2017年01月04日

戦後昭和の「高崎事変」

戦後昭和の「高崎事変」

昭和26年冬「祖父と僕」

「現役世代、若いクリエーターは興味がないみたいですね昭和の風には。」

いやっ、実は僕ら世代もそうでした・・・・・
父母世代、あの時代は生活することだけで精一杯でしたから父母たちには自らの人生を楽しむ手段はなかった。
当然、昭和30年代、朝鮮特需とか米ソ代理戦争と欧米の植民地経営の終焉。
そしてその後の中東戦争、ベトナム戦争等々独立をめぐっての南北、東西民族紛争。
日本国内も60年安保、国鉄の遵法闘争。僕のところは「ポッポ屋ファミリー」でしたので小学生のころから新聞の騒ぎで親父たちは騒いでました。
そんなわけで父母世代は「人生を楽しむ」なんていう余裕はなかった・・・・

それらが一変したのが1970年あたりからですね。
しかし豊かになり始めたころ、大正生まれの父母は50代。親父は大正元年、子年ですから55歳、定年でした。
母は、パートで叔父の経営していた「川崎家具」にパートタイム。
まあ、親父は退職するまで母を仕事には出しませんでしたけど、「人生を楽しむ」術は知らなかった。
もっとも、戦争が終わって世の中、社会が一変したことが「人生の楽しみ」だったのかもしれませんけど。

そんな時代、僕が小学校3年の頃国鉄の組合が慰安会で毎年旅行に連れてってくれました。
それと、前橋、群馬会館では毎年「歌謡ショー」。渡辺ハマ子(志那の夜)、藤島タケオ(月の法善寺横丁)・・・・・
神戸一郎(別れたっていいじゃないか)、何てったて、桐生出身の初代コロンビア・ローズ(東京のバスガール)が華でした。

その時代、昭和14年生まれの姉たちは女学校を出るとフードセンターに就職し洋装を習いに須藤技芸(現在の群馬女子短大付属高校)へ。
をして日曜日には当時は青年団に、ダンスホール通い(笑)。
何とその頃ここ高崎にはダンスホールが3軒、それが「みゆきダンスホール」「社交ダンスホール」「フロリダ」。
そこそこ時代が経つと姉たちは結婚、上の姉が出産したのが僕が中学2年の時、12歳。
そのころ姉夫婦は東京渋谷区本町6丁目で夫、義兄は伯母の家の経営していたタイル工業で修行・・・・

まあ、いよいよ高度経済成長、建築ラッシュ、高速道路、新幹線建設。新宿、戸田浄水場跡には京王プラザホテルが建設されたころ。
商売に目ざとかった義兄は3年の修行で高崎に帰ってきて「タイル工事会社」を設立。
高崎は分譲建売住宅建設ラッシュです。とにかく儲かった、けど「バブル」でした昭和51年には倒産、自殺。

そう、姉たちの「楽しみ」はやはり想像できなかった。
でも、高度経済成長でしたから、自分たち世代の市場は自分たちで創造した。
しかも、昭和40年初めから団塊世代を含め2000万人の市場が出来上がっていた・・・・

今日、現役世代の市場は縮小するままです。
僕ら世代は横尾忠則、山本寛斎、高田ケンゾー、下山紀信等々、昭和10年世代が膨張する団塊世代を中心としたネオジャパン市場を席巻した。

そして高度経済成長も陰り僕らの父母世代がリタイヤする頃になると消費はハード、モノからソフトへと変じた。

昭和2年生まれの電通プロデューサー藤岡和賀夫はバリバリの現役だった43歳(昭和45年)に旧国鉄の「ディスカヴァー・ジャパン」をプロデュース。
そして同じく旧国鉄のキャンペーン「フル・ムーン」は大正世代起用「上原謙・高峰秀子」「二谷英明・白川由美」はひとつの時代を象徴した。
さらに昭和53年の団塊世代を対象とした「いい日旅立ち」(歌:山口百恵・作詞作曲:谷村新司)をプロデュース。
その楽曲はTV・CFに流れ出すと当時年間数百万組という結婚披露宴の定番ソングに・・・・・

とにかく日本市場そのものが若さあふれる時代だった。
ここ高崎も旧市街地に藤五百貨店、スズラン百貨店、八木橋百貨店、十字屋百貨店、高島屋、ダイエー、ニチイ、田原屋と群雄割拠、栄えた。
街中には喫茶店が立ち並び、中央銀座通りは買い物客で溢れ、その時代を象徴するかのように、大型家具店「オノヤ、川崎、大川、宝船家具」が旧市街地に。

そして平成29年が明けて・・・・・
旧市街地は静まり返り、中央銀座通りは崩壊、街中に喫茶店は皆無。
気が付けば、その時代、昭和40、50年代の主役はすべてが高齢者、年金生活者、まさに蟄居状態。

そらそうです。節約しなかったら生活もままならない、デフレ下にスタフグレーションは実質物価の高騰。
非生産者層にカウントされる団塊世代はこのままひっそりと生きていくのか、そして息絶えていくのか。
しかし、これまで経験したことのない「第二の戦後」が今だ。それは余りにも膨張した被社会保障人口が戸惑いを隠せないでいる。

今週金曜日、「高崎 club FREEZ」現役世代のロックンローラー2バンド、プラネッツでライブをする。
毎年正月恒例でやってる。30代、40代の彼らにはお世辞かも知れないけど「初めて聴くサウンド、新鮮ですねぇ」と言ってくれる。
持ち時間は30分、今年の「ケン・高木」のパフォーマンスがどこまで彼らに通じるか・・・・・

この街をどうにしたら「Evolution」できるか?
このままでは絢爛豪華な箱ものの老朽化を待つだけで僕らのいなくなった2050年どう変わっているのだろうか。
僕ら世代の行政官僚はここまでしかの都市計画しか構想してない。

戦後昭和の「高崎事変」
  


Posted by 昭和24歳  at 11:46Comments(0)

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