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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2016年09月02日

横丁のビバリーヒルズは3DK風呂付き庭付き、ニワトリ小屋付き

横丁のビバリーヒルズは3DK風呂付き庭付き、ニワトリ小屋付き


横丁「ビバリーヒルズCircle

♪ 納豆~、なっと、なっとぅ~ ♪

歌うようなおばさんの甲高い声で僕の横丁の朝は始まる。

目の前に日清製粉の工場、その工場に張り付くように申し訳程度の横丁・・・・・
それは、横丁というよりは「路地」の趣だ。

昭和32年、僕が小学校3年のころの季節なら初夏。

「納豆、買っておいで!!」

母はそう言うと5円を僕に手渡した。

「辛子と青海苔忘れるんじゃあないよ!」

そんな母の注文を背中に玄関から下駄ばきで「カランコロ~ン」と飛び出す・・・・・・
まあ、玄関ったって、間口一間程度の、滑車の引き戸でたてつけはヨロシクない。
開けるのも大変なら、閉めるのも大変という代物だ(笑)。

納豆売りのおばさんは九蔵町の方から来る。
で、おばさんはその、横丁というか路地の奥まったところにある、日清製粉の社宅で「たまご」を仕入れて、
それから商いを始めるのがおばさんの日常であった。

どうして、日清製粉の社宅で「たまご」かって言うと・・・・・

日清製粉はその名の通り「製粉工場」なのでその加工の過程で「フスマ(?)」とかいう、
ちょうど、ニワトリの餌になる廃棄物が大量に出てしまう。
そこで社員に、つまり養鶏させてその産廃を処分すると同時に、社員も副収入になる。

そんなわけで、おおよそ20戸ほどあった横丁のビバリーヒルズ。
その社宅ではほとんどが庭にニワトリ小屋をしつらえて鶏しながら、その「たまご」を卸売し。
おそらく丸々太ったニワトリは鶏屋さんへ。

昔は、っていうかその頃は牛肉どころか豚肉もほとんど食べられる経済環境にはなかったので、
「鶏屋」などという商いがあって、その鶏肉は結構珍重されていたらしい。
そういえば、僕の横丁っていうか、高砂町にもその「鶏屋」さんがあって、そこで処分される・・・・・・
哀れなニワトリの末路を、そのころ眺めていた記憶がある。

鶏屋のオジサンは、ニワトリの首をギュッとワシづかみにしたかと思うと、出刃包丁でチョンとその首をはねる。
ニワトリは瞬間、「ギャッ」みたいな鳴き声を上げるが、またたく間に逆さづりにされて血抜き・・・・・・
あっという間に、羽もムシラレテ、よく見る無残な姿と相成る。

まあ、そんなわけで、当時の栄養源といえばニワトリの「たまご」、そして「納豆」だった。

納豆売りのおばさんは竹で編んだ乳母車に仕入れたばかりの納豆と、たまごをいっぱいにして・・・・・・

♪ 納豆~、なっと、なっとぅ~ ♪

と、僕の前にやってきた。

おばさんは、経木に三角に包まれた納豆を開くと、ブリキの茶筒からのりをササッとふりかけ、
アルマイトの弁当箱から辛子を、チョチョイっとその折りたたまれる経木の端にのせた。

「ボク、たまごはいいのかい?」

おばさんはいつもそう訊く、まあ習慣なんだろうけど・・・・・・

そう、僕のお遣いは、納豆を買った後もう一つ、それは洋ちゃんちへ「たまご」を買いに行くことだった。

おばさんが新聞紙に包んでくれた、いくらか温もりのある納豆を母に渡すと・・・・・

「洋ちゃんちでたまご、二つ買っておいで」

(洋ちゃんは同級生)

そういってたまご専用の手提げと10円を僕に。

「落すんじゃあないよ、走るんじゃあないよ!」

そんな母の注意を背中に玄関を再び飛び出す・・・・・・

洋ちゃんちはその路地のとっつき、横丁のビバリーヒルズ。

木戸をあけるとビバリーヒルズには似合わないガサツなマダム、おばさんがニワトリ小屋でたまごを集めていた。

「産みたてだよ、ほらっ」

そういってマダム、おばさんはたまご専用の手提げに二つたまごをそっと入れてくれた。

「洋ちゃんわ?」

「洋太郎かい、今ご飯食べてるよ・・・・・・たまごかけご飯でね。」

たまごかけご飯・・・・・・

おばさんのその言葉に僕のお腹が「ググゥ~」と鳴った。

僕は、「たまごかけご飯」が大好きだった。

実は子どものころは納豆は好きではなかった・・・・・・
口の中はネバネバするし、父も母も僕の大嫌いなネギは入れるし、青のりは臭いし。
で、たまごは二つ。父と母が納豆に混ぜる分と、僕の「たまごかけご飯」の分。

「はじめちゃん、走っちゃだめだよ、落としたら割れちゃうからね!!」

そんなおばさんの注意を背中に木戸をあけて、「カタッ、カタッ」とゆっくりと歩き始めた。

そう、その横丁のビバリーヒルズにはほぼ同い年の邸宅に住む令息、令嬢がいた。

女の子ばかりの姉妹4人の根岸さんおじさんはなんでも工場長の運転手をしているんだとか。
おばさんは人の良さそうな世話焼きのタイプ・・・・・
で、その隣が「洋ちゃんち」で同級生の洋ちゃんは男女の双子でまさ子ちゃん。
茂雄ちゃんという弟が生まれたんだが、おばさんの実家へ養子に行ったんだとか。

そのお隣が田中けい子ちゃんちで僕より一級上。僕より一級下の妹がいたが名前は失念した。
そして弟のひさおチャン。おばさんは物静かなおばさんでおじさんは謹厳実直そうなサラリーマンの趣。

で、そのお隣が、ご案内の横丁、ビバリーヒルズきってのおボッチャマのマコちゃん、妹のすみ江ちゃん、たえ子ちゃん。
おばさんはいかにもといった趣で横丁、ビバリーヒルズのマダム風・・・・・・
おじさんは背中に長尺のモノサシでも指したかのように、背筋をピンとさせ絵に描いたような昭和のおじさんだった。

ちょいと行ったとこに、一級上の女の子と6つくらい年上の兄さんのいた鈴木さん。
市川さん、小田切さん、いずれも同年代の令息令嬢の横丁のビバリーヒルズだった。

「ポッポーーーッ!!」

日清製粉の塀の向こうに蒸気機関車のモクモクとした煙が立っている・・・・・・

昭和32年、僕が小学校3年のころの季節なら今頃だっただろうか。

「納豆~、なっと、なっとぅ~」

そんな夢の中の売り声に目が覚めた今朝は、暦は「今はもう秋」。

横丁のビバリーヒルズは3DK風呂付き庭付き、ニワトリ小屋付き
  


Posted by 昭和24歳  at 12:01Comments(0)

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