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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2013年04月25日

“バタやん”田端義夫さん逝く(享年94歳)

“バタやん”
田端義夫さん逝く(享年94歳)





歌手の田端義夫さん死去 「十九の春」「大利根月夜」
 「大利根月夜」や「十九の春」など多くのヒット曲を歌い、“バタやん”の愛称で親しまれた歌手の田端義夫(たばた・よしお、本名田畑義夫〈たばた・よしお〉)さんが東京都内の病院で死去したことが、25日わかった。94歳だった。

 1919年、三重県松阪市生まれ。3歳で父を亡くし、商家での丁稚(でっち)奉公や旋盤工で家計を支えながら独学で歌とギターを身につけた。

 38年にアマチュアコンクールで優勝し、39年「島の船唄」でプロデビューした。同年発表の「大利根月夜」が大ヒット。続く「別れ船」や46年の「かえり船」などの“船シリーズ”、「玄海ブルース」(49年)とヒットを連発した。一時期人気が低迷したが、63年に「島育ち」がヒット、紅白歌合戦に初出場し、“奇跡のカムバック”と言われた。

 75年には沖縄の愛唱歌「十九の春」を歌ってヒット。胸元までギターを抱え上げて「オース!」と気さくにあいさつしながら登場するスタイルと、音域の広さは晩年まで健在だった。その後も、BEGINの比嘉栄昇作詞・作曲の「旅の終わりに聞く歌は」や「涙そうそう」を発表し、70年を超す歌手人生を凝縮したような味わい深い歌唱を披露していた。

 89年、勲四等瑞宝章。95~03年、日本歌手協会会長を務めた。今年5月18日から、ドキュメンタリー映画「オース!バタヤン」が公開される。

<引用:朝日新聞デジタル 4月25日(木)13時4分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130425-00000008-asahi-soci




大正8年生まれ・・・・・

復員兵だったオヤジがよく口ずさんでいた「かえり舟」は昭和21年。

そのオヤジがしべりや抑留から復員したのがその年。

オヤジは対象元年生まれで、その頃36歳、若い頃はバイオリンとギターをたしなんだとか。

つまり「モボ」だったようだ。

その影響かどうか、僕は「田端義夫」が好きだった。

それに、なんといってもあの「エレキギター」だろう、当時としては画期的だった。

僕がが20代の始めの頃キャバレーでバンドマンをしている頃・・・・・・

その田端義夫さんがビッグショーで出演された。なんともスッゴイ「ギター」だった。

まあ、昭和47年当時はエレキなんて特別珍しいものではなかったんだが、

その音といい、その形といい、いわゆる別物だった。

僕の中の昭和が完全に終わった瞬間、合掌。

“バタやん”
田端義夫さん逝く(享年94歳)

  


Posted by 昭和24歳  at 20:47Comments(0)

2013年04月25日

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」



「みんなで」仲良く。
日本人て・・・・・
こういうの好きみたいです。
連帯責任=無責任(^^ゞ



自民党幹部らが反発、靖国参拝批判の中韓に「やり抜くべきだ」
 安倍晋三内閣の閣僚の靖国神社参拝や超党派の国会議員団による集団参拝をめぐり、自民党幹部から24日、中韓両国の批判に対し反発の声が上がった。

 集団参拝した高市早苗政調会長は都内で講演し、両国の批判について「外交問題になること自体がおかしい。そんなことで慰霊のあり方が変わってはいけない。何か言われて変えるから余計に言われる。やるんだったらやり抜くべきだ」と強調した。

 菅義偉官房長官も記者会見で「国のために命をささげた方々に尊崇の念を表することは当然なことだ」と語った。

 一方、日本維新の会の松井一郎幹事長(大阪府知事)は府庁で記者団に対し、英霊に敬意を表することに理解を示しつつも「集団で行く必要があるのか。僕ならそっと参拝させてもらう」と述べ、集団参拝を疑問視した。ただ、維新からは平沼赳夫国会議員団代表が集団参拝している。

 加藤勝信官房副長官は24日、首相官邸で、米国のバーンズ国務副長官と会談。バーンズ氏は閣僚らの靖国参拝に関する日本政府の考え方をただした。

<引用:産経ニュース 2013.4.24 21:19 [自民党]>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130424/stt13042421200012-n1.htm

>菅義偉官房長官も記者会見で「国のために命をささげた方々に尊崇の念を表することは当然なことだ」と語った。

「国のために命を捧げた」って、どういうこと?

しかし、いい加減で、どこかでその歴史の総括をしておかないと・・・・・

延々といちゃもんつけられますね。

それにしても「軽すぎ」やしませんか、

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」って(^^ゞ

いやしくも「国会議員」でしょうが、それが「みんなで」って、

そういう「集団」っていうところが、薄気味悪いっていうか・・・・・・

まあ、普通に、国会議員じゃあなくたっていい大人が「みんなで」はないでしょう(笑)。

で、この日本なんだが「自虐史観」とかいう御仁もおられるが、どうなんでしょ?

戦国時代からを考えてもこの国は「軍事独裁国家」じゃあなかったでしょうか。

で、幕末っていうか、欧米列強に開国を迫られて、まあ、ピストルと刀じゃあ勝負にならなない。

結局、欧米列強に支援された「官軍」が「ピストル」で勝ちました。

まっ、その意味では「国家」っていうか、その「徳川幕府」政権はかなりシステマチックで、

やっぱり、朝鮮王朝とか中国の清王朝とかよりは統制されていたのではと・・・・・

しかし、結局「明治維新」という内戦、革命で新政権誕生となったわけだが、

基本的には、丁髷を落としただけで「武家」による国家統一は変わらなかったわけ。

まあ、真贋はどうあれ、その武家なんだが徳川幕府までは、源氏だの平家だのだったが、

その政権、薩長薩摩だから、源氏も平家もない、つまり、氏素性がないから「玉」を担いだ。

まっ、近代、その辺が始まりだから「お国のため」っていう話になっちゃうわけです。

そこんところを曖昧にしているのが今日の近代史(^^ゞ

まあ、一銭五厘の赤紙で徴兵されて屍になっちゃったわけだけど、じゃあ、空襲で犠牲になった国民、

原子爆弾で犠牲になっちゃった国民、その「命の重さ」にどんな違いがありますか?

で、「A旧戦犯」の合資がどうしたとと、こうしたとかってぇ話もあるけど・・・・・

そら、後ろの方で「突撃ーーーッ」ってやってた人と、鉄砲玉にされちゃった人とおんなじって、

それ違うんじゃあないの?ってぇ話です。

まあ、韓国も中国も、たしかに被害者だし、日本軍が侵略、侵攻したっていう事実は事実だし、

まっ、その歴史的時代背景がどうあれです。

まあ、今の日本が置かれている立場を考えると、国民性の違いかなぁと(^^ゞ

「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」
  


Posted by 昭和24歳  at 08:58Comments(0)

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