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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2016年08月27日

昭和の風「平成の大勲位」

昭和の風「平成の大勲位」


演壇に座り平成の大勲位に・・・・・
ケツを向ける無礼な裕次郎(昭和40年)


スポーツカー「MG」に跨る若き日の平成の大勲位

高砂町は南北に広い。恒例の「毎日元旦駅伝」のある国道356、駒方街道を跨いでもまだ高砂町なのだ。
その辺りで南北に分かれどちらかと言うと北は豪邸の立並ぶ「お屋敷町」の趣き。

そこには末広町とは背中を合わせてあの平成の大勲位「中曽根康弘元内閣総理大臣」の事務所があり・・・・・・
その大勲位のお建てになった「青雲塾」なる会館もそこにある。
大勲位と言えば、僕が小学校の頃は選挙と言えば高砂町「五本辻」で決まって演説をされていた。
高砂町の五本辻の辻角には渡辺薬局、魚市場、朝日材木店、堀越塩専売所と煙草屋が。
確かそこには赤い郵便ポストが立っていて、向いには鰻の寝床のような飯島靴製造所があった。隣に碓井理容店。
子どもだった僕はよくは知らないがあの辺りの横丁のスーパースターの趣の当時の大勲位。当時は科学技術庁長官。
そう、高崎に「原子力研究所」を作る作らないとかの頃ではなかったか。

それは、今から50年チョイほども昔の話だから、大勲位、その時、御年40、アラフォーで、そんな時代のある選挙の時の話だ。
高砂町五本辻での演説に大勲位、白塗りだったかクリーム色だったかのスポーツカー「MG」(だと思ったが)に。
まさに跨るようにして「白馬の騎士」よろしく颯爽と万雷の拍手歓声の中来た。

「え―――っ、高砂町、そして山田町のご町内の皆さんぁ―――ん」

白っぽい高級な背広に身を包み、背筋をシャンっと伸ばすと、ちょいと顎を引いた風にして白手袋に襷がけでそう切出した。
その襷には「衆議院議員候補中曽根康弘」とある。
まあ子どもの僕らにしてみれば、まだ自動車だって物珍しい時代だって言うのに、なんとスポーツカー、それも「外車」。
格好いいのなんのって半端じゃあなかった。しかも身の丈はそん所そこらの横丁の親父よりは頭ひとつデカイ。
マイクロフォンを握らせればあのバリトンがかった、一語一語がはっきりとした物言い・・・・・・
近所のオバサンときた日には「ぽーっと」なっていたようないなかったような(笑)。
それに、高砂町と言えば、婦人会の「あやめ会」。それは「中曽根康弘ファンクラブ」の趣き。
それこそ横丁の玉三郎、と言ったかどうかは知らないが・・・・・横丁、路地裏のご婦人方のアイドルであったことは「間違いない」。
大勲位、お生まれも、お育ちも、高砂町のお隣、末広町の貴公子だ。
高砂町、山田町、末広町とそのご婦人方の中には小学校当時の同級生も沢山居られたご様子で、横丁のオバサンたちの・・・・・

「やっちゃ~~~ん、やっちゃ~~~ん」

〈素敵―――っ!〉

と、言ったかどうかは知らないが、そうした黄色い声が耳元に残っている。
きりっとした太い眉毛、目鼻立ちはどう見ても横丁のそれではない。
まあ、大勲位が大勲位だから取巻きの後援者もこの街の名士と言うよりは、ノリノリの「若旦那衆」の趣。
で、そんな戦後昭和の横丁に、突然として、いきなり大輪の花が咲いたような感じだった。

時々、テレビで見る大勲位。大勲位も既に百歳?大分お疲れのご様子。
そして、その「あやめ会」とかのファンクラブの横丁のオバサンたちは鬼籍に入ってしまっている。

そんな横丁は・・・今はない。風に踊る風見鶏も。

昭和の風「平成の大勲位」

  


Posted by 昭和24歳  at 11:01Comments(0)

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