2017年04月12日

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【4.28】プレ金「みゆきダンスホール復活!!」

【4.28】プレ金「みゆきダンスホール復活!!」


<主な演奏曲目>
長い髪の少女・夕陽が泣いている・想い出の渚・君に会いたい・ブルーシャトウ・僕のマリー・スワンの涙・ナナ・ストップザミュージック・悲しき願い・渚のボードウォーク etc


「みゆきダンスホール」

高崎の街にも200人の米兵が進駐、連雀町四つ角の高島屋ストアではGIカットが。
で、相馬が原からの米軍撤収が昭和33年9月だから昭和24歳は9歳でした。
当然、終戦(敗戦)から昭和33年までの柳川町は米兵の慰安所でしたから、そらGIブルースでした。

米軍撤収、その後昭和33年と言えば昭和24歳は9歳でした。
その頃、高崎街中にはダンスホールが数軒あったらしいが僕らが色気づいた頃には中銀の「みゆき」と砂賀町の「社交」。

「みゆき」は中銀、中紺屋町のパチンコ屋の2階にあって昭和10年代生まれのお兄さんお姉さんで賑わったとか。
しかし、まあその時代のバンドはハワイアンバンドで中にはアコーディオンがあったり・・・・・
東京では「山下敬二郎、平尾昌晃、、内田裕也」等々のロカビリー全盛時代だったんだけど、まっ、高崎ってローカルだったし。

で、僕のダンスホールデビューは16歳。「みゆき」ではありませんでした。
「みゆき」はその当時ダンスホールとしてはバンドもお客のお兄さんお姉さんももう一方の「社交」よりハイグレード。
僕のデビューはグレードしたの「社交」。その社交にはホッチキスのマックス工業にハワイアンバンドがあって・・・・・
そのバンドのリーダー、水野さんっていうお兄さんが僕の家に来て今度「アパッチメンズ」っていうバンドを作るので手伝ってくれと。
なんでも、社交のオーナー関口さんから「エレキバンドやれ」とのご下命があったとか。

そんなこんなでアパッチメンズに参加した僕はチャリこいでエレキ担いで砂賀町の社交まで。
そう、社交はまさしく不良初年少女のたまり場でほとんどが高校生。今時はないだろうが、高商、高工の番長争い(笑)。
そんな番長主催のダンスパーティー、今はないけど石原の「群馬観光ホテル」で何度か。

で、「みゆき」デビューは18歳の時で、これも近所のお米やのお兄さんからのお話で・・・・・
「プラネッツ」つうバンドで、ドラムがプロになるとかで東京へ行っちゃっていなくなったので手伝ってやってくんねぇか。
まあ、それがどんなバンドかは全く知らなかったけど、行ったらいわゆる「グループサウンズ」流行りの。
で、どんな曲やってるのかっていうと、まあ、昭和42年です、ストーンズやらが中心のバンド。それが始まり。
あれから50年です。いろんなことがありましたね。

平成29年の今、米朝戦争とか言ってますけど、当時はベトナム戦争真っ盛りで、高崎中銀高度経済成長で絶好調。
高崎に本格的デパート、藤五百貨店ができて2年目屋上ビアガーデンも盛況でしたね。
で、スズランができて八木橋ができて、十字屋、田原屋、月賦の緑屋、街中には喫茶店がわんさか、百花繚乱の時代でした。

【4.28】プレ金「みゆきダンスホール復活!!」  


Posted by 昭和24歳  at 12:59Comments(0)

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