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お問い合わせは、 info@gunmawen.net本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。2011年05月16日
東電で「日本人沈没」とか。「大本営発表」にて候・・・・
東電で「日本人沈没」とか。
「大本営発表」にて候・・・・
yanagiyasimon Yanagiya Simon
【立てば芍薬 座れば牡丹 今じゃ寝たきり ボケの花】#dodoitsu
8時間前 お気に入り リツイート 返信
https://twitter.com/#!/yanagiyasimon
新事実続々…東電メルトダウンいまごろ説明の怪「最初から把握?」
やはりメルトダウン(全炉心溶融)していた。東日本大震災の発生以降、東京電力では福島第1原発について「燃料棒に損傷の恐れ」「一部で炉心溶融」などの説明にとどめてきたが、最悪の事態が起きていたことになる。識者の間では、かねてからメルトダウンを指摘する声が少なくなかっただけに「東電も当初から把握していたはず」「他の原発の情報も伏せているのでは」と疑う声は多い。
東電が明かした新情報はあまりに衝撃的だった。地震から約5時間後の3月11日午後7時半。1号機ではすでに燃料の損傷が始まり、午後9時ごろには、炉心の最高温度が燃料本体が溶ける2800度に達し、12日午前6時ごろには大部分の燃料が原子炉圧力容器の底に溶け落ちていた。
<中略>
「東電は専門家のかたまりなので、メルトダウンが起きつつあることは当然、踏まえていただろう。地震直後から数日間、東電関係者が慌てふためく状況がテレビなどで流れたが、それを見るだけでもメルトダウンを想定できた。15日になって最近判明したと事実として明かしたのは、はっきりとしたデータがつかめなかったから、あるいはパニックを引き起こさないための配慮だったかもしれない。だが、シビアアクシデントの可能性を前もって国民に伝えない姿勢には問題がある」
問題といえば、1号機以外の2~4号機の状況も気になる。
「1号機がこういう状況なら他の2~4号機も似たようなことは起きていてもおかしくない。今後、あのときはこう説明したが、実はこんな状況でした…という発表が増えるのでは」(先の研究者)
東電、保安院の説明は真に受けられない。これだけは確かなようだ。
<引用:2011.05.16 zakzak>
ソース:http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110516/dms1105161620014-n1.htm
まあ、東電ったって、「政府」ですから・・・・・・
「大本営」そのものでしたね。
まっ、疑いつつも丸のみしなければならない国民、
それは、まさに、「日本人沈没」。
昭和20年8月15日。
僕の養父は“ポッポ屋”だった・・・・・・
僕も小さい頃からその親父には“国鉄”へのレールはくどく言われていた。
さも在りならんである。
大正元年生まれの親父は戦前、戦中、戦後とまさに混乱と動乱の中に青春を生きたのだろう。
日中戦争勃発で二十歳、日米開戦で30歳・・・・・
そして敗戦で34歳。
僕が自分のその頃の親父と歳と重ねてみれば、
それが如何に激動の時代を生かされたか想像するにも及ばないほどに壮絶な時代であったに違いない。
僕の実父も養父と同い年・・・・・・
志願兵、職業軍人でもなければ“兵士”にはならない世代だった。
養父は幸いにも“鉄道省”任官と言うことで徴兵は免れたが、
実父は昭和18年、既に敗戦を知る中で、32歳での初年兵。
それをはたして“時代”という言葉で一括りにしていいものか、
僕は自分の今日までと、その道程の中に思いあぐねる。
しかしそんな国家の仕打ちにも“洗脳”だろうか、
執拗にその“国家”を信じる。
親父の遺品に“戦時国債”が相当ある。
御国の為にと昭和25年償還を理由に給与代わりにとの話も母から聞いていた。
全てを奪われても尚、その“国家”を信じてやまない・・・・・・
「お前は俺の跡を継いで国鉄に入るんだ。
国鉄は給料は安いが、恩給がつく、死ぬまで暮らしに困らない。」
しかし僕はその親父の期待も見事に打ち砕き“エレキ人生”(笑)。
僕より8歳上の従兄はそれでも国鉄に入った。
組合活動に明け暮れ、民営化“JR”の時は石をもって終われる身(^^ゞ
それでも、信越線最後の“あさま号”専務車掌で・・・・・・
信越線の廃線にともない早期退職。
人生は分からない。
できればその時代時代の判断に委ねるべきだろう。
僕の祖父が明治20年代の生まれだ。
太平洋戦争開戦が祖父が60の時。
それが今の僕の歳・・・・・
もし、今この国に戦争が起こり、徴兵があるとすると、
僕ら世代は丁度、僕の祖父のような時代感覚になる。
自分の息子たちが徴兵されるのだ。
そしてその息子、娘たちには幼子がいる。
そう思うと人生とはまさに奇遇、奇想の連続。
50余年が過ぎて僕が“祖父”となりここにいる。
その祖父はその時どんな思いで僕を抱きしめただろうか・・・・・・・
戦国時代の武家よりの出家僧、“鈴木正三”がいう、
「農業即梵業である」と。
区切りのある人生。
サラリーマン社会に埋没して、僅か60歳前後にして“大政奉還”。
それまでの凡そ40年前後の歳月に終止符を打たれる。
人が幸福に生涯を終える。
豊かな社会とはいったいなんだろう。
やはり富める者はそれを社会の恩恵とし、進んで他の人々の幸福に寛容する。
“福祉”を蔑まない・・・・・・
この国が正しい形で将来に向かうためには、
これほどに先進した“国”はない。いろんな意味で。
ならば不幸のない社会・・・・・・
医療、教育、生活に不安、負担のない社会。
子どもは社会が養育する・・・・・
安心して結婚ができる、安心して子どもを生める、安心して教育ができる、
安心して医療、介護を受けられる。
北欧並の高課税・・・・・・
還元を前提に、進歩した社会ならばそうあるべきではないだろうか。
>「息子の人生、息子が選択することですよ」
僕には良く分からない・・・・・・
息子を持ったことがないから。
しかし僕の経験から言うと、息子のは“父親”の今は分からない。
その息子も必ずや父親と同じ年代になり、後世の世代にどういうかは分からないが、
おそらく、父親の意見は100%“正論”だと感じているはず。
僕もそうだった・・・・・・
しかし、自分の人生に後悔はしたくない。
とは言うものの、20代の若者に30年後の後悔は見えるはずもないのだが、
やはり“こう生きたい”というのは青年の時代の“勘”だろう。
僕の友人なんかでも、実の堅実に歩んできた人生・・・・・
これからも堅実でしょう。
退職金、年金・・・・・・
聞く話は僕らのような生き方をしてきた者にとっては実に“つまらない”ことしきりなのですが、
本人いたって大真面目。
「お前は、ほんとに変わってるな」
酒席で僕に向けられる言葉はいつもそれ(嗤)。
東電で「日本人沈没」とか。
「大本営発表」にて候・・・・
「大本営発表」にて候・・・・
yanagiyasimon Yanagiya Simon
【立てば芍薬 座れば牡丹 今じゃ寝たきり ボケの花】#dodoitsu
8時間前 お気に入り リツイート 返信
https://twitter.com/#!/yanagiyasimon
新事実続々…東電メルトダウンいまごろ説明の怪「最初から把握?」
やはりメルトダウン(全炉心溶融)していた。東日本大震災の発生以降、東京電力では福島第1原発について「燃料棒に損傷の恐れ」「一部で炉心溶融」などの説明にとどめてきたが、最悪の事態が起きていたことになる。識者の間では、かねてからメルトダウンを指摘する声が少なくなかっただけに「東電も当初から把握していたはず」「他の原発の情報も伏せているのでは」と疑う声は多い。
東電が明かした新情報はあまりに衝撃的だった。地震から約5時間後の3月11日午後7時半。1号機ではすでに燃料の損傷が始まり、午後9時ごろには、炉心の最高温度が燃料本体が溶ける2800度に達し、12日午前6時ごろには大部分の燃料が原子炉圧力容器の底に溶け落ちていた。
<中略>
「東電は専門家のかたまりなので、メルトダウンが起きつつあることは当然、踏まえていただろう。地震直後から数日間、東電関係者が慌てふためく状況がテレビなどで流れたが、それを見るだけでもメルトダウンを想定できた。15日になって最近判明したと事実として明かしたのは、はっきりとしたデータがつかめなかったから、あるいはパニックを引き起こさないための配慮だったかもしれない。だが、シビアアクシデントの可能性を前もって国民に伝えない姿勢には問題がある」
問題といえば、1号機以外の2~4号機の状況も気になる。
「1号機がこういう状況なら他の2~4号機も似たようなことは起きていてもおかしくない。今後、あのときはこう説明したが、実はこんな状況でした…という発表が増えるのでは」(先の研究者)
東電、保安院の説明は真に受けられない。これだけは確かなようだ。
<引用:2011.05.16 zakzak>
ソース:http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20110516/dms1105161620014-n1.htm
まあ、東電ったって、「政府」ですから・・・・・・
「大本営」そのものでしたね。
まっ、疑いつつも丸のみしなければならない国民、
それは、まさに、「日本人沈没」。
昭和20年8月15日。
僕の養父は“ポッポ屋”だった・・・・・・
僕も小さい頃からその親父には“国鉄”へのレールはくどく言われていた。
さも在りならんである。
大正元年生まれの親父は戦前、戦中、戦後とまさに混乱と動乱の中に青春を生きたのだろう。
日中戦争勃発で二十歳、日米開戦で30歳・・・・・
そして敗戦で34歳。
僕が自分のその頃の親父と歳と重ねてみれば、
それが如何に激動の時代を生かされたか想像するにも及ばないほどに壮絶な時代であったに違いない。
僕の実父も養父と同い年・・・・・・
志願兵、職業軍人でもなければ“兵士”にはならない世代だった。
養父は幸いにも“鉄道省”任官と言うことで徴兵は免れたが、
実父は昭和18年、既に敗戦を知る中で、32歳での初年兵。
それをはたして“時代”という言葉で一括りにしていいものか、
僕は自分の今日までと、その道程の中に思いあぐねる。
しかしそんな国家の仕打ちにも“洗脳”だろうか、
執拗にその“国家”を信じる。
親父の遺品に“戦時国債”が相当ある。
御国の為にと昭和25年償還を理由に給与代わりにとの話も母から聞いていた。
全てを奪われても尚、その“国家”を信じてやまない・・・・・・
「お前は俺の跡を継いで国鉄に入るんだ。
国鉄は給料は安いが、恩給がつく、死ぬまで暮らしに困らない。」
しかし僕はその親父の期待も見事に打ち砕き“エレキ人生”(笑)。
僕より8歳上の従兄はそれでも国鉄に入った。
組合活動に明け暮れ、民営化“JR”の時は石をもって終われる身(^^ゞ
それでも、信越線最後の“あさま号”専務車掌で・・・・・・
信越線の廃線にともない早期退職。
人生は分からない。
できればその時代時代の判断に委ねるべきだろう。
僕の祖父が明治20年代の生まれだ。
太平洋戦争開戦が祖父が60の時。
それが今の僕の歳・・・・・
もし、今この国に戦争が起こり、徴兵があるとすると、
僕ら世代は丁度、僕の祖父のような時代感覚になる。
自分の息子たちが徴兵されるのだ。
そしてその息子、娘たちには幼子がいる。
そう思うと人生とはまさに奇遇、奇想の連続。
50余年が過ぎて僕が“祖父”となりここにいる。
その祖父はその時どんな思いで僕を抱きしめただろうか・・・・・・・
戦国時代の武家よりの出家僧、“鈴木正三”がいう、
「農業即梵業である」と。
区切りのある人生。
サラリーマン社会に埋没して、僅か60歳前後にして“大政奉還”。
それまでの凡そ40年前後の歳月に終止符を打たれる。
人が幸福に生涯を終える。
豊かな社会とはいったいなんだろう。
やはり富める者はそれを社会の恩恵とし、進んで他の人々の幸福に寛容する。
“福祉”を蔑まない・・・・・・
この国が正しい形で将来に向かうためには、
これほどに先進した“国”はない。いろんな意味で。
ならば不幸のない社会・・・・・・
医療、教育、生活に不安、負担のない社会。
子どもは社会が養育する・・・・・
安心して結婚ができる、安心して子どもを生める、安心して教育ができる、
安心して医療、介護を受けられる。
北欧並の高課税・・・・・・
還元を前提に、進歩した社会ならばそうあるべきではないだろうか。
>「息子の人生、息子が選択することですよ」
僕には良く分からない・・・・・・
息子を持ったことがないから。
しかし僕の経験から言うと、息子のは“父親”の今は分からない。
その息子も必ずや父親と同じ年代になり、後世の世代にどういうかは分からないが、
おそらく、父親の意見は100%“正論”だと感じているはず。
僕もそうだった・・・・・・
しかし、自分の人生に後悔はしたくない。
とは言うものの、20代の若者に30年後の後悔は見えるはずもないのだが、
やはり“こう生きたい”というのは青年の時代の“勘”だろう。
僕の友人なんかでも、実の堅実に歩んできた人生・・・・・
これからも堅実でしょう。
退職金、年金・・・・・・
聞く話は僕らのような生き方をしてきた者にとっては実に“つまらない”ことしきりなのですが、
本人いたって大真面目。
「お前は、ほんとに変わってるな」
酒席で僕に向けられる言葉はいつもそれ(嗤)。
東電で「日本人沈没」とか。
「大本営発表」にて候・・・・