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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2015年05月05日

【鬼畜両親】息子3歳を監禁致死は世も末

【鬼畜両親】息子3歳を監禁致死は世も末




足立男児不明:両親逮捕…監禁致死容疑 異例、遺体未発見

  東京都足立区で2年前から行方不明になっている男児を虐待し死亡させたなどとして警視庁捜査1課は28日、いずれも無職で父親の皆川忍容疑者(31)と妻の朋美容疑者(28)10+件を監禁致死と死体遺棄容疑で逮捕した。遺体が見つからないまま監禁致死容疑で立件するのは極めて異例。

<中略>

◇定職なく困窮、「言うこと聞かない子」虐待

 捜査関係者によると皆川忍容疑者(31)は足立区内のホストクラブで働いていたことがあり、客として店に来た朋美容疑者(28)と知り合って結婚した。次男の玲空斗君は3人目の子で、他に未就学児4人も含めて現在6人の子がおり、忍容疑者は定職についておらず家計は苦しかったという。

 夫婦は玲空斗君を監禁し死なせたとされる時期から1年3カ月後の14年6月、死亡を隠し児童手当や生活保護費計約43万円をだまし取ったとして詐欺容疑で逮捕されており、調べに「次男の死亡を届け出ると受給額が減ってしまうので届け出なかった」と供述した。

 他にも子供がいる中でなぜ玲空斗君が狙われたのか。忍容疑者は2014年10月、当時3歳の次女を虐待した容疑でも逮捕されたが、朋美容疑者は「玲空斗と次女は他の子供より言うことを聞かなかった」と供述している。

 元児童相談所長でNPO法人「児童虐待防止協会」の津崎哲郎理事長は「他の子供は育てているので、それなりの愛情は持てているのだろうが、経済的困窮など家庭生活のストレスが『育てにくい』と感じた子に向かったのではないか」と分析する。
<抜粋引用:毎日新聞 2015年04月28日 11時30分>
ソース:http://mainichi.jp/select/news/20150428k0000e040176000c.html

>他に未就学児4人も含めて現在6人の子がおり、忍容疑者は定職についておらず家計は苦しかったという。

まあ、「家計が苦しかった」って、そういう問題ではないだろうと思うんだが。

足立区っていうところは今までにもいろいろあって、ホント、訳分かりませんね。

それにしても、まあ言っちゃあなんだけど行政の責任は大です。

無職とかなんとかってぇより普通に働いて43万円の収入はかなり難しいですし、43万円あったら・・・・・・

しかも、生活保護だったら、公共料金はタダ、保険料もゼロ、当然家賃分も支給。

もちろん区民税もかからないし、給食費も無料、学校に通ってもほとんどタダなわけですから、苦しいわけがない。

まあ、年間にしたら500万近いわけですから、30代サラリーマンそこからケツの毛まで抜かれてるわけだし(´Д`;)

>『・・・・・経済的困窮など家庭生活のストレスが『育てにくい』

だから、どこが経済的困窮なのかNPOの理事長とかもいい加減なことを言ったる場合じゃあないわけです。

まあ、働いて収入があったら生活保護費減額されちゃうから働かないんだろうけど・・・・・・

まっ、普通に夫婦共稼ぎで働いて、子供を3人いて、習い事に通わせて、家、車のローン払ってそれでも一生懸命生活してる。

僕の次女のところがそうです。生活保護費43万円て聞いたらびっくりしてました。しかも生活に係る公共料金、税金類がオールフリー。

まあ、子供には罪はないとは言え、確実に「連鎖」するかもしれませんね・・・・・・

この二人の父母、もしかしたら「連鎖」なのかもしれません。この父親母親の両親は一体どうだったんだろうか。

31歳と28歳のまだまだ若い身の上、まあ、それでいて6人も子供ってビッグダディですけど(´Д`;)

少子化とか言ってるけど、どうするんだろう、残された子供たち。施設で生活するんだろうか、これから・・・・・・

なんか、このところこういう「鬼畜」な事件多いですね。

【鬼畜両親】息子3歳を監禁致死は世も末

  


Posted by 昭和24歳  at 19:19Comments(0)

2015年05月05日

団塊世代の終活。

団塊世代の終活。



くもすけバンド・ドラマー「オトヤ」

「俺、あと一年だからさぁ」

肺がんの闘病、今は「緩和ケア」と、時々抗がん剤治療をしているんだとか。

発病してから3年目のそんなある日僕は「オトヤ」に電話した・・・・・・

「実はな、くもすけバンドのキサブローからメールが来て“オトヤ”はどうしてる?って」

そのキサブローとはかれこれ40年前、あの時代のことだバンドに夢中になっていた連中は一旗揚げようと東京へ馳せた。
「オトヤ」もそんな一人だった。日本中からそう言う若者が集まって、まだライブハウスなどという気の効いたことのない時代、ロック喫茶だろうかそこを根城に自然に数々のバンドが生まれた。
その中の一つが「くもすけバンド」で、中央線沿線のロック喫茶で活動していたブルース系のバンドだった。
「オトヤ」はドラム、同郷の「堀口」がサイドギター。そして、メールをくれた「キサブロー」がリードギターで、同郷の「志保」がボーカル、東京板橋の「丸山」がベースで、東長崎の「松村」がマネージャーと、そんなグループだった。

オトヤが「くもすけバンド」として実働していたのはせいぜい半年くらいだった・・・・・・
オトヤは気まぐれな性格で、東京でバンド活動しながら、ある日突然「俺、警察官になるから群馬へ帰る」と、全く突拍子もないことを言い出してその「くもすけバンド」を抜けてしまった。
まあ、そんなこんなで、その「オトヤ」の抜けたあとサポートメンバーとして「くもすけバンド」のドラマーに参加したのが僕だったのだが。

それから40年余が過ぎ、今日のこのようなネット社会。僕がなにげにその「くもすけバンド」の記事を投稿したところ先にご案内の「キサブロー」から、「いやぁ、懐かしいねぇ~!!」というメールが入った。

その「キサブロー」だが、当時のメンバーはみんな知っていたのだが、80年代数々のトップアーティストに楽曲を提供していた作曲家「鈴木キサブロー」なのだった。
なんといっても、レコード大賞「中森明菜」の「ディザイヤー」とか、大賞を獲得した高橋真梨子の「フォーユー」を作曲。
そのメールの後、キサブローと電話でいろいろ話をした。
僕らは知らなかったがキサブローは、まだ売れてない頃オトヤにはいろいろ世話になったとも言った。

「実はね、オトヤ、末期ガンで余命一年を宣告されてるんだ」

「そうなの、じゃあ、今度、当時のメンバーで東京で会おうか?オトヤ出てこれるの?」

「余命一年とかだけど、時々今でもブルースバンドやってるし、まだ行けるんじゃあないの」

「じゃあ、会おうよ、みんなで、マネージャーの松村に言ってせっとするから・・・・・」

既に余命一年が宣告されて半年が経っていた2012年9月、新宿駅南口の「スターバックス」で待ち合わせることにした。

僕らは高崎駅で待ち合わせて湘南ライナーで新宿へと向かった。オトヤは至って元気そうだった。

「抗がん剤治療のあとは辛いけど、しばらくは大丈夫。いつまでもつかわからないけど」

新宿駅南口を出ると「スターバックス」にキサブローを探した。すっかり貫禄付いちゃって瞬間わかんなかったけどどこかに当時の面影が・・・・・

「キサブローさん?」

「オーッ、オトヤ、おスエちゃん、ナベさん、懐かしいねぇ、変わってないじゃん」

そう言って、オトヤを抱き抱えるようにして満面の笑みを浮かべたキサブローだった。

「さっ、みんな待ってるよ。丸山も志保も、マネージャーの松村は少し遅れるらしいけど、店、セットしておいてくれてるし」

居酒屋を3軒ハシゴして、そろそろ高崎行が最終電車・・・・・・

「オトヤ、今度、昔みたいにバンドやろうか、“くもすけバンド”を」

そう帰り際にキサブローが言った。

「嬉しいねぇ、俺、、燃え尽きるまでドラム叩くよ」

オトヤのその言葉に、マネージャーの松村が・・・・・・

「じゃあ、俺、スタジオ、セットするから月一でやらない」

全員に異論はなかった。

それから、10月、11月、12月と高田馬場のスタジオで、40年前、昔のままの、セッションが始まった。

そして年が明ける1月にもセッションする日を決めていたが・・・・・・

「ちょっとキツくって俺、行けそうもないからお末ちゃんとナベさんで行って」

電話の向こうのオトヤの声はとても辛そうだった。

「近々、入院するんだ。もうアウトかも」

それから、携帯に電話してもオトヤが出ることはなかった・・・・・

3月のある日、お末ちゃんから「オトヤが亡くなったよ」との電話。

余命宣告より3ヶ月も長く生きたオトヤ。しかも、昔の仲間とバンド演奏をしてドラムを叩いたそのプラス3ヶ月。

葬儀は、近親者とバンド仲間が。もちろん「鈴木キサブロー」も参列、そして「くもすけバンド」の花輪も。

その「鈴木キサブロー」が超売れっ子の作曲家になった頃、オトヤ・・・・・・

「俺、あいつと一緒にバンドやってたんだぜ」

そう言っても、ほとんどの連中が信じてくれなかったと。

でも、その葬儀の日「鈴木キサブロー」本人の姿がそこにあったことが、ある意味「オトヤ」の生きた証だったのかもしれない。

「団塊世代」。言ってみれば、こんな素晴らしい時代を生きた世代はいないと思う。

それを思うと、自分自身の「最後」をどう締めくくるか、そのことがこの残された時間をどう生きるかではないだろうか。



団塊世代の終活。
  


Posted by 昭和24歳  at 12:01Comments(0)

2015年05月05日

5月5日の記事

今日は“子どもの日” 



戦後まだ10年と経たない・・・・

廃墟の中の日本。

この屈託のない「笑顔」の子どもたち。

子どもの人口、1649万人=32年連続減、過去最少を更新―総務省
 「こどもの日」に合わせて総務省が4日発表した、15歳未満の子どもの推計人口(今年4月1日現在)は、前年に比べ15万人少ない1649万人で32年連続の減少となり、1950年以降の統計で過去最少を更新した。内訳は、男子が844万人、女子が804万人。
 総人口に占める子どもの割合は、前年比0.1ポイント減の12.9%と、39年連続で低下。人口4000万人以上の主要国と比べても、米国(19.6%)、中国(16.5%)、ドイツ(13.2%)などを下回り、最低水準だった。
 3歳ごとの年齢区分で見ると、12~14歳が355万人、9~11歳が340万人、3~5歳が317万人、0~2歳が316万人で、年齢が下がるごとに人数が減少している。 

<引用:時事通信 5月4日(土)17時4分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130504-00000067-jij-pol

>「こどもの日」に合わせて総務省が4日発表した、

バカバカしい限りである。

人間、大人になればいつの時代も夢も希望もそうあるわけではない。

僕らが生まれた時代、そして育てられた時代・・・・・

想像してみるがいい、東京大空襲があって、広島長崎原爆投下があって、

祭ともなると街々には白装束姿の傷痍軍人が物乞う。

烏川河川敷にはまだバラックがかなりあって、そこに「生きている」だけの市民。

あれから60年近くが経とうとしている、2013年5月5日「子どもの日」。

作為か、不作為か「少子高齢化」が喧しい・・・・・

この街にしたって、まともにその「子ども達」の未来を考えてるとは思えない、

そこに言う「街づくり」とか。

まあ、政治のトップからして「天皇陛下万歳!!」をいう思想国家ですから(^^ゞ

で、その「少子高齢化」なんだが、その「真ん中」を言う表現がない。

「少子」を危ぶませ、「高齢化」を不安視させるだけで、その、いわゆる、

そこを両極する扶養する世代のことは一切言わない。

実際問題が、今日、アベノミクスとかでチャラ男だが、一番高負担を感じているのが、

そうした、中間年齢層の「生産世代」ではないのか・・・・・

昨日も、次女の次女の「バレエ教室」の発表会だった。

とにかく、お金がかかるらしい。

それでも娘の晴れ舞台、保育園年長から初めて小学校6年生。

その姿は、女の子というより「女性」の美しささえ感じさせる、そんな子どもがわんさか。

次女の長女は小学校2年まで「バレエ教室」、3年生からは「体操教室」で、

今年からは中学生で、「体操教室」に通いながら体操部に入部・・・・・

小学校2年生になった長男は保育園年長から続けている「サッカー教室」。

どうやら、この国はまた「経済至上主義」に還ったようだ。

「円安」だ「株高」だ「TPP」だ「原発輸出」で、巷には不穏な事件が多発。

振り返れば、09年の政権交代、時の鳩山首相が・・・・・

「東アジア共同体構想」を唱えた途端、権力の座から降ろされた。

この国のトップがこの国の明るい未来を語ると引きずり降ろされるのが常。

まあ、今日のこの「子どもの日」に今日のそれがいかに「お子ちゃま内閣」を、

よくよく考えたほうがいいかもしれない・・・・・

今日は“子どもの日” 

↑は2013年の5月5日の投稿・・・・・

で、今朝の新聞ではコレ↓

子どもの人口、34年連続減=1617万人で過去最少―総務省
時事通信 5月4日(月)17時7分配信
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150504-00000061-jij-pol

まあ、ここへ来て戦後っ子、いわゆる団塊世代の全てが「高齢者」となった今日です。

つまり、「生産世代」ではない「年金受給世代」で、まっ、世の中どう言う仕組みになっているのかわからないが・・・・・

そこのところの社会保障とかで若い世代、「生産世代」がご苦労さんとかの話です。

しかし、あと30年もしたら「団塊世代Jr」も高齢者ですから、あと半世紀もすれば社会保障問題は解決(笑)。

結局、人間の生活って「自給自足」が生存ラインでそれを割り込んだら戦争するか腕に磨きをかけて経済発展するかです。

まあ、江戸時代の元禄、基本自給自足社会でしたから人口3000万人前後・・・・・・

つまり最終的には「食糧」で、その次に来るものはまあ、燃料とかなんでしょうけど、その時代人力ですからほとんどが。

まっ、現代社会は「エネルギー」が、なんでしょうけど、世の中どんどん変わりますね。

日本も、人口減少して8,000万人くらいになったら、かなり自給自足できます。エネルギーもね。

だから、繰り返すようだけど、人口増とか言ってるのは政府だけです「富国強兵」。

政府は楽をして国民を兵隊にこき使う。事実そうしてきましたし。

まあ、「楽」を覚えた国民は「堕落」するか「頭を使うか」そのいずれかです・・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 10:41Comments(0)

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