どうも今の「レンガ通」辺りに「県庁」があったらしい。もちろん、廃藩置県の時代「熊谷県」と、ここ群馬を呼んだ時のほんの僅かな時代だったようだが。

「高崎」の町は町名からしてもその「古さ」が良く分かる。鞘町、紺屋町、鍛冶町、九蔵町、弓町・・・などとその城下町の様が窺える。
その辺りには幾つもの「寺」がひしめき合うようにして瓦の波が連なる。
今にして思えば、この「高崎」と言う町はその戦国時代の古か、「寺」だらけ、「墓」だらけの町だったようだ。

八間道路の「夜店」

その昔、渋川までの「ちんちん電車」が走っていた田町通から、弓町の四つ角までの道幅が「八間」・・・・・・
そこから「八間道路」と呼ばれ、大正、昭和と栄えたと聞く。元々は「大類里街道」をそう呼んでいるようだ。
その昔には荷車が行き交う程度の小路だったようで、その名残は平成の再開発でほとんど消えてしまたっが、東二条通りの交差点付近に僅かにそれをとどめている。

いつの頃であったかは定かではない「夜店」・・・・・
僕のそれは昭和30年前後。

僕が物心ついた頃にはその「八間道路」、夏の風物詩として「夜店」が子供心を躍らせた。
もちろん、テレビなんぞはなく、映画館でさえ東小学校の校庭で夜間に上映された時代の話。
それは「法輪寺」の門前を中心に、露天が縁日の賑わいを創っていた。

その時代、それぞれの家にまだ「風呂」などと言うものはそうはなかった・・・・・
あの界隈だけでも「銭湯」が、旭町の「東湯」、屋号は忘れてしまったが、山田町と椿町の「椿湯」。
それに「八間道路」北通町にも大きな銭湯があった。戦後、間もない昭和30年の始まりの頃その「銭湯」でさえ贅沢だったのかも知れない。
もっぱら僕らは、タライ行水を浴びて、短尺帯の浴衣を着せてもらい母に手を引かれ行った・・・・・

定番の金魚すくい、ヨーヨー、綿アメ、それに多分5円くらいだったか木箱の中で「飛行機」の回るクジ。焼きそば、お新粉細工、アメ細工・・・
ハリガネ鉄砲を器用に作る小父さん、木の鉄砲・・・カーバイトの灯りの下で焼く「焼き饅頭」。
極めつけは、法輪寺の境内で開かれる「のど自慢」と、どう言う訳か「ボクシング大会」・・・・・etc

兎に角、その「八間道路」弓町の交差点から先は、東、北と戦前から工業地帯。
開かずの踏み切りには、まるで問答無用のように「SL」が怒るようにして往来していた。
その辺り、満州帰りやら、復員のニイサン、小父さんが朝に夜にけたたましく口角泡を飛ばしていた時代であった・・・

その時代、労働者の足と言えば、もちろん「自転車」・・・それさえも贅沢な時代だったか。
サラリーマンの月給が1万円台の頃の話だから差し詰め「バイク」の値段だ。僕も自転車を覚えたのは親父の通勤用、「自家用自転車」の「三角乗り」からだった・・・・・
駄菓子や華やかりし頃の夜店の時代にはやはり、ベーごま、ビー球、面子と遊びに事欠くことはなかった。

ふと気づいた時には、そんな「夜店」の風物も消えてしまっていた。

そんな中、もう一度どうしても食いたいのが「ボタンキョウ」。薄汚れたガラス瓶の中にプカプカ浮いた奴・・・・・
最後に食ったのが昭和50年の夏。
真夏の定番の駄菓子で「スモモ」といったかも知れない。真夏には駄菓子屋ばかりではなくどこのプールの売店でもそれは売られていた。

僕が小学校のころの当時はどこの学校にも“プール”などという贅沢なものはなかった。
高崎には3つの市営だったんだろうか、そんな贅沢なプールがあった。

小学生専用プール。通称「小便プール」と呼ばれていた『中央プール』今の市役所庁舎のあたりだろう。
ちょうど、二中と三中の間の奥まったところにあった。
中学生、高校生専用プールは『昭和プール』。それは古久松材木の製材工場の裏手にあって、高校生のプール教室などにも使われていた。
そして、今でも残っているのが『城南プール』で、ここは競技用プールで、当時は中、高の水泳部専用のプールの趣をなしていた。

どこにでもありそうな「町」・・・・・

それが「高崎」かも知れない。

でも僕にとっての「高崎」は、世界でたった一つの「高崎」なのである。



僕の横丁には駄菓子屋が数軒あった。東小学校、東二条通の八間道路から高砂町五本辻の300メートルほどの間。
高砂町下には、山盛、長井、長谷川、戸塚とあった。入り組んだ町名に、九蔵町の中村、弓町の栗原、神田・・・・・
その中でも完全に駄菓子屋と言えるのは、山盛、長井、栗原だったろうか。

山盛は、模型専門。模型とは言っても竹籤をセメダインで貼付け、障子紙を翼に貼り、竹のプロペラをゴムの動力で飛ばす奴。
山盛は、どう言う訳か小父さんも小母さんも無愛想で、子どもには人気が無かった。それでも、初めての少年マガジンはそこ、山盛で買った。
長井は、山盛とは二軒長屋続きですぐ隣にあった。もともとは、下駄屋を商っていた。
もっぱら低学年の子どもたちは「長井」で買っていた。
冬には、「お好み焼き」もやっていて・・・小母さんも面倒見が良かった。
今はその二軒とも、往時を偲ぶものは何も無い。

「ビー球、メンコ、ベーゴマ」はみんなそこで買った。
雨が降ればその横丁の軒先でベーゴマ合戦。僕らがよくやったのは藤巻箪笥店の軒が「ショバ」であった。
長井と言えば、ボタンキョウはもちろんだが、ひとつどうしても忘れられない駄菓子があった。

それは「ソースイカ」である。

今にして思えば、なんとも不気味に着色された代物。スッパイのだけど、今の「ヨッチャンの酢漬けイカ」なんて言うもんじゃあない美味さだ。

僕らはどう言う訳か「長谷川」には行かなかった・・・どうやら「長谷川」は女の子専門だったようだ。
その長谷川の手前に「杉山」と言う貸し本屋・・・・・今で言えば、「TSUTAYA」か。
赤胴鈴の助、いがぐり君、月光仮面・・・・・よく借りた。
遅れても延滞金は付かなかった。

小学校の入り口に「武田」と言う「文房具屋」もあった。
当時はセルロイドの下敷、セルロイドの筆箱、それは兎に角割れやすいし熱に弱くすぐに曲がったりして持ちが悪い。
鉛筆も芯が良く折れたから結構その「武田」繁盛していたようだ。
弓町に行くと小高の床屋、泥鰌屋、タバコ屋、寺田の肉屋と安藤古物店、そして栗原へと続く。
栗原、栗原のおじさんは大工さんで僕らが小学校の時はまだ無かった。その並びには松井運送店、路地をはさんで表具屋さん。
その裏手には今はそのなもときめく「中央自動車倉庫」の同級生、新井さんちがあって、その先には「山手」というお好み焼き屋が、同級生の家だった。

そうだ、あの時代を象徴する商売といえば印刷屋だろう。たしか、「堀越印刷」とかいってその前を通ると活版印刷って言うんだろうかその印刷機が油の匂いとともにカシャカシャとけたたましい音を立てて忙しくしていて小学生だった僕はその律動的な動きにしばし見とれていたことがあった。
もっとも、その時代「印刷」そのものが高価であったに違いない。学校のテストなんて全部ガリ版の謄写版プリントゴッコだったんだから。
それより何より当時、児童生徒数1000人からの東小学校のPTA会長がその印刷屋の、寅さんに出てくるタコ社長、失礼、大和紙工(九蔵町)の社長、武藤さん。後に市会議員にもなるんだが、それほどハイカラな商売だったのかもしれない。

栗原に気付いたのは、僕の娘たちが東小学校(僕も)に入学して駄菓子屋通いを始めてからだ。
次女はもっぱら、高崎保育所の帰りには必ず、「長谷川」で駄菓子を買って、「ウサギの本屋」で、付録を買うのが楽しみだった。

先日、その五本辻の小路を北東に少し移転していた「ウサギの本屋」を訪ねた・・・・・

「ママがね、保育園のころよくこの本やさんへきてパパにおねだりしたんだよ」

そう、同道したのはその次女の長女(7)、次女(6)と長男(3)当時。

「今は、もう置いてないんですよ、付録・・・・・」

すっかりお年を召されてしまっていたがその物静かな趣はあのころのままの「ウサギの本屋」のオバサンが申し訳なさそうにそう言った。

「ウサギの本屋」

それは、昭和50年も黄昏の静かな時代だった。
なぜか、とっても静かな時代だったような気がする。
もしかしたら、今の時代に似てるのかも知れない・・・・・その静けさだけは。

高砂町の五本辻に立つといくつもの高層マンションの陰にひっそりと「ウサギの本屋」はあった。

「八間道路」

それも、すっかり変わってしまっている。

「開かずの踏み切り」もトンネルが開通して何もかもが変わろうとしている。
それはとりもなおさず、僕の「八間道路」が壊されてしまったということなのだろうか。

昔のままでいてほしいというのは僕の勝手な願望なのかもしれないが。

そういえば、就活に忙しいわが末娘だが、お世話になったのが「法輪寺保育園・・・・・

その前を通ると「わ~、懐かしい」って。

僕にとってはすっかり変わってしまったそれだが、娘にとってはそこに20年前の映像が蘇っているのだろう。

しかし、つくづく昔のままでいてほしかったなあと思わざるを得ない今日この頃である。

八間道路物語
  


Posted by 昭和24歳  at 08:27Comments(0)

2018年05月01日

現代の「橋のない川」

現代の「橋のない川」


野坂昭如(作家)--人間ってのは人間を差別することによって自分を確かめるっていう部分が、どんな人間にもあるわけで、住井さんにもあるはず。それはそういうところから僕のほうはいってるし、だから住井さんは住井さんなりの自分で見たことをあれだけ小説に仕立てた。あれは、なかなか立派な小説ですよ。あれだけ長編を書き続けたということは、たいへん尊敬するに値するけども、差別と向き合うということについて言うならば、やはり彼女の限界というものも、あることはあると思うけどね。だけど、そんなもの求めたってしょうつがない。誰だってみんな限界はあるわけだし、そんな90過ぎまでね、ああいうことを続けたということは大変偉大なことだと思うし。

言い終わらないうちに、
「本当のことは書けません。だから物語です。フィクション。未開放部落におかゆを食べられる人々はいなかった」

社会の底辺。それは広がりつつある。
今の社会は狂っている。日本はそんな社会じゃあない。
メディアの中枢が面白可笑しく権力を抽象するが本人、そこに居ることが気がつかない。

僕もこうして書いてるけど、今や底辺です(笑)。

カミさん(61歳)が障害者で、目が見えて家の中を伝い歩きながらも歩けて箸が使えて電気自動洗濯機が使えて、電気自動掃除機が使えて・・・
障害者5級。年金は月に24,000円。まあそれを笑えるんですから幸せかも知れない。
しかし僕の年金と音楽講師所得からカミさんの医療費が月、7万円前後。
想像してみてください。誰もが僕を見て悠々とまでは行かなくとも「音楽性格に」自適の生活をしてると思ってる。

ま、それは持って生まれた性格っていうか産んでくれた親に感謝なんだろうけど、僕もカミさんも楽観主義。

「成るように成る、鳴る様にしかならない」

想像してみてください。
家に重篤な手術を3回もした伴侶がいて、そこそこ収入があるために行政の補助は全く受けられない。
その意味での渡世は不義理の連続です(笑)。

しかし、「客観」であれ「主観」であれ、本当のことは書けませんね。

「せつ子の佐久間のドロップ」

その時代の末端の一つかもしれないけど、僕の頭の中にはそれがいつもあります。

「体験という狂気」

自分の妹が死ぬ、目の前で死ぬ」、それも空腹で、栄養失調でやせ細って絶える。

僕の姉、昭和18年生まれも空腹ではなかったにしろ、ときの流行病で2歳そこそこで死んだ。

それもこれも全てが「国家」という「主」の犠牲。運命で片付けられる話ではない。

いいべべを着て、美味しいものをたらふく食べて、貧困にあえぐ子供たちを見向きもせずGWを外遊。
そんな7人に一人の貧困の中の子供たちにはGWは地獄です。

わが娘23歳、「ママはあたしが面倒見るからね」ですって。

僕とは同じ時代を生きてるみたい。

平成6年生まれの彼女の知らないことをいっぱい知っている「パパ」。
車の中で聴く音楽「ビートルズ」は彼女の古典。

でもこの頃僕の知らないことをいっぱい知ってる彼女の見聞録。

現代の「橋のない川」

  


Posted by 昭和24歳  at 07:41Comments(0)

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