2016年05月28日

広島オバマ演説と乖離する現実

広島オバマ演説と乖離する現実



オバマ大統領広島訪問 およそ17分に及ぶ、歴史的なスピーチ
現職のアメリカ大統領として初めて、オバマ大統領が広島を訪れた。
平和公園を訪れ、原爆慰霊碑に向かう、オバマ大統領。
安倍首相と言葉を交わしながら歩いている時の厳しい表情からは、決意のようなものがうかがえる。
そして、初めて現職のアメリカ大統領が、原爆慰霊碑の前に立った。
原爆の犠牲者たちに、花をささげた大統領は、スピーチを行った。
オバマ大統領は「よく晴れた雲のない朝。空から、『死』が舞い降り、世界が変わってしまいました。閃光(せんこう)と炎の壁によって、町が破壊されました。わが国のような、核保有国も、恐怖の論理から逃れ、『核兵器のない世界』を追い求める勇気を持たなければなりません。私が生きている間には、この目標は達成できないかもしれません。しかし、たゆまぬ努力で、迫り来る大惨事の雲を晴らすことができます」と述べた。

<抜粋引用:フジテレビ系(FNN) 5月28日(土)1時14分配信>
http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/fnn?a=20160528-00000987-fnn-int

>空から、『死』が舞い降り、世界が変わってしまいました。

その叙情的な言葉はそこでのげんじつに大きく乖離する。

「核廃絶」という現実離れした人間の持つ魔性はその大統領の演説をせせら笑う・・・・・・

もちろん大統領も本心ではないはずだ。

「私の生きている間は」と言ってるように、それは「不可能」だと言っているに等しい。

そもそもこの世界が大きく変わったのはまだ日本国が江戸時代だった頃の英国に発祥した「産業革命」だった。

そして、それは大量破壊兵器を開発しまずは大英帝国が七つの海を支配する。

ご案内だろう、今日の中東、北アフリカ、シリアはその時の清算が済んでいないからだ。

科学文明の発展とともに化石燃料の独占がそこの帝国主義の植民地政策とともにそこに紛争をもたらした。

今日の欧州、とくに仏英等で発生する同時多発テロは未だそこに答えを提供しない白人至上主義社会、思想への反抗だろう。

翻って日本を顧みれば江戸末期、英米仏の草刈り場になったのが徳川幕府政権だった。

その意味では「軍事国家」であった徳川幕府のその軍事力は「武士道」でしかなく・・・・・・

欧米帝国主義の大量破壊兵器の前には敢え無く門戸を開かざるを得なく、徳川幕府終焉、そして明治新政府のはじまり。

そもそもアメリカ合衆国は欧州、大英帝国から見たら後進国に過ぎなかった。

いわゆる「貴族社会」というものは当然ない、欧州からの移民で構成されていた、その意味では「難民」に等しい。

で、1823年「モンロー主義」とかなんだが、せっかく自由を求めてアメリカ大陸に来たわけだから大英帝国とかからはあえて孤立する政策をとった。

まあ、その後ゴールドラッシュ、オイルラッシュで目がくらんだっていうか、それが現代の終わりのない戦国時代です。

どんなに金持ちでも、大富豪でも精々70年、80年です。ほんのひと握りの豪族、貴族が金のためなら何でもするわけです。

宗教もそう、思想もそう、その理想とは裏腹です。

まっ、その意味では日本は救われている、特有な民族性なんでしょうねぇ地球上のどこよりも平穏に過ごしている。

先の大戦にしたって、日本民族は欧米人のように武力を持って戦争をして侵略略奪は努努思わない。

それは国内にあっても戦国時代というのがあったがそれ自体が意味不明で、そこかしこに共存共栄の思想は働いていた。

まあ、アメリカというか西洋は武力を否定しない。アメリカ合衆国は未だ「銃社会」。

つまり、あの日米戦争にしてもその背景には日常的に銃を使う権利を主張するという思想だろう。

まあ、銃を持ったら撃ってみたい、どれくらい威力があるものなのか。

原子爆弾を作ったら、実際に使ってみたい。どんな効果があるのか。そしてたしかに当時の大日本帝国も原子爆弾開発途上だった。

そのことから言えることは、日本政府の外交の稚拙さですね。

それが証拠に今日の今日まで、戦争責任をいうもの、取るものが誰ひとりとしていない。

オバマアメリカ合衆国大統領の演説はポエムで、実に心地よいものだった。全てを水に流す・・・・・

わびさびの世界。それが日本、恨みつらみは言わない、どこか不思議な民族ですねぇ。

広島オバマ演説と乖離する現実

  


Posted by 昭和24歳  at 19:55Comments(0)

2016年05月28日

【米政府指令】まちづくり3案は「まち壊し3法案」

【米政府指令】まちづくり3案は「まち壊し3法案」


チェンジ!!
<↓の文章と↑の画像は関連性がありませんm(_ _)m>


都市計画法
都市計画法においては、その種類・目的に応じて、特別用途地区を市町村が柔軟に設定できることとなった。例えば、大規模小売店出店のできない地域を「色分け」で示すことも可能となった。
大店立地法
大型店の新規出店について、店舗面積などの量的な側面での商業調整ではなく、生活環境面(交通、騒音、廃棄物、その他)のみからチェックする。ただ、地域社会を形成していくには、大型店も含めた小売商と地域との協調が必要と考えられるが、こうした観点・仕組みがないという指摘が当初からあった。
中心市街地活性化法
中心市街地活性化法は、空洞化・劣化が進む中心市街地に対して市町村が関係者との協議のうえ、「基本計画」をつくり国に認定を求める仕組みである。国では関係省庁が連携して集中的な施策が講じられることになった。認定された活性化策の実施主体としてTMOという新しい機構が導入された。

>TMOという新しい機構が導入された。

なんだそれ、「TMO」って、何でもかんでも英語にすりゃあいいって言うもんじゃあない(笑)。

「YMO」なら知ってるけど、「TMO」って「タカサキ・マジック・オーケストラ」?

まあ、「タウン・マネージメント・オーガニゼーション」とかなんだが、さっぱりわからん。

もちろん中央の行政官僚、地方の行政職員、議員が意味がわからないように作ってる政策用語ですから。

1998年施行の法律とかだが、まあ、高崎で思い出してみると・・・・・

倉賀野に大型駐車場スペースを完備した“Mr Max”が盛大にオープン。

ちょうど長女が大学進学で家電を揃えるのに行列した覚えがある。

で、確か、矢中の“APITA”は末娘が2歳の頃の1996年だったからそれなりに重宝した。

しかしその時期をおおよそ同じくして駅前のダイエーが1994年に撤退すると・・・・・

同じく駅前の“ニチイ”も事実上撤退、江木の“パシオス”も撤退する。

当然街中の、いわゆる百貨店、大型店舗は八木橋、十字屋、田原屋、ビビ(藤五伊勢丹)も、

高島屋とスズランを残すのみとなり高崎の街から消えた。

まあ、それが「超デフレ」の始まりでしょうか、程良い成長は完全に葬り去られた。

当然、それら高崎中心市街地の大型商業施設に従事する社員も失業した。

そればかりではない、それら大型商業施設がひとつのコアとなり、街中の商店街を活性化させ。

一つの例としてはモータリゼーションと核家族化によるドーナツ化現象に伴う自動車による中心市街地の買い物客の急増問題。

行政もそれに対応すべく烏川河川敷に広大な駐車場を整備し「パーク&ライド」構想をたてた。

しかしそれは次々と郊外に建設されるショッピングセンターで、構想段階で幻に終わった。

確かに、核家族化していわゆるニューファミリー族(団塊世代)が郊外の団地へと移居していったが・・・・・

その地域に豊岡、八幡西部エリアではスーパー「とりせん、堀田屋」。片岡、石原エリアは「マツセー(現・フレッセイ)、両水」と。

郊外という郊外には食料品を中心とした大型スーパーが立ち、「セキチュー、カインズ」等のホームセンターも。

しかし、それでも当時は賑やかさ、華やかさを求めて「街へ行こう」という空気があった。

それが、わずか30年あまりで中居団地にしろ鶴辺団地にしろ、豊岡、鼻高、城山etc、そこには「平成の過疎地」高齢化社会のサンプル現象が露となっている。

まあ、良かれと思ったかどうかは知らないがそこの「都市計画」とやらで、街中も廃墟と化し、

そしてドーナツ化現象のドーナツの輪っかもスカスカになろうとしている。

つまり、今日、喧しい“TPP”とやらもその平成初期の大店法改正と商法労働法改正の副作用にのたうち回る今日のデフレ不況のようにさらに大きな弊害をもたらし、根本的にこの国の姿を変質させかねない。

農水省試算でもそのTPPによる農業の損失は4兆円超ともいわれ、

経産省試算のTPP効果によるGDP押上が10年で3兆円ではそのTPPとはそれだけで1兆円の「マイナス」。

しかも、関税撤廃(今もほとんどゼロ関税)による農産品の低価格化でますますデフレが促進され、

当然、価格低下による売上減で従業員、労働者の賃金は低下せざるを得ない。

まあ、今の高崎の街中を見れば、そこに見える将来図はおおよその予測が立つ、歴史から。

「まちづくり三法」という法律が一体どんな法律なのか、そして誰のための法律だったのか?

小泉自民党政権下だった論調された米国政府による日本政府への「年次改革要望書」の存在・・・・・・

つまり、グローバルスタンダードとかなんだがその「まちづくり三法」は行政にも地元の地主にはタナボタ法律だった。

つまり、倉賀野の工場跡地の地主、矢中の農家、棟高の農家には莫大な借地料が入るし行政には固定資産税、法人税が。

で、今更「改正まちづくり3法」とかなんだが、もうそこには「まち」がない。

そこで、中心商店街の再生から中心市街地への商業施設、共同住宅、教育機関、医療機関、官公庁などの都市機能を集約していく・・・・・

つまり、「コンパクトシティ構想」です。そしたら「中心市街地への商業施設」って高崎の場合「駅前イオン」でした(笑)。

まあ、散々に街中を破壊し尽くしておきながら「改正まちづくり三法」では街が再生するわけがない。

コインパーキングだらけの街中、マンションだらけの街中からマイカーでイオンショッピングモールへお出かけですか(笑)。

人の住まなくなった、住めなくなった無機質な「街」に人は集まらない。

人は人肌を求めて、その空気を求めて「人」のいるところへ集まる。

やっぱり、「改正・まちづくり3法」で八間道路、田町通り、本町通り、中銀、あの辺更地にして「スマーク高崎」作らなくちゃあ。

夜店も、えびす講も、七夕も、きっと賑やかになるよ、そしたら、「お江戸見るなら高崎田町・・・・・」。

【米政府指令】まちづくり3案は「まち壊し3法案」

  


Posted by 昭和24歳  at 12:19Comments(0)

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