2017年02月09日

下々から見た戦後史①

下々から見た戦後史①

ネクストクルーザーは、空冷・単気筒49ccのエンジンをフロントに載せ、前進3段・後進1段のセミオート変速機でつなぎ、チェーンを介して後輪を駆動させるオフロード車。乗車定員は1人で、「公道走行可」「車検・車庫証明・重量税・取得税 一切不要」「最高速度50km/h」「ヘルメット・シートベルト 不要」「新車乗り出し価格 39万8000円」といったコピーがおどる。(レスポンス)
https://carview.yahoo.co.jp/news/motorshow/20170205-10259851-carview/

戦後、占領軍が、なのか小賢しい日本新政府の輩なのか・・・・・

高度経済成長が終わって、戦後世代の中枢にいた吉田茂世代が去った祭のあと。
つないだのが田中角栄、福田赳夫、大平正芳、まあ、ピンチヒッターの鈴木善幸、宇野宗祐はともかくとして風見鶏、中曽根康弘で日本社会は大きく転換した。

それが今日の「介護社会」を生み出しているともいえる。

つまり、「分断統治」の始まりだ。

「核家族化」「ニューファミリー現象」はこれまでの「家族」という概念を打ち壊した。
団塊世代という昭和22年から24年までに生まれた凡そ1,000万人からの新人類一世が核となりその高度経済成長時代の消費者であると同時に新たな日本文化の創造者でもあった。

彼らが労働市場に参加するようになる昭和40年は日本市場は百花繚乱の趣。
そんな彼ら団塊世代を吸収しても足りないほどの労働市場がそこに出現していた。
時はベトナム戦争、70年安保、そして連合赤軍と世の中騒然としてはいたが、一方冷めたグループはシラケきっていてそのコアな団塊世代も分断され学生運動に気勢を上げる階層とビートルズ等洋楽に傾注しロックにのめり込む階層とに分かれ「イマドキ」を形成した。

実態は詳らかではないが佐藤栄作長期政権の終焉と沖縄返還(昭和47年)、そしてサイゴン陥落(昭和50年)事実上アメリカの敗戦で「ベトナム戦勝終戦」。それは日本戦後史のターニングポイントだった。
それは政官財のトップが明治世代から大正世代へと変遷する時代であった。
そのことは本来、佐藤栄作政権の後継者は福田赳夫と目されていたが大正6年生まれの田中角栄が新生ニッポンへとシフトした。

つまり、高級官僚でもない、閨閥でもない「今太閤」と囃され、叩き上げ、成り上がりと揶揄されるも事実上、中曽根政権終了、竹下内閣発足の昭和62年までロッキード事件で有罪判決を受けるも政界には暗然とした勢力を有していた。
中曽根康弘内閣総理大臣の禅譲での「竹下登政権」だったが、事実上、そこが戦後二度目の日本社会のターニングポイントだった。
当然、政官財の中枢が入れ替わり、その様は政治権力の質を大きく変容させた。

そして今日、その政官財多くの分野で、不思議なことに「団塊世代」の姿が見えない。
政治家も世襲以外に団塊世代のそれは見えない。どうしたことなんだろうか。

つまりアドミニストレータというか、敗戦後占領軍に赦された階級の支配が長く続き・・・・・

自民党政権の汚職腐敗体質が吹き出した時点で自民党が下野し細川護熙政権の誕生。
それはあたかも国民のための政治が開かれたかのように国民には映ったが、その細川政権を創り出した小沢一郎政治はそもそもが根っこが自民党体質。
それが選挙制度改革で「中選挙区制」から「小選挙区制」に変化させた段階で戦後、成り上がり政治「田中角栄闇将軍政治」はその支配者階級の政治からあえて言うが国民ファースト政治がスタートし、権力そのものが田中角栄に集中し支配者階級は失権し、その後、平成の時代に入り与野党くんずほぐれつイカさま政党の合従連衡が繰り返され少数政党が政党交付金欲しさに作られ政治の腐敗は、益々進み一国の首相が「ヤクザ」の力を借りるといったことから国民の政治不信は頂点に達した。

しかしおかしなことに再び小沢一郎の登場で鳩山由紀夫政権の誕生は小沢一郎のシナリオ。

まあ、団塊世代です。菅直人、少し若いが野田佳彦のアマチュア政治はあっけなく崩壊、まっ東京電力福島第一原発爆発という事件もあったが、見る影もなく分裂し、政党名まで変更するという醜態を見せ政治勢力を弱体させたのが今日の減少。
どこの誰が書いたのかはわからないがシナリオはへんてこりんな辞任をし終焉させた安倍晋三政権がゾンビのごとく蘇生した。

不思議なことに1000万人から言われる「団塊世代」の姿はまるで見えない。

財界、経団連会長は戦中生まれ、まあ、官僚はところてんだから天下りの算段しかしていないから評価しようがないが、政界は世襲、世襲、のオンパレード・・・・・
ここも、今や政治家というよりは若旦那の組合の様相を呈している。つまり言えることは自分のところの「永田町中央銀座通り」だけ繁盛すればよいという腹積もりのことしかできない。

下々から見た戦後史①
  


Posted by 昭和24歳  at 22:58Comments(0)

2017年02月09日

イノシシ「高崎サファリパーク」開園!!

イノシシ「高崎サファリパーク」開園!!

「オマエはまだタカサキを知らない!!」
イノシシに震える市街地 捕獲、連絡ルール化
 イノシシが群馬県内の市街地に現れ、人に危害を加える状況が頻発していることを受け、県が市街地出没を想定した対応指針をつくり、年度内にも運用を始めることが8日、分かった。市町村や警察などの連絡体制整備をはじめ、役割分担を明確化し、捕獲や追い払いをする際の注意事項をまとめる。危機感を募らせる県は、県民がイノシシに遭遇した場合の行動や通報の在り方、心構えなども盛り込み、万一の場合に生かすよう促す。

<中略>

イノシシ被害を巡っては、昨年11月に桐生市内の60代男性が襲われて死亡。12月に高崎市貝沢町に出没した1頭が自転車に乗った高校生ら4人に軽傷を負わせた。10月にはJR高崎駅周辺に現れた1頭が逃走後、立体駐車場の屋上から落ちて死ぬ騒ぎもあった。

<抜粋引用:2017年2月9日(木) AM 06:00>
http://www.jomo-news.co.jp/ns/7114865648837331/news.html

>10月にはJR高崎駅周辺に現れた1頭が逃走後、立体駐車場の屋上から落ちて死ぬ騒ぎもあった。

まあ、中山峠では子連れの日本シカは出るし安中の方へいくとタヌキも。

つまり、高崎市っていうか榛名、妙義地域、が超限界集落化しているからでした。

それどころか昭和40年代から開発され始めた高崎市郊外の分譲住宅団地がほとんど高齢化しちゃって・・・・・

アレです、いわゆるドーナツ化現象とか言われていたそれが「バームクーヘン化」してます。

街中の住居地域、空き家だらけですからイノシシにしてみたら里山状態。

典型が、その街なかの東西南北中央、小学校の児童生徒数の減少。ほとんどが20名前後で単学級。

まあ、東小だけはマンション群が立ち並び児童生徒数は増加してるけど高崎人は少ないんじゃあないの?

そんなわけで、山間地に人がいなくなっちゃって、さらに市街地郊外も人がいなくなっちゃって・・・・・

そら、イノシシも、タヌキも、シカも、サルも、ああ、ツキノワグマもね。言ったら、人がいなくなって「自然化」しちゃってるわけです。

なんだったら、トランプ大統領みたいに高崎市の市境に壁を作るしかないんじゃあないの(笑)。

イノシシ「高崎サファリパーク」開園!!
  


Posted by 昭和24歳  at 13:00Comments(0)

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