2018年05月02日

八間道路物語

八間道路物語



どうやらこの町は秀吉、“関白宣言”の最中・・・

16世紀の半ばに箕輪城から「高崎」に城が移築された頃からが始まりのようだ。
その「高崎」は東は現在の弓町、羅漢町辺りまで。北は赤坂、南は新町、若松町までのところだろうか・・・
西に烏川を背にした「高崎城」。正式な呼称が何であったかは咄嗟には浮かばないが、それを「和田城」とも聞く。

古い地図を見ると面白い。どうも今の「レンガ通」辺りに「県庁」があったらしい。もちろん、廃藩置県の時代「熊谷県」と、ここ群馬を呼んだ時のほんの僅かな時代だったようだが。

「高崎」の町は町名からしてもその「古さ」が良く分かる。鞘町、紺屋町、鍛冶町、九蔵町、弓町・・・などとその城下町の様が窺える。
その辺りには幾つもの「寺」がひしめき合うようにして瓦の波が連なる。
今にして思えば、この「高崎」と言う町はその戦国時代の古か、「寺」だらけ、「墓」だらけの町だったようだ。

八間道路の「夜店」

その昔、渋川までの「ちんちん電車」が走っていた田町通から、弓町の四つ角までの道幅が「八間」・・・・・・
そこから「八間道路」と呼ばれ、大正、昭和と栄えたと聞く。元々は「大類里街道」をそう呼んでいるようだ。
その昔には荷車が行き交う程度の小路だったようで、その名残は平成の再開発でほとんど消えてしまたっが、東二条通りの交差点付近に僅かにそれをとどめている。

いつの頃であったかは定かではない「夜店」・・・・・
僕のそれは昭和30年前後。

僕が物心ついた頃にはその「八間道路」、夏の風物詩として「夜店」が子供心を躍らせた。
もちろん、テレビなんぞはなく、映画館でさえ東小学校の校庭で夜間に上映された時代の話。
それは「法輪寺」の門前を中心に、露天が縁日の賑わいを創っていた。

その時代、それぞれの家にまだ「風呂」などと言うものはそうはなかった・・・・・
あの界隈だけでも「銭湯」が、旭町の「東湯」、屋号は忘れてしまったが、山田町と椿町の「椿湯」。
それに「八間道路」北通町にも大きな銭湯があった。戦後、間もない昭和30年の始まりの頃その「銭湯」でさえ贅沢だったのかも知れない。
もっぱら僕らは、タライ行水を浴びて、短尺帯の浴衣を着せてもらい母に手を引かれ行った・・・・・

定番の金魚すくい、ヨーヨー、綿アメ、それに多分5円くらいだったか木箱の中で「飛行機」の回るクジ。焼きそば、お新粉細工、アメ細工・・・
ハリガネ鉄砲を器用に作る小父さん、木の鉄砲・・・カーバイトの灯りの下で焼く「焼き饅頭」。
極めつけは、法輪寺の境内で開かれる「のど自慢」と、どう言う訳か「ボクシング大会」・・・・・etc

兎に角、その「八間道路」弓町の交差点から先は、東、北と戦前から工業地帯。
開かずの踏み切りには、まるで問答無用のように「SL」が怒るようにして往来していた。
その辺り、満州帰りやら、復員のニイサン、小父さんが朝に夜にけたたましく口角泡を飛ばしていた時代であった・・・

その時代、労働者の足と言えば、もちろん「自転車」・・・それさえも贅沢な時代だったか。
サラリーマンの月給が1万円台の頃の話だから差し詰め「バイク」の値段だ。僕も自転車を覚えたのは親父の通勤用、「自家用自転車」の「三角乗り」からだった・・・・・
駄菓子や華やかりし頃の夜店の時代にはやはり、ベーごま、ビー球、面子と遊びに事欠くことはなかった。

ふと気づいた時には、そんな「夜店」の風物も消えてしまっていた。

そんな中、もう一度どうしても食いたいのが「ボタンキョウ」。薄汚れたガラス瓶の中にプカプカ浮いた奴・・・・・
最後に食ったのが昭和50年の夏。
真夏の定番の駄菓子で「スモモ」といったかも知れない。真夏には駄菓子屋ばかりではなくどこのプールの売店でもそれは売られていた。

僕が小学校のころの当時はどこの学校にも“プール”などという贅沢なものはなかった。
高崎には3つの市営だったんだろうか、そんな贅沢なプールがあった。

小学生専用プール。通称「小便プール」と呼ばれていた『中央プール』今の市役所庁舎のあたりだろう。
ちょうど、二中と三中の間の奥まったところにあった。
中学生、高校生専用プールは『昭和プール』。それは古久松材木の製材工場の裏手にあって、高校生のプール教室などにも使われていた。
そして、今でも残っているのが『城南プール』で、ここは競技用プールで、当時は中、高の水泳部専用のプールの趣をなしていた。

どこにでもありそうな「町」・・・・・

それが「高崎」かも知れない。

でも僕にとっての「高崎」は、世界でたった一つの「高崎」なのである。



僕の横丁には駄菓子屋が数軒あった。東小学校、東二条通の八間道路から高砂町五本辻の300メートルほどの間。
高砂町下には、山盛、長井、長谷川、戸塚とあった。入り組んだ町名に、九蔵町の中村、弓町の栗原、神田・・・・・
その中でも完全に駄菓子屋と言えるのは、山盛、長井、栗原だったろうか。

山盛は、模型専門。模型とは言っても竹籤をセメダインで貼付け、障子紙を翼に貼り、竹のプロペラをゴムの動力で飛ばす奴。
山盛は、どう言う訳か小父さんも小母さんも無愛想で、子どもには人気が無かった。それでも、初めての少年マガジンはそこ、山盛で買った。
長井は、山盛とは二軒長屋続きですぐ隣にあった。もともとは、下駄屋を商っていた。
もっぱら低学年の子どもたちは「長井」で買っていた。
冬には、「お好み焼き」もやっていて・・・小母さんも面倒見が良かった。
今はその二軒とも、往時を偲ぶものは何も無い。

「ビー球、メンコ、ベーゴマ」はみんなそこで買った。
雨が降ればその横丁の軒先でベーゴマ合戦。僕らがよくやったのは藤巻箪笥店の軒が「ショバ」であった。
長井と言えば、ボタンキョウはもちろんだが、ひとつどうしても忘れられない駄菓子があった。

それは「ソースイカ」である。

今にして思えば、なんとも不気味に着色された代物。スッパイのだけど、今の「ヨッチャンの酢漬けイカ」なんて言うもんじゃあない美味さだ。

僕らはどう言う訳か「長谷川」には行かなかった・・・どうやら「長谷川」は女の子専門だったようだ。
その長谷川の手前に「杉山」と言う貸し本屋・・・・・今で言えば、「TSUTAYA」か。
赤胴鈴の助、いがぐり君、月光仮面・・・・・よく借りた。
遅れても延滞金は付かなかった。

小学校の入り口に「武田」と言う「文房具屋」もあった。
当時はセルロイドの下敷、セルロイドの筆箱、それは兎に角割れやすいし熱に弱くすぐに曲がったりして持ちが悪い。
鉛筆も芯が良く折れたから結構その「武田」繁盛していたようだ。
弓町に行くと小高の床屋、泥鰌屋、タバコ屋、寺田の肉屋と安藤古物店、そして栗原へと続く。
栗原、栗原のおじさんは大工さんで僕らが小学校の時はまだ無かった。その並びには松井運送店、路地をはさんで表具屋さん。
その裏手には今はそのなもときめく「中央自動車倉庫」の同級生、新井さんちがあって、その先には「山手」というお好み焼き屋が、同級生の家だった。

そうだ、あの時代を象徴する商売といえば印刷屋だろう。たしか、「堀越印刷」とかいってその前を通ると活版印刷って言うんだろうかその印刷機が油の匂いとともにカシャカシャとけたたましい音を立てて忙しくしていて小学生だった僕はその律動的な動きにしばし見とれていたことがあった。
もっとも、その時代「印刷」そのものが高価であったに違いない。学校のテストなんて全部ガリ版の謄写版プリントゴッコだったんだから。
それより何より当時、児童生徒数1000人からの東小学校のPTA会長がその印刷屋の、寅さんに出てくるタコ社長、失礼、大和紙工(九蔵町)の社長、武藤さん。後に市会議員にもなるんだが、それほどハイカラな商売だったのかもしれない。

栗原に気付いたのは、僕の娘たちが東小学校(僕も)に入学して駄菓子屋通いを始めてからだ。
次女はもっぱら、高崎保育所の帰りには必ず、「長谷川」で駄菓子を買って、「ウサギの本屋」で、付録を買うのが楽しみだった。

先日、その五本辻の小路を北東に少し移転していた「ウサギの本屋」を訪ねた・・・・・

「ママがね、保育園のころよくこの本やさんへきてパパにおねだりしたんだよ」

そう、同道したのはその次女の長女(7)、次女(6)と長男(3)当時。

「今は、もう置いてないんですよ、付録・・・・・」

すっかりお年を召されてしまっていたがその物静かな趣はあのころのままの「ウサギの本屋」のオバサンが申し訳なさそうにそう言った。

「ウサギの本屋」

それは、昭和50年も黄昏の静かな時代だった。
なぜか、とっても静かな時代だったような気がする。
もしかしたら、今の時代に似てるのかも知れない・・・・・その静けさだけは。

高砂町の五本辻に立つといくつもの高層マンションの陰にひっそりと「ウサギの本屋」はあった。

「八間道路」

それも、すっかり変わってしまっている。

「開かずの踏み切り」もトンネルが開通して何もかもが変わろうとしている。
それはとりもなおさず、僕の「八間道路」が壊されてしまったということなのだろうか。

昔のままでいてほしいというのは僕の勝手な願望なのかもしれないが。

そういえば、就活に忙しいわが末娘だが、お世話になったのが「法輪寺保育園・・・・・

その前を通ると「わ~、懐かしい」って。

僕にとってはすっかり変わってしまったそれだが、娘にとってはそこに20年前の映像が蘇っているのだろう。

しかし、つくづく昔のままでいてほしかったなあと思わざるを得ない今日この頃である。

八間道路物語
  


Posted by 昭和24歳  at 08:27Comments(0)

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