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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2016年05月02日

青年は荒野をめざした。

青年は荒野をめざした。



ジャズ・ミュージシャンを目指す二十歳のジュンは、ナホトカに向かう船に乗った。モスクワ、ヘルシンキ、パリ、マドリッド…。時代の重さに苛立ちながら、音楽とセックスに浸る若者たち。彼らは自由と夢を荒野に求めて走り続ける。60年代の若者の冒険を描き、圧倒的な共感を呼んだ、五木寛之の代表作。

1967年の著作。来年で50年を迎える・・・・・
僕が初めてアメリカに行ったのが昭和49年の冬だった。
今でもそのアメリカが鮮明に脳裏に焼き付いている。

大西君

ふと・・・そんな時代を思い出して可笑しい。昭和45年。

大西君はたしか岡山出身の三年生だった――――――

「僕は新潟港からナホトカへ・・・
そしてハバロフスクからシベリア大陸を横断してモスクワへ・・・」。

そう言って大西君は大学ノートにきっちりとスケジュールを書いて「日記」の書き出しにしていた。
まさにそれは五木寛之の“青年は荒野をめざす”を熱っぽく俺に語ると大西君は“グイッ、グイッ”と飲みかけのコカコーラ・ホームサイズを瞬きしながら空けた。

「モスクワから先はどうするんだ?」

と、俺が訊くと・・・・・

「とりあえずは“ヘルシンキ”までなんだ」

どうやらその先には道がないようだった。

「自分で道を創りながら・・・・・だから『夢』なんだよ」

と、一升瓶を枕に“ゴロン”と寝転ぶと見開いた“夢いっぱい”大学ノートで顔に被せながら言った。

大西君――――――

下宿には空の一升瓶がいつも2、3本転がっていてそれを枕にごろ寝しているのであった。
親からの仕送りもそのほとんどが「酒代」に化け、家庭教師のバイト、レストランのウエイターのバイト・・・・・
夢とは裏腹に、「夢」のための「資金繰り」には程遠いが、そんな大西君には“現実”よりも“夢”という若さのほうが彼には漲っていた。

そんな大西君だたが4年生になると早々と就職活動、なんでも“近畿日本ツーリスト”に内定をもらっていた。
その後風の便りにはどうやら旅行会社で“荒野”をめざしているとか聞いた。

昭和44年。沖縄返還交渉が決まり、アポロの人類初の月面着陸。
東大闘争で大学側が警官隊を導入、警視庁が東大・安田講堂の封鎖を解除・・・・・安田講堂事件。

そんな当世、若者の熱情は“ガリポリ派”の学生運動家と “ノンポリ派”の体育会系、カタカナ文字文化系が所謂“団塊世代”善きにつけ悪しきにつけ世相を賑わすそんな時代だった。
その大西君が勉学に勤しんでいた大学。

田舎の学校ではあったが学生運動の「流行」はご多分に漏れず校門に「バリケード」を設えさせていた。
考えてみれば、有難いことかあり難くないことかはともかく、1年間というもの丸まる授業がなかったそんな時代。

どうやら、あの時代「二通り」の夢があったようだ・・・・・

荒野をめざす「青年の夢」と、日本を開放し米帝と戦い「インターナショナル」を実現する夢とが。

まあ、その“インターナショナル”の方は見せかけのそれはともかく“ガリガリ”の“ガリポリ”は地下に潜伏し、
『浅間山荘事件』や『赤軍リンチ事件』、『よど号ハイジャック事件』、『テルアビブ乱射事件』と。
それはそれとしてそっちの方は“夢”から逃れられずに今もいるが故郷恋しと重信房子(70歳)懲役20年。

一方、“ノンポリ”の大西君派・・・・・もちろんそこには僕も入るのだが、“夢と現実”の掛け持ち・・・・・
あの頃の夢を成就した者はまれではないだろうか(笑)。

“未だ掛け持ちの僕“

だから・・・・・それはそれでよかったのかも知れない。
どちらの夢も「流行り病」か「ハシカ」のようなもので、互い相容れぬもののようではあったが過ぎてみれば今時、安っぽい居酒屋での酒の肴にはどうも具合が良いようだ。

しかしそんな時、どうもその「インターナショナル野郎」のほうが、酒癖が悪いのが「糸、可笑しい」。

その“俺”はシベリアの荒野ではなく「音楽」と云う大海に帆を上げた。
残念ながら始末の悪い「羅針盤」しか仕度出来なかったせいか、そう、未だ、座礁に接ぐ座礁の航海真っ只中。
知った者に云わせれば・・・・・

「おまえのは、航海じゃあなくて『後悔』じゃあねえのか」と。

うまいことを言う。まさにその通り、“航海”じゃあなくて“後悔”、
ついでに言わせてもらえば懺悔の日々・・・・・

俺の二十歳の日記は扉で終わったまま・・・
さて、何時からその先を書き綴ろうかと思案に耽る今日この頃。
それこそ・・・・・自分が終わってしまったら何にもならないから。

時々思い出す大西君も遅生まれだから今年で68歳の好々爺になっていることだろう。

青年は荒野をめざした。

  


Posted by 昭和24歳  at 16:51Comments(0)

2016年05月02日

スタバ、ユニクロ&TSUTAYAが街中を蘇生する(コペルニクス)。

スタバ、ユニクロ&TSUTAYAが街中を蘇生する(コペルニクス)。



東京株、一時1万6000円割れ
2日の東京株式市場で、日経平均株価は4月12日以来約3週間ぶりに一時1万6000円を割り込んだ。 
時事通信 5月2日(月)9時20分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160502-00000024-jij-biz

まあ、政府、年金だのマイナス金利だので国民のカネ突っ込んで株高円安だったけど・・・・・
そら、タネも仕掛けもあるアベノミクスなんだから2万円の大台とか言って1万6000円だから2割溶けちゃいました。
まあ、最大の社会保障費が年金なんだから積立金パーにしちゃったら消費税で回収です。
政治家と官僚が寄ってたかって証券会社とグルになって手数料です。上がっても暴落しても手数料ピンはね。
まあ、いいです。消費税分消費が落ち込みなすから。10%って分かりやしぃからもっと落ちるかもGDP。

そんなわけで連休とかで街中ガラガラです。

環状線、ロードサイドでも車が停まってるのはスタバとユニクロだけ・・・・・・

昼時だって、シャンゴ、ちょっと前ならかなり行列できてたんだけど本店4,5人が並んでるだけ。

それだもん街中はぺんぺん草が生えてます。「鬼の子」もスカスカ。

まあ、行政が「街中活性化」とか言ったって肝心のショップがないしショッピングもできません(笑)。

慈光通り、レンガ通りからマックが、モスが消えて久しいです。

街中の限界集落化象徴してますね、商店の消滅。

簡単な話で「商売にならない」からです。新星堂は終わっちゃったし、そう言えばロッテリアってまだあったけ?

さやモールだって、うなぎの銀直が終わって、西沢とかの和装店が終わった。

で、スタバとユニクロときたぁ日には街中って言っていいのかどうかなんだが、駅ビルだけ。

コンビニだってあのハイエナのセブンだってフランチャイズ置かない、現金なもんです(笑)。

悔しかったら、行政、中銀にコンビニ開店させたら、スタバ、ユニクロオープンさせたら、「街中活性化」のために。

中銀をLAの「メルローズ」みたいなお洒落なショッピングストリートにしたら。

さやモールだっていいです。あそこにスタバ、ユニクロ、gu、オノヤのあったところに「イケヤ」なんていうのもいいし・・・・・

学陽書房だったところに「TSUTAYA」なんかをスズランと一体化させて、モールにしちゃう。

スカイビルだって地下にフリーズがあるんだから、1F・2FがTSUTAYAでその上を若い起業家のパイロットショップ、展示場とかに。

まあ、1F、グランドならオープンカフェにも使えるし、スカイラウンジだって絵画、写真等の展示スペースに開放。

まっ、東西駅前再開発に数百億円からかけるんだから数十億円で片がつくんじゃあないの?

で、メルローズなんだけどブランド物も売ってるけどお洒落なな古着も、おしゃれなカフェも並んでました。

そんなわけで「スタバ」「ユニクロ」&「TSUTAYA」を強引に誘致すればある程度活性化するかも、街中が・・・・・・

ハコは市長のツルの一声でなんとかしろよ。テナントの家賃は歩合制でいいじゃないの、下手な所に税金使わないで。

スタバ、ユニクロ&TSUTAYAが街中を蘇生する(コペルニクス)。

  


Posted by 昭和24歳  at 13:24Comments(0)

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