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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2018年04月10日

昭和24歳「出生の秘密」。

昭和24歳「出生の秘密」。

誰が見ても「似てねぇなぁ」。
その言葉にいつもいわれのない不安を感じていた。


最近、目の中に入れても痛くないほど可愛かった末娘が、カミさんと一緒になって僕に意見する(笑)。

僕の出生の秘密。って言うほどでもないけど、母32歳。僕5歳。

七五三の記念写真です。

誰が見ても「似てねぇなぁ」。
その言葉にいつもいわれのない不安を感じていた。

母は僕を溺愛した。と同時に理由もなく僕をなじったり、叩いたりといった行為をした。理由は分からなかった。
あとでわかるのだが母には母の葛藤があったようだ。

写真に写る母は、実父の妹、大正10年生まれ。つまり養母。
実母は僕を生むと脊椎カリエスでその後10年床に臥した。
自分の病状を知りつつもどうしても僕を手放したくなかった実母。
昭和24年の話です。実母の病状が回復する見込みはなかったらしい。

「大岡裁き」ですね。

実母は僕を何処かへやるんなら死ぬと言ったそうです。
でも死ぬ力さえなかった実母。

僕が生家を離れるとき、その僕を抱きしめてなかなか離さなかったそうです。

「病気が移るから」

との実父の一言に泣きじゃくりながら僕を手放した実母。
きっと生後三ヶ月の僕の産着はその実母の涙で濡れてぐしゃぐしゃになっていたでしょう。

そして僕は子供のできなかった実父の妹夫婦のもとへ養子に出された。

「おばちゃん、病気だからそばに行くんじゃないよ」

それが養父母のいつもの言葉だった。農業と、村唯一の万屋を営んでいた生家。
奥座敷の暗いところに実母は寝かされていた・・・
子供だった僕はそんな実母の眠る暗い部屋を覗きに行こうとすると、養母が鬼の形相で僕の手を引っ張り引きずる。怖かった、いつものい母ちゃんじゃあない。

そう感じてか、それ以来僕は実母の寝る部屋を気に止めることもなかった。

奇跡的にも実母は回復した。その時祖父母は亡くなっていて実母は家事も普通にできるようになっていた。

時期はいつごろだったかわからないが養父が僕を連れて、そうだ梅もぎの時期だった、その手伝いで生家に来ていた。

僕が姉と近所ヘ遊びに行って帰ると、実母の泣き叫ぶ声と養父の怒声が。

「自分のお腹を痛めた子供を可愛がってどこが悪いの」

「約束が違うじゃねぇか」

そこから僕は殻に綴込み始めた。

そして小学校4年の梅の時期に市立女子高に通う姉が僕にギターをくれた。

音楽との出会いの始まり。

何もかも忘れようと夢中になってそのギターをかき鳴らした・・・・・

昭和24歳「出生の秘密」。
  


Posted by 昭和24歳  at 21:12Comments(0)

2018年04月10日

>部落も大阪じゃ同じ、今も。

>部落も大阪じゃ同じ、今も。

結局はその発祥は現代で言えば「ネットカフェ難民」とかじゃあないのかなぁ。
例えば戦国時代は領地に住む農民は兵士として参戦した。そこで生活するために。
一方、事情で土地もない、今で言うなら住所不定無職は戦の度に敗戦兵士の身ぐるみをはぎ、お金にする。夥しい遺体を処理して戦勝領主から賂を。

ここ高崎にも江戸時代からの刑場があった。火葬場もあった。
そこに従事したのはそういう人たちで、必然、その周辺に居住する・・・
ま、江戸時代以前は太平の時代でも日本の人口は2千万人そこそこ。
でも、ある意味ちゃんと法律があって政府が機能していたのは世界では稀有。
首都、江戸元禄の人口が世界でもトップクラスで「100万人都市」。

つまり全国諸藩。都市が形成されるにつれ、士農工商町人という階層に人生の後始末をする職業の階層が生まれる。

いつの時代も運の悪い、間の悪い人間はいるもんで、ただそこに生まれたっていうだけですから本人のせいじゃあない。
そしたら、麻生ちゃんの祖先の大久保利通だって食うや食わずの下級武士でたまたま時代が時代で運が良くて大久保卿になっちゃって、本人は間が悪くて麹町で切り刻まれちゃった。
伊藤博文だって武士じゃあなかったし、気がついたら周りに誰もいなくて初代総理大臣と運が良かったけど間が悪くハルピンで「何者かに」暗殺された。

僕の実家のそばにもそうい部落があった。必要不可欠。

農耕馬、牛の遺体処理。死者の墓掘り。農業で不要になる糞尿の処理等々、現代社会でもなくてはならない存在です。
火葬場に従事する人、清掃工場で働く人。僕らの子供の頃はリアカーに桶を何個も積んで町内一軒一軒汲み取りを生業にしていた人。

>「四民平等」にしたその時から、差別はもっと意識されたのではなかったか。

ま、平民にはそんな時間的余裕はなかったんじゃあないだろうか、差別している時間。
自分たちが生活していくだけで精一杯。
ましてや、電気もなければガスもない時代ですから、ほとんど情報交換はない。噂話だけ。そこは棲み分けていたはず。

国民性の違いだろうけど、アメリカの銃社会の根底に有るのは「差別」。
弱者が強者から身を護るには拳銃しかない。
強姦されそうになった女性が身を護るには拳銃しかない。法律は無力。

差別を形成したのは「統治者」です。
  


Posted by 昭和24歳  at 09:41Comments(0)

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