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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2011年08月15日

【終戦記念日】サラダ記念日じゃああるまいし(嗤)。

【終戦記念日】サラダ記念日じゃああるまいし(嗤)。



「終戦」とは???

少なkとも「戦争」を終わらせる意思が尊重されてこそ。

その意味では、講和条約発布、昭和27年・・・・・・



平和の願い、新たに=66回目の終戦記念日―東京で全国戦没者追悼式

 66回目の終戦記念日を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京都千代田区の日本武道館で開かれ、天皇、皇后両陛下と菅直人首相、遺族や政府関係者らが参列する。戦争の犠牲になった約310万人(軍人・軍属約230万人、民間人約80万人)の冥福を祈り、平和を誓う。
 式典では冒頭に菅首相が式辞を述べ、正午に1分間黙とう。天皇陛下のお言葉に続き、父がフィリピン東方海域で戦死した甲府市の河西佐智子さん(67)が遺族代表として、追悼の辞を読み上げる。
 厚生労働省によると、遺族の参列者で、最年長は夫を亡くした東京都多摩市の馬場宮子さん(97)、最年少は曽祖父が戦死した沖縄県うるま市の宮城海皇ちゃん(5)。
 
<引用: 時事通信 8月15日(月)6時1分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110815-00000006-jij-soci


まあ、昨夜もNHKでやってたんだが、ドキュメンタリー・・・・・・

高橋是清蔵相があ暗殺された2.26。

日銀と、横浜正金銀行、そして財界、軍部が絡んでの、アレ、

「天皇の戦争」


なぜ戦争をはじめたのか!!???

4年間にわたる米英との「太平洋戦争」。

今にして思えば“4年間”も戦争をするというその日本政府の無謀さ・・・・・

当時、昭和16年、その時点で日本の国際的位置付けはどうであったのか。

たしかに、明治来「日清戦争」「日露戦争」と・・・・・・

この米欧の「白人至上主義」の国際社会にアジア地域における、唯一、

独立軍事国家

としてその将来を模索する時代だったが・・・・・

はたして“米英”を相手の開戦が日本の命運のカギであったかは今にして、多いなる疑問だ。

つまり、「米英」がいかなる思想の国家なのか・・・・・

当時は地球上のほとんどの民族を白色人種、英米仏蘭西独伊が、その地を武力で侵略、略奪、虐殺を繰り返し、

植民地支配、隷属化し、さらにそこで、その侵略者である白人種同士が、国家間で植民地の・・・・・・・

権益争奪戦を繰り返す、そんな時代だった。

当然、それはこの日本もその対象の例外ではなかったはずだ。

つまり、それが江戸幕府崩壊から明治維新の流れとなっていったのだが、

その意味では、欧米にとってこの国、日本を、

「植民地にするほどの“価値”」

がなかったか・・・・・

それとも、とりあえずは武士、武家が統治する「軍事国家」であったがためか。

もっとも、あえて侵略戦争を仕掛けて手間をかけるより、

内乱、内戦工作、つまり革命を惹起させその「革命政府」を隷属化させる政策を米英はとった。

明治革命(維新)政府に莫大な戦費を貸与し、武器、弾薬、軍艦を売り「日清・日露戦争」を工作した米英。

つまりそれが、「日本の近代化」、文明開化の源泉でもあった。

まもなく勃発した、欧米の「第一次世界大戦」は遠く離れた極東、日本の産業、経済発展に大きく寄与し、

結果、そのことが日本の中国大陸侵略戦争へ道を開くこととなり・・・・・・

そもそも英国の「アヘン戦争」来、米欧の権益争奪の場であった中国大陸。

そこへ日本がその意味では「米英の子分」の存在であるにもかかわらず、

「辛亥革命」で没した清朝、最後の皇帝“愛新覚羅溥儀”(アイシンカクラフギ)を皇帝に仕立て、

昭和7年、“大日本帝国”は関東軍を侵攻させ満州全土を占領し、

「満州国」を企てる。

“愛新覚羅溥儀”復活させた。

その、ラストエンペラーを、事実上日本政府の傀儡政権として誕生させた。

しかし、その満州一帯は、欧米、とくに「米国の権益」・・・・・・

つまり「親分のシマ」に「子分」が勝手に入り込んで賭場を開いてしまった。

当然、米英は日本政府に「満州から手を引くこと」迫り、そのためのあらゆる手段を講じ、

決定的な最後通牒が後の・・・・・・

米国国務長官「ハル・ノート」

アメリカ側から提示された交渉案である。

その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ・・・・・・・

およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、

日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものであった。

概要は以下の10項目からなる↓

ハルノート
1.アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する
2.日本の仏印(フランス領インドシナ)からの即時撤兵
3.日本の中国からの即時撤兵 
4.日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府をも認めない
5.日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄
6.通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄 –
10.本協定内容の両国による推進


つまり、大日本帝国はこの米国の通牒に従い中国(満州国は含まれず?)、

欧アジアの欧米植民地からの即時撤兵し、

英米に屈し隷属化(?)の道を行くか・・・・・・・

それとも、この通牒を無視し米英と開戦し将来への死活を探るか。

現在の北朝鮮の核開発廃棄にからむ「米朝交渉」に似ているような似ていないような(?)。

当然、当時の日本と英米の国力はといえば、

今日の“米朝”のそれほどではないにしても、そこには天と地ほどの差があった。

はっきり言えば、「天皇の」という、大日本帝国の“沽券”でしかなかった・・・・・・

「交渉力」の貧困、つまりは「外交力」が無力だということ。

それにしても米英相手に4年間も戦争をするとは狂気でしかない。

もっとも、実質戦争をしたのは日本政府ではなく「日本国民」だけだった・・・・・・

「天皇陛下の命令」「天皇陛下のため」。

そのために死んでいった無辜の命300万余。

それは、その姿は今も変わらない日本国政府の国民無視。

財政再建のためと消費税10%を言う政府、何人国民を殺したらすむのか。

そして、ヒロシマ、ナガサキ、フクシマと・・・・・・

そこに観るのは「官僚支配」の極み(^^ゞ


【終戦記念日】サラダ記念日じゃああるまいし(嗤)。


  


Posted by 昭和24歳  at 08:12Comments(0)

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