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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2012年03月20日
【雲助バンド】リハ・・・・・40年ぶりの♪銭湯ブルース♪
【雲助バンド】リハ・・・・・
40年ぶりの♪銭湯ブルース♪
♪ せんと~~~でぇ ♪
キサブロー作詞作曲の「銭湯ブルース」。志保君がひょろひょろな身体をくねらせるようにして歌う。キサブローさんのSGと丸山さんのプレシジョンが絡む。お末ちゃんはリフ専門に徹しシャイなステージプレイ。
実は昨日わかったことなんだが・・・・・
♪ 銭湯ブルース♪ は志保くんの作詞だったんだとか(^^ゞ
僕の大きな記憶違いだった。
さらに歌っていたのは志保くんではなくて、
「キサブロー」さんでした_(._.)_
で、高田馬場の某スタジオにて・・・・・・
40年経ってもアントキの猪木、おスエちゃん↑
ギターも71年製のフェンダーストラト、ラージヘッド!!
新宿の帝都無線で、そう、ベースの丸山さんがそこでバイトしてたんです。
そんなわけで、そうです、当時で定価が21万5000円でしたから・・・・・
それに、ツインリバーブ、シルバーフェイス、多分70年代初期。
32万円も同時購入しちゃいました(;゚Д゚)!
もち、ローンなんていう洒落た時代じゃあなかったので、キャッシュ!!
まあ、お友達価格でしたけど両方で50万円弱、兄貴から借金したとか・・・・・
そんな、あの頃のお末ちゃんでした。
で、おスエちゃん、あの頃のまんまでコリコリのブルースサウンド!!
・・・・・ボーカルの志保君は何でも北陸の方の出身でヒョロットした、コミカルな未だ少年ぽさの残る愉快な奴だった。なんでも「商船高校」、船乗りの学校を出ていたと云うが「海の男」の匂いは感じさせなかった。ただ、声は「海」で鍛えたかのようなハスキーでブルースにはうってつけの声をしていた。
ひょうきんで「MC」もかなりいけていて、後で気がついたのだが「なぎらけん壱と缶けり仲間」だったのも頷けた。
志保くん、実はキサブローさんと同郷だった。
僕が北陸方面の出身と勘違いしてたのは、商船高校卒業ということから、
勝手に勘違いしてたわけでした。
で、なんで、東京へかって言うと、富山の商船高校時代に富山に来た「なぎら健壱」さんに、
「東京へこないか」と誘われたんだとか・・・・・
リハ、最初は「声出ねぇーーー」とか言ってたけど、やっぱり、40年前のまんま、
「銭湯ブルース、これキサブロー歌ってたんだべさぁ」
で、志保くんがキサブローさんにふると、「勘弁してよ」みたいな(笑)。
そんなわけで、4時間、ずっと歌いパなしの志保くんでした・・・・・
丸山さんは、東武東上線の上板橋に住んでいた。何度か訪ねた事があるが今風に云えば、フリーター兼バンドマンでどことなく人の良さそうな都会っ子風の青年であった。
赤穂浪士討入りのようなヘアースタイルで、たしかホンモンの「フェンダープレシジョンベースを弾いていた。当時は「南阿佐ヶ谷ブルースバンド」のベーシストとして中央線沿線では幅を利かせていたようだ。
荻窪、新宿の「ロフト」、「マガジン」と丸山さんの関係のブッキングだとか。
現在も現役で活躍中とか・・・・・・
まあ、オールディーズのバックとかイロイロ。
でも、ブルース・ベース、さすがバッチ、ご機嫌でした。
そもそも、雲助バンドのドラマーはオトヤだった↑
当時、ライブも結構入ってきた、そんな時に体を壊して帰郷・・・・・・
で、僕がそんときの仕事と掛け持ちで雲助バンドに。
まっ、オトヤのドラムは、そう、ローリングストーンズのチャリー・ワッツばり。
どことなく風貌も似ていて、本人も意識しちゃってたりして(笑)。
そんなオトヤのドラム、銭湯ブルースはノリノリでした!!
キサブローさんが故郷の弘前でコンサートをするのだと云う。メンバー全員で弘前まで行く事になった。
上野発の夜行列車「いなほ」。
東北本線を途中から奥羽本線に行くやつだ。上野の18番線で待ち合わせた。弘前までは一二時間くらいかかっただろうか、兎に角結構な時間を列車に揺られた。
弘前に着くとキサブローさんの友人達が出迎えていた。キサブローさんはその友達たちと懐かしそうに話し込んでいる。彼女の方はやはり出迎えた友人と「じゃぁ」と言って僕等と別れた。
やっぱり、ブルージーなギターを弾いちゃってくれます!!
まあ、知ってる人は知っている、知らない人は、なんだけど、
キサブローさんの弾いてる、ギブソンのレスポール、ゴールドトップ・・・・・
P-90(リーシュ)、ガッツンガッツン!!
ってなわけで、むちゃくちゃ鳴らしてくれちゃってましたし、
まあ、4時間のリハ、老体にムチ打って。
そして楽しみのイッパイ(笑)。
で、高崎の家に着いたときは午前1時でした・・・・・
マネージャーの松村さん、
「今度ライブしようよ、ブッキングしちゃうし」
「おい、待てよ松村、いくらなんでもまだ無理だろ」と、キサブローさん・・・・・
「大丈夫、大丈夫、イケルイケル、あと何度かリハすれば」
まあ、そんな訳で、高崎でもやっちゃうかも、40年ぶりの・・・・・・
「雲助バンド凱旋コンサート」
【雲助バンド】リハ・・・・・
40年ぶりの♪銭湯ブルース♪
40年ぶりの♪銭湯ブルース♪
♪ せんと~~~でぇ ♪
キサブロー作詞作曲の「銭湯ブルース」。志保君がひょろひょろな身体をくねらせるようにして歌う。キサブローさんのSGと丸山さんのプレシジョンが絡む。お末ちゃんはリフ専門に徹しシャイなステージプレイ。
実は昨日わかったことなんだが・・・・・
♪ 銭湯ブルース♪ は志保くんの作詞だったんだとか(^^ゞ
僕の大きな記憶違いだった。
さらに歌っていたのは志保くんではなくて、
「キサブロー」さんでした_(._.)_
で、高田馬場の某スタジオにて・・・・・・
40年経ってもアントキの猪木、おスエちゃん↑
ギターも71年製のフェンダーストラト、ラージヘッド!!
新宿の帝都無線で、そう、ベースの丸山さんがそこでバイトしてたんです。
そんなわけで、そうです、当時で定価が21万5000円でしたから・・・・・
それに、ツインリバーブ、シルバーフェイス、多分70年代初期。
32万円も同時購入しちゃいました(;゚Д゚)!
もち、ローンなんていう洒落た時代じゃあなかったので、キャッシュ!!
まあ、お友達価格でしたけど両方で50万円弱、兄貴から借金したとか・・・・・
そんな、あの頃のお末ちゃんでした。
で、おスエちゃん、あの頃のまんまでコリコリのブルースサウンド!!
・・・・・ボーカルの志保君は何でも北陸の方の出身でヒョロットした、コミカルな未だ少年ぽさの残る愉快な奴だった。なんでも「商船高校」、船乗りの学校を出ていたと云うが「海の男」の匂いは感じさせなかった。ただ、声は「海」で鍛えたかのようなハスキーでブルースにはうってつけの声をしていた。
ひょうきんで「MC」もかなりいけていて、後で気がついたのだが「なぎらけん壱と缶けり仲間」だったのも頷けた。
志保くん、実はキサブローさんと同郷だった。
僕が北陸方面の出身と勘違いしてたのは、商船高校卒業ということから、
勝手に勘違いしてたわけでした。
で、なんで、東京へかって言うと、富山の商船高校時代に富山に来た「なぎら健壱」さんに、
「東京へこないか」と誘われたんだとか・・・・・
リハ、最初は「声出ねぇーーー」とか言ってたけど、やっぱり、40年前のまんま、
「銭湯ブルース、これキサブロー歌ってたんだべさぁ」
で、志保くんがキサブローさんにふると、「勘弁してよ」みたいな(笑)。
そんなわけで、4時間、ずっと歌いパなしの志保くんでした・・・・・
丸山さんは、東武東上線の上板橋に住んでいた。何度か訪ねた事があるが今風に云えば、フリーター兼バンドマンでどことなく人の良さそうな都会っ子風の青年であった。
赤穂浪士討入りのようなヘアースタイルで、たしかホンモンの「フェンダープレシジョンベースを弾いていた。当時は「南阿佐ヶ谷ブルースバンド」のベーシストとして中央線沿線では幅を利かせていたようだ。
荻窪、新宿の「ロフト」、「マガジン」と丸山さんの関係のブッキングだとか。
現在も現役で活躍中とか・・・・・・
まあ、オールディーズのバックとかイロイロ。
でも、ブルース・ベース、さすがバッチ、ご機嫌でした。
そもそも、雲助バンドのドラマーはオトヤだった↑
当時、ライブも結構入ってきた、そんな時に体を壊して帰郷・・・・・・
で、僕がそんときの仕事と掛け持ちで雲助バンドに。
まっ、オトヤのドラムは、そう、ローリングストーンズのチャリー・ワッツばり。
どことなく風貌も似ていて、本人も意識しちゃってたりして(笑)。
そんなオトヤのドラム、銭湯ブルースはノリノリでした!!
キサブローさんが故郷の弘前でコンサートをするのだと云う。メンバー全員で弘前まで行く事になった。
上野発の夜行列車「いなほ」。
東北本線を途中から奥羽本線に行くやつだ。上野の18番線で待ち合わせた。弘前までは一二時間くらいかかっただろうか、兎に角結構な時間を列車に揺られた。
弘前に着くとキサブローさんの友人達が出迎えていた。キサブローさんはその友達たちと懐かしそうに話し込んでいる。彼女の方はやはり出迎えた友人と「じゃぁ」と言って僕等と別れた。
やっぱり、ブルージーなギターを弾いちゃってくれます!!
まあ、知ってる人は知っている、知らない人は、なんだけど、
キサブローさんの弾いてる、ギブソンのレスポール、ゴールドトップ・・・・・
P-90(リーシュ)、ガッツンガッツン!!
ってなわけで、むちゃくちゃ鳴らしてくれちゃってましたし、
まあ、4時間のリハ、老体にムチ打って。
そして楽しみのイッパイ(笑)。
で、高崎の家に着いたときは午前1時でした・・・・・
マネージャーの松村さん、
「今度ライブしようよ、ブッキングしちゃうし」
「おい、待てよ松村、いくらなんでもまだ無理だろ」と、キサブローさん・・・・・
「大丈夫、大丈夫、イケルイケル、あと何度かリハすれば」
まあ、そんな訳で、高崎でもやっちゃうかも、40年ぶりの・・・・・・
「雲助バンド凱旋コンサート」
【雲助バンド】リハ・・・・・
40年ぶりの♪銭湯ブルース♪