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2012年05月05日

「子どもの日」2055年5月5日(土)

「子どもの日」
2055年5月5日(土)




昭和29年5月の高崎保育所・・・・・

因みに昭和24歳、満面の笑顔で写っています。


2055年5月5日(土)。

そのとき僕はいない。

次女と夫76歳の子どもたち・・・・

長女54歳、二女53歳、長男50歳

西暦2055年、高崎市の子どもの数はおよそ、

13245人

2055年の人口推計

平成の大合併とか言われて榛名町、箕郷町、新町につづいて吉井町も高崎市となった2009年(平成21年)。
当時の人口は約37万人、15歳未満の子どもの数は約48000人、推定就労人口の18歳以上が約22万人、
そして高齢化社会が騒がれ始めたその頃の65歳以上の高齢者人口が約11万人ほどだった。

それでも、そこそこ乳幼児、幼・保育園児、小中児童生徒の子どもたちの賑わいだ声が街々にはあった。
しかし、市中心街の小学校は単学級の6年生まででも全校で200人は切る現状、都会の過疎分校の趣で、
そこには今日を暗示させるものがすでにあった・・・・・・

そして今日は、2055年5月5日(土)

「今日は子どもの日です。」

老朽化して建て替えが騒がれている1998年に建設された21階の高層庁舎も使用されているのは低層部分の7階ほどまで、
残りの高層部分はがらん堂だったり倉庫だったりで、最上階の展望レストランも閉鎖されて10年が過ぎた・・・・・

高崎中心市街地の景観はバブルと言われた1980年代からの都市計画で再開発された高層マンション群も、
もっとも古いもので60年が経ちすでに廃墟となっているマンションが7棟、それらは異様な光景を見せたまま行政もそれを放置せざるを得ない状況がつづいている。

子どもの日・・・・・・

市中心街の幼・保育園はすべてが閉鎖されたか、郊外へ移転。
また、中央小、東小、南小は廃校となり、2020年ころまでにはそれらの小学校を高齢者施設に再生利用する計画もあったようだが、
その間の高齢者民間施設の建設ラッシュで、公的施設の建設は財政難とかを理由にたな晒しのままで、廃屋の様と化している・・・・・・

とにかく、日本全体の人口が8000万人台に落ちこんでいる今日、ここ高崎市でも65歳以上の高齢者人口が子ども人口“13245人”に対し98835人と7倍に達している。

もっとも65歳以上の高齢者とはいっても、すでに年金給付年齢は2020年からは70歳から2030年からは75歳以上・・・・・
いわゆる、「後期高齢者」と言われる世代になって初めて年金給付されるため、就労者人口はその意味では減少はしておらず、その人口構造は2010年代とほとんど変わっていない・・・・・・

その意味では、現実としての「悲惨な高齢化社会」ということには世界的に見てもトップレベルの長寿社会で、過去に言われた、65歳以上が「高齢者」という概念は今はない。
当然、ホワイトカラーもブルーカラーも、レストラン、コンビニの店員もほとんどが70歳前後世代で、とにかく50年ほど昔なら想像できなかったような光景がそこにはある・・・・・

たしかに、超少子化で「子どもの日」はその、50年昔から比べれば一変しているが、子どもの数が少ない分、
新生児、乳幼児、そして小中高の児童生徒への、いわゆる厚生、文教行政は過去の2010年のころと比較すれば格段の手厚さだ。
当然、公立であれば高校卒業までの授業料、給食費、そして医療費は2025年に完全無料化が制度化された。
さらに、18歳、もしくは大学生までの鉄道及び各交通機関利用料金は半額で、公共施設の利用は原則無料・・・・・・
また、15%となっている消費税も被扶養証明(学生証・運転免許証)されれば本人分に限ると認められれば非課税となる。

少子化のピークと見た政府はあらゆる手段でその対策を講じるが、いかにせん、結婚適齢期層、出産適齢層が各段に落ちこんでいるためそのための政策も即効性は見込めない。
育児生活用品、教育費の非課税と、所得に応じた一定額の所得控除や、出産にかかる費用の給付と分娩費、治療費の完全無料化等々施策してはいるが、とにかく分母が少ない・・・・・・
やはり50年で落ち込んだものは50年かけて立て直すしかないのか。となると2100年、22世紀まで待つしかないようである。

一方、深刻化、憂慮された「超高齢化社会」だったが・・・・・

つまり、70歳になっても「老人」ではない高齢者の増大で、その意味でも社会は変容してきた。
あれだけ騒がれた、高齢者への「医療費の増加」だったが、いわゆる「未病」の高齢者が増え、年金給付年齢の後退にも食料費、基本生活費への消費税非課税や、
単身高齢者の住宅保障、つまり2010年から施行された「高齢者特区住居ゾーン制度」で「一人暮らし」の高齢者でも安心して生活できる環境が整備され、
その「安心感」が、「未病」を生み、医療費の削減、さらには「現役世代」として所得税納税し、75歳からの年金受給もその所得減少分差額を受取るシステムで・・・・・・
もし、病気になったとしてもその「特区」の医療施設で安心して生活できる。もちろんその特区で就労する、生活生協も医療生協も学習生協も全員が高齢者であり、
その特区の中には世代間隔絶を起こさないように、24時間保護体制の「幼・保育園、小学校」を、そして「学習塾」、「各種スクール」を併設され、子育て世代が安心して労働、社会活動できる環境がととなっている。

経済問題も2009年当時「100年に一度の経済危機」とか騒がれたが・・・・・・
どうやら、それは過去の清算で、「100年目」に起きた経済危機だったようだ。

とにかく第二次大戦以降世界経済の牽引役だった「アメリカ合衆国」、そのアメリカ、黒人人種差別の国家に「黒人大統領」が誕生した。
いかなる理由があったにせよ、そんなアメリカ国民が、白人至上主義のアメリカが「黒人大統領」を選んだということは、当時の世界、とくに先進国と言われた国々には大きな衝撃というよりは・・・・・・
それまでの「世界観」と「歴史観」を覚醒させるに十分な出来事だった。

しかし、そんな中にあっても、その「アメリカ合衆国」と「日本国」というのは、ある意味極めて「特殊な関係」にあった・・・・・・
なぜなら、今から110年ほど昔、日本とアメリカは「太平洋戦争」という、この日本が壊滅状態になった戦争をした。
つまり、白人至上主義の国家に、有色人種(日本人は黄色)国家が「宣戦布告」し、「真珠湾攻撃」という奇襲攻撃をし、その戦争は1940年12月8日から1945年8月15日、日本政府が「無条件降伏」するまで、
そして、人類初のそして今のところ最後と言われる「核攻撃」で日本を占領し、講和、解放しつつも、当時の世界覇権争いの状況下、「日米安全保障条約」という、「軍事条約」で日本を管理して来ていた。

それまでの日本の政治状況は、「敗戦国」、「被占領国」のままの政治、行政が為されていた・・・・・・
何故なら、その「無条件降伏」に調印した政府のまま、国家運営され、それが2010年ころまでその時の政治家、官僚の子、孫、ひ孫が首相になったり、閣僚に、高級官僚になり、
いわゆる、戦後発布された「日本国憲法」における「三権」を行政してきた・・・・・・

そこへ、先の未曽有の「100年目の経済危機」であった。

当時の日本は「世界第二の経済大国」といわれ、GDP(国民総生産)もアメリカの半分の500兆円にも達し、
しかも、人口比率からしたら、それはアメリカ合衆国を凌駕するに至っていた。「敗戦国」がである。

すでに、ソ連と言われた現在のロシアと米国との「核開発競争」の“冷戦”は終息し、結果、その核開発競争コストからソ連は解体、と同時に、ソ連邦下にあった東欧も民主化し、
典型とされていた「東西ドイツ」。第二次大戦で分断されていたそれが「ベルリンの壁崩壊」で統一されその21世紀までの30年間の世界は大きな時代のうねりというか渦、トレンドの中にあった。

中国も民主化され、共産主義国家だったが、自由経済を選択し自由貿易で国際市場に参加してきた。
そんな中、唯一、この東アジアで、そのトレンドの中に浮いていたのが、太平洋戦争後、朝鮮戦争で南北に分断され、旧ソ連、中国に寄生した「朝鮮民主主義人民共和国」、北朝鮮があった。

2017年、北朝鮮建国以来、社会主義国にはありえない「世襲権力」の「金王朝」が、そのトップの逝去で政権崩壊し、
その3年後の2020年には国連管理下、韓国と統一、一部、中国とソ連の経済特区、そして一部を国連管理の自由貿易特区として東アジアに新しい歴史を開いた。

世界一の高速度で「少子高齢化」を危惧された日本だったが・・・・・

その一方では、世界一の長寿社会と、国民皆保険制度も、その不安を押しとどめる環境にあった。
当時の政府、「自公政権」は一方的に、「財政難」、そして「財政破綻」を喧伝し、今にも日本経済が、日本国家が破たんしかねないかのように喧伝していたが・・・・・・
当時の、国民の個人金融資産は1400兆円という天文学的数値で、現実の現金資産でも600兆円、さらに日本政府保有の米国債等の海外金融資産が400兆円。
民間部門でも、トヨタ等大企業の還流可能な金融資産が数100兆円という、さらに、800兆円とかの赤字国債での公共投資の高速道路、新幹線、空港、ダム、港湾等の資産総額はその負債額をはるかに超えていた・・・・・・

世界一高い、高速道路料金、鉄道料金、電気料金、電話料金だが、これらはすべて国民の負担で作られていた。
その上そのような、利用料金負担である・・・・・・
それを、税負担に例えるなら、十分に欧米のそれに伍している計算だ。

それなのに、将来にツケを残すなとか、そのような政策をしてきた政府が、そこにある莫大な資産を隠し、国民生活に資するどころか、戦後閥、いわゆる、「政治・行政」を既得権益、利権としてきた政治家、官僚機構が私服しつづけるために、
「医療不安」を騙り、「年金破たん」を無茶苦茶な行政で惹起させ、挙句それを「国民負担」、増税に押しつけようとしていた。

医療費の無駄、医療費が30兆円超というが、政府が税金から負担している部分はその内の5兆円ほどでしかない。
残りの25兆円は、健康保険税と、3割実費負担の部分であった。
それなのに、医療保険税の増税を言いながら、その30兆円超の部分の20%以上が、医薬メーカー、医療機器メーカー、一部の医師の「水増し請求」、不正請求だった・・・・・・・

防衛費に始まり、行政コストの不正予算、国家予算、一般、特別会計の240兆円の10%が水増し、不正処理だったとしたら年間その総額は24兆円、
当時、巷間言われていたのは20%台という話もあり、それらを検査する「会計検査院」までが不正処理をしていたとかだから、戦後60年から続いた、自民党政権と政府官僚の癒着構造は尋常ではなかったようだった。

その「100年目に一度の危機」の際の内閣総理大臣は、敗戦処理当時の外務大臣、その後の自由党総裁、首相の吉田茂の孫の麻生太郎・・・・・・
まああ、確かに「100年目に一度」たるゆえんだろうか、それ以前たった3年間に岸信介というA級戦犯容疑者、岸信介首相の孫の安倍晋三、
そして、その岸信介首相、戦前の商工省官僚当時の腹心、福田赳夫首相の息子福田康夫と3代がたてつづけに内閣総理大臣につくという珍事があった。
さらに、その麻生太郎内閣にあっては、その閣僚の7割が、自民党大臣の息子、娘だったという事実は・・・・・・
その後の、日本の政治の変革を予測させるには十分な要素を呈していた。

今から46年昔の2009年9月の総選挙で自由民主党の3割もの衆議院議員が落選で、戦後「55年体制」とか言って、その大成の片方の日本社会党が1996年に崩壊したのと同じように消滅した。
当然、その時代、その時政権奪取した「民主党」は、国民にとっては極めてエポックな、同一選挙区からの「世襲立候補」禁止の公約がその後の総選挙から施行され、国会議員の構図が大きく様変わりした。

東日本大震災と福島第一原発事故。

民主党政権下、麻生政権の言った「100年に一度の未曾有」どころの騒ぎでない・・・・・

「未曾有」が勃発した。

人間の知恵など、地球規模の大自然の変化には贖えるものではない。
しかし、「原子力発電所」の爆発、放射能汚染は結果、日本はおろか世界の「原子力利用」を覚醒させた。
たしかに、一部、原子力行政では「安価」、「安全」と喧伝されてはいたがそれは全くの荒唐無稽な推論であることが、その事故で露呈した。

全原発の停止、そして廃炉は人類の懸命な選択であったと、今は言えるようだ・・・・・
2055年、世界は電力エネルギーの「備蓄」、つまり、原子力行政にかけるコストを「電力蓄電」に費やし、
2020年代初頭にはその技術開発に成功していた。まあ、今日の大きな課題はその原発の「高レベル廃棄物」をいかにしてコントロールするか、そのことを考えると過去の負の遺産は実に重たいものがある。

当時、政権交代があって右往左往していたらしい政治も大きく様変わりしてきた。
アメリカという強大な軍事力を背景に世界を覇権国家君臨していた時代は既に終焉していた。
つまり、アメリカ合衆国の「経済衰退」であった・・・・・
まあ、先進国はおしなべて人口減少に向かっていたその時代、アジアは30億人市場から40億人市場にと拡大し、19世紀、20世紀と「大西洋文明」の時代から「太平洋文明」の時代へと変遷。
そのことが、日本経済、そして欧米の経済を救援する大きな原動力となっていった。

そして、日本の政治・・・・・
2055年、日本の国会議員もアメリカのような二大政党制になり、道州制が2025年に施行され、衆議院は全て比例代表制となり、参議院を各地域の意見代表者である旨から小選挙区制とし、
基本的に、既得権益、利権構造を生みやすい、各組合、業界団体からの立候補を禁止とした。
地方政治に至っては、市議会議員は地域推薦候補と、各年代層、子育て世代、中高年世代、高齢者世代からの候補者としてそれも地域推薦候補者とし、議会活動費は実費支給とし、報酬は公務員準拠とする。

今日の日本は世界に冠たる技術立国であり、世界のあらゆる産業分野において日本の科化学技術の応用がなければ生産が不可能な状態になっている。
当然、ピーク時の総人口から4000万人からが減少しているのだから、物量的な国内消費大きく落ち込んではいるが、生産技術の発達からほとんど人的コストを必要とせず・・・・・・
またその生産のほとんどを輸出に向ける、自動車、家電産業もロボット化され、そのロボット経費を課税化とし、
つまり、過去には人件費の部分であったもの、ロボット一台分で人員5人分の効率作業をするということを前提に、2~3人分の人件費を課税し、その部分を医療、介護、教育分野に予算充当することで、
人間、「人の暮らし、生活」を豊かにする社会を達成してきた2055年の「生活大国ニッポン」である。

子どもは国の宝として「国が育てる」。つまり養育の保障を国がする・・・・・・

そして高齢者は、生涯現役、健康で行動に支障がない限りは何らかの労働に従事し、社会参加する。

人口減少で、自動車の保有台数も減り、高速道路の、鉄道の、電気の需要も減り、それらにかかる公共投資は不要となった。
その分、「国民生活」に、「社会保障」に投資をする、そして、この時代未だ飢餓、貧困が残されている国地域があるなら惜しまず人的、資金援助をする。

それが、1945年から2055年まで、戦争をすることなく平和に生活してきた「日本」という一つの理想国家が国民に果たすべき役割だろうし、
世界にも、その恩恵をあらゆる手段で返すべき時ではないだろうか・・・・・・

少子高齢化、確かにその人口構造は変わった。しかし、「人が生活する」というその姿になんら変わりがない。

若者が不安なく家庭を築き、高齢者が不安なく余生する・・・・・・

それが可能となった今のこの日本を2012年のニッポン国民はどのように想像していただろうか。

悲嘆にくれていたんだろうか・・・・・・(笑)。

大丈夫、この国は無限の可能性を秘めている・・・・・・・

国民一人ひとりに、知恵がある。そして人を思いやる心がある。

だから、2009年の日本国民、私たちのお父さん、おかあさん、そしておじいちゃん、おばちゃん・・・・・・・

今は未だ生まれたばかりの私たち、まだ生まれていない私たちだけど、心配しないで。

今日、一日、一日を大切に過ごしてください。

2055年の子どもたちより・・・・・

「子どもの日」
2055年5月5日(土)


  


Posted by 昭和24歳  at 20:40Comments(0)

2012年05月05日

【2062年】50年後の高崎

【2062年】50年後の高崎



50年後・・・2062年。

もちろん僕はいない。昭和の最後の年、昭和64年生まれの市民が74歳になる年だ。

今日、今、「オギャーッ」と生まれた赤ちゃんが50歳・・・・・・

その時、僕の長女は85歳、次女81歳、末娘68歳(笑)。

今年、ピカピカの一年生になった次女の長男が57歳(^^ゞ

当然、元号は平成から“泰平”とでも。現在の皇太子が健在ならば102歳。

そんな時代、一体全体、「わが街高崎」はどんな街になっているだろうか?

もちろん今の21階の市庁舎も老朽化で「建て替え」が市議会でもまれているころではないか・・・・・

鉄筋コンクリートの寿命が60年~70年だというから、まあその威容も墓標のような趣かも知れない。

高崎音楽センターが僕が13歳の時だから今50歳。

すでにその寿命がささやかれ補強改修工事もままならないとかで箱モノ屋さんが五月蠅い。

ところで、その2062年ころには日本の人口も6000万人台に落ち着いてる頃だ。統計上。

まあ、戦争でもなければの話、天変地異がなければの話だけれど・・・・・・

考えてみると、50年後って、そんな先の話ではない。

なぜかと言えば、50年昔は僕が13歳。つい昨日のことのような話である。

しかし、その50年昔から比べると高崎の街も随分と面妖というか趣が変わってきた・・・・・

その50年昔の「わが街高崎」は・・・・・昭和37年。

まだデパートといえるほどのものはなかったが、それでも連雀町の四つ角に「高島屋ストア」と、銀座通りには「おしゃれデパート」。
そういえば本町三丁目に「フードセンター」ができたのもそのころではなかっただろうか・・・・・

映画館、「オリオン座」が出来たのもその年、確か昭和34年のころだった。

町内というか横丁には魚屋、八百屋、肉屋、酒屋、米屋、饅頭屋、電器屋、小間物屋、荒物屋、豆屋、塩屋、薬局・・・・・・
煙草屋、乾物屋、豆腐屋、駄菓子屋、等々etcで、
少し足を延ばして半径2、300メートルなら洋品店、帽子店、蕎麦屋、喫茶店、瀬戸物屋・・・・・

そうそう、僕の家の3軒隣の表通りにはパチンコ屋まであった(笑)。

自転車屋、旗屋、建具屋、竹屋、鍛冶屋、下駄屋、畳屋・・・・・・

まあ、早い話が、横丁そのものが“ショッピングモール”みたいなもので、まさに「オンデマンド」です。

まあ、朝餉、夕餉には豆腐屋さん、納豆屋さん、卵屋さんがセールスに来る。八百屋さんも僕の隣んちが、
その八百屋の「引き売り」だった。

そんなショッピングモール、イオンのような横丁がいつの間にか「消えた」・・・・・

あれだけ朝な、夕なに騒然としていた横丁から人も家も、突然のように消えた。

こんな地方都市にも、そう、高砂町という横丁にも高層マンションが2棟、3棟、4棟・・・・・・

街中にそんな「マンション」が今も数棟。で、このご時世です。その部屋の明かりも疎ら。

今、盛んに騒がれている高齢化社会だが、思えば当時、ほとんどの家には「おじいさん」と「おばあさん」がいた。

まあ、その意味では、あの戦争で20代、30代の男衆はほとんどが兵隊にとられたから・・・・・・

まさにその戦争時代というか昭和10年代は「高齢化社会」そのものではなかっただろうか。

僕の家の両隣にもおじいさんおばあさんがいた、その向こうの家にも、そのまた向こうの家にも。


50年後の高崎・・・

市町村合併を繰り返し、人口を水増ししてもどんどん街は小さくなる現実。

いわれる「右肩上がり」に政治も、経済も思考することの限界地に来ているのではないか・・・・・

「都市の寿命」

しかし、都市が消えてなくなるわけではない。たしかに「限界集落」とかの山間地の住居は消えてゆくだろうけど、
都市そのものは人口収縮し変幻しながらも・・・・・・

つねに「生まれ変わってゆく」。新しく、新しく。

おそらく50年後には医療技術も相当に発達し、その意味ではある程度「高齢社会」も落ち着いてきているのではないだろうか。

ただし、少子化と、最近言われていることは「独居」の中高年が激増しているとかの話・・・・・

つまり、結婚しない男女。

その結婚しない男女がそのまま高齢化した時の問題・・・・・・

それ自体が少子高齢化の問題でもあるのだが、かといって、結婚も、離婚も突き詰めれば個々人の問題で、
そのことに社会が闇雲に強制できることではない。

つまり、配偶者のいない、子どものいない「独居者」がその少子高齢化社会の中に3割とか4割・・・・・・

今現在でも40代、50代に限って言うと7人に一人の割合で「独居」だという。

実は、僕のカミさん4人姉妹で他の三人は50代の独身・・・・・・

僕の友人にもその「独居高齢者」は今数えただけでも、7、8人はいる。


50年後の高崎・・・

社会構造が全く今のこの環境と変わるのに政治、行政がその「右肩上がり」の虚構の「明るい街」しか想像しない。

そうした中で、財政だけはさも深刻そうに「将来にツケを残すわけにはいかない」とかで増税を言っている。

たしかに、少子高齢化は大きな社会問題、いや、環境問題である。

さらに、財政でいえば今日のこの莫大な負債を、人口そのものが半滅しようというのにどうしてそれを賄い、解決できるというのだろうか・・・・・・

しかし、街が小さくなる、国が小さくなるということは必ずしも悲観することではない。

その意味では、日本以外の先進国のほとんどが米国を例外にすれば東西統合のドイツ連邦共和国でさえ8231万人・・・・・・

フランス、英国、イタリアも6000万人台。

つまり、人口構造の差はあるとしても・・・・・・

50年後の日本、というか「高崎」は欧州並みの都市環境になるということではないか。

北欧に至っては大きいスウェーデンでも1000万人弱です。


既得権益保護の土建行政、箱モノ行政は終止することです。

人権保護の見地からの行政。そして都市環境は暮らしとしてのコミュニティの充実と景観としての森、公園都市の創造。

当然家族と暮らす、生活するということは理想ですが、「独居」を視野に入れた生活環境づくり・・・・・・

その意味での、社会、コミュニティが充実してくればその環境の中での家族も生まれるはずです。

「100年に一度の危機」

いい機会かもしれません。

それは景気回復ではなく「人間らしい生活、社会の回復」を目指すべきです。

50年後の「わが街高崎」のためには・・・・・・

今、20代、30代のそこのあなた、これは、あなた自身の問題なのです。

僕らのいない「わが街高崎」は。

<↑の投稿は2009年04月02日の一部を加筆改訂したものです>
http://g3s.gunmablog.net/e39927.html

2011年3月11日・・・・

そして、東北大震災と福島第一原発事故が起きた。

そのことでこの先どう変わるかは予測はできないが想像はできる。

先日、高田馬場の居酒屋で柳家紫紋師匠と高崎の街についてご教授いただいた。

たまたま、同席していた「くもすけバンド」のボーカル、57歳・・・・・

この方、弘前市出身で、「弘前も悩んでいる」とか(笑)。

紫文師匠、さすが慧眼である。いかにして街を活性化させるか!??

「音楽のある街たかさき」、そして、もう一つが「機関区の街」。

つまり、「SL」の街だった「たかさき」。

シモン師匠のアディアはこうだ、コレ↓

「高崎の西口駅前通りに、SL“D-51”とかを連結した列車を置く。
もちろん、その列車は「ショッピングモール」、商店として起業しようとする若者に貸し出す。」


そして、観光資源としての「観音様と高崎だるま」の再考も。

正直、一見、突拍子もないアイディアだが、実に現実的だと思う。

というのも、ここ毎日高崎駅西口の閑散とした大通りを歩くと・・・・・

一通りも少ない、もちろん交通量も少ない、一体何のための「再開発」だったのか。

なのに、現行政はこの「西口」を捨てて、ゴーストタウン化させて、東口に500億円を投じ、

10階建のビルを中心に、その栄町一帯の「再開発」をという。

「スクラップ&ビルド」ではなく、スクラップはそのままにしてのニュータウン構想。

50年後の高崎・・・

そんな先の話ではない。50年前13歳だった僕らからすればこの街の変容は、

その50年後を十分占える。

人の消えた街。映画館は一件もなくなった、喫茶店も、本屋さんも消えた。

昭和37年ころから50年経った高崎の街は人肌の感じられない寒々としている。

戦後すぐは本町が、そして八間道路、田町通り、中央銀座通り・・・・

人が住む街に「盛衰」は望ましくない。しかし、行政は捨て去る。

それは「再開発」ではなく、実はいつも「新開発」。

つまり、「再開発」の名の下に「新開発」された周辺は過疎化し、廃墟化するか消滅。

それにしても、銀座通りの「オリオン座」、あの廃墟の様はおぞましい限り。

栄町の前にすることがあるだろうに・・・・・

お笑い「都市循環バス」(高崎市)だが、最近高崎駅西口の医療センター間を頻繁に利用。

高崎駅=市役所=公園前=医療センター=東電前、連雀町経由高崎駅西口を循環。

まあ、僕にとっては100円で便利で安上がりだが・・・・・

いつも貸し切り状態の「都市循環バス」。

人の消えた街を、行政が出費しての交通網ってぇのも、まあ、笑えます。

【2062年】50年後の高崎



  


Posted by 昭和24歳  at 08:31Comments(0)

2012年05月05日

【2062年】50年後の高崎

【2062年】50年後の高崎


50年後・・・2062年。

もちろん僕はいない。昭和の最後の年、昭和64年生まれの市民が74歳になる年だ。

今日、今、「オギャーッ」と生まれた赤ちゃんが50歳・・・・・・

その時、僕の長女は85歳、次女81歳、末娘68歳(笑)。

今年、ピカピカの一年生になった次女の長男が57歳(^^ゞ

当然、元号は平成から“泰平”とでも。現在の皇太子が健在ならば102歳。

そんな時代、一体全体、「わが街高崎」はどんな街になっているだろうか?

もちろん今の21階の市庁舎も老朽化で「建て替え」が市議会でもまれているころではないか・・・・・

鉄筋コンクリートの寿命が60年~70年だというから、まあその威容も墓標のような趣かも知れない。

高崎音楽センターが僕が13歳の時だから今50歳。

すでにその寿命がささやかれ補強改修工事もままならないとかで箱モノ屋さんが五月蠅い。

ところで、その2062年ころには日本の人口も6000万人台に落ち着いてる頃だ。統計上。

まあ、戦争でもなければの話、天変地異がなければの話だけれど・・・・・・

考えてみると、50年後って、そんな先の話ではない。

なぜかと言えば、50年昔は僕が13歳。つい昨日のことのような話である。

しかし、その50年昔から比べると高崎の街も随分と面妖というか趣が変わってきた・・・・・

その50年昔の「わが街高崎」は・・・・・昭和37年。

まだデパートといえるほどのものはなかったが、それでも連雀町の四つ角に「高島屋ストア」と、銀座通りには「おしゃれデパート」。
そういえば本町三丁目に「フードセンター」ができたのもそのころではなかっただろうか・・・・・

映画館、「オリオン座」が出来たのもその年、確か昭和34年のころだった。

町内というか横丁には魚屋、八百屋、肉屋、酒屋、米屋、饅頭屋、電器屋、小間物屋、荒物屋、豆屋、塩屋、薬局・・・・・・
煙草屋、乾物屋、豆腐屋、駄菓子屋、等々etcで、
少し足を延ばして半径2、300メートルなら洋品店、帽子店、蕎麦屋、喫茶店、瀬戸物屋・・・・・

そうそう、僕の家の3軒隣の表通りにはパチンコ屋まであった(笑)。

自転車屋、旗屋、建具屋、竹屋、鍛冶屋、下駄屋、畳屋・・・・・・

まあ、早い話が、横丁そのものが“ショッピングモール”みたいなもので、まさに「オンデマンド」です。

まあ、朝餉、夕餉には豆腐屋さん、納豆屋さん、卵屋さんがセールスに来る。八百屋さんも僕の隣んちが、
その八百屋の「引き売り」だった。

そんなショッピングモール、イオンのような横丁がいつの間にか「消えた」・・・・・

あれだけ朝な、夕なに騒然としていた横丁から人も家も、突然のように消えた。

こんな地方都市にも、そう、高砂町という横丁にも高層マンションが2棟、3棟、4棟・・・・・・

街中にそんな「マンション」が今も数棟。で、このご時世です。その部屋の明かりも疎ら。

今、盛んに騒がれている高齢化社会だが、思えば当時、ほとんどの家には「おじいさん」と「おばあさん」がいた。

まあ、その意味では、あの戦争で20代、30代の男衆はほとんどが兵隊にとられたから・・・・・・

まさにその戦争時代というか昭和10年代は「高齢化社会」そのものではなかっただろうか。

僕の家の両隣にもおじいさんおばあさんがいた、その向こうの家にも、そのまた向こうの家にも。


50年後の高崎・・・

市町村合併を繰り返し、人口を水増ししてもどんどん街は小さくなる現実。

いわれる「右肩上がり」に政治も、経済も思考することの限界地に来ているのではないか・・・・・

「都市の寿命」

しかし、都市が消えてなくなるわけではない。たしかに「限界集落」とかの山間地の住居は消えてゆくだろうけど、
都市そのものは人口収縮し変幻しながらも・・・・・・

つねに「生まれ変わってゆく」。新しく、新しく。

おそらく50年後には医療技術も相当に発達し、その意味ではある程度「高齢社会」も落ち着いてきているのではないだろうか。

ただし、少子化と、最近言われていることは「独居」の中高年が激増しているとかの話・・・・・

つまり、結婚しない男女。

その結婚しない男女がそのまま高齢化した時の問題・・・・・・

それ自体が少子高齢化の問題でもあるのだが、かといって、結婚も、離婚も突き詰めれば個々人の問題で、
そのことに社会が闇雲に強制できることではない。

つまり、配偶者のいない、子どものいない「独居者」がその少子高齢化社会の中に3割とか4割・・・・・・

今現在でも40代、50代に限って言うと7人に一人の割合で「独居」だという。

実は、僕のカミさん4人姉妹で他の三人は50代の独身・・・・・・

僕の友人にもその「独居高齢者」は今数えただけでも、7、8人はいる。


50年後の高崎・・・

社会構造が全く今のこの環境と変わるのに政治、行政がその「右肩上がり」の虚構の「明るい街」しか想像しない。

そうした中で、財政だけはさも深刻そうに「将来にツケを残すわけにはいかない」とかで増税を言っている。

たしかに、少子高齢化は大きな社会問題、いや、環境問題である。

さらに、財政でいえば今日のこの莫大な負債を、人口そのものが半滅しようというのにどうしてそれを賄い、解決できるというのだろうか・・・・・・

しかし、街が小さくなる、国が小さくなるということは必ずしも悲観することではない。

その意味では、日本以外の先進国のほとんどが米国を例外にすれば東西統合のドイツ連邦共和国でさえ8231万人・・・・・・

フランス、英国、イタリアも6000万人台。

つまり、人口構造の差はあるとしても・・・・・・

50年後の日本、というか「高崎」は欧州並みの都市環境になるということではないか。

北欧に至っては大きいスウェーデンでも1000万人弱です。


既得権益保護の土建行政、箱モノ行政は終止することです。

人権保護の見地からの行政。そして都市環境は暮らしとしてのコミュニティの充実と景観としての森、公園都市の創造。

当然家族と暮らす、生活するということは理想ですが、「独居」を視野に入れた生活環境づくり・・・・・・

その意味での、社会、コミュニティが充実してくればその環境の中での家族も生まれるはずです。

「100年に一度の危機」

いい機会かもしれません。

それは景気回復ではなく「人間らしい生活、社会の回復」を目指すべきです。

50年後の「わが街高崎」のためには・・・・・・

今、20代、30代のそこのあなた、これは、あなた自身の問題なのです。

僕らのいない「わが街高崎」は。

<↑の投稿は2009年04月02日の一部を加筆改訂したものです>
http://g3s.gunmablog.net/e39927.html

2011年3月11日・・・・

そして、東北大震災と福島第一原発事故が起きた。

そのことでこの先どう変わるかは予測はできないが想像はできる。

先日、高田馬場の居酒屋で柳家紫紋師匠と高崎の街についてご教授いただいた。

たまたま、同席していた「くもすけバンド」のボーカル、57歳・・・・・

この方、弘前市出身で、「弘前も悩んでいる」とか(笑)。

紫文師匠、さすが慧眼である。いかにして街を活性化させるか!??

「音楽のある街たかさき」、そして、もう一つが「機関区の街」。

つまり、「SL」の街だった「たかさき」。

シモン師匠のアディアはこうだ、コレ↓

「高崎の西口駅前通りに、SL“D-51”とかを連結した列車を置く。
もちろん、その列車は「ショッピングモール」、商店として起業しようとする若者に貸し出す。」


そして、観光資源としての「観音様と高崎だるま」の再考も。

正直、一見、突拍子もないアイディアだが、実に現実的だと思う。

というのも、ここ毎日高崎駅西口の閑散とした大通りを歩くと・・・・・

一通りも少ない、もちろん交通量も少ない、一体何のための「再開発」だったのか。

なのに、現行政はこの「西口」を捨てて、ゴーストタウン化させて、東口に500億円を投じ、

10階建のビルを中心に、その栄町一帯の「再開発」をという。

「スクラップ&ビルド」ではなく、スクラップはそのままにしてのニュータウン構想。

50年後の高崎・・・

そんな先の話ではない。50年前13歳だった僕らからすればこの街の変容は、

その50年後を十分占える。

人の消えた街。映画館は一件もなくなった、喫茶店も、本屋さんも消えた。

昭和37年ころから50年経った高崎の街は人肌の感じられない寒々としている。

戦後すぐは本町が、そして八間道路、田町通り、中央銀座通り・・・・

人が住む街に「盛衰」は望ましくない。しかし、行政は捨て去る。

それは「再開発」ではなく、実はいつも「新開発」。

つまり、「再開発」の名の下に「新開発」された周辺は過疎化し、廃墟化するか消滅。

それにしても、銀座通りの「オリオン座」、あの廃墟の様はおぞましい限り。

栄町の前にすることがあるだろうに・・・・・

お笑い「都市循環バス」(高崎市)だが、最近高崎駅西口の医療センター間を頻繁に利用。

高崎駅=市役所=公園前=医療センター=東電前、連雀町経由高崎駅西口を循環。

まあ、僕にとっては100円で便利で安上がりだが・・・・・

いつも貸し切り状態の「都市循環バス」。

人の消えた街を、行政が出費しての交通網ってぇのも、まあ、笑えます。

【2062年】50年後の高崎



  


Posted by 昭和24歳  at 08:31Comments(0)

2012年05月05日

東京湾原発を「原発ゼロ続けば日本は衰退」

東京湾に原発を
「原発ゼロ続けば日本は衰退」
 



そんなに安全で便利だというのなら東京に作ればいいじゃないか。新宿西口に建ててみたらどうだ!過疎の浜の人は死んでも仕方ないというのか。チェルノブイリ事故で一層はっきりした原発の危険を最新データを駆使して説く衝撃のテキスト。人類の安全と代替エネルギーの根本問題を、豊富なイラスト、写真を元に鋭く抉るノンフィクションの話題作!



「原発ゼロ続けば日本は衰退」 産業空洞化の懸念
 北海道電力泊原子力発電所(北海道泊村)3号機の定期検査入りで現実となる「原発ゼロ」が長期化すれば、日本経済には大きなダメージが加わる。火力発電への依存度増加は3兆円超の国富を海外に流出させ、電気料金の値上げが企業活動の足を引っ張ることは確実だ。企業の間では「生産拠点を海外に移すしかない」との声も強まっており、電力不足は産業空洞化という取り返しのつかない結果につながりかねない。

 「原発ゼロが続けば日本は衰退の道をたどる」。経済産業省幹部は電力不足の悪影響を真剣に懸念する。

 東日本大震災前、原発は発電電力量の3割近くを占めていた。その原発の停止が続き、電力各社は火力発電への傾斜を強めている。原発ゼロが1年間続けば、石油や液化天然ガス(LNG)などの燃料費は平成22年度よりも3・1兆円増えると試算される。日本の国内総生産(GDP)の約0・6%にあたる国富が国外に流出するかたちだ。

 燃料費の増加は国内の電気料金値上げに直結する。東電はすでに企業向けで平均17%の値上げを発表済み。家庭向けでも10%の値上げを行う方向だ。SMBC日興証券の試算では東電管内の企業の経常利益は約3900億円減り、家計の消費にも約3千億円のマイナス影響がある。

<抜粋引用:2012.5.4 23:57(1/2ページ)>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/life/news/120504/trd12050423590022-n1.htm

>電力不足は産業空洞化という取り返しのつかない結果につながりかねない。

ならば、日本国民覚悟を決めて・・・・・

電力需要の集中する大都市圏に「原発」を造りましょう。

まあ、送電ロスも低減でき、安全でクリーンなエネルギーなんだし、

日本経済発展のためにも、アレだしね。

で、過疎地っていうか、地方は水力発電、地産地消で、群馬とかは十分。

多少の不便があったとしても、この時代、その不便が科学発展させる、

つまり、地方自治体も住民も考えるだろうし。

東京湾、伊勢湾、大阪湾に原発村建設して日本の産業発展、経済発展に!!

で、少なくとも「原発怖い」と思う大都市圏住民、そこから離れたらいい・・・・・

大都市一極集中も避けられるだろうし、地方の過疎も解決するかも?

まっ、「原発」でもいいです。問題は「覚悟」ですから、政府は「覚悟」を国民に促せばよい。

もともとが「神話」の上に成り立っているこの日本だし、

万が一の「危機感」を持って日々を過ごすってぇことも、この国には必要なのかもしれない。

まあ、福島第一原発事故の実態がどのようなことになっているのか・・・・・

東日本全体の放射能汚染の問題でも、まっ、一年も経ったら喉元、冷めてますから。

ただ、忘れてはならないのが「高レベル核燃料廃棄物」、つまり「原発の糞尿処理」ですね。

早い話が、それ、古典的な「汲み取り式」ですから、溜まる一方です。

で、再処理も「絵に描いた餅」で、将来にわたって全く見通しが経ってない。

つまり、「作りっぱなし」で「使いっぱなし」ですからどうするんでしょうか?

まあ、そんなことどうでもいいから、「経済至上主義」ですから・・・・・

「危機」、「危機」と、そんなに言うなら東京湾に原発を造りましょうよ。

そして、使用済みの「高レベル核燃料廃棄物」は巨大なガラスコンクリート石棺に、いくつも、いくつも。

で、東京湾に埋め立てて、さらにその上に「原発建設」をすることです。

まあ、アレです「人間の営み」なんてそんなもんです。財界のエライさんもそこまで言うならお覚悟を。

まっ、当然、されてるでしょうけど、福島県、新潟県に「東京電力」ってやっぱりヘン(笑)。

>そんなに安全で便利だというのなら東京に作ればいいじゃないか。

東京湾に原発を
「原発ゼロ続けば日本は衰退」
 

  


Posted by 昭和24歳  at 07:25Comments(0)

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