2018年04月15日

腐臭する平成という時代の風

腐臭する平成という時代の風

現代を読み解く鍵は歴史にあり。テロ特措法、北京五輪、オバマ政権誕生、北朝鮮問題…国際関係史・イスラム史研究の第一人者が、激変する世界の潮流を見つめて紡いだ随想録。

  社民党との復縁、公明党への擦り寄り、そして大連率となりふり構わぬ姿勢だが、本当は何がしたいのか

  民主党は12月12日投開票の茨城県議選で、推薦1人を含めた24人のうち当選が6人にとどまった。菅政権の支持率が下落し、地方選でも極めて厳しい結果が続いている。そんな中、政局が話題になっている。新聞の紙面には連日、小沢国会招致、大連立の言葉が踊っている。


まあ、これも「日本の腐臭する時代の風」です。

少々古いが・・・・・・

鈴木善幸元内閣総理大臣という政治家がいた。

享年93歳・・・・・

実に長寿。元社会党員で後に田中角栄元総理の腹心となる。

いわゆる、水産族であった。

目立たないがものの見事な閨閥を築き一代にして日本の頂点に一族を成す。

典型的な「棚ぼた政治家」であろう。

で、田中角栄の安全パイで、内閣総理大臣に任命(-_-;)

大蔵官僚を婿取り、長女は吉田茂の孫、麻生太郎に嫁がせ、さらに皇族へと繋がる長男、現代議士。

しかし時代の風はここまでだろうか・・・・・

後は、その時代をどう繋げるか、しかその道はない。

現下の国会議員代議士は自民党、民主党のほとんどが官僚の頂点と婚姻している。

それはその為政者、官僚を含めたこの国の管理者がそこの「私」を守る為に他ならない。

国民が灼熱に焼き尽くされようが、濁流にのみ込まれようが、寒風に吹き荒まれようが、そんなことはお構いなし。

しかし、それは当り前といえば当り前で、国民大衆とて己の「私」はなにが何でも守り通そうとする。

しかし為政者、管理者は血を流し、汗を流した結果での「私」ではない。

国民大衆から「税」という名で国家権力を持って「徴税」したものが全て。

今日のように、今日の徴税がママならなければ未来の徴税分を国民の預貯金から寄生するが如く吸上げる。

腐臭する平成という時代の風

おそらく、この夏の異常気象とも思える熱風と世界規模の集中豪雨は海水の温暖化による海流異変。

それでも、安全に、清涼に生活できる極一部の階級にとっては別段取るに足らないこと。

自然発生か、人為的かは兎も角、近年発生の伝染病も、国民大衆の「食の安全」より極一部階級の「私」が優先する。

幕末から維新へ・・・・・・

武士、官僚社会での政権交代。武力を持たない「公家集団」を神輿に、

それでも維新政府官僚政治はつい昨日までは丁髷侍、理由はどうあれ武装集団で、日清日露を戦った。

腐臭する平成という時代の風

大東亜戦争の維新政府二世官僚はその先代の戦勝バブルのオトシゴ。

親世代の勇敢な先頭に護られ幼少、少年時代をすごし、その戦勝バブルのまま大東亜戦争、太平洋戦争へと盲進。

神国「大日本帝国」が負けるはずがないと侵攻に次ぐ侵攻・・・・・・

そのうちに「神風が吹く」と本当に信じていたかは分からないが、敗退に次ぐ敗退にも、

一億火の玉、総玉砕を絶叫。

二発の「ピカドン」にも、国家総動員の戦艦大和不戦撃沈にも本土決戦を叫んだ、現中国大使の親父。

腐臭する平成という時代の風

彼の昭和20年8月15日の無条件降伏が、外圧の「明治維新」なら、

漆黒、焦土の中に復興に務めた世代が・・・・・・

その無条件降伏下の現役世代の官僚たちだったのではないだろうか。

A級戦犯総勢十数名の死刑。

そして極東軍事裁判での司法取引の末に敗戦国「日本」の管理を任された六〇年安保の為政者。

腐臭する平成という時代の風

六〇年安保、七〇年安保、八〇年安保の為政者は、大東亜戦時下全員が二十代、三十代。

敗戦時の第一回普通選挙、後の、田中角栄、中曽根康弘、鈴木善幸は二十代。池田隼人、佐藤栄作が三十代。

そして今日・・・・・

その生まれながらにして、野球でいうならバッターボックスにも立たずいきなり塁上に立つ。

生まれながらにして押出しのホームインが約束された為政者。

第二の戦艦大和・・・・・・

日本列島そのものが今まさに沈没しようとしている。

日向灘に眠るといわれる「戦艦大和」、もしかしたら撃沈されたのではなく、

リコール対象「戦艦」だったのではないだろうか。

「三菱」、スリーダイヤマークつき、今の金に換算して7兆円とも・・・・・

腐臭する平成という時代の風  


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2018年04月15日

知古創新

知古創新

僕が生まれたのはこんな時代だった・・・
それを知り、新しきを創ろう。繕うことなく。


昭和24年2月11日金曜日。生まれるべくして僕は生まれた。

どんな格好で生まれたかは詳らかには知らない。

おそらく村の産婆さんが取りあげ、ボロ布と新聞ガミに包まれて(笑)。

姉の言によれば凡そがそんなところであったようだ。

僕の生まれた村・・・・・・

なんとその昭和24年、いわゆる早生まれだが、
男の子が5人、女の子が3人ほぼ時期を同じくしての“ご生誕”だった。

もっとも僕だけ生後半年ほどで生母病臥のため一里半ほど離れた町、子供のいなかった実父の妹夫婦のもとへ養子に出された。

折に触れ生家へお客に行くと「町の子」と大人からは腫れ物に触るように大事にされ・・・・・
村のガキ連中には虐めと言うほどではないがよく“仲間ハズレ”にされては泣いていたという。

知古創新

今日を知るには、昭和24年・・・・・・

と言うよりは戦後の10年ほどの新聞を読み返すとその“今が”手にとるようにわかる(笑)。

>1949/01/01,昭和24/01/01

マッカーサーが国旗の自由使用を許可する。

>1949/07/04,昭和24/07/04

マッカーサーが、アメリカ独立記念日にさいして「日本は共産主義東進阻止の防壁」と言明する。

ちなみに昭和20年はこうだ・・・・・

>1945/07/26,昭和20/07/26

対日ポツダム宣言が、米英中共同で発表される。日本は黙殺する。

>1945/08/06,昭和20/08/06

8時15分17秒、B29エノラ・ゲイは、広島の上空9600mで広島にウラニウム型の原爆「リトル・ボーイ」を投下する。

原爆は高度580mで炸裂する。

11月までに原爆で死亡した人は14万人、5年後の1950年までには24万7000人に達する。
被爆者は36万人以上になると見られている。

>1945/08/08,昭和20/08/08

ソ連が対日宣戦を布告する。

>1945/08/08,昭和20/08/08

ソ連軍が、北満州、朝鮮に進攻する。

>1945/08/09,昭和20/08/09

深夜、最高戦争指導会議構成員による御前会議で、
ポツダム宣言受諾に国体維持(天皇制維持)だけを条件とする東郷外相案と、
他に3条件を加える阿南陸省の案が対立する。

>1945/08/09,昭和20/08/09

B29ボックス・カー号は、小倉市を目標として飛来したが、
上空が曇天のため、午前11時2分、長崎市にプルトニウム型の原爆「ファット・マン」を投下する。
原爆は地上503mで炸裂し、12月までの死者の数は8万人以上になる。

>1945/08/15,昭和20/08/15

阿南惟幾陸軍大将が、未明、「一死ヲ以テ大罪ヲ謝シ奉ル」の遺書を残して割腹自殺する。
59歳(誕生:明治20(1887)/02/21)。

>1945/08/15,昭和20/08/15

天皇が終戦勅書をラジオ放送(玉音放送)し、太平洋戦争が終結する。

>1945/08/18,昭和20/08/18

内務省が、占領軍向けの特殊慰安施設を設置するよう指示する。

「この後、占領政策が続く」と、新聞ガミにはある。

今日に至るも米国政府は占領政策を解いたとは思っていないだろう。

「日米安保」

よくて、江戸幕府との「日米和親条約」の不平等、片務条約の域を越えてはいない。

ポツダム宣言受諾を躊躇する間に広島・長崎への原水爆の惨禍。

軍人の「大和魂」が齎した大惨劇だ。

さかのぼって、「ハル・ノート」にいかなる難題難問があったにせよ、この国に“外交力”があったなら・・・・・
馬鹿な戦争に突き進むことはなかっただろうに。

まさに、今の北朝鮮が米国に宣戦布告するようなものだったのだから。

政治家官僚、己らの「恥」を隠し通すために国民に「百万弁の嘘」をつく。
それは今の財務省の公文書改竄嘘のデッチ上げで嘘を嘘と認めないという、それは戦前、戦中からの体質。

>内務省が、占領軍向けの特殊慰安施設を設置するよう指示する。

これが、中曽根康弘、後藤田正晴、読売の正力松太郎らの、敗戦の漆黒に更なる国民への仕打ち。
僕らの母世代が敗戦に打ちひしがれる日本女性を「従軍慰安婦」に米兵に差し出す。

国民、この国の政府の悪辣振りをもう一度知る必要がある。

人権を訴えるなら・・・・・・

日本国民、戦争被害者、戦後占領政策被害者として、国連の人権委員会に「米政府」と日本の「宦官政府」を提訴すべきだ。

その時初めて日本国民は、日本人は世界から認められる。

もうすぐ終わる僕らの遺す言葉は、そして行動は?

知古創新  


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2018年04月14日

政治家の秘書のお仕事は口利き

政治家の秘書のお仕事は口利き

昭恵夫人の「どこでもツイート」(笑)

加計疑惑、柳瀬氏招致へ=偽証罪適用の喚問で攻防―野党「首相案件」追及
 与党は13日、国家戦略特区による学校法人「加計学園」の獣医学部新設問題で、元首相秘書官の柳瀬唯夫経済産業審議官の国会招致に応じる方向で調整に入った。(時事通信)
4/13(金) 21:16
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6278936

田中真紀子元外相、金権政治の大権現だった田中角栄元総理のご令嬢が言ってました・・・・・

「政治家の秘書の仕事は口利きです。まあ、長い間安倍晋太郎元外相、幹事長の第一秘書だった安倍刺さんですからもともとがそういう人」

安倍総理いわく、留学時代からの親友だからこそ、私の地位を利用してとかということはありません(笑)。

まあ、人情です。当然あるでしょう、ない方が不自然です。もちろん総理になる前の議員時代も、ご尊父様の第一秘書時代も、持ちつ持たれつです。

「時には私がご馳走したり、加計さんが支払ってくれたり」

それってまずくない、去年の国会答弁だけど国家戦略特区の議長である内閣総理大臣とその制度を利用する一民間のトップが「奢ったり奢られたり」の関係って、利害関係ですから。

政治家の秘書のお仕事は口利き
  


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2018年04月13日

福田財務次官「おっぱい触っていい?」(音源)

福田財務次官「おっぱい触っていい?」(音源)

女性記者にセクハラ録音されてた財務次官「おっぱい触っていい?」「ホテル行こうよ」
 財務省はいつからこんなろくでもない役所になってしまったのか。

<中略>

だが困ったことに、この人物、取材に来る女性記者に対してセクハラ的言動がひどくて、「被害者の会ができるんじゃないですか」(財務省職員)といわれているのだ。大手紙の記者は「彼氏はいるのか」と聞かれ、いると答えると、どれくらいセックスをしているのかといわれた。

テレビ局の記者は、深夜に電話があって、ネチネチ過去の男のことを聞かれた。別の大手紙の記者は、「キスしていい?」くらいは当たり前で、ホテルへ行こうといわれた記者もいると話す。

呆れ果てた言動だが、女性の側も我慢ばかりはしていない。財務省担当の30代の女性記者が、福田に呼び出され、彼の自宅近くのバーでのやりとりを「録音」していたのである。一部を紹介しよう。

記者 財務省と森友学園、どうなんですかね。

福田 今日ね、今日ね・・・抱きしめていい?

記者 ダメですよ。

福田 いいじゃん。(中略)

記者 福田さんは引責辞任はないですよね?

福田 もちろんやめないよ。だから浮気しようね。

記者 今回の森友案件で、一番大変だったことってなんですか?

福田 いろいろ大変だったけど、これからがうんこだから。胸触っていい?

記者 ダメですよ。

福田 手しばっていい?

記者 そういうことホントやめてください。

セクハラ発言が接続語のように用いられ、ついには、「キスしたいんですけど。すごく好きになっちゃったんだけど・・・おっぱい触らせて。綺麗だ、綺麗だ、綺麗だ」と、畳みかける。

週刊新潮は4月9日に福田が愛犬と家を出てきたところを直撃している。記者が、夜な夜な女性と飲んでいる時に「おっぱい触っていい?」「キスしたい」などと発言していると聞くが、と問うと、<福田 何を失礼なことを言っているんだ。誰がそんなことを言っているんだよ!>

記者は何度も、仮に証言や証拠が出て来たらどうしますかと問いつめ、それが出て来たら責任を取るのかと迫る。

<福田 ないものは責任取りようがないだろう。ないんだから。ないんだって、ないんだって言ってるだろう! いい加減にしろよ、ホントに>

いまのところ、デジタル版の「デイリー新潮」に音声は載っていないようだ。録音した女性記者への配慮からだろうが、豊田真由子ケースのように、載せれば即、辞職だろうな。

<抜粋引用:2018/4/12 16:24 J-CASTニュース>
https://www.j-cast.com/

> いまのところ、デジタル版の「デイリー新潮」に音声は載っていないようだ。
ところがコレ↓



まあ、福田ちゃん(58歳)いま渦中の財務省だっつうのになんだこれ?

東大法学部卒で財務事務次官、佐川ちゃんも太田ちゃんも同期だつうんだけど・・・・・

ま、佐川ちゃん、太田ちゃんは森友で火の車。

福田ちゃんは「おっぱい」で火の車ですか、どうしちゃったの日本の中枢?

この分だと、官邸の中もなんでも官邸団で毎日かなりやばい話が持ち込まれてるんじゃあないの。

だもの入邸記録は廃棄しちゃうわけだ。ホントはあるんだけどね(笑)。

しかし、去年は同じ東大法学部卒の豊田真由子の「このハゲーーーッ」だったけど・・・・・

今年は「おっぱい触っていい」ですか。まあ首相のレベルに合わせたらこんなもんだろうけど。

福田財務次官「おっぱい触っていい?」(音源)
  


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2018年04月13日

【雑感】10年前と何一つ変わってない。

【雑感】10年前と何一つ変わってない。


諦念

「道理を悟って迷わない心。また、あきらめの気持ち。」

ならば、道理とはなんぞや???

「道理を悟って迷わない心」とはなんだ???

そして、諦めの気持ち(笑)。

そんなもんだと覚悟して「諦めろ」ということなのか。

>日本は、一般の人達、庶民のレベルの高さで今までやってきたと聞いてます。

その庶民のレベルが下がりつつあるようです。

経済の疲弊です。

リストラに合い夢中で仕事を探すひとたち。
政府の政策で派遣労働法の改定で、大手企業のほとんどが正規社員の採用を止めています。
市役所も、公務員削減を理由に「派遣」です(笑)。
給与は市職員の60%くらいでしょう。

庶民のレベルを落すのは簡単です。
貧困にさえすればそれだけで十分・・・・・
10年程前までの「好況」が言われた分その困窮感には酷いものがあります。

毎年所得が減り続けているのです。
企業倒産が理由だけではありません。
極まりのデフレで営業高そのものが減少し、売っても売っても対前年度落ちです。
当然粗利も減少、さらに社会保障費の増税の追い討ち。

政府はさらなる社会保障費の増税と、消費税増税を07年度に閣議決定しています。
国民、行き場がありません。

現実を報道しないメディア。
役所の記者発表だけの報道です・・・・・

「景気は、緩やかながら持ち直している」とか、
「デフレは底打ちした」とか、
「企業倒産は減少、失業率は持ち直し」とか・・・・・

全てが政府発表。

その裏で、大手ゼネコン「熊谷組」と「飛島組」の統合。
西武の上場廃止、ダイエーの閉店と、実態は惨澹たるものです。

このまま戦争に突入でしょう。
間違いありません・・・・・
自衛隊は軍隊として増派、米国の戦争事業にこのまま突進むでしょう。
既に、武器輸出三原則の緩和が閣議決定。

こうなると、「死の商人」だけではすみません。
国民も兵士として提供せざろう得なくなります。
三菱、東芝、日立、NEC、日産、古川、石播・・・・・・・
これらは全て戦前の国策会社、軍需産業です。

自動車も駄目、家電も駄目、建設も駄目・・・・・・
後は軍需産業しかありません。

3年間選挙がない。
北朝鮮拉致問題も、日本政府のスケジュールどおりではないでしょうか。
日本国民、世論の不満を煽り、中国が反日で国民を誘導するように、
日本政府は、半北朝鮮、と反韓国世論の煽動です。

在日韓国朝鮮人に参政権をはその典型です。
事実、在日の方々が「参政権」を本心望んでいるかといえば、ほとんど「NO」です。
世界的にも国籍条項に関わる問題ですから、帰化でもしない限りはありえません。

それもこれも、政府の煽動でしょう。
自民党議員は反対していますが、民主党と公明党は賛成です。

これの意味するところは・・・・・・
そんなことはどうでもいいということです。
国論を分断する意図がありありに見て取れます。

益々、不況感は増大するでしょう。
かつてのように、組合もありませんし、大企業事態に労組がないも同然です。

諦念。

そんなもんだと覚悟して「諦めろ」ということなのか。

それとも国民決起するか・・・・・・

【雑感】10年前と何一つ変わってない。
  


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2018年04月12日

森友はゴミ、本丸は加計

森友はゴミ、本丸は加計


「首相案件、柳瀬氏が発言」面会の1人が証言
 学校法人「加計(かけ)学園」の愛媛県今治市での獣医学部新設を巡り、県や市の職員らが2015年4月に柳瀬唯夫首相秘書官(当時)と面会したとする記録文書に関連し、出席者の一人が読売新聞の取材に、柳瀬氏との面会について「間違いない」と証言し、柳瀬氏から「首相案件」との言葉があったことも認めた。

 柳瀬氏は10日に「記憶の限りでは会っていない」とするコメントを出している。

 この出席者によると、15年4月2日に首相官邸で行われた面会には、県と今治市の職員、加計学園の職員らが参加。県職員が作成した記録文書の通り、柳瀬氏から「首相案件」との発言があったとし、「どういう意図でその言葉を使ったかは推し量りかねるが、(獣医学部新設に)前向きだと受け止めた」と語った。柳瀬氏が面会を認めていないことについては、「述べる立場にはない」と話すにとどめた。

<引用:4/12(木) 15:06配信 読売新聞>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180412-00050101-yom-pol

>柳瀬氏は10日に「記憶の限りでは会っていない」とするコメントを出している。

「記憶の限り」って、一体全体どういうことでしょうか?

つまり「忘れちゃいました」ってぇお話ですか・・・・・

そりゃあ無いでしょう、今治市職員は柳瀬氏との面会について「間違いない」と証言してるんだから。

まあ、昨日の国会衆院予算委員会でも「入邸記録は破棄」したって、佐川ちゃんとおんなじこと言ってる(笑)。

しかし、アレです。森友を完全燃焼させて、加計は抜けがけ出来ると踏んだんでしょうか・・・・・

稚拙ですねぇやることなすこと、お里がしれますね、お里が。

森友は21億円パクらせて結局ヤバイ話になってきちゃってゴミがダンプ何千台分って、今時、子供だってそんな嘘つかない(笑)。

しかもそれを財務省、天下の財務省が仕込んだってぇんだから、口裏合わせ。

あの太田っていう佐川ちゃんの後任の理財局長「要すれば、要すれば」ってエリート中のエリートが支離滅裂。

せっかく財務事務次官候補だったってぇのに、これでダメだろうねぇ、ま、「太田が、太田理財局長が」答弁した通りですって麻生。

麻生、国会の答弁っていうか、チンピラだね「何か言った」とか「う~んっ」とかいって、今時いないヤクザみたい(笑)。

で、加計学園の方はよくある「補助金ビジネス」です。よくあるパターンのね、数百お「億円が動きましから5%でもかなりです。

まあ、元手いらずで大学立てて、もらった土地を担保に銀行から融資、森友もそうだったけど・・・・・

で、違うのは大学校舎建設、何から何まで身内で請け負っちゃう。で建設費用は設計段階の5掛け。

それだもん、少子化で大学がどんどん潰れていくっていうのに、グンマーでも4年生大学作る学校法人があったり。

そしたら、「農学部」を文科省に申請とかっていう学校法人、どことは言わないけど。

それにしても、アベちゃんの答弁、つじつまが合わなくなってきちゃいましたね。なんか、「離婚」でみそぎで解散総選挙とか。

まあ、確かに北朝鮮はミサイル飛ばしてくれないし、国難じゃあなくて「ボク難」です(笑)。

ま、安倍ちゃんにできたんだから人相悪いけど石破ちゃんにできないわけがない、岸田ちゃんだって、シンジローだって。

つまり、安倍ちゃんは初心者マークなのにリンカーンのリムジン運転できたんだから。

森友はゴミ、本丸は加計  


Posted by 昭和24歳  at 20:34Comments(0)

2018年04月12日

2008年04月12日(土)の投稿より

2008年04月12日の投稿より

で、アメリカはトランプですか?
日本はアベちゃん、ツンでsるけど(笑)。


“後期高齢者”
2008年04月12日(土)

「お金が天から降ってくるわけじゃあありませんから」

これ、桝添厚労大臣のセリフ。

「年金の掛金を直接持ってきて運営すれば、年金を払うのは先のことだから今のうち、どんどん使ってしまっても構わない。
…将来みんなに支払う時に金が払えなくなったら賦課式にしてしまえばいいのだから、それまでの間にせっせと使ってしまえ」

これ、厚生年金制度生みの親といわれた戦前のたしか年金保険局長“花澤武夫”氏のお言葉。
まあ、氏の本意は無茶苦茶に使っちまえということでもないだろうが、今日を見れば結果、そうなってしまっている。

僕のところにも“年金特別便”がきた。明けてみると平成8年以前の厚生年金の記録が全部消えている。
早速、年金手帳を持参して社会保険事務所へ・・・・・・
おそらく全職員を動員しての“年金特別便対策”なんだろうが、11時に受付、12時半に面談。
しかし、これだけでも年金特別会計から相当なカネを使っているんだろうなぁと思うとバカバカしくなってきた。
僕のように100%証拠を持っているのにデータが消えている(笑)。
僕を担当した職員も言葉もないといったような平身低頭。

「お金が天から降ってくるわけじゃあありませんから」

つまり、カネがないから75歳以上の高齢者の医療は制限した上、保険料を天引きする。
医療に金がかかるといったって、今現在の30兆円の60%は国民の保険料、窓口負担じゃあないのか。
これは先進国最低の国の負担。
しかも、医療、30兆円の30%が、水増し請求だという“医療詐欺”。

カネがないどころか、12兆円からが独法に支出されている。
国地方の公共事業費総額、ほぼ80兆円の10%~20%がこれまた水増し・・・・・

それだけインチキをやっていても予算が使い切れなくて毎年10兆円からが余剰金として、
特別会計に積み立てられていることが会計検査院からも公表されている。

何のことはない、「カネが天から降ってくる」のじゃあなくて、国民からせっせと吸い上げる。

天のために「地から湧いてくる」のだった。

使っても使っても使い切れない、それなのに戦後、この国の経済発展に尽くし、今日75歳を超えた国民に・・・・
本来なら医療費は無条件無料にするべきなのに、
医療費がかかる、さらに“後期高齢者”の保健医療を制限するといった非常の政策。

「お金が天から降ってくるわけじゃあありませんから」

といって、地から吸い上げようとする極悪非道な政治。

若い人たちも他人ごとではない。
市町村も財政難を理由に保育料、公立学校給食の値上げ、上下水道料金の値上げ、国民保険料の値上げ。
それでいて“道路”だけは政官財ぐるみで再採決までしてその“既得権益”を守ろうとする。

そこで、先の党首討論でも・・・・・・・

「官僚政治という悪弊を断つ!!」

と言い放った民主党代表小沢一郎。

いずれにしろそこに先鞭をつけるというなら民主党政権をまとうではないか!!

2008年04月12日の投稿より
  


Posted by 昭和24歳  at 15:49Comments(0)

2018年04月12日

【汚職】瑞穂の國記念小學院事件?

【汚職】瑞穂の國記念小學院事件?


森友ごみ積算、近畿財務局が増量依頼 航空局に数億円分
 森友学園への国有地売却問題で、地下のごみの量を見積もっていた2016年当時、近畿財務局が大阪航空局に積算量を増やすよう依頼した、と取引に関わった当事者が説明していることがわかった。撤去費が8億円ほどとなるよう持ちかける内容で、大阪航空局はいったん見積もった額から数億円ほど増額したという。取引の経緯を調べている大阪地検特捜部も同様の証言を得ている模様だ。

 関係者によると、近畿財務局の依頼は、値引き額を約8億円とすることが前提になっていたとみられる。ごみ撤去費の積算額をもとにすべき値引き額を、積算前に決めていたことになれば、国有地売却の妥当性が大きくゆらぐことになる。工事積算基準に基づいて適正に算定した、としてきた財務省と国土交通省の姿勢が厳しく問われそうだ。
.
<引用:4/12(木) 5:02配信 朝日新聞デジタル>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180412-00000009-asahi-soci

>工事積算基準に基づいて適正に算定した、としてきた財務省と国土交通省の姿勢が厳しく問われそうだ

籠池園長は最終的には200万円で約9億円の土地を手に入れたことになる・・・・・
はずだった。

ところで「瑞穂の國記念小學院」は約15億円とかなんだがその資金はどこから?

【汚職】瑞穂の國記念小學院事件?
  


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2018年04月11日

【徒然】As Time Goes By

【徒然】As Time Goes By



心の美。

人の言葉・・・・・

外、一切ノ境界ニ於イテ心念起ラザルヲ名ヅケテ坐トナシ
内、自性ヲ見テ動ゼザルヲ名ヅケテ禅トナス

松原泰道師

土曜日のNHKに瀬戸内寂聴さんが出ていた。
御歳、83歳だとか。

今東光にその法名を頂いたのだと仰っていた。

忘れたが、師匠の御名前の一字を頂いてその法名を付けるとか。
もちろんその法名が“戒名”になるとも。

今東光師の法名は“春聴”であったとか。
その一字を頂いて“寂聴”と・・・・・

「“寂しい”は“静かに”という意味もある」
とか。

瀬戸内寂聴・・・・・・曰く、

「人は罪人(ツミビト)」

小説家瀬戸内晴美は夫を捨て、子供を捨て。
家庭を捨てと述懐する。

「私は罪人です・・・・・」と。

20代の始めに読んだ“松原泰道師”の“般若心経入門”。

美女美男も一皮剥けば“シャレコウベ”。

人の心の“美”とは何か。

今ではその文庫本、手元にはないが実に心に残る文があった。

その“シャレコウベ”もそのひとつでした。

“忙しい”も、そのひとつ・・・・・

「りっしん偏に亡き」

その“亡き”は死の意味。

“忙しい”は“心”を“亡くす”・・・・・

人を思いやることも忙しくてはできない。
自らを省みることもできない、優しくもできない、ただ怒ることだけ。

忙殺・・・・・

それぞれに、自ずと備えられるべくして備わるのが、それぞれの心。


物心ついて、友を知り、恋をして、子供をもうけ、育て、そしてやがて生涯を終える。

夫婦・・・・・

極めてあいまいな概念ではあるが、
思想、宗教に捉われる事をともかくとすれば、この国、
人は生まれて20年・・・・・・
そして平均寿命を全うするとすれば70代までの50年間、
全くの見ず知らずの“男女”が長い長い時間を伴にする。

そこの“男女”のかかわりこそが“宗教”なのではないかと思う。
釈迦は男子だが、観音様は女性・・・・・

そして概念としての結婚観はあるが、一夫一婦制があり、一夫多妻制が。
それが宗教観の概念なのかはわからないが、往々にして開発途上国、第三世界には多い。

しかし、女性と母親。そして男性と父親。

その“個”の生涯としてはたったの7、80年。
そこに展開する家族という社会・・・・・・

生れ落ちたその瞬間に“輪廻転生”にある。

「悪行を重ねると地獄に落ちるとか、生まれ変わるとき鬼畜動物に生まれると」

瀬戸内寂聴さんは仰っていた・・・・・

「そんなことはない、地獄なんてない。
人は人になるんです。生まれ変わっても。だから・・・・・」と。

後悔すればいい、反省すればいい。
やり直せばいい、何度でも何度でもやり直せばいい。

人の心配をする前に、己の心配をしなさい。

己の心配が、ひいては人の心配につながる。

そこに憎しみは生まれない。

心の美・・・・・・

【徒然】As Time Goes By

  


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2018年04月10日

昭和24歳「出生の秘密」。

昭和24歳「出生の秘密」。

誰が見ても「似てねぇなぁ」。
その言葉にいつもいわれのない不安を感じていた。


最近、目の中に入れても痛くないほど可愛かった末娘が、カミさんと一緒になって僕に意見する(笑)。

僕の出生の秘密。って言うほどでもないけど、母32歳。僕5歳。

七五三の記念写真です。

誰が見ても「似てねぇなぁ」。
その言葉にいつもいわれのない不安を感じていた。

母は僕を溺愛した。と同時に理由もなく僕をなじったり、叩いたりといった行為をした。理由は分からなかった。
あとでわかるのだが母には母の葛藤があったようだ。

写真に写る母は、実父の妹、大正10年生まれ。つまり養母。
実母は僕を生むと脊椎カリエスでその後10年床に臥した。
自分の病状を知りつつもどうしても僕を手放したくなかった実母。
昭和24年の話です。実母の病状が回復する見込みはなかったらしい。

「大岡裁き」ですね。

実母は僕を何処かへやるんなら死ぬと言ったそうです。
でも死ぬ力さえなかった実母。

僕が生家を離れるとき、その僕を抱きしめてなかなか離さなかったそうです。

「病気が移るから」

との実父の一言に泣きじゃくりながら僕を手放した実母。
きっと生後三ヶ月の僕の産着はその実母の涙で濡れてぐしゃぐしゃになっていたでしょう。

そして僕は子供のできなかった実父の妹夫婦のもとへ養子に出された。

「おばちゃん、病気だからそばに行くんじゃないよ」

それが養父母のいつもの言葉だった。農業と、村唯一の万屋を営んでいた生家。
奥座敷の暗いところに実母は寝かされていた・・・
子供だった僕はそんな実母の眠る暗い部屋を覗きに行こうとすると、養母が鬼の形相で僕の手を引っ張り引きずる。怖かった、いつものい母ちゃんじゃあない。

そう感じてか、それ以来僕は実母の寝る部屋を気に止めることもなかった。

奇跡的にも実母は回復した。その時祖父母は亡くなっていて実母は家事も普通にできるようになっていた。

時期はいつごろだったかわからないが養父が僕を連れて、そうだ梅もぎの時期だった、その手伝いで生家に来ていた。

僕が姉と近所ヘ遊びに行って帰ると、実母の泣き叫ぶ声と養父の怒声が。

「自分のお腹を痛めた子供を可愛がってどこが悪いの」

「約束が違うじゃねぇか」

そこから僕は殻に綴込み始めた。

そして小学校4年の梅の時期に市立女子高に通う姉が僕にギターをくれた。

音楽との出会いの始まり。

何もかも忘れようと夢中になってそのギターをかき鳴らした・・・・・

昭和24歳「出生の秘密」。
  


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2018年04月10日

>部落も大阪じゃ同じ、今も。

>部落も大阪じゃ同じ、今も。

結局はその発祥は現代で言えば「ネットカフェ難民」とかじゃあないのかなぁ。
例えば戦国時代は領地に住む農民は兵士として参戦した。そこで生活するために。
一方、事情で土地もない、今で言うなら住所不定無職は戦の度に敗戦兵士の身ぐるみをはぎ、お金にする。夥しい遺体を処理して戦勝領主から賂を。

ここ高崎にも江戸時代からの刑場があった。火葬場もあった。
そこに従事したのはそういう人たちで、必然、その周辺に居住する・・・
ま、江戸時代以前は太平の時代でも日本の人口は2千万人そこそこ。
でも、ある意味ちゃんと法律があって政府が機能していたのは世界では稀有。
首都、江戸元禄の人口が世界でもトップクラスで「100万人都市」。

つまり全国諸藩。都市が形成されるにつれ、士農工商町人という階層に人生の後始末をする職業の階層が生まれる。

いつの時代も運の悪い、間の悪い人間はいるもんで、ただそこに生まれたっていうだけですから本人のせいじゃあない。
そしたら、麻生ちゃんの祖先の大久保利通だって食うや食わずの下級武士でたまたま時代が時代で運が良くて大久保卿になっちゃって、本人は間が悪くて麹町で切り刻まれちゃった。
伊藤博文だって武士じゃあなかったし、気がついたら周りに誰もいなくて初代総理大臣と運が良かったけど間が悪くハルピンで「何者かに」暗殺された。

僕の実家のそばにもそうい部落があった。必要不可欠。

農耕馬、牛の遺体処理。死者の墓掘り。農業で不要になる糞尿の処理等々、現代社会でもなくてはならない存在です。
火葬場に従事する人、清掃工場で働く人。僕らの子供の頃はリアカーに桶を何個も積んで町内一軒一軒汲み取りを生業にしていた人。

>「四民平等」にしたその時から、差別はもっと意識されたのではなかったか。

ま、平民にはそんな時間的余裕はなかったんじゃあないだろうか、差別している時間。
自分たちが生活していくだけで精一杯。
ましてや、電気もなければガスもない時代ですから、ほとんど情報交換はない。噂話だけ。そこは棲み分けていたはず。

国民性の違いだろうけど、アメリカの銃社会の根底に有るのは「差別」。
弱者が強者から身を護るには拳銃しかない。
強姦されそうになった女性が身を護るには拳銃しかない。法律は無力。

差別を形成したのは「統治者」です。
  


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2018年04月09日

アベ一強翼賛政治の逝くへは?

アベ一強翼賛政治の逝くへは?

欲しがりません勝つまでは!!

この国の国民環境は戦前回帰している。

ただ“軍国主義”が隠されているだけで、他の社会体制は戦前のそれだ。

勝組、負け組とメディアは囃すが・・・・・
実際の国民生活は“戦前”のそれになっている。

政治はいうまでもなくオール与党体制ではないか、翼賛政治。
自民、民主はその低レベルの政治力学的な、利権分捕り合戦の末の、自民別働隊、闇将軍旧田中派って言うところだろう。

そうした中の公明も、共産も、社民も絶対数での限界。
国民を代表する政党、政治家はどこにも見えない。
もちろんそうした「選挙システム」をこしらえたのが、自民、民主の親世代。
端から国民に選ぶ権利、“選挙権”などはないに等しい。

思想労組の解体に成功した自民、民主・・・・・・
残るはその「思想信条政党」への飴と鞭でどうにでもなる。
もっとも共産党などは今時革命でも起そうとしない限り、屁のツッパリにもならない・・・・・
机上空論政党、学問政党でしかないし。
多くの国民はその存在すら忘れている・・・・・

“赤旗”の売上でのシノギで、幹部、官僚党員だけが未だ“共産主義ごっこ”に明け暮れている。

今の日本共産党の存在は・・・・・
創価学会公明党のためにあるようなもので、
その両雄の新聞ガミはまるで「どつき漫才」の様。

そうした中・・・・・

英語を読めない喋れない日本人、日本語を全く読めない喋れないアメリカ人をいいことに、
国費で留学した官僚が・・・・・・

80の爺様に聞いたら、日本憲法より各上の占領軍政令201号で公務員争議権、団体交渉権を昭和23年に取り上げられている、

そうした英文署を情報公開しない。
昭和30年代からの文部省の国公立教職員への「勤務評定法」はあのアジテーション、

「キンピョー反対!!」

を真似てよく教師に叱られた。

国労、動労の思想労組のストライキはそもそもそのストライキ権が公務員には認められてないための、

“遵法闘争”

のろのろ機関車運転に、デモ・・・・・
いっそのことストはできないのだから、

乗車料金無料闘争でもやっていたら国民の支持は得られたかも知れない(笑)。
もっとも連中の頭には“国民”はない・・・・・・
あるのは、思想信条の“利己主義”の主張で、
実は本人達も、一体なにをやっているかは分かっていなかったのではないか。

国労、動労の幹部が、自民党の最高実力者と料亭争議・・・・・
その仲買が、社会党幹部。その構図は露見してしまった。

置き捨てられた国民がは連帯”すべき時ではないの。

“UNION JAPAN”

派遣労働者は戦前のそれ。
身分保障は何もない。
全て、“自己責任”

契約請負が原則だから、社会保険などはもちろんない。
果たしてそのような形態の“労働環境”がこの国民の“家計”、ひいては国民経済を支えられるのか・・・・・

いっそ、米国の一州となり・・・・・
人口規模から言ったら最大の州となる。
米国人口の半分、それでいて有権者は米国全州のその数をも凌ぐ。

日本系、合衆国大統領が誕生するかも知れない(笑)。
早い話、国民生活、安全と自由がそこそこに保障されれば文句はない。

アメリカさん、たのんまっせ!

一機にドル高!!

旧日本人の資産はドル換算で3倍くらいになるかも知れない。
そしたら、合衆国に忠誠を誓って納税し、正々堂々と権利を主張すればいい

アベ一強翼賛政治の逝くへは?

  


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2018年04月08日

公文書の改竄はありえない米国

公文書の改竄はありえない米国

アメリカ国立公文書館は改竄してくれませんでした。
日本だったらそこだけ消しちゃうんだけど・・・


JFK暗殺の機密解除へ 最後の非公開文書
 米国立公文書館は26日、1963年のジョン・F・ケネディ大統領暗殺に関して、これまで非公開だった最後の機密文書を公開する。中央情報局(CIA)が公開延期を要請しているとされたが、法律上、公開を唯一差し止めることができるトランプ大統領は機密解除を容認する方針を表明した。

 トランプ氏は25日、ツイッターに「長い間、楽しみにされていたJFKファイルの公開は明日だ。すごく興味深いぞ!」と書き込んだ。

 92年に制定された法律は、暗殺に関してCIAなど米政府機関が作成した資料を25年以内に公開するよう…
アメリカ国立公文書記録管理局
<引用:毎日新聞2017年10月26日 17時02分>
https://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release/name-files.html#k


米国の公文書でも明らかになっています。

吉田自由党と鳩山民主党。

保守合同にあたり条件として鳩山の民主党が吉田の自由党に出したのが、
憲法改正による自主憲法の制定を公約にかかげることだった。漫画のような話だが、今と全く同じです。

しかし、良くぞ“民主党”などという名前を付けたね、鳩山由紀夫。
そしたら小沢一郎が“自由党”だってまるで政治ごっこ(笑)。

鳩山由紀夫の祖父さん、鳩山一郎が“民主党総裁”で、
小沢一郎のオヤジ、小沢佐重喜が“自由党”吉田茂内閣の建設、郵政大臣。

嘘のよなホントの話で、祖父さんとオヤジの代に、進駐軍の傀儡政権の中心人物。

その利権、金権の手法にしたってあの時代、まさかの敗戦に今日想像もしようがない。
そんな中、進駐軍の顔色を窺いながらの政治稼業。必然、身に染み付いた・・・・・・
それを、子、孫が真似ているだけの話です。

今だって、GHQが虎ノ門の閻魔大王。

で、幕府は米軍横田基地地下200メートルの核シェルターの中。

公明党なんて“屁のツッパリ”にもなってやしませんよ(笑)。
だいいち、“真ん中がないんだからそのときの都合でどっちにでもつく。

政党名隠して日本新党と新生党に乗移っちゃった時の“一一コンビ(小沢一郎・市川雄一)っていうのがいたが・・・・・
市川は去年82歳で鬼籍に。けど時の闇将軍の近侍だったもう一方の小沢一郎は「山本太郎と仲間たち」って、ごっこ(笑)。

で、あの頃は海部党首、羽田副党首、小沢幹事長、市川総務会長、中野政審会長、神崎国対委員長・・・・・

ところが、社会党とさきがけが抜駆けで自民党と連立でババを掴まされ、それじゃあてんで、“自自公”政権。

まさに“くんずほぐれつ”の乱交政治だもの・・・・・

さすがの日本国民も気が付いていて自民党型の政治離れは進んでいった。

本当は徹底して政治を無視すればいいんだけどね。公務員とか、行政下請企業がそうも行かない。
政府予算が売上、即食い扶持なんだから。

公明党はいつだって自民党なんかケツ捲くる。
天の声、鶴の一声で。まあ、生きてるんだか死んでるんだか90歳だそうです。

昨日今日の衆院予算審議・・・・・

もう、無茶苦茶で財務省国交省がグルになって証拠を改竄、厚労省も嘘八百、そしたら終わったはずの防衛省が一年後に日報あった。
ま、今の与党自民党がアレだから、七五三「千歳飴政権」ですから国民気力なくしてます。
だって、戦後史上最大の好景気だって、あのオチョボ口で言ってるんだから有効求人倍率も最高水準って、みんな非正規、アルバイト。

「非正規だって「仕事がある方がいい」って、オチョボ口、オマエに言われたくない。
だって年収200万円前後なんだから、しかも、一生涯、そういうこと、働き方改革で、そういやあアメリカがそうですから。

公文書の改竄はありえない米国


  


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2018年04月08日

【雑感】もうすぐ「悲しき60歳」、ムスターファ。

【雑感】もうすぐ60、ムスターファ。


別に難しい話なんかじゃあない(笑)。

真の民主主義というものがどういうものかは僕には分からないが・・・・・
それが学校で習った程度のものであるとしたら、
この国は到底“民主主義”等というものとは程遠い社会であることは間違いない。

商売をやっていれば凡そがそのいい加減さにほとほととすることが多々あった。
要するにこの国の社会システムは“縁故・地縁”が全て・・・・・・

こんな田舎町でも、行政、議会に“縁故・地縁”が在ると無いとでは・・・・・
もちろん生き方の選択だが物事の運びは雲泥の差がある。

国の財政も福田赳夫辺りから“赤字国債”を積み増して、二進も三進もいかないのが今日。

もっともそれ以前は戦後復興資金を米国、世銀から融通してもらっていたのだし、
それの完済が田中角栄内閣の時代だった・・・・・
それにしてもニッポンというかニッポン国民勤勉というか真っ正直というか黒部ダムの借金も、新幹線の借金も、東京オリンピックの借金も完済。
もちろん、今騒がれている“後期高齢者”が金の卵、二十代、三十代と、そんな時代の話だ。

あの戦争も異常だったが、戦後賠償に当時の金で“7兆円”も支払わされたこの国・・・・・・

今のカネに換算すれば“700兆円”だろううか。

早い話が、為替管理が解かれ、ニクソンショックの変動相場制になった辺りからこの国はアメリカの食い物にされてきているのだろう。
しかし相手は戦勝国、占領軍。敗戦国、被占領国がじたばたしたところで始まる話ではないのが事実なのだ。

今回の郵政民営化に始まった再占領。

その実、電電公社民営化との関わりを外して考えるわけにはいかない。

電気通信事業・・・・・

これは“旧郵政省”の本丸であったはず。

独立国が事実なら、国内の通信、それらは極めて国家管理下に置かれるべき最重要国策であるはず。
もちろん“冷戦崩壊”もあったのだが、米国の覇権下にあるこの国では独自の通信手段を講じることを許されるはずも無く、顕著な例が、“日本電電公社”が民営化、NTTとなり技術技術開発独自の通信回線“ISDN”を国策として推進しようとしたが、米国の“要求”(命令)で・・・・・
数兆円の建設コストをかけたにもかかわらず、廃棄する羽目になった。

それが、今日、“安い安い”と嬉しがる・・・・・・
“ADSL”そして“光”と、通信のグローバル化(アメリカ化)。  

そして、“インターネット”。

米国が、この“WWW”の回線の遮断を赦すはずが無い・・・・・・

“ISDN回線”だと、米国は一切盗聴はできないのだ。

郵政の中の“郵便”は米国にとっては何の意味も無い。

米国にとって、重要なのは“郵貯・簡保”の『300兆円』と、“電波”の『通信事業』であることは間違いない。

アメリカ、米国はこれ以上“ドル”を矢鱈めったら印刷しそれに米国民の税金で金融資本に支払うことはできない。

アメリカ国内には既に“ドル”は無い。自国通貨を“外国”から融通、米国債という形で調達する以外に無い。もちろん戦争という手段も(笑)。

そこで、自分で“偽札”を刷ってあとで誰か犯人を仕立てるくらいのことしかできない。

アメリカの公共事業。

戦争の戦費調達は最早、日本の“財政”から調達するしかないはずだ(イラク戦争では13兆円が円高ドル安工作で)。
いずれにしてもアメリカはこれからどんどん戦争をしなければアメリカの経済成長は無い。とにかくアメリカの主な工業生産は“武器”だけなのだから。

結果、日本の郵政民営化なんていう話は日本国民への目くらまし・・・・・・

大蔵省が、郵貯・簡保資金を預かり“財投”として使いまくった。
それが、“ノーパンしゃぶしゃぶ”の大蔵省解体・・・・・・
東大法学部閥の塊のようなところが、“ノーパンしゃぶしゃぶ”ごときでモノの見事に解体された(一説にはCIA工作)

小泉さん、かつて言っていた、「もう財投は改革されました」と。

ペイオフ解禁でさらに積み増された、“安全”な郵貯資金。

財投で不良債権化しそうなものはあの、橋梁談合のように、炙り出して可能な限り資金回収をする。

そう・・・・・

全てを民営化にして破綻させる。破綻させる前に公的資金を投入して不良債権処理をする。

何のことは無い、長銀、日債銀も元はといえば吉田内閣に発足した“政府系”金融機関だったではないか。

60年近く生きて・・・・・



普通の疑問からそう思う。

民主主義は与えられるものではない。

先の大戦で、あれだけの国民の命を犠牲にして、勝ち得たはずなのに、
現憲法では、米国からの“恩賜”と思わされているところにこの国の欺瞞はある。

さて、僕らの子や、孫にどのような形を伝えるべきかが悩ましい。

【雑感】もうすぐ60、ムスターファ。  


Posted by 昭和24歳  at 08:37Comments(0)

2018年04月07日

【昭和横丁】本日(土)3時にオープン!!

【昭和横丁】本日(土)3時にオープン!!

本日(土)3時にオープン「昭和横丁」オープン!!
やっぱし、「横丁」は街中じゃあないとね(^-^)


「昭和横丁」を立ち上げたのは71歳の昔の少年、高木賢次郎昭和横丁実行委員長は語る。

「もう一度このあたり、にぎやかにしてぇよなぁ」


そう、そのそこの横丁で生まれ育った昔の少年は総天然色の東一条通りを語る。

「俺が高校3年の時俺んちの前に籘五ができてね、ここは高崎郵便局でさ、尤敏っていううんまいラーメン屋があってな俺んちは米屋で北通町から通町、慈光通り、砂賀町まで店がいっぱいあってさ。で、籘五ができると慈光通りには十字屋が銀星座の跡に出来て、さくらやができて、連雀町の四角には高島屋ストアがあってね。まあ、あの時代の横丁は人熱れで毎日がお祭り騒ぎだったね」。

しかし、街中の横丁という横丁は平成の声を聞くようになるとひとつふたつと寂れていった・・・・・

中銀、柳川町がその典型で昔から営業する店は数える程しかない。

「ま、こ洒落たカフェもいいけど屋台は呑兵衛の原点だね。ここはね酒は一合升コップ酒350円。コップから升に酒がこぼれてさチョット得した気分になっちゃってね、呑兵衛はそれが嬉しいんだよ。酒の肴は、柏崎から直送の地モノをリーズナブルな値段で」

プレオープンは2月から土曜日に、寒かったけど屋台に興味を持った若い人から、懐かしがる昔の少年少女で賑やかだったとか・・・・・

本日、4月7日(土)pm3:00~9:00までの本格的オープン、今のところは毎週末の土曜日だけだが出店希望者を募り「金土日」と横丁を開けたいとか、その横丁の主、昔の少年、高木賢次郎氏は言った。

「もちろん、昭和横丁だから音楽もあるよ。そうさ、団塊世代の懐メロと言ったらグループサウンズ、フォークソング、横丁なんだから流しのギターなんてぇのもいいね。演奏したい人は遠慮なく言ってよ」


そんなわけで本日のオープンにはグループサウンズと尺八の演奏があるそうです。演奏は夕方の6時から8時まで・・・・・

そうそう、それと、今月いっぱいの土曜日、「柏崎吉平」がチラシをご持参、先着30名様に柏崎、地モノの「サザエ焼き」か「つぶ貝の串焼き」どちらかをプレゼントとか。

どうぞ、週末、高崎の街中にお越しの際はぜひ立ち寄ってみてください。

昭和24歳も今日は出かけてみます。もちろんエレキ、弾いちゃうよ、ヨロスク( ´'ω'`* )ネッ

【昭和横丁】本日(土)3時にオープン!!
  


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2018年04月06日

団塊世代「最後の審判」

団塊世代「最後の審判」

僕ら団塊は「戦争を知らない子どもたち」のまま終わるのか?
米国の団塊は最後の徴兵世代でベトナム戦争で生死をかけた。
中国では紅衛兵がその世代だ・・・


その意味では日本の「団塊」は幸せだったのかもしれない。
60年安保にしろ70年安保にしろベトナム反戦にしろそれは麻疹のように反体制を吠えるだけだった。
そして昭和50年頃を境にまるで何事もなかったように時代は経済至上主義に浮かれた。

それからほぼ半世紀が今日のこの国の様態、政官財は世襲が支配し、成り上がりの出る杭は打たれる。

田中角栄の時代もそうだったが、田中角栄は・・・・・
ひと握りの明治維新閥のエスタブリッシュメントが支配する政官財にクサビを打ち込んだ。
それが今太閤、コンピュータ付きブルドーザーともてはやされ登りつめた瞬間梯子を外された。
その明治維新閥の薩長同盟は太平洋戦争(大東亜戦争)の敗戦で王政復古の夢が打ち砕かれ皇統派の思想は朽ちた。

今おきている「森友学園」がそれを象徴し、そして憲法改正問題もその一環だ。
あの皇統派思想からなる籠池理事長が運営する「塚本幼稚園」。そこに目をつけたのが現政権の明治維新閥。

籠池理事長からしてみれば、起死回生のひと芝居をうった。首相のご威光を借り、首相夫人を名誉校長にと「瑞穂の國記念小學院」の夢。
残念ながらやることなすことが無茶苦茶だった。それにつけてもなんで時の政権があそこまで入れ込んだのか?
そして鉄壁の財務省がなぜ決済文書まで改竄してまで、いったい誰を守ろうとしたのか。

いや、守ろうとしたのではない、貶めようとしたのだろう・・・・・

その構図は「田中角栄首相」を失脚させた「ロッキード疑獄」と、その内容は異なるが政官の質は同一だ。

要すれば、政治なんて官の道具でしかない。ましてや100兆円からの国家予算の配分権を持つ旧大蔵、現財務省では走狗でしかない。
つまり、官邸はその国家権力を執権する官僚、高級官僚の中のトップクラスが内閣総理大臣を監視している。
政策の要諦は「財務」「法務」そして「警察」が管理監督する、邪魔だと見れば「事件」を仕込み失脚させる、今回もその流れだ。

「外交の安倍」とかだが、外務大臣の経験があるわけじゃあない、閣僚経験は副官房長官と官房長官だけで実務はゼロ。
世襲三代目はそうした役人の敷いたレールの上を歩かされてるだけでしかない。すべての外交はそうした外務官僚が決定する。
小泉政権以降の内閣総理大臣は五人囃子の笛太鼓で上手く踊らなければならない。

それにしてもこの5年間の安倍政権とはなんだったのか。実に空疎だ・・・・・

消費税増税、5~8%へ。そしてデフレ脱却もならぬままに10%にと選挙公約ですと。

まさにそこにあるのは政官財の癒着というか企み。消費税増税分がそっくり法人税減税、高額所得者減税に振り返られている。
国民、4人に一人が非正規、5人に一人が年収200万円以下の貧困層というこの日本社会の現実を、ホントに知らないのかもしれない首相。
いや、自分の周りのごくひと握りの集団しか知らなければ、ホントに知らないのかもしれない。

そして、そんな極ひと握りの官僚を中心とした権力者のほとんどが日本経済高度経済成長期にそこに生まれた子どもたちだ。
止むなきことかも知れないが、その右肩上がりの中に育った子どもたちに創意工夫はない、あるのはズルさだけ。

財政難を言いながら税金をお友達にバラまく。それもけして豊かではない庶民から「広く薄く」巻き上げたお金。

団塊世代「最後の審判」

来年は地方統一選挙、参議院選挙、いや、今年、近々またもや「モリカケ解散」で総選挙があるかもと・・・・・

つまり、団塊世代の僕らにとっては最後の「最後の審判」になるのかも知れない。

そこで「最後の審判」されるのは政治家なのか、それとも「僕ら」なのか?

ま、他人のことは言えないけど、顔だけ年を取っても頭ん中は子どものまんまだから「最後の審判」されるかも。

だったらいっそのこと「最後の審判」下しませんか。顔だけ年寄りで頭ん中子どものまんまの総理大臣と副総理大臣に。

団塊世代「最後の審判」
  


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2018年04月05日

僕らの時代“少年マガジン(昭和34年)”

僕らの時代“少年マガジン(昭和34年)”

少年マガジン創刊号は・・・
駄菓子屋のやまもりで買った。


初めてのアルバイトが新聞配達。
小学校6年の時。なぜか流行っていた。
中学生は牛乳配達、自転車のハンドルの両脇と荷台の上と、やはり両脇に袋いっぱいに詰め込んで。

やはり、満洲帰りの家の子や、戦後分けあって母子家庭になっちまった子や・・・・・
そうした同級生が、兄弟で新聞配達、牛乳配達なんかをやっていたのを真似て。

そう言えば、納豆売り、タマゴ売りなんていうのもあった。
同級生の豆腐屋の倅なんかは豆腐の引き売りを手伝っていた。

八百屋の倅は野菜の引き売りを。
その時代に朝から魚は食わないから魚屋の倅は親父と一緒に市場へ。

豆腐屋の倅は“豆腐臭い”とからかわれ、
魚屋の倅は“生臭い”と・・・・・

いろんな商いやの小倅、小娘がうようよしていた(笑)。
当時は靴なんてほとんど履かないから、下駄屋の娘とかはいいもの着てたね
いろんな商いがあったね、表具屋の倅とか、提灯屋の娘とか、葬儀屋に、煮豆屋(佃煮)。

そうだ大工といえば、頭(かしら)でそこんちのオヤジのオッカネェことと言ったらなかった。
で、からくり紋々、夏場なんかは褌一丁でミズウチなんかしているから町内の皆さん避けて通ります(笑)。
タバコはキセルでキザミを「アタボーヨ」っていいながら、頭、なぜかいつも怒ってた。
別に怒ってたわけじゃあないんだろうけど、頭、それが商売だったのかもしれない。

そう、戦後たったの10と3、4年、ちょうど干支がひとまわりした頃だ。
昭和32、3年のそれ“僕等の時代だった。


https://www.youtube.com/watch?v=Lzl-c0EWIVQ

そうさぁ、相撲だってモンゴルも糸瓜も無い、もちろんハワイもない。

なんたって栃錦が初横綱で若乃花が関脇だ。横綱と言えば吉葉山が引退間際で、鏡里。

今時の理事長八角(北勝海)なんか冗談じゃあない、ガッツンと天下無敵の双葉山が睨みを効かせていた。

脇役だって凄いのがいたねぇ。
三根山、大内山、清水川、若秩父なんか未だ幕にもいない。
朝汐太郎がようやく前頭の二桁で、

だいぶ後のことだが、行事だって凄い。
栃、若の物言いにえらい剣幕で怒ったヒゲの“式守伊之助”・・・・だったかな?

この田舎町にも相撲巡業がきた。場所は城南野球場。
オヤジにせびったがもちろん連れてってもらえるわけがない。
そこで悪ガキ同士企んでこっそり裏口から。
でも、“大内山”でっかかったなぁ。


https://www.youtube.com/watch?v=yDKLFrdbDME

そうだ、力道山も来た・・・・・

力道山を初めて見たのは高商の校庭に設えた特設リング。
もちろん見たといってもガキの僕にはそんな金はないから通り過ぎるのを見いただけ。
MGかなんかで、サーっと高商の正門に消えた。
人気だった豊登の“パッコーーーン”、それを銭湯でよく真似をした。それにスマートな吉村。芳の里の下駄の反則攻撃。
レフリーは沖識名、ユセフ・トルコなんってぇのもいましたねぇ。
そうさ、ジャイアント馬場なんてまだいないアントニオ猪木だっているわけがない。いたのは遠藤幸吉、東富士、そんな相撲上がりが時代を賑やかしていた。

二度目のプロレスは、そう、大相撲といっしょで城南球場。やぱし悪ガキ同士企んで、隙間からこっそり(笑)。
そんときは、スカイハイリーに、ヘイスッタク・カルホーン、ボボ・ブラジルにオルテガ。キング・コングなんてぇのもいましたねぇ。
で、家にテレビなんてありゃあしないわけで、高砂町5本辻のところの魚市場で見せてもらって、たしか5円払ったかなぁ

で、遊びの王様、ベーゴマ、メンコのキャラはそんなののオンパレードでした。

ベーゴマ、メンコっていったらやっぱりご案内の駄菓子屋です。

添加物?冗談じゃあない。
“チクロ”に“サッカリン”をたっぷりとまぶしたソースイカにボタンキョウ、芋羊羹に、未だ謎の一本バシのトコロテン。
さんざ超化学甘味料、着色料、香辛料を喰らったガキだもの今さらなにを喰らおうが胃袋はたまげやぁしない。

あの頃は政治家だって命がけだ。
山口オトヤに日比谷公会堂でテロられた浅沼稲次郎。そうだ、アベちんの祖父さん、岸信介だって刺された。

NHKも朝日も無い(笑)。

まあ的外れと笑われるかも知れないが・・・・・

“相撲”を見ればこのニッポン分かる。

ただのデブのニッポン力士と、どう見たって本気度の違うモンゴル勢。
それに、ロシアだのグルジアだのときた日には日本人力士なんてただのデブ。。
その内とんでもないのが出てくるかも知れない、アフリカとかトンガとかサイズが違う、サイズが(笑)。
まあ、チョンマゲ結えなけれあどうにもならないけど、大砂嵐エジプトだったけ、もったいないことしたね。

しかしねぇ、政治家も官僚も日米講和条約後生まれのウルトラマン世代、事の善し悪しが全くわかってない。
世の中がどう動いているかなんて全くわかってない。落ちるとこまで落ないとわからない。
で、モリカケ騒動だって首相、何がどうしてこうなったかがわからない。
カミさんがしゃしゃり出てああしろこうしろなんだから前代未聞の政治ショー、ごっこ。

まあ、駄菓子なんて食ったことないんだろうね、“チクロ入り”なんて食ったことねぇんじゃあねぇの。
だから、鮨だって「数寄屋橋次郎」ばっかで食ってねぇで・・・・・

たまにはスシローで「鮨くいねぇ」。

僕らの時代“少年マガジン(昭和34年)”

  


Posted by 昭和24歳  at 19:22Comments(0)

2018年04月05日

カジノ王国「グンマー」

カジノ王国「グンマー」

IRだってさ・・・

日本にもカジノ実現? =IR実施法案で与党合意―ニュースを探るQ&A
 自民、公明両党はカジノを中核とする統合型リゾート(IR)の実施法案の内容で合意した。日本にどのようなカジノができるのだろうか。
<抜粋引用:4/4(水) 7:30配信 時事通信>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180404-00000014-jij-bus_all

で、IRって?
ま、なんでも英語にすりゃあいいってぇもんじゃあないけど、「カジノ」なら「カジノ」っていやあいいものを(笑)。
Wikiで検索かけてもIRって・・・・・
国際会議場・展示施設などのMICE施設、ホテル、商業施設(ショッピングモール)、レストラン、劇場・映画館、アミューズメントパーク、スポーツ施設、温浴施設などと一体になった複合観光集客施設のこと。
だそうです。

そんなことはどうでもいいんだが、グンマーこそ賭博、カジノ王国です。最近景気悪くてしょぼいけど(笑)。

ま、その昔、昭和時代には高崎競馬、前橋競輪、伊勢崎オート、桐生ボート、博打、ギャンブルの四天王があったわけです。

で、競馬は農林水産省、競輪は、オートは経産省。ボートが国交省で、サッカー博打が文科省。で、パチンコが公安委員会。

まあ、アベノミクスのデフレ脱却がうまくいかずパチンコもしょぼい、競馬は廃止、競輪はグリーンドームどうなんだろ?

伊勢崎オートも桐生ボートもさっぱりなんじゃあないの?

そんなわけで、「カジノ」作るんならグンマーでしょう。それも前橋都玉村あたりの中間点がいいね。

高崎にはコンベンションセンターはあるし、前橋、玉村なら「玉村スマートインタあるし、もってこいです。

ま、もともとグンマーは博打王国なんだし「カジノ」って言ったら「温浴施設」、伊香保、水上、草津を控えてるし。

で、「温浴施設」併設って、温泉じゃあないの?「特殊」っていうやつですか、「特殊温浴施設」、それなら話がわかりやすい(笑)。

で、なんでも英語にすりゃあいいってぇもんじゃあないんで「MICE施設」だって・・・・・

だから高崎は「MICE」を頂いてるわけでコレ、ミーティング、インセンティブ、コンベンション(カンファレンス)、エキビジョン。

ま、高崎はそのコンベンションセンターを成功させるには大規模宿泊施設を建設しなくちゃあならないしね。

そしたら、前玉カジノができたらホテル建設誘致もかなり楽になるんじゃあないの?

で、東京からは高速、新幹線でいいけど、東北からはコミューター用の飛行場作ったらどうだろうか。

場所は利根川河川敷あたり、そうそう、前橋のヘリポート付近に。

東北の方は福島空港、山形空港、仙台空港、花巻空港(岩手)、青森空港、で、東北じゃあないけど茨城空港、千葉は成田空港。

ま、山梨には空港ないけど、松本まで行けば松本空港(長野)あるし北陸は全県あるし・・・・・

新幹線に圧されて空港、四苦八苦らしいから、そら飛行機の方が早いです高いビルディングもひとっ飛び、スーパーマンです、コミューター。

そんなわけで、前橋市の起死回生はIR「カジノ」ですね。国定忠治の国定村は前橋市、木枯し紋次郎は三日月村といずれも博徒。

前橋市長もグンマー県知事ヨイショしてそのくらいのことしないとダメです。

もちろんカジノの上がり、テラ銭の何割かが前橋市の財政にも役立つ、競輪もうまく利用できるんじゃあないの。

カジノ王国「グンマー」

  


Posted by 昭和24歳  at 15:00Comments(0)

2018年04月04日

懐古する「少年時代」

懐古する「少年時代」

まだ長嶋のいない時代・・・
僕は川上ファンだった。
買ってもらったばかりの赤バットとオヤジ。


昭和30年代です。
ご多分に漏れず、ここ地方都市・・・・・
復員兵の家族や、引き揚げ船の中で娘を亡くしたという満洲帰還者家族。
もちろん戦争未亡人家族も。

闇米で旦那が逮捕された米屋の家族。
選挙違反でお父さんがしょっ引かれた友達の家族。

共同水道に共同便所・・・・・・

ガスなんかありゃあしない、竃にケンタをくべて。
風呂なんかありゃあしない。盥に行水、よくて銭湯。
銭湯は旭町の「東湯」、椿町の「椿湯」。

蝿帳に芋の煮つけ、魚も肉も親父の給料日くらい。
断水、停電はしょっちゅう、年がら年中。

夏はゴムぞうり、冬は足袋に下駄。
遠足にお下がりのズックと接ぎ当てのないお下がりのズボンにシャツ。
汽車に乗って碓氷峠越えの「小諸懐古園」。
小学校4年だった・・・・・昭和33年。

抜けるほどの青い空・・・・・

大雨で雨漏りの度に親父がカンカン照りの中、屋根に登ってコールタールを塗る。
ポッポヤだった親父、休みの日には昼間っから酒を飲み俺を叱り飛ばす。
そんな親父をおふくろが叱り飛ばすそんな日常。

かくれんぼ、三角ベースの野球、馬乗りに竹馬。
38度線ごっこにベーゴマ、ビー球、メンコ。
真っ暗になるまで、泥だらけになって遊んだ遠い日。

アカギレ、田虫、ハタケにトラホーム。
デキモン問屋に蓄膿症。
教師には殴られるし、親父には蹴飛ばされる。

それでも風邪をひいて熱を出そうもんなら、そんな親父も俺を抱きしめながら寝ていた。
おふくろは、りんごを擂ってくれたり、葛湯を作ってくれたり、みかんの缶詰・・・・・・
あの頃は風邪をひいて熱を出すのが楽しみだった。

あの頃は貧しかったけど、時代そのものがとても温かかった。

大人のみんなが怖かったけど、優しかった。

僕はそんな時代を忘れない・・・・・・

懐古する「少年時代」
  


Posted by 昭和24歳  at 22:19Comments(0)

2018年04月04日

駄菓子屋横丁パラダイス

駄菓子屋横丁パラダイス


 高砂町(下)は駄菓子屋が多かった。

 その赤提灯と、対面の「安藤自転車店」をおいて、「山盛、長井」と駄菓子屋が2店、軒を並べていた。並べたと云うよりは、長屋状態で、安藤自転車、山盛、長井、そして持田鮮魚店と棟続きだったように憶えている。

 そうだ、自転車屋の「安藤の浩ちゃん」。何処で自転車屋の修行をしたかは知らないが、僕等が物心付く頃には三〇代そこそこで既に独立していて「社長」。
 今で言うなら青年実業家で威勢がよかった。まあ、横丁の若社長の趣ではあったが、いち早く時代に先駆けてテレビなんかも何処よりも早く入っていて、僕らも浩ちゃんにお嫁さんが車では毎晩のようにテレビを観に寄せてもらっていた。

 安藤の浩ちゃん―――けっこう面倒見が良かった。
 まあ当時のこと、自転車屋と言えば最もハイカラな商売だったに違いない。その内には自転車と花のオートバイの全盛時代。黒金のスクーター、富士のラビット、ホンダのスーパーカブ、カワサキの四気筒混合燃料のピカピカのバイクがその店先に燦然と輝いていた。

 その安藤の浩ちゃん、晩年と言うか六〇そこそこで平成の始まりの頃に亡くなったが、自転車屋の方は時代の盛衰か、ホームセンターに圧され店は閉めていた。
 何でも市内の大型ホームセンターの自転車売り場に勤めているとか言っていたが、横丁の寄り合いなどでは昔の「青年実業家」の面影もなくどことなしに淋しそうにしていたのが今でも気になる。
まあそれも20年から昔のお話ですから、推して知るべしかな、さみしいけれど。

 そうそう、安藤の浩ちゃんは東地区の消防「第四分団」で、時には勇ましい「火消し」の井出達で僕ら子どもたちの憧れの的だった。

「おうっ、みんなもデッカクなったら消防団へえるんだぞっ」

 と、それが口癖の浩ちゃんだった。

 今でもその「安藤自転車店」の店先で、自転車のパンク修理、バイクのエンジン調整をする浩ちゃんの姿、そしてそれをしゃがんで興味深々に見入る僕らの姿が見えるような気がする。
 浩ちゃん有り難う―――合掌


 その安藤自転車店の隣が「山盛模型店」。

 模型店とは言ってもほとんどが「駄菓子」ばかりを商っていた。ただ天井には竹籤を組んで、紙を貼った、ゴム駆動の模型飛行機が所狭しと吊るされていた。

 山盛模型店の駄菓子屋は、小父さんも小母さんも僕等子供達の間では評判があまりよろしくなかった。と云うのも小父さんは模型作りの名人のようで本業は何であったか知らなかったが、後々に長男が「山盛一平」と云う名前で「看板屋」で結構、著名であったことからもその手の有能な職人さんだったのかも知れない。明治生まれのいかにも武骨な「職人風情」の趣をしていた。

 小母さんは、後妻さんで僕等と同世代の息子、5歳くらい年上の兄貴がいたが、とにかく商い屋にしては愛想が悪く、僕ら子どもにはとにかく意地が悪かった。もっともその頃の「ガキ」の僕ら、今にして思えば僕らガキの方が小五月蝿くて始末に終えたもんじゃあなかったのかも知れないが。
 しかし、その小母さん晩年は人が変わったように善いお婆ちゃんになり、数年前に葬送した。

 駄菓子屋「長井」は冬場は一卓だが、「お好み焼」なるものもやっていた。僕より2級上の「明ちゃん」と言う男の子がいた。
 駄菓子の種類は山盛よりはずっと豊富で、小母さんは愛想もよかった。
 やはり、その「長井」で僕等は「駄菓子」の真髄を覚えた。「ソースイカ、ボタンキョウ、サグリ…」と、何でもあった。

 僕が今でも忘れられないのが「ソースイカ」と「ボタンキョウ」。それは忘れられないと言うよりはもう二度と口にすることができない、そんなものへの思い入れからかも知れない。
 戦後の話だ、今のように食品衛生法も糸瓜もあったもんじゃあない。しかし当時、ほとんどの子ども、ガキ連中、なにを食おうがそう腹を壊してひっくり返ったと言った話は聞かなかった。

 もちろん今のように冷蔵庫があるわけではない。
 考えてみれば駄菓子であろうが、食品であろうができ立てのほやほやで「新鮮」そのもの。賞味期限だの消費期限だのも無い。
 思えば、贅沢だったのかも知れない。

 そんな駄菓子屋「長井」・・・・・

 本業、ご亭主は下駄職人だったようで壁、軒には桐下駄やら、朴歯やら、鼻緒の部品が所狭しと並び吊るされていたのを憶えている。本来は下駄屋であったようだ。

 当時は下駄の鼻緒どころか、「歯」まで差し替えて使っていた時代であった。中には、歯を差し込む溝も磨り減って下駄を草履のように、裏に古タイヤのキレッパシを貼り付けてはいていたのも見たことがある。

 もっとも物もない時代だったが、物もとことん大事に使い倒した時代でもあった。まっ、早い話が買い換える「お金」が無かったと言うのが本当のところかもしれなかったのだが。

 思えば「ないほうがある」のかも知れない―――――
 何かが。

駄菓子屋横丁パラダイス
  


Posted by 昭和24歳  at 17:15Comments(0)

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