2018年02月13日

御真影だけどチャーミングでっす。

御真影だけどチャーミングでっす。

留学の経験から母国語の朝鮮語以外に英語、中国語、ロシア語、ドイツ語、フランス語]などを話せる・・・
オラホの内閣総理大臣閣下だって米国、南加州大学へ留学してるんだじょ。

金正恩氏、韓国との関係改善を指示 代表団への対応「素晴らしい」
【AFP=時事】北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン、Kim Jong-Un)朝鮮労働党委員長は、平昌冬季五輪に合わせて韓国を訪問した高官代表団から報告を受け、「和解と対話の温かい環境をさらに醸成」することが重要だと述べ、関係改善の方向性を具体的に示した。国営の朝鮮中央通信(KCNA)が13日に伝えた。

【写真】美女応援団から金正恩氏の妹まで…平昌冬季五輪でみる「北朝鮮狂騒曲」

 金委員長は平壌に戻った妹の金与正(キム・ヨジョン、Kim Yo-Jong)氏ら代表団と面会。その報告に満足の意を表するとともに、韓国側が代表団を「特別に優先してもてなしたのは非常に素晴らしかった」と高く評価した。

 金委員長は「和解と対話の温かい環境をさらに醸成し、引き続き良い成果を収めることが重要だ」と感じていると述べ、今回の代表団訪問を機にさらに南北の関係改善に期待を示した。

 また「北南関係の改善の方向性を提示し、そのための実際的な措置を各方面に対して与えた」という。朝鮮中央通信は措置の具体的な内容には触れていない。【翻訳編集】 AFPBB

<引用:2/13(火) 8:37配信 AFP=時事>
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180213-00000007-jij_afp-int

「すべての選択肢はテーブルの上にある」
All options are on the table.

とかなんだが、つまり安倍ハズし「キックアウト」もオールオプションズ?

そらそうだろ、せっかくアメリカ様が日帝征伐してくれたのに・・・・・

南北朝鮮国民にしたらなんの因果か朝鮮戦争に巻き込まれて挙句70年も分断させれrちゃって。

で、そんときの朝鮮戦争の当事者、マッカーサーも金日成も毛沢東もスターリンとか、主役みんなとっくに死んじゃってるし。

アメ大統領だってその朝鮮戦争が始まった頃生まれてるわけでそんな何も知らない連中が北朝鮮が、韓国がといったところでダメです。

ま、その意味ではマッカーサーにA級戦犯容疑で3年近く殺生与奪の身だった岸信介、その孫の安倍晋三なんて埒外です。

で、朝鮮戦争第三世代の金正恩朝鮮労働党委員長、文在寅大統領にしたら当事者なんだし、そら敗戦国日本政府なんて相手にしません。

で、安倍首相、「平昌パラリンピックが閉会した後に速やかに米韓合同軍事演習を実施するよう求める」って、何様のつもり?

オイオイ、外野から火に油みたいなこと言っちゃってどうすんの、そしたら、その費用は日本政府が負担するってか。

まあ、イラクの時みたいにそうなったらそうなったで貢献させられちゃうんだろうけどね(笑)。

だって、小泉の弟子だし「自衛隊の行くところは安全地帯」みたいな話なんだから、煽って煽って危機的状況って騒いで・・・・・

ミサイルお願いして秋の総裁選めでたしめでたしって行くわけねぇだろう。

ま、貧困化著しい日本国民だってたまったもんじゃあないです。A級戦犯の亡霊みたいのが仮想政府ですから。

で、国会なんだが、佐川国税庁長官も、そんな亡霊にとり憑かれちゃって哀れ。

籠池のオッチャン夫婦なんてとり憑いたつもりがとり憑かれちゃってもう半年も大阪拘置所暮らしです。

精神状態大丈夫なんだろうか、ま、65歳ですかオッチャン。コレって虐待じゃあないんですか・・・・・

籠池のオッチャン夫婦、なに悪いことしたんですか?詐欺ですか?詐欺容疑ですよねぇ。

御真影だけどチャーミングでっす。

  


Posted by 昭和24歳  at 22:08Comments(0)

2018年02月13日

チャルメラなくして高崎の街蘇生せず

チャルメラなくして高崎の街復活せず


「たかさき」でラーメンを語るには、一時、田町通りに軒を連ねた、「夜鳴き」なくしては後も先もない。

「来来軒」。

あれは、昭和の三五、六年頃・・・・・
だっただろうか?

僕の家の傍に住んでいた・・・いや、住んでいたというか、それは「居た」と云う趣であった。
あの時代、それぞれに訳ありのご時世だったし、ご多分に漏れずその来来軒ファミリーもまさにそれそのものだった・・・・・
縦に二畳一間、正真正銘の「うなぎの寝床」の間借。

そんなうなぎの寝床に親子三人で暮らすなんて言うのも別になんとも思わなかった時代だったし・・・・・・
周り中が似たか寄ったかの暮し向きの時代だった。

そのうなぎの寝床の店子の「来来軒」マスターファミリー。
ま、マスターと言ったかどうかは知らないが、そのマスター、なんでも出は良かったようで、高崎の「大店」の「ボン」だったと言う噂はその近所には知れ渡っていた。
来来軒、既に彼岸に旅立ったと風の便りに聞くが・・・その昔、高崎商業高等学校では野球部で腕を鳴らし「甲子園」にも行ったと言う、兵だったらしい。

僕よりも四歳年下の「息子」がその来来軒には居た。
マスターには訳在りの小母さんが時々入替わりに寄せていたが、もちろん「クレイマー・クレイマー」を地で行くような趣であった。
その息子、学校から帰ると健気にも来来軒、親父の「屋台」の支度を手伝い七輪に炭を熾すのも慣れた手つき・・・けして「幸福」とは言ないが、これが滅法明るい横丁の少年だった。
まあ、何処も彼処も似たようなもの、生活環境だったのだから暗くなりようがなかったのだろう。

来来軒のマスターと来た日には、兎に角「酒癖」が悪い。それは「悪い」と言うよりも、多分、酒に「弱い」のではないだろうか・・・〈弱いくせに酒好きで、飲むと人が変わるタイプ〉の人・・・時に良く見かける。

マスター、朝方には、その屋台を枕に酔い潰れている。

「父ちゃん、父ちゃん、風邪ひくよっ」

と、孝行息子。何処までも健気に酔いつぶれた親父を介抱する。

酔っ払った挙句喧嘩でもしたのだろうか、唸りながらブツブツ言ってる来来軒。

「しょうがねえなぁ・・・父ちゃん」

いたわるように呟く息子

「父ちゃん・・・俺、学校、行って来るからね」

と、学校に行く時間になるとそんな孝行息子の優しい声が路地に流れる。

日清製粉の板塀。そこの路地の奥まった所に「来来軒」の屋台はいつも置かれていた。

ある日僕はそんな孝行息子にしばらくぶりに出会った。

「元気ーーー!!」

と、僕に呼びかける無茶苦茶明るい昔の面影を残す来来軒の息子。
その孝行息子も、今度55になると言う。
ラーメンは延びてはいけないが、「幸せ」は延びれば延びるほどよいかも知れない。

その時僕の耳元にあの来来軒の“チャルメラ”がふとよぎった。

♪ピラリーラリ、ピラリラリーラリ♪

来来軒の息子、あの時のままの明るさと満面の笑顔・・・・僕は、その孝行息子にとっておきの元気を貰ったような気がして嬉しくなった。 

ふと目を閉じると、日清製粉の板塀と奥まった突付の日清製粉の社宅を背景の来来軒の屋台。
そんな高砂町、横丁の風情に孝行息子の父ちゃ~~~ん」が聞こえた。 

「本郷軒」

江木の方からは「本郷軒」。ここは2代目だと云う。僕は、「たつみ」が良いと言う方も居られるが、なんと云っても「本郷軒」が好みだ。ラーメンの「上がり」が早い。麺はいつも固めで、スープ味はさっぱり目。本当の「支那そば」って云う感じがする。

夕方5時過ぎ頃には「チャルメラ」を鳴らしながら町内を引いていく。先代は歩いて引いたが、2代目は「ホンダスーパーカブ」を、そろりそろりと横丁を往来した。

「ラーメン屋さ~ん」

あちこちからドンブリを手に屋台を囲む。不思議なもので一人が声をかけだすとつられるように四、五人がいつも決まって集まってくる。
当時は未だ「出前」ものを取るとかと言ったような贅沢は無かったし、子供が三、四人もいた日には「ラーメン代」だけでも大変な額になってしまう。

そんな時に決まって声をかけるのはこれから夜のお給仕に出かけるお姉さんかお兄さん。
どちらかと云えば僕等はそれを羨ましそうに眺めていた口であった・・・・・
もちろんそんなお姉さんお兄さんの暮らし向きは貸間住まい。アパートなどと言う代物ではなかったし「バス、トイレ」なんて言う時代ではないので、銭湯帰りだろうか・・・

「兄さん男前ねっ、チャーシュウおまけしてね」

「あいよ」

と、互い、軽口を交わし、柔肌だったかどうかは知らないが得も言えぬ芳香を振りまきながらそのドンブリを手に順番を待っていた。

「本郷軒」は二代目とか言っていた。

そうだ・・・この親爺も「酒好き」の意気地なし(失礼、そう見えた)・・・そして多分「弱い」のだろう。

その本郷軒、朝方は五時頃まで商っている。出掛けにはその途中、横丁の酒屋でコップ酒をすでに軽く一杯引っかけてくる「本郷軒」。車の通りの引けた頃合を見計らって大通りに屋台を張る。夜も更けて九時、十時が食べるなら丁度の時間かもしれない。

「午前様」を迎える頃ともなるとあとはいけない。あとは「へべれけ」で、目を据わらせながら「麺」を上げている。そうなると、折角の「本郷軒」のシコシコ麺もさっぱりスープあったもんじゃあない。

「親爺っ、このラーメン伸びてるぞ」

なんて客が文句のひとつも言おうものならさあ大変。

「なにを…じゃっ、ラーメンもうオシメエだっ。やならよしゃあがれ、ゼニはいらねぇ」

と、言ってさっさと火を落として提灯を消しちゃう本郷軒。

兎に角酒が入るとコロッと変わっちまうのだから始末が悪い。普段はどちらかと云うと物静かなお兄さんなの本郷軒なのだが。このところ、話も聞くことはないが、どうしているだろう。

チャルメラなくして高崎の街復活せず

チャルメラなくして高崎の街復活せず  


Posted by 昭和24歳  at 09:52Comments(0)

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