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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2014年02月05日

昭和30年代、横丁の「朝餉・夕餉」風景

昭和30年代、
横丁の「朝餉・夕餉」




高崎市立東小学校4年3組、担任は新井先生。


昭和33年、あの時代は三食買出しだった。

僕の子どもの頃の話しだから、相当古い話しになる(笑)。

朝ごはんは、たいがい“卵かけご飯”か、納豆と佃煮に、それに・・・・・・

夏場なら「ナス、きゅうり」の糠漬け、

冬場なら「沢庵か白菜」の漬物が相場だった。

あの頃は、“納豆売り”のおばさんが卵も一緒に僕の横丁には売りにきた。

そのおばさん、卵は、僕の家からもかなり近かった養鶏場から毎朝生みたてのそれを仕入れて売り歩いていた。

納豆はなんでも自家製とか言っていたが、経木で三角に折られて包まれた納豆・・・・・・

「納豆ぅ、なっと、なっと~~~ぅ、タマゴっ」

と、そんな売り声だった。

おばさん、乳母車を改造した手押し車に段かさねにされた三角の納豆と、竹篭にいっぱいの真っ白いタマゴ・・・・・

母に言われて、眠い目をこすりながら滑りの悪い滑車の引き戸を下駄で蹴飛ばしながら、

「おばちゃん、納豆と卵ちょうだい」

僕がそういうと、おばさんはアルマイトの弁当箱にいっぱい詰まった“カラシ”を・・・・・

三角の納豆の経木ヒモを「ヒョイ」と解くとヘラのようなものですくい納豆の脇に載せる。

「のり、いっぱいかけとくからね」

そう言うとおばちゃんは、使い古したブリキの茶筒のふたを“パコッ”とあけると、

小器用に“サッサ、ササッ”と納豆にふりかけ・・・・・・

また、小なれた手つきで経木をたたむと、“クルッ”、“ギュッ”と縛り、

「ほらっ・・・・・」

と、僕がぶら下げている、ハギレで母が作った僕専用のお使い袋に卵と一緒に入れた。

あの時代、確か納豆も卵もそれぞれが“5円”ではなかっただろうか。

昭和32、3年の話しである。

それが僕の横丁の朝餉の光景だった。

それは納豆売りだけじゃあない・・・・・・

豆腐屋さんも「パ~プ~、パ~プ~」とハンドルのところと、荷台のところにコイル状のスプリングのついた、

豆腐屋のおじさん、いかにも、といった趣のその頑丈そうな自転車の荷台に、

ブリキの内張りの施しのある水の入った木箱に豆腐を詰め込んで僕の横丁を流していた。

一人っ子だった僕は小さい頃はよく母にくっついて夕餉の買出しに行った。

僕の横丁の商店街は、高砂町、九蔵町、そして八間道路と、それは僕の学校の近くにあって・・・・・・

まず、八百屋さん、魚屋さんと買い物をする。

もちろん冷蔵庫なんかあるわけがないのでその夕食に食べるだけの野菜と魚・・・・・・

母親の懐具合のいい時には“干物”に“佃煮”を買い置きする。

そういえば、“肉屋さん”は僕が中学に入る頃まで僕の横丁の商店街にはなかった。

もっとも野菜は母の実家(僕の)「碓氷郡豊岡(昭和30年高崎市に合併)」が農家だったので、

母の兄、おじちゃん(実父)が毎日のように野菜を市場へ荷出しのついでにいつも持ってきてくれた。

父は、いわゆる“ポッポ屋”で、3交代の昼夜勤で、僕との食事はあまりなかった。

いつも母と二人だけの朝、夕餉・・・・・・

父は静岡県沼津の育ちで魚には結構五月蝿かった。

そういえば“アジの干物”などが、父の実家からよく送られてきていた。

そんな父は相当の大酒のみで、酒が入るとじつにくどかった・・・・・・

「僕は絶対に酒は飲まないぞ!!」

と、子どもの頃は思っていたのだったが・・・・・・

今の僕。たぶん酒が入った時のその“くどさ”においては、父も閉口するのではないだろうかと思うと可笑しい。

父は落語家になりたくて沼津から東京に奉公を口実にに出たとか。

で、じつは、その奉公先が“酒屋”だって言うのも笑わせるが、その奉公先の近く・・・・・・

たしか根岸といったか、先々代の金馬師匠のところの通い弟子になったとかが自慢の父で、

酒が入ると、僕にその“落語”を、くどいくらい聞かせた。

戦争がはじまると父は、ポッポ屋だった兄の勧めでポッポ屋になった。

そのころ、すでに東京で所帯をもっていた母の姉のご亭主の引きで、上州女の母とお見合い・・・・・・

めでたく、華燭の典。その時の記念写真、たしか、そこは父の奉公先だった酒屋の二階。

昭和18年、父32歳、母22歳がかしこまっている。

その後、昭和20年3月の東京大空襲で焼け出され、母の母親の弟の世話で高崎に。

そして戦後、食料のほとんどが配給で、米は「米穀通帳」がなければ買えなかった、そんな時代。

今日の“食糧危機”がどうのこうのとか、“食料自給率”がどうしたとか・・・・・・

まるで、その時代から比べたら笑い話(笑)。

そして高度経済成長、食料も自前で、生活用品もほとんど自前でやってきた昭和30年、40年代。

それがいつからこんなことになってしまったのか、してしまったのか・・・・・

今日、「食料自給率」のそれは原材料どころかスーパーの店頭の「食品」のほとんどが輸入。

『農薬入り餃子』に『BSE牛肉』

鶏肉、豚肉、えび、カニ、加工魚、等々、ほとんどが輸入ではないか。

そして、マスメディアもつるんで怒りの矛先を“輸出国”に向けるが、それはお門違いではないのか。

これは、国の政策の結果なのだ。僕らが、国民が選んだ政治の結果なのだ。

それらの、『農林水産業』がその、食糧生産が立ち行かないように立法し、行政し、

商社の、商社による、商社のための行政の結果ではないのか。

つまり、今、食料の自給率を高めたら、困るのは、政治とつるんだ「商社」・・・・・

エネルギーもそう、石油、原子力に変わる代替エネルギーが完成したら困るのは「商社」。

今、それらの『食品』は“商品相場化”されている。冷凍食品などはその典型で、

商品相場『博打』のタマにされ、実物の数倍が相場取引されている。

アメリカのサブプライムをいうどころではない。

低所得者のローンを“証券化”するなどという、経済ではない、博打の世界は以ての外なんだが・・・・・・

しかし、この国では政府が食糧危機を作り出し、その食糧危機を『商品相場化』している。

弱小農業は後継者もなく、減反補助金も半減され、酪農の餌も「相場」に翻弄される。

見えてきたのは、「商社」の「営農」という国策。果たしてどこまでそれが立ち行くか?

「儲ける農業」は当然、遺伝子操作されるだろうし・・・・・・

まあ、「三食買い出し」だったあの時代は、庶民、大衆で街が賑わった。

昭和30年代、
横丁の「朝餉・夕餉」


  


Posted by 昭和24歳  at 15:48Comments(0)

2014年02月05日

【備忘録】2008年12月14日

NHK「参議院予算委員会」を聴きながら・・・・・

【備忘録】2008年12月14日

http://jp.youtube.com/watch?v=AQ93dg8mnUk&feature=related

もちろん僕はこんなのが好き・・・・・

“勝利を我らに”も“くよくよするな”もライブではよく歌いますよ。

そうですね、「36年前の日本人」。

コブクロ、彼らの曲想は不況下の日本の若者の心を歌ったのかも知れません。

ご存知でしょうか?

彼らも、“ストリートチルドレン”ならぬ“ストリートミュージシャン”・・・・・

つまり「路上シンガー」だったのです。

今は、ここ高崎でも駅のコンコースを行政がそんな“ストーリートミュージシャン”に発表の場を提供しています(笑)。

僕らにしてみれば実に変な光景ですけどね・・・・・・

なぜなら、僕らのその時代はバンドと言えば社会からは「鼻つまみモン」だった。

つまり“不良”。路上で演奏すると言うことは「ゲリラ・ライブ」でした(笑)。

この不況が、行政の社会迎合だろうか、その意味では若者の牙もすっかり抜かれてしまって、

昭和40年代のフォーク、例えば“高田渡”のような「反体制」、体制批判の歌はどこにもない。

高田渡“放送禁止歌”
http://jp.youtube.com/watch?v=GjoKKMYvj08

ニューミュージック?

ニューミュージックとは言わない(笑)。

ニューミュージックは、井上陽水とか、荒井ユミとか、その辺では極めつけは“五輪真弓”に“山崎ハコ”。

このころの若者音楽は世間に喧嘩を売っていた(笑)。

吉田拓郎も、泉谷茂も「絶対にテレビには出ない」とか言って・・・・・・

今では拓郎も泉谷もテレビに出まくってますけど(笑)。

>金沢から東京に帰る途中高碕に泊まって観音様を見に行ったのです。

高崎のどこに泊ったのですか?

野宿ですか?

やっぱりバンボさんとは縁がある・・・・・・

僕はよく帯広に泊ったし、バンボさんも高崎に。
 
こじつけですかね・・・・・(笑)。

今もあなたは36年年前の、それも青春そのものの日本青年のまま・・・・・・


【備忘録】2008年12月14日
  


Posted by 昭和24歳  at 14:44Comments(0)

2014年02月05日

【備忘録】2008年2月8日

2014年2月5日「参議院予算委員会」を聴きながら。

【備忘録】2008年2月8日

まあ、できるかどうかはともかく・・・・・

理想論から言えば、「家族を守る」と言うことから申せば、

「イスラエル化」でしょう。

日本人と言うのは、とくに国民自分からは一切動かない。

命令されなければ動かない・・・・・

仰る通りだ!!

“技術力は武器力”

本音を言えば、「非武装中立」はありえない。

とくにこの日本は、テメエでは水に流したつもりでも、60年前、100年前の朝鮮半島政策、中国大陸政策。

日本のいう、その時代の“ロシア脅威論”だとかの言い草は、

侵略された側には無関係の話しで、言い訳でしかない。

もちろん、中国大陸に侵略しての“満州建国”という、日本人移植計画もそこには中国側から言わせたら、

日本の大儀も糸瓜もありません。

どこかの国が、突然北海道へやってきて“独立国”を建国宣言したようなものです。

100年という歴史の中で、日本と言う国がいかに恨みを買っているかということを、

政府は承知しているだろうが、ほとんどの国民は、「やられた側」の心情を知らない。

そして、今の韓国も北朝鮮も日本にあの戦争で勝ったわけではない・・・・・

それは日本の敗戦によって「開放」されただけ。

そして、今の中華人民共和国も、ゲリラではあったけど日本に勝ったわけではない。

勝ったのは「中華民国」で、その後の内戦で台湾に逃れ政権を樹立した“国民党”蒋介石。

その意味では、台湾と言う島は中国の一部、清朝時代の台湾省で、その後日本統治下・・・・・

そして蒋介石率いた“中華民国”は、それこそ、“中華人民共和国”、中国共産党による政変前の『中国』そのもの。

それらの歴史にかかわってきた軍事政権だった“大日本帝国”。

今日、その汚れた手を隠して「平和憲法」などと言ったところで誰も信じない。

そして、韓国も北朝鮮も軍備を増強し、中国に至っては、日本から実質、戦後賠償金としてのODAで、

実態は、アメリカの技術援助で数百発の核弾頭を日本に向けている・・・・・

アメリカはアメリカで、“安保”なんて“安全条約”でもなんでもなく、

日本列島の軍事要塞化か、日本監視のための条約。

もっとも、アメリカ軍基地が膨大にあるため、今のところ、日本列島への攻撃は、

すなわちアメリカ軍基地への攻撃になる。

そんなことから、中国のそれも、コケオドシ程度になっているが・・・・・

今後、10年、20年の話しではない。

50年後、100年後、この国は、今のままだとすれば、今の政府のままだとすれば、

完全なアメリカの植民地になるか、アメリカが、撤退して、中国の統治下になるか・・・・・

それは、今の行政、外交から考えれば杞憂ではない、現実のものとなる可能性が極めて高い。

食料政策もそのほとんどを、中国、アメリカ、カナダ、オーストラリア、等々にほとんどを依存している。

そして、行政はその食料自給率をに改善策を講じるどころか、その正反対、農林水産業を、

諸外国の要求に唯々諾々開放し続けている。

驚くことに、その手先になっているのが日本の大資本“国策商社”。

日本は「平和ボケ」なんかじゃあない。

日本は「真の平和」を知らないただのバカ。

アメリカが、その同盟関係からこの日本を守ってくれている、だから日米同盟関係は大事なんだという。

そのくせ、その日米安保は「集団的自衛権」は有しない。

つまり、アメリカの艦船等が攻撃されても、若しくは、アメリカ本土が攻撃されても・・・・・・

日本はそれに対して防衛、攻撃手段を講じない。

もっとも、それが、アメリカが草案した『日本国憲法』の趣旨なんだと。

永遠にこの論で行くのか、いつ何時、米政府が“在日米軍基地”を総撤退させ、

朝鮮民主主義人民共和国に共有基地を施設、中華人民共和国、台湾省に、米軍基地を施設する。

そんな可能性も日本には何の連絡もなしに条約する可能性がないとはいえない。

実は、日本は平和などではなく、「手足を縛られた」状態のまま。

戦後の朝鮮戦争、ヴェトナム戦争では、日本列島は米軍事兵站基地だった。

そのおかげの、高度経済成長であり、その原資は占領国アメリカ合衆国の豊かな経済力であったことは言うまでもない。

国家予算、それ以上の莫大な資金と国民を費やし、犠牲にしても勝てなかったアメリカ合衆国との戦争。

それは、百歩譲っても「外交の無策」でしかなかった。

そして今日の、日米の関係、そして、中・韓・朝との関係は敗戦直後のその時のまま。

【備忘録】2008年2月8日  


Posted by 昭和24歳  at 14:35Comments(0)

2014年02月05日

【備忘録】2008年2月15日

昨日の上毛新聞のトップに・・・・・・・

「給食費未納1億1500万円」の見出し。

皆さんどう思われます?

いろいろと、ご意見あろうかと思われますが・・・・・・

僕の意見は、「給食は税金で補え」です。公教育の原点ではないでしょうか。

「食べる」は人間の基本的本能です。

そして「食育」と言う言葉もあるくらいだから、小学校、中学校とその義務教育過程において、

“給食”は授業の一環ではないだろうか。

児童生徒、それぞれの環境の違いを超えて「ひとつの、同じモノを」食べる。

その、一番の成長時期にもっとも大切なことではないのだろうか・・・・・・・

そうでないと言うなら、“給食”という制度は廃止したらいい。

親のモラル低下を言います。

しかしどうでしょう、“モラル”はその親ばかりではなく、社会全体がその規範に無頓着ではないでしょうか。

「高級車に乗って、いい暮らしをしている」

そんな保護者、親が「給食費を未納」だと言うが、

月々、5千円前後のその支払い、実は「大変」なのかも知れない。

実際、学校に納入するのは“給食費”だけではなく、PTA会費とかの諸経費が引き落とされる。

それに、なにをもって“高級車”と言うのかは分からないが・・・・・

現実問題として小中学生の子育て世代の父母に、そうは「いい暮らし」の、高額所得者はいないのではないか。

そして、就学児童が2人、3人と、同時にいればそ、学校に納入する給食費等だけでも、

確かに割安にはなるが、それでも2万円前後になるのではないか。

それに、学習塾やら、習い事・・・・・・

実際問題、子ども一人育てるだけでも知らず知らずのうちに結構な金額がかかる。

中学生ともなれば、なおさらのことではないか。

「給食費未納1億1500万円」の見出し。

どうもしっくり来ない。

「簡易裁判所に小額訴訟提訴も」とか、「差し押さえ督促」などと言う文言もちらつくその記事。

昨今のこの格差社会、経済的困窮者の増加・・・・・・

はたして、『学校』という、ある種“聖域”でそういう論調が当然のようにいわれるのは実に奇異だ。

その意味では、最近の“行政”は少しオカシイ。

“障害者自立支援法”にしろ、“後期高齢者健康保険”にしろ・・・・・・

「改革」と称して、国民大衆に向ける増税につぐ増税。さらには地方交付税の削減で、

地方自治体は住民サービス料の値上げ。

言いたくはないが、県教委がそこまで「保護者」のモラル低下を言うなら、

県教委、県警、県職員の裏ガネ、食糧費水増し、出張旅費詐取、等々の「モラル」はどうなる(笑)。

そうした、地方自治体の「ムダ」を削るだけでも小中学校の給食費くらいはひねり出せるのではないか。

それに、道路特定財源とする交付金、軽自動車税なども、道路財源とかではなく、

「教育特定財源」、「少子化対策特定財源」

としてもいいのではないか。

「子どもは国の宝」をいいながら、いたって、行政はそんな“子ども”に思うほど優しくない。

欧州の子どもに対する手当て・・・・・

例えばドイツの児童手当は、一人目から三人目の子どもは一人につき月154ユーロ(約26,000円)。

四人目以降は月179ユーロ(約3万円)となっている。親の所得制限はない。

そしてそれは原則として、子どもが十八歳になるまで受給できる。

“ドイツ家庭相”は、「ドイツのこれまでの少子化対策は不十分だった」と認めた上で、

「いまこそ子どもが多い家庭を励ます時ではないか」

と述べました。

日本の場合はどうか・・・・・・

一人目、二人目まで5,000円で、三人目からは1万円(月)。

しかも、小学校3年生まで。

実際、「給食費滞納」を言う行政はその前にしっかりとした「少子化対策」を講じるべきではないのか。


  


Posted by 昭和24歳  at 14:23Comments(0)

2014年02月04日

オンカロ「隠された場所」、そして小泉純一郎元首相とか。

オンカロ「隠された場所」、
そして小泉純一郎元首相とか。




「総理が決断すればできる。原発ゼロしかないよ!」元総理の電撃発言で政界・世論は騒然!その発言の真意は?影響はどこまで及ぶ?発言をスクープした毎日新聞記者が迫る!



原子力政策は、基本は「軍事」・・・・・・

それの平和利用という誤魔化し。

つまり、「原子力」は「軍事」で使ってこそ最も合理的な「エネルギー」ですね。

しかし、「原子力」の「大量破壊。殺戮兵器」というところですから、現実、兵器としては使えません。

ひとつの側面としてその「原子力エネルギー」を「医療分野」、「産業分野」、農業分野にでさえ利用しています。

僕の知人でもすでに退職していますが「高崎原子力研究所」で、

「放射線」による「芽の出ないジャガイモ」の生産にノーベル賞をかけるといった冗談話も(笑)。

つまり、「平和利用」というのは、そこのところを言うのではないかと。

「核分裂エネルギー」にしろ「核融合エネルギー」にしろ結論は、その目的は「軍事」ですね。

しかし、ワンワールドを目指す勢力以外は膨大な予算を有する「原子力開発」には志向しないのではと考えます。

北朝鮮、イランという、軍事独裁国家、宗教独裁国家等々の国以外は、

とくに先進国はおそらくこの先未来に「戦争」するということが常識的に考えられるでしょうか。

あの、第一次世界大戦のような「欧州戦争」全土を巻き込んだ、

第二次世界大戦のような「太平洋戦争」が起こりうると考えられるでしょうか。

まあ、欧州戦争においては、基本「白人同士」の戦争で、ある意味「内戦」でしたね。

日本に例えたら豊臣秀吉までの「戦国時代」の国盗り物語的な戦争だった。

その中での、大恐慌もあり、その混乱の中から戦争へと展開していった・・・・・・・

そしてそれが、後にドイツの「ヒトラー」を生み出し、イタリアの「ムッソリーニ」を生み出した。

第二次世界大戦は、ある意味「欧州」においては「第一次世界大戦」の後遺症の中で、

いわゆる「ドイツ」「イタリア」の「取り戻す」からが端緒だったのではと。

その、ドイツ、イタリア以外の国々はアフリカ大陸を、アジア中近東大陸を「植民地」とし、

19世紀末から、20世紀に入ると大きく経済規模を拡大していった。

その意味では、日本がこれまでそれらの覇権争いに巻き込まれなかったのは・・・・・・

言われる、「極東」という地政学的な観点からではと。

まあ、「資源」もありそうもないから、略奪される心配もなかったのと、

そして、産業革命以前の江戸時代までは日本は世界有数の軍事国家で・・・・・・

徳川幕府という「先軍国家」、「軍事独裁国家」だったわけですから、それは、宣教師をスパイに、

ジャパン・リサーチを徹底したでしょうから、その結果「侵略」は叶わぬと止めたと。

まっ、そこで思うのは日本人というか、当時の江戸幕府の官僚も「武器開発」にはあまり興味がなかった。

というよりは徳川幕府による「国家安泰」が関ヶ原以降、長く続いたものだから・・・・・・

逆に、徳川幕府は諸藩の武器技術の開発を御法度としたため、

それまで世界でも真似のできない「刀鍛冶技術」も産業としては衰退してきた。

聞いた話だが、あまりにも「平和」なために、武士が帯刀するものは、普段は「竹光」だったほどのお噂も。

そこへ、突然、産業革命仕様の「ペリーの黒船」、「大砲」ですからそら天下の一大事で・・・・・

まあ、ちょっと大げさな言い方をすれば、欧州の「産業革命」くらいのことは戦後の、アレ、

「モノマネ」と言われ最初は蔑まれたが、後々目覚しい科学技術の発展を考えれば不可能ではなかったはず。

それを考えると「徳川幕府」の経済、科学技術、外交戦略の失政は極めて大きな責任があると。

で、21世紀の今日、いわれる「脱原発」だが、その原発政策はともかく。その推進派、推進派だったと思われる、

「小泉元首相」がフィンランドの核廃棄物の最終処分場「オンカロ」を見学した時点で、

「脱原発」に大きくスイッチが切り替わったと。当然、東日本大震災と福島第一原発事故もあって。

まっ、フィンランド、人口、約540万人、面積は約33.8万平方キロメートル(日本は37.7)。

ということは日本よりちょっと狭い面積に北海道くらいの人口ですから・・・・・・

その規模でフィンランドの「原発基」とかですから、ちょっと想像しづらいですね(^^ゞ

仮に、約日本と同等の面積のフィンランドに55基もの「原発」があったとしたら、

というか行政がそういうことをするかを、考えると日本政府は異常ですね。

つまり、日本の原発は日本政府の「政策」ではない、いわゆる国際ウランシンジケートの「ウラン消費」、

まあ、「核爆弾」には使えないわけですから、「平和利用」と称してその「ウラン」を消費させるしかない。

結局、第二次世界大戦の敗戦国、日本がその「実験」に使われれている。

その意味では小泉元首相は政治家としては卓越してますね、お見事な「風見鶏」(笑)。

国際政治的には、「反対できない」事情が日本政府にはある・・・・・・

そこで、それを選挙で「民意に問う」ということだろう、政治家としての覚悟「有言実行」。

まあ、「都議選」というよりは、次の「総選挙」に向けての大きな政策のシグナル、

大きな「打上げ花火」ではないだろうか。

また、自民党をぶっ壊しますか?

オンカロ「隠された場所」、
そして小泉純一郎元首相とか。


  


Posted by 昭和24歳  at 14:09Comments(0)

2014年02月03日

都知事選の本命が「政治の便利屋」舛添要一とは

都知事選の本命が
「政治の便利屋」舛添要一とは




意外と冷静だった・・・・・
東国原元宮崎県知事、元集議院議員(維新)。
「ツーツーレロレロ」で、
元ビートたけしの弟子で、女優かとうかずこの元夫。


舛添氏がリード=都知事選、終盤情勢
 猪瀬直樹前知事の辞職に伴う東京都知事選は9日の投開票に向け、終盤戦に入った。3日までの情勢取材では、自民党都連と公明党都本部が推薦する舛添要一元厚生労働相(65)がリードし、民主、結い、生活3党が実質支援する細川護熙元首相(76)、前日弁連会長の宇都宮健児氏(67)=共産、社民推薦=、元航空幕僚長の田母神俊雄氏(65)らが追う展開となっている。
<引用:時事通信 2月3日(月)14時42分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140203-00000060-jij-pol

>自民党都連と公明党都本部が推薦する舛添要一元厚生労働相(65)がリードし、.

石原の後が、猪瀬。

で、「猪瀬」のあとが、「舛添」って・・・・・

「巻添え」されちゃったりして(笑)。

でも、舛添さんが一馬身リード、それとも二馬身リード???

工作世論操作「調査」もコンピュータ抽出の無作為で、今時、家電(笑)。

まあ、選挙権取得世代、今や、おじいちゃんもおばあちゃんも・・・・・・

家電、確かにコードレスだけどいちいち出るのって面倒くさい。

まさか、こたつの上に置いておくわけにはいかないし、やっぱりケータイあるし。

ガラ系の僕とカミさんでも、カミさんはスマホで病気してからはいつも枕元にそれを。

で、「AU光」に変えた時点で、「家電」は終了・・・・・

だってかける相手も「ケータイ」だし、家電にかけても出ない、そら面倒くさいし、

今時、「家電」って、セールスか、「オレオレ詐欺電話」。

カミさんのお袋さん、時々かかってくるらしい、「家電」に、それらしき電話が。

「もしもし、おふくろ、俺だけど、俺・・・・・」

「あの、うちには息子いないけど、どちらさん?」

カミさんち、四人姉妹だから「オレオレ」はありません。

まあ、孫の男の子三人いるけど一番上が「小2」だし、あとは「保育園児」だから・・・・・

「オレオレ」はありません(笑)。

で、舛添さんなんだが、ちょっと「オレオレ」っぽいかもしれません。

小泉進次郎さん言ってたけど、「筋じゃない」と、「筋論」、さすが「スジモン」です。

だって、2009年の政権交代、過去の話だけど、その時、自民党にいたら具合が悪いって・・・・・・

まあ、自民党参議院議員、それも「比例代表」の分際で離党して新党だから「筋違い」。

それが、いけしゃあしゃあと自民党が支持母体って、コレ、そういう大人、政治家、教育に悪い。

まっ、それを良しとした現自民党と現政権、「スジ」どころか「道理」を曲げてです。

まあ、今のそれって、そういうもんの集まりなんだろうけど、それにしても小泉さんを敵に回すって、

「イソップ寓話」並みの出来レースかもしれませんね、根っこ同じですから・・・・・

見えてる部分が違うだけで、掘ってみたら「一緒」(笑)。

で、舛添要一都知事候補、元々が学者、評論家ですから他人の意見は聞けません、そういう仕組みです(^^ゞ

いずれにしても、言いそうなことは「顔に描いてある」から、見ていて面白い。

まっ、ここに来て思うことは「細川さん」が出なけりゃあならなかったという現実・・・・・

正直、「原発問題」はプライオリティではないのではないかと思う次第ですが、

それは「小泉さん」がどうであったかという話は別にして、今の政治環境の脆弱さ。

つまり「偽装」された中での、ウソかホントかの高支持率。

確かに、「オキュパイド・ベイビィ」僕としては被占領国家というものがどう生きなければならないか、

ということはこの戦後史の中で馬齢を食みながら実感として理解する。

その表裏的現象は、未だ中韓の「反日」、それはそれこそ思想、洗脳工作された・・・・・

つまり、中国共産党国家は日本と戦争はしていないし、韓国も日本とは戦争していないわけだし、

まあ、占領軍、アメリカだが、その中韓を使って日本社会を工作する。

どうもそのことのほうが、占領軍「アメリカ政府」にしてみたら極めて好都合な「日中韓」そして嫌米、

いわゆる日本国民が「反米」に向かわないための情報操作。

まっ、アメリカ政府にしても「日本国藩主」が、あのかわゆかった「キャロラインちゃん」ですから、

お国の事情もかなり様変わりしているのではないかと。

つまり、有能な官僚なり、政治家が「ジャパンハンドリング」を研究し尽くし、そこに国益を図る。

で、さっきの「オウム裁判」の武力革命による「国家転覆証言」じゃあないけど・・・・・・

そら、あの時だって黒幕は「欧米チャネル」だったんじゃなかったっけ、武器調達とかも。

つまり、強大な「アメリカ軍」が日本を軍事占領している事実を踏まえれば、

一宗教団体に出来うる芸当ではない。やっぱり「黒幕」は?

想像の域は出ないが、その怪しげな宗教団体の行動は逐一、観察されていたと見るのが常識・・・・・・

1996年代といったら、偵察衛星もばっちりだったろうし、

それよりなにより、インテリジェンスを第一とするアメリカ政府ですし。

あくまでも、戦勝5大国にしてみたら日本は「実験国家」、その民主主義においても。

で、都知事候補、消去法から、根っからの自民党候補は出しづらい、「身体検査」もあるし。

で、「甲種合格」のはずだった「猪瀬直樹」がまさかの袖の下に引っかかっちゃいましたから、

自民党から大見得切って推挙できる人材がいないってぇのがホントのところ(笑)。

まあ、「便利屋さん」なら何かがあって「傷モン」、ワケアリになっても、そもそもワケアリだろうし、

自民党、「知らんぷり」できますから。そういえば、「猪瀬直樹」も自民党・・・・・

まあ、「舛添」、基本、「一匹狼」みたいだから誰も巻添えにしない、できない(笑)。

あの顔じゃあ嫌われます。政治家、顔ですし、顔で売らなくちゃあいけませんし・・・・・

それが、顔に書いてあっちゃあなおさら、イケマセンね、作り笑いに作り起こりとか。

つまり、鼻から「笑顔」をする橘人じゃあないわけです、

ですからこの人の笑った時の動きはいつも顔が上向かか、引きずる。

まあ、性分だろうけど、「目パッチ」はチック症状だから常に、防御の姿勢。

あっ、石原元都知事がそうでした(笑)。

それにしても、まさかの「細川さん」がまともに見えちゃうから、困ったもんです。

たしかに、小泉さんの応援弁士に有権者、拍手喝采は、日本国民、都民「自虐」ですね(笑)。

都知事選の本命が
「政治の便利屋」舛添要一とは


  


Posted by 昭和24歳  at 18:53Comments(0)

2014年02月03日

「高崎音頭」迷道院高崎の迷道院高崎的コ・コ・ロ

「高崎音頭」迷道院高崎の
迷道院高崎的コ・コ・ロ



※三枚の手ぬぐいを使って暖簾に仕立てています。
(3種類1セット3,000円(税込)(「上州弁番付表」つき)
詳細・お問合せは:http://jyosyu.gunmablog.net/

花の上州どこから明ける「高崎音頭」を広めよう
・・・恥ずかしながら、高崎生まれの高崎育ちである迷道院は、「高崎市歌」歌ったことがありません。(もしかすると、聞いたことも・・・)

でも、昭和二十七年(1952)に作られた「高崎音頭」なら、ソラで歌えますよ。(一番だけですけど)
この歌は、「新日本高崎子ども博覧会」の開催を機に、市民から募集した歌詞をサトウハチロー氏が審査し、古賀政男氏が曲を付けたというものです。

なかなかノリのいい歌で、各町内の盆踊りでは必ずと言っていいほど踊られていました。
そんな訳で、おそらく迷道院と同年代の高崎市民にとっては「上毛かるた」みたいなもんで、みんな歌えると思います。
でも、いつの頃からか町内の盆踊りでも聞くことがなくなりましたので、若い人は知らないんでしょうね。

<抜粋引用:隠居の思ひつ記 2014年02月02日>
ソース:http://inkyo.gunmablog.net/e327172.html

お気持ちは痛いほど・・・・・

江戸幕府開闢以来ですけど、武田に討たれたか、まあ、その史記をたどれば、

あの八幡、南八幡地域、烏川、碓氷川沿いに土着し今日に至ったであろう、わが祖先、

そして、その末裔としてここ、高崎の「文化」を思った時。

いわゆる、武家、町人によって創られた「高崎城下町」にはあまり心地よさは・・・・・

まっ、時代のパイオニアであった徳川家康が腹心の井伊直政公が初代高崎藩主となり、

「近江商人が歩いた跡にはぺんぺん草も生えない」ともいわれた江商を従えて和田入り。

そしてそこを自身の功なりから「高崎」と改め統治した。

まあ、そんなわけで、糸偏商人、旅籠屋、そして工人の、町人の多くが、そこの・・・・・・

中山道を東へとした、入植者だったのではないかと、多分(^^ゞ

つまり、「高崎」は「井伊直政公」が開拓した人造都市だから、土着民とはその思想は異なる。

つまり、「お町」な人と「在郷(ざいご」)と呼ばれた人との相いれぬ民文的差異・・・・・

それは普通に存在し、今でもその根底にはあるのではないかと、多分。

つまり、開拓者の「DNA」はここ「高崎」が故郷ではない故、帰巣本能か、そこには強烈な文化は遺らない。

江戸の昔にはあったであろう城下町の中の「町家」もその「町筋」も今では見る影もない。

まっ、人造都市の宿命と言えばそれまでだが、「町」としての歴史の浅さも否定できない事実・・・・・・

多くの地方都市にはそれなりの歴史からその景観まで貴重な「文化遺産」として残る。

まあ、時代が変わっちゃっても秋田県のように、佐竹北家第21代当主「佐竹敬久」ってぇ笑い話のような知事も。

つまり、中央集権を完成させた徳川幕府ですから、高級官僚をそこの統治者に。

そしてその「お国替え」もひとつの中央集権国家統治のテクニックだったわけですから・・・・・

その意味での、豪農、豪商もここには存在しない「ご都合主義都市」なのではと、省みても。

そんなわけですから「遺すモノを創らない」。建設と破壊の繰り返しだけ。

なけなしの大枚をはたいての「群馬音楽センター」も処分に困る騒ぎをしています。

そして、高崎の大実業家「井上保三郎翁」が私財を投げ打って建立した「高崎白衣観音」も一向に・・・・・

まあ、その「高崎白衣観音」、建立が昭和11年とかだから、歴史建造物としては言えないのかも。

僕の姉、昭和14年生まれが見た「高崎白衣観音」は、まだ「ピカピカの一年生」だったし。

しかし、高崎人のみならず、国道17号を通る人たちが、そこに「ランドマークタワー」を見る。

加えて、未だ戦後そのものだった昭和27年、高崎観音山丘陵を開発して、戦後復興を目指し開催した、

「新日本高崎子ども博覧会」、後の「フェアリーランド」、のちの「カッパピア」・・・・・・

当時の、市民の意思を屁とも思わず、今では「廃墟」とし、先人の志を忘する。

まあ、いずれにしても、それらは「文化遺産」であるのに、寸分の思いを寄せることもない。

「競馬場跡地、栄町再開発、高崎アリーナ」ですか、それを言う前に「観音様」を、「音楽センター」をです。

そして、コンクリートの檻に、大規模集客施設とかいって市民を閉じ込めるのではなく、

町「旧市街地」そのものが、「大規模集客施設」として、市民がそぞろ歩ける高崎の町並みを建設してこそです。

「今でしょっ!!」

「高崎音頭」・・・・・

歌もそうです。「大事にしよう」という文化がない。

大衆、というか、普通の高崎市民は少なからずそれを感じている。

結局、そこでの統治者の脳みそがよそに飛んじゃってるから「何それ?」みたいな話に。

「仏造って魂入れず」ですから、「仏」造ることだけが目的ですから・・・・・

「跡は野となれ山となれ」で、「文化」もヘチマもありません。

「文化でおマンマが食えるか!??」

子どもの頃よく言われました(^^ゞ

「音楽でメシが食えるのか?」って・・・・・・

まあ、食えました、それなりにですけど、みな様のおかげで。

子どもも育ちました、皆々様のおかげです。

でも、コレって、これこそが「文化」なんじゃあないでしょうか、と僭越ですけど。

「僭越なら止しやがれ」ってぇ声も聞こえてきそうですが(笑)。

で、「高崎音頭」もいいけど「高崎小唄」とかも・・・・・

コレ↓

高崎小唄
昭和06年(1931年)コロムビア 
作詞:中里東雲 作曲:小松光子 編曲:奥山貞吉 
唄:新橋南地 久 龍 三味線:豊吉・色千代
ソース:http://d.hatena.ne.jp/video/youtube/bZ8Kd0s5DrA
<歌詞は上記URLご参照>

そして、さらにコレ、↓

高崎観音山温泉 銀山荘
「錦山荘」は昭和4年(1929年)、この地に料亭旅館として創業しました。その頃発表された淡谷のり子さんが歌う『高崎小唄』には、下のような歌詞があります。

♪秋の日脚は観音山に 落ちて夕闇立田の姫も
織るが紅葉の錦山荘は 浮世離れた別天地♪

明媚な風光と贅をつくした品格から、新渡戸稲造や犬養毅など、当時の政治家や実業家が足を運ぶ「高崎の奥座敷」として利用されていました。

<抜粋引用:高崎観音山温泉 銀山荘 HP>
ソース:http://www.kinzanso.com/stay/

まあ、歴史こそ浅いが「高崎白衣観音」と少林山のブルーノ・タウト「洗心亭」・・・・・

そして、「金井沢の碑」さらに言えば、この関東平野の北端が太古には「海岸線」だった。

その痕跡の残る「観音山丘陵」を50年後、100年後には「世界文化遺産」に。

あっ、そういえば榛名山の「榛名湖」も「高崎市」でした。

「湖畔の宿」もご当地ソングに。



唄:高峰三枝子 
作詞:佐藤惣之助 作曲:服部良一

聴いていて涙が出てきますね・・・・・

死地へと赴く若き特攻隊兵の一番のリクエストだったとか。

「歌は世につれ世は歌につれ」

現代、その歌に情操される作品がない・・・・・

「高崎音頭」の歌詞には、その時の「高崎」の情景が思い浮かびます。

♪花の上州どこから開ける~
絹の高崎観音様の細い繭から世があける~~~♪


その時代の叙情を感じますね・・・・・

繭玉のような「高崎白衣観音」と、絹の街「たかさき」。

「高崎音頭」迷道院高崎の
迷道院高崎的コ・コ・ロ


  


Posted by 昭和24歳  at 13:47Comments(1)

2014年02月01日

「トシ・アーリン・オオタ」ピート・シーガーの妻

「トシ・アーリン・オオタ」
ピート・シーガーの妻





ピート・シーガーは1943年にトシ・アーリン・オオタと結婚した(トシはドイツで日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれ、生後間もなくアメリカへ・・・・・・
<出典:ja.wikipedia.org>

「花はどこへ行った」。ピート・シーガーの妻、トシ・アーリン・オオタ。

日本女性の、とは言ってもハーフだがその趣は「女の子」は父親似なのか、その面持ちはまるで日本人のトシ。

たしか、2013年、91歳で生涯を閉じるまで70年間ピート・シーガーにとってかけがえのない女性と。

日本ではほとんど報じられなかったが、欧米ではかなりのニュースになったようでした。

ジョン・レノンの妻、オノ・ヨーコといい、今回の「リカジョ」、STAP細胞の発見者、小保方晴子氏(30歳)といい・・・・・・
日本人の男は、今日の国会を聞いていてもろくな者がいない、あのNHK会長とそれを指名した総理大臣とか。

民主党の議員に、「資格がない」とまで言われて(笑)。

「花はどこへ行った」、追悼ライブをします。

「天使のハンマー」

「トシ・アーリン・オオタ」
ピート・シーガーの妻


  


Posted by 昭和24歳  at 07:46Comments(0)

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