2017年01月03日

少林山ダルマ市とイソップ物語「よくばりな犬」のお話

少林山ダルマ市とイソップ物語「よくばりな犬」のお話

静けさや・・・・
縁起ダルマの少林山。

だるびっちゅ(-_-;)

街中だるま市始動 1、2日に高崎駅西口
群馬県高崎市は来年元日と2日、JR高崎駅西口駅前通りで「高崎だるま市」を初めて開く。街中の同市田町でだるまを売る様子は1829(文政12)年の文献でも確認されており、歴史を踏まえた新たな名物となりそう。駅前での開催は県外からアクセスしやすく、日本一の生産量を誇る高崎だるまを全国に発信する機会として、関係者の期待も高まっている。

<中略>

 220年の歴史があり、高崎の年始めの風物詩として知られた少林山達磨寺(高崎市鼻高町)の七草大祭だるま市と、高崎だるま市は別の開催となる。二つの行事に分かれた背景にあるのは、運営をめぐる関係者の考え方の相違だ。

 2015年1月までは少林山達磨寺が主催する七草大祭だるま市に、県達磨製造協同組合と露天商団体が出店し、だるまなどを販売してきた。だが、出店条件をめぐって折り合いがつかず、露天商団体と寺側の意見が対立。今年1月の行事では露天商団体と同組合が出店を見送った。結果、だるまの露店がほとんどない異例の状況となり、例年の盛り上がりとは程遠いものになった。

 伝統の祭りが途絶えることに危機感を持った高崎市は融和を呼び掛けたものの事態は動かず、9月に同組合などとの協議を経て駅前通りでの開催が決まった。

http://www.jomo-news.co.jp/ns/9314830211387719/news.html

>運営をめぐる関係者の考え方の相違だ。

まあ、運営とかだが、ココも確か観音様の慈眼院と一緒で墓地がないから檀家もいない?

寺院の運営とかは、寄進と賽銭だけなのかも、それとも高崎市の指定文化財とかだから行政から補助金も?

それにしても寺院も近代化っていうか、ビジネスですから大変なのは大変です、収入源の確保。

僕もある事情であの少林山達磨寺の梺で商売させてもらった頃があるんだけど・・・・・

そら、6日、7日と稼がせてもらってました。露天では「なめ猫」が賑やかな時代でした。

とにかく、年末の12月、新年の1月は露天商稼ぎ時です。ちょいとした小商いだったんだけど・・・・・

露天商、いわゆる「テキヤ」で、日本全国から大小数百店が集まる、ショバ決めは地元のテキヤの親分が決める。

ナント、その親分が同級生でして僕んところの軒先で割り振りするわけです。

北は釧路から、小樽から、北見から、八戸から南は沖縄、鹿児島、熊本等々、まあ、キャラバン隊ですね。

で、僕んところの商いはそんなテキヤキャラバン隊の「賄い」でした。

まあ、テキヤさん、商売が商売だから、そら、ガラは悪かったけど、丁度3年もやってると年に一度だけど顔見知りになります。

そんなキャラバン隊にも親分がいて、さすが気風がいいっていうか、若い衆の食い扶ちは全部面倒見るわけです。

胴巻きから5万円くらい出して「コレでやってくれ」って。そういう親分衆で2日間というもの満席でしたね。

そら、一夜にして数十万人が参拝するわけですから鼻高、八幡地区の経済効果はすごいです。

それだけじゃあない、今から30年前で俄か仕立ての駐車場、田んぼです。一台500円~700円。

まあ、農家のいい副収入だったんじゃあないでしょうかねぇ・・・・・・

で、何があったんだk知らないけど、薄々、ピーチクパーチクで知ってるけど、早い話「達磨寺」お賽銭だけでもすごいわけ。

それに、だるま製造組合、露天商組合の寄進、それが多いの少ないのでスッタモンダして、それがあれこれして(笑)。

で、使用済みの縁起ダルマの供養にもお賽銭のほかに別途お金を頂戴するとか言ってたし。

まあ、昨今、葬儀でお寺に頼むと「価格表」提示されますから、それはそれで仕方ないのかなぁとは思うんだけど。

よく知らないけど、噂だけど、少林山達磨寺も、近隣の駐車場貸していい小遣いになってたお百姓さんも儲け飛んじゃって・・・・・

なんか、イソップ物語の「よくばりな犬」のお話みたいでした。チャンチャン(笑)。

少林山ダルマ市とイソップ物語「よくばりな犬」のお話

  


Posted by 昭和24歳  at 12:37Comments(0)

2017年01月03日

「もりや食堂閉店」たかさき団塊世代の記憶遺産

「もりや食堂閉店」たかさき団塊世代の記憶遺産


焼きそば人気店 60年の歴史に幕 高崎の「もりや食堂」
 昔ながらの焼きそばが人気だった群馬県高崎市新田町の「もりや食堂」が六十余年の歴史に幕を閉じた。店主の柳沢美根子さん(72)が昨年3月、股関節の手術を受けるために休業していたが、術後も思うように動けなかったことに加え、調理器具の老朽化と後継者の不在を理由に決断した。柳沢さんは「再開を待ってくださったお客さまには大変申し訳ない」と話し、寂しそうな表情を浮かべる。

◎市民の忘れられない味 再開へ努力もかなわず
 もりや食堂は、柳沢さんの両親の森谷重三さん、ひでさん夫妻(故人)が1951年ごろに開店。ひでさんが作り上げたという名物の焼きそばのほか、定食のおかずとして焼き肉やメンチ、ハムエッグ、ポテトサラダなど20種類以上の家庭的な一品料理を提供していた。焼きそばの名物店としてテレビ番組に取り上げられたこともあった。

 近年は柳沢さんと長女の貴子さん(46)で切り盛りしていたが、柳沢さんが昨年11月ごろから長年悩んできた右脚の痛みに耐えられなくなり、今年3月に手術を受けた。当初は5月の連休後にも店を再開し、焼きそばだけでも提供するつもりだったという。

 再開できないまま時間だけが過ぎていき、左脚にも痛みが出てきたことから10月に閉店を決断。11月に高崎市保健所に廃業届を提出し、今月19日に店舗出入り口に閉店を告知する用紙を張った。

 柳沢さんは「幼い頃から手伝ってきた食堂は私のふるさと。これまでにいろいろな人と出会えた。素晴らしい思い出を胸に第二の人生を歩んでいきたい」と話す。

 高校生の時から訪れている市内の男性(52)は「閉店の情報を聞いて驚いている。何度も食べた焼きそばの味が忘れられない」と残念そうに話していた。

<引用:上毛新聞 2017年1月2日(月) AM 06:00>
http://www.jomo-news.co.jp/ns/3314831858172895/news.html

>「もりや食堂」が六十余年の歴史に幕を閉じた。

「とうとうその時が来た」という感じかなぁ・・・・・

たかさき・団塊世代の「記憶遺産」です。

去年は「赤羽楽器」が閉店、まあ、昔ながらって言えば末広町の中華の「大連」閉店、もっと前は中銀の「らっちゃん」閉店。

そうだ「オリタ」の焼きそばも女将さんが亡くなったとかで今はオヤジさんが「焼きまんじゅう」を商っている。

柳川町の「富士久」も終了、やきとりの「万作」も終了。昔ながらって言ったら残ってるのは柳川町の「時々」くらいだろうか。

まあ、中華って言ったら、だいたい「チャーハン」で決まる。

「来々軒」も終わって、その線だと「精華軒」と「萬来軒」別館くらいだ。あっ、大類の「大将」を忘れてはいけない、昔ながら。

まあ、好き好きだが、高崎の団塊世代の記憶遺産、僕にとっては2軒、そのうちの一軒は・・・・・

郷土料理「いろり」(末広町)と、やきとり「ささき」(通町)、とんかつの「永寿亭」(新田町)、中華「松島」(若松町)等々。

それにしても、もう一度食べたいとかすかな希望を抱いていたのだが、記憶遺産になってしまったとは残念だ。

「もりや食堂閉店」たかさき団塊世代の記憶遺産
  


Posted by 昭和24歳  at 10:47Comments(0)

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