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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2015年05月18日
維新崩壊「儲かりまっか?」「儲かりまへん」(笑)。
維新崩壊「儲かりまっか?」「儲かりまへん」(笑)。
大阪府知事・市長を選ぶダブル選挙で、圧倒的な支持を集めた橋下徹大阪市長と大阪維新の会。次期衆院選挙の台風の目として、第三極である彼らの動向から目が離せない。だが新聞・テレビは、橋下劇場の人気にあやかろうと、「大阪都構想」の矛盾や「道州制」の黒い目的、中身のない「国家構想」を追及しない。「大阪維新」の真の目的とは?橋下タブーを乗り越える真実一路の調査報道。劇場型政治家の「虚像」を暴く。
「政治家は終了」と明言=会見で時折笑みも-橋下大阪市長・「都構想」反対多数
・・・・・一方、都構想に反対した自民党大阪府連からは安堵(あんど)の声が漏れた。市内で会見した同府連の竹本直一会長は「自民党の勝利というよりも、公明党、民主党、共産党、いろいろな団体が思いを同じくして闘った結果だ」と説明。花谷充愉自民党府議団幹事長は「市民が真っ二つになる大変嫌な投票だった」と振り返り、「しこりが残らないように頑張っていかないといけない」と語った。
<抜粋引用:時事ドットコム 2015/05/18-01:08)>
ソース:http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015051800014
>ハシモトさん、先の行程がないのでしょうね。
「小沢民主党潰し」が「維新」だった。
20年前とだいぶ政治に対する国民感情が変わった。
民主党、小沢幹事長政権の時は壮絶な情報発信力で「官僚体制」を震え上がらせた。
高速道路無料化案や社会保険庁の解体、石油特租税の廃止案、農家の戸別保証制度案等々。
そして最大の懸案だったのが国の事業の地方自治体への全面移譲。
すなわち、小さな政府、「中央集権体制改革」だった。
しかし、時すでに遅しで、政治体制も、環境も、そして政治の質も大きく変容、変質していた。
1993年8月「細川護煕」連立政権樹立。自民党下野。
もちろんシナリオ、演技指導、総監督兼プロデューサーは「小沢一郎新進党代表」。
まあ、烏合の衆とまでは言わないが「呉越同舟政権」との見方はあたらずとも遠からずだろう。
菅直人、鳩山由紀夫世代が40代。先の民主党政権の中核はまだ初当選か、その姿形すらなかった。
結果、その過程において「日本社会党」の消滅は政治支配構造のシナリオ通りだった・・・・・
結局、その細川連立政権もスキャンダルで潰される羽目に。
そしてその政治舞台は「反小沢」「親小沢」で区別され、本来の政治とは本末転倒、身内の争いごとに終始した。
まあ、公明党も解体して、「公明新党」「公明」と偽装し、その「公明」は小沢代表の「新進党」に合流。
当然「社民党」も消滅で、なんとも奇態な連立政権の出来上がってしまった。
それは、ジャーナリスト「カレル・ヴァン・ウォルフレン氏」のいう、
「誰が小沢一郎を殺したか」であった。
結局、自民と政権が復活するわけだが、そこから延々と「ねじれ」が続くことに。
「自社さ政権」。まあ、無節操な政権でした(笑)。
「自自公政権」。強欲な政権です。結果、終わってみたら何も残らなかった。
いや、それどころか、そこに「第二の敗戦」と言われた所以が。
自民党政権「橋本・小渕・森内閣」、そして「小泉内閣」というエモーショナルな政治を誕生させた。
この壇に至って完全なる「世襲政治」。「統治」という体をなしていない、隷属がより鮮明に。
そして「安倍・福田・麻生政権」と来ては、最早その体裁を繕うことも不可能となった。
結局、そこのところに民意は敏感だった。
けして饒舌ではない「小沢一郎民主党代表」に民意は大挙した。
維新崩壊「儲かりまっか?」「儲かりまへん」(笑)。
大阪府知事・市長を選ぶダブル選挙で、圧倒的な支持を集めた橋下徹大阪市長と大阪維新の会。次期衆院選挙の台風の目として、第三極である彼らの動向から目が離せない。だが新聞・テレビは、橋下劇場の人気にあやかろうと、「大阪都構想」の矛盾や「道州制」の黒い目的、中身のない「国家構想」を追及しない。「大阪維新」の真の目的とは?橋下タブーを乗り越える真実一路の調査報道。劇場型政治家の「虚像」を暴く。
「政治家は終了」と明言=会見で時折笑みも-橋下大阪市長・「都構想」反対多数
・・・・・一方、都構想に反対した自民党大阪府連からは安堵(あんど)の声が漏れた。市内で会見した同府連の竹本直一会長は「自民党の勝利というよりも、公明党、民主党、共産党、いろいろな団体が思いを同じくして闘った結果だ」と説明。花谷充愉自民党府議団幹事長は「市民が真っ二つになる大変嫌な投票だった」と振り返り、「しこりが残らないように頑張っていかないといけない」と語った。
<抜粋引用:時事ドットコム 2015/05/18-01:08)>
ソース:http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2015051800014
>ハシモトさん、先の行程がないのでしょうね。
「小沢民主党潰し」が「維新」だった。
20年前とだいぶ政治に対する国民感情が変わった。
民主党、小沢幹事長政権の時は壮絶な情報発信力で「官僚体制」を震え上がらせた。
高速道路無料化案や社会保険庁の解体、石油特租税の廃止案、農家の戸別保証制度案等々。
そして最大の懸案だったのが国の事業の地方自治体への全面移譲。
すなわち、小さな政府、「中央集権体制改革」だった。
しかし、時すでに遅しで、政治体制も、環境も、そして政治の質も大きく変容、変質していた。
1993年8月「細川護煕」連立政権樹立。自民党下野。
もちろんシナリオ、演技指導、総監督兼プロデューサーは「小沢一郎新進党代表」。
まあ、烏合の衆とまでは言わないが「呉越同舟政権」との見方はあたらずとも遠からずだろう。
菅直人、鳩山由紀夫世代が40代。先の民主党政権の中核はまだ初当選か、その姿形すらなかった。
結果、その過程において「日本社会党」の消滅は政治支配構造のシナリオ通りだった・・・・・
結局、その細川連立政権もスキャンダルで潰される羽目に。
そしてその政治舞台は「反小沢」「親小沢」で区別され、本来の政治とは本末転倒、身内の争いごとに終始した。
まあ、公明党も解体して、「公明新党」「公明」と偽装し、その「公明」は小沢代表の「新進党」に合流。
当然「社民党」も消滅で、なんとも奇態な連立政権の出来上がってしまった。
それは、ジャーナリスト「カレル・ヴァン・ウォルフレン氏」のいう、
「誰が小沢一郎を殺したか」であった。
結局、自民と政権が復活するわけだが、そこから延々と「ねじれ」が続くことに。
「自社さ政権」。まあ、無節操な政権でした(笑)。
「自自公政権」。強欲な政権です。結果、終わってみたら何も残らなかった。
いや、それどころか、そこに「第二の敗戦」と言われた所以が。
自民党政権「橋本・小渕・森内閣」、そして「小泉内閣」というエモーショナルな政治を誕生させた。
この壇に至って完全なる「世襲政治」。「統治」という体をなしていない、隷属がより鮮明に。
そして「安倍・福田・麻生政権」と来ては、最早その体裁を繕うことも不可能となった。
結局、そこのところに民意は敏感だった。
けして饒舌ではない「小沢一郎民主党代表」に民意は大挙した。
維新崩壊「儲かりまっか?」「儲かりまへん」(笑)。