2011年06月09日

自民党代議士・後藤田正純、ハレンチ不倫第二弾 !!

自民党代議士・後藤田正純、
「ハレンチ不倫第二弾 !!」







水野真紀は亭主のクラブ通い、ホステス好きを知らなかったのか

・・・・・・・それにしても後藤田氏のホステス関係は筋金入りである。今回、スッパ抜かれた店は銀座でも超高級クラブで知られ、元タレントだった女性もいる有名店Fだ。同誌ではFは「座っただけで5万円」としているが、“銀座相場”は1人10万円。後藤田氏はそんな店の常連だった。当のホステスはRというが、後藤田氏はRとは今回が2回目で同伴、アフター、お持ち帰りのフルコースだ。

<中略>

 「震災、原発問題があって政治家が一番しっかりしなければいけない時にこの失態です。後藤田氏は水野にひどく叱られたと言っていますが、水野は議員の妻として“バッジを外しなさい”と言うくらいの厳しさが必要だと思う。でないと、水野まで認識が甘いといわれますよ」(芸能リポーターの川内天子氏)

「フライデー」は今週第2弾を掲載する可能性もある。後藤田氏側は戦々恐々だろう。

<抜粋引用:2011年6月9日 10時00分(ゲンダイネット)>
ソース:http://tv.jp.msn.com/columns/column.aspx?articleid=605797

>「フライデー」は今週第2弾を掲載する可能性もある。後藤田氏側は戦々恐々だろう。

まあ、どうでもいいっちゃぁ、どうでもいい話なんだが・・・・・・・

まっ、時期が時期だけに、未曾有の大震災、原発事故に、大連立とか(嗤う)。

で、後藤田センセイにしてみたら、それどころじゃあないんだろうね(^^ゞ

そうですか、銀座の高級クラブとか、

“銀座相場”は1人10万円。

まあ、歳費とか諸々で、7000万円+政党助成金ですから・・・・・・

まっ、使い道、イロイロっていうか、余っちゃいますねぇ。

で、そんなわけですから、「政治活動」なんてやってる暇はないわけです。

まあ、「性事活動」には違いないんですけど(^^ゞ

さて、明日発売のフライデーなんですけど、一体どんな ???

自民党代議士・後藤田正純、
「ハレンチ不倫第二弾 !!」


  


Posted by 昭和24歳  at 19:52Comments(2)

2011年06月09日

ポスト「菅」は、「菅直人」っていう悲喜劇(^^ゞ

ポスト「菅」は、
「菅直人」っていう悲喜劇(^^ゞ




<菅首相>早期退陣に否定的 「震災対応めど」改めて強調

 菅直人首相は9日午前の衆院東日本大震災復興特別委員会で、与野党から早期退陣要求が強まっていることについて「大震災に対する努力に『一定のめどがつくまで私が責任を持ってやらせてほしい』と言い、内閣不信任決議案が衆院本会議で否決された。私に『めどがつくまでしっかりやれ』と議決をいただいた」と述べ、早期退陣に改めて否定的な考えを示した。

<中略>

「8月中に(被災者の)生活地域からのがれき搬出が目標だ。その後の2次、3次処理につなげていくことも含めて、私の大きな責任だ」と述べた。
<引用:毎日新聞 6月9日(木)11時50分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110609-00000041-mai-pol

まあ、「ポスト菅」が決まりません(笑)。

ソラそうです、「小沢以外」だってぇんですから・・・・・・・

前原 ???

冗談でしょ、在日からの献金で外相辞任。

岡田、枝野、コレ、明らかに「A級戦犯」ですから。

で、野田とか、あげくが、鹿野とかの陣笠、民主党人材不足(^^ゞ

そしたらコレ↓

野田財務相擁立で調整=仙谷、岡田氏ら一致―民主代表選

 民主党の仙谷由人代表代行(官房副長官)、岡田克也幹事長らは9日までに、退陣表明した菅直人首相の後継を選ぶ党代表選に野田佳彦財務相(54)を擁立する方向で調整に入った。東日本大震災からの本格的復興策を盛り込む2011年度第2次補正予算案や、11年度予算執行を裏付ける特例公債法案の早期成立に向け、野田氏が後継となれば政策の継続性が確保できると判断した。
<引用:時事通信 6月9日(木)8時15分配信>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110609-00000022-jij-pol

止めてくれーーーーっ !!

暴力団のフロント企業から献金・・・・・・

「返しましたから」

で、オザワさんのペットとかの、

あっ、年だ、名前が思い出せません・・・・・・

腹話術の人形、元総務大臣とか、佐賀県選出の、イカン、コレはまずいぞ !!???

あっ、そうそう、原口、原口でした、で小沢さんが、

「原口君でどうだ !!??? 」

っていったとか言わなかったとか・・・・・・

しかし、アレです、最後の花道、そら小沢さんでしょ、小沢政権。

つまり、なんで、「小沢政権」かって言うと、自民党が反対だからです。

「刑事被告人 ??? 」

あっ、そうですか、それがどうかしましたか ???

で、コレです↓

2011/6/6 17:21
【投票】ポスト菅は誰が相応しいか?

2日の菅直人首相に対する内閣不信任決議案は、民主党分裂などを危惧した鳩山由紀夫前首相が反対に回り、大差で否決。その後、菅首相が「一定のめどがついた段階」と退陣時期を曖昧にしたことで与党内でも反発する声が強まり、菅首相の早期退陣の流れが不可避となった。

焦点は次期首相レースに移っている。

あなたは以下の候補でだれが次期首相にふさわしいと思いますか?


枝野幸男 (2%, 77票)
岡田克也 (1%, 33票)
仙谷由人 (1%, 21票)
前原誠司 (3%, 96票)
野田佳彦 (1%, 28票)
海江田万里 (0%, 11票)
原口一博 (3%, 87票)
樽床伸二 (0%, 8票)
谷垣禎一 (4%, 141票)
小沢一郎 (84%, 2,711票)


まあ、たかがですけど、たかがですね・・・・・・

みなさんも、誰がいいか投票してみてください !!

ポスト「菅」は、
「菅直人」っていう悲喜劇(^^ゞ


  


Posted by 昭和24歳  at 18:30Comments(2)

2011年06月09日

【昭和】横丁の♪オールディーズ♪

【昭和】横丁の♪オールディーズ♪







僕が育った横丁“高砂町・上”

そこは明治、大正、昭和と、『職人街』の趣をなしていたようだ。

大工、鍛冶屋、建具屋、表具屋、竹屋、そして箪笥屋、風呂桶屋、等々。

まあ、一軒の家を建てて、入れもんから何から、何でも揃ってしまうといった・・・・・・

そんな横丁。

そんな横丁の路地裏に僕んちはあった。

因みに、僕んちの親父は職人ではない「ポッポ屋」。

つまり「勤め人」でそんな高砂町、横丁の表通りは職人街で、その路地裏は、

長屋がひしめき合う、戦後、未だ干支がひと回りした頃の話・・・・・・

今で言えば、「サラリーマン」だろうか、それにしても子沢山の時代で、

毎日が喧騒に昏れていた。

そんな、僕んちの隣に「藤巻箪笥店」と言う箪笥製作工場があった。

そこの息子で、「ひさおちゃん」と言うハイカラな同級生がいた。

「ひさおちゃん」は中学に入ると直ぐに・・・・・・・

なんと「フォークギター」なるアメグラの象徴とも言えるモノを手にしていた。

ひさおちゃんは上下を姉妹に挟まれ、横丁の子どもであったが、

当時は「花嫁道具」と言えば「箪笥」と言うくらいの、そんな時代だったので、

ひさおちゃんちの『藤山箪笥店』も職人を3人ほど使う結構な身上持ちで・・・・・・・

その、暮らしぶりというか、生活そのものがハイカラだった。

僕んちといえば、親父がポッポ屋の安月給取りだったものだから、その生活レベルの差は、

歴然としていたことを、子どもながらに感じ取ってはいた。そんな記憶がある。

そう言えば、その、“ひさおちゃんち”には、僕が小学校の頃のことだ、どこんちにも電話もテレビも入っていない、

そんな時代、“ひさおちゃんち”にはソレらが鎮座、奉られていて、そう、随分と重宝させて貰ったもんだった。

まあ、ひさおちゃんなんだが、「ひさおちゃん」はと言うよりは・・・・・・・・

ひさおちゃんちの小父さん、小母さん、休みの日には連れ立って映画見物だろうか、

その横丁では評判のカップルだった。

まっ、僕んちの親父、おフクロとはくべるべくもない、その横丁にしては「お上品」な夫婦だった。

そう・・・・・小父さんは大正元年生まれで、確か僕んちの親父と同い年。

で、小母さんは、そうだ、北小で、アノ、郷土の誉れ、「平成の大勲位」と同級生だったって言うから、

大正7年生まれで丁度、戦前昭和の「モボ、モガ」だったのかも知れない。

いずれにしろ僕んちの親父とおフクロとでは比べるまでもない「ハイカラさん」の趣きだった。

そんな両親の寵愛を一心に受けていたひさおちゃんは・・・・・・・・

どちらかと言うと中学一年のその頃から「文化的」なものには造詣が深かった。

また、そればかりではなく、ひさおちゃんにはその当時から恵まれた大都会の香りのする情報源があったのだった。

「ブラザースフォー」



当時テレビのヒットパレードでは・・・・・

「花はどこへ行った」や、「七つの水仙、500マイル、パフ」などが毎日のように流れていた。

ひさおちゃんには群大の医学部に通っている東京から前橋に下宿していた「ヒデ坊」と言う従兄がいた。

つまり、「ヒデ坊」はひさおちゃんのお母さんの甥。

つまり、ひさおちゃんの大都会の香りのするその情報源はその従兄の「ヒデ坊」という、その東京のお兄さんだった。

従兄の「ヒデ坊」はなんでもひさおちゃんちが「叔母」さんち”ということもあって、ちょくちょく遊びに来ていて、

その都会的センスの情報を、ひさおちゃんにレクチャーしていたらしい・・・・・・

『フォークギター』

ひさおちゃん、どうだとばかりに僕に見せびらかした、その神々しい『フォークギター』。

それは「ヒデ坊」からのお下がりだったのだ。

「ヒデ坊お兄ちゃんが来ているから遊びに来ないか」

ある日、ひさおちゃんはそう言って僕を呼びに来た。

〈なんだ、ひさおちゃん、また僕に見せ付けるつもりだな〉

僕はそう思うと少し悔しかったがまた、あの「歌」と「フォークギター」が聴けるのかと思うと・・・・・・

ドキドキしながらひさおちゃんちへ急いだ。

階段の上からなんとも言えぬ響きの「音」が聴こえてきた。

僕の胸はどうしようもないくらい高鳴っている。階段の下からいつものように、

「ひさおちゃ~ん」

と声をかけたいのだが言葉が出ない。まずい。

僕はそこに立ちすくしてしまっているではないか。

こんなところを、ひさおちゃんの妹のとも子ちゃんや小母さんに見られたらと思うと・・・・・・

いっそのことこのまま帰ってしまおうかとさえ思った。

♪ウエハボーザフラワースゴ~ン、ロンターイムパースィン♪




階段の上の方から流れてくるフォークギターの音と英語の歌。

なんと、ひさおちゃんは一緒に口ずさんでる。

「ひさおちゃーん」

僕は咄嗟の内に階段を覗き込むようにしてひさおちゃんを呼んだ。

「おー、上がって来いよ」

ひさおちゃんは二階から階段下を覗き込むようにして僕を手招きした。

まあ、当時は未だ「カルチャーショック」なんていう言葉はなかったんだが、

生まれて初めて「花は何処へ行った」という英語の歌を生で聴いて、僕は・・・・・・

「コレだ !! 」

と、全く新しい世界が僕の目の前に広がるのを感じて、

なんかひとつ大人になったような気分になってる自分に得も言えぬ興奮をしていた。

僕はこの胸のトキメキをひさおちゃんに感づかれないように、ゆっくりと階段をのぼった。

本当は駆け上がりたいほどだったのだが・・・・・・・

ひさおちゃんとヒデ坊お兄ちゃんは向い合ってフォーギターを弾いている。

初めて耳にするそのヒデ坊お兄ちゃんのフォークギターの響きはテレビで見たそれと全く同じだ。

ヒデ坊お兄ちゃんも「アイビールック」。

それは、まるでブラザースフォーのレコードジャケットから抜け出てきたような趣。

ひさおちゃんはチラっと僕の方を向くと・・・・・・

「どうだい !! 」

と言わんばかりににこりともせず僕を一瞥するようにして、ヒデ坊お兄ちゃんのギターの弾き方を真似て言った。

「これっ、ブラザースフォーって言うんだ」

僕の方を見向きもせずひさおちゃんは言う・・・・・・

「これがいちばん簡単だから直ぐに覚えられるぞ」

ヒデ坊お兄ちゃんはひさおちゃんにそう言いながらギターを弾き続ける。

まるで魔術師のように親指と人差し指と中指を使い「なんでもない」っと言うような顔をして弾いている。

鉄線が張ってあるギターを右手の指で“コロコロ、コロ”っと・・・・・・

左手の指はゼンマイ仕掛けでもあるかのように“サッサッサッ”と小気味良く動かせて弾いている。

「C、Am、F、G7、これだけ。やってごらん」

ひさおちゃんはつっかえつっかえでもでも何とか弾いているではないか !!

僕は思わず『すげぇ、ひさおちゃん !! 』と、つぶやいていた。

ひさおちゃんは得意満面である。

そう言えば、ひさおちゃんは小さい頃から何かにつけて“得意たがり屋”だった。

また“得意たがり屋”なだけに得意でない野球とかプールへは何度誘っても、ただの一度も・・・・・・

一緒に、遊んだことはなかった。

まあ、“得意たがり屋”が“得意たがれない”のだから仕方がないことなのだが。

スポーツはいたって苦手なひさおちゃんだったが、

ベーゴマ、メンコ、将棋は結構強かった。そんな時決まって、お決まりの得意満面でポーズをとるのであった。

「君も弾いて見る?」

ヒデ坊お兄ちゃんが僕にそのフォークギターとやらをよこした・・・・・・

実は僕も“ギター”を手に入れていた。姉が高校の時に使っていたやつで、

しかし残念ながら姉のお下がりのギターは鉄線ではなかった。

ナイロン線の『禁じられた遊び』専用のギターだった。

それはひさおちゃんのギターと比べると弦の張ってある所が矢鱈と幅広く、

ナイロン線だからそうは痛くはないが、押えづらくて堪ったもんじゃあなかった。

で、その鉄線の「フォークギター」とやら、左手の指が痛い、指先が潰れる。

ヒデ坊お兄ちゃんのを見ているとなんとも簡単そうなのだが、兎に角痛い、小指が攣れる。

瞬く間に指先は赤くはれ上がり指は攣れ早くも新しいその憧れの「文化」に挫けそうになっていた。

そうだ、ひさおちゃん家には「蓄音機」もあった。

ひさおちゃん家のお父さんは職人さんを数人使っていて、その若い職人さんたちが蓄音機を楽しんでいた。

僕の家の隣が「細工場」っていう所で、日永住込みの職人さんたちが箪笥作りに精を出していた。

年の頃なら23、4か・・・・・・

当時流行の春日一郎『別れの一本杉』を十八番に調子よく鉋をあてていた熊さんという職人さんがいた。

聞けば、その熊さんご愛用の「蓄音機」だったらしい。

その蓄音機で初めて「SP盤」のブラザースフォーを聴かせてもらった。



僕はヒデ坊お兄ちゃんの『遥かなるアラモ』が好きだった・・・・・・

僕はそんな“ヒデ坊お兄ちゃん”のいるひさおちゃんが羨ましくて堪らなかった。

“PPM”に“キングストントリオ”滅茶苦茶カルチャーショック。

そうそう、その「ヒデ坊お兄ちゃん」、群大医学部では確か「落研」入っていた。

それを、というか、ソレも真似て、ひさおちゃんはいつも手拭をベルトに刺して噺家を気取っていた。

実は今日の僕の落語好きもあの頃の、ひさおちゃんのせいかも知れない。

ところで、その「ヒデ坊お兄ちゃん」・・・・・・・・

今では噺家先生としてとある群馬の病院の院長で名を馳せているから面白い。

時々、TBSラジオなどご出演でそのお声はご拝聴させてもらっている。

そう云えば横丁には同世代、あの頃はいろんな名人がいた。

野中のセーちゃん。

やはり横丁の住人だが僕より一級上、いつも窓越しに「フォークギター」を鳴らしていた。

今時の若いもんが「今時の中高年」となった、平成の今・・・・・・・

時節を違え、もうそこ、横丁には住む人もない。

家もない、再開発の名のもとに住処を追われた。それが「時代」なのか。

もちろん、あの頃の横丁のオジさん、オバさんはほとんどいない、既に鬼籍へと。

そして、そこ、かつての横丁には懐かしむ風景さえ失せてしまっている。


【昭和】横丁の♪オールディーズ♪

  


Posted by 昭和24歳  at 15:30Comments(0)

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