2011年02月14日

人の不幸はさまざま。

人の不幸はさまざま。



眼力、全くありません(-_-;)。

菅内閣支持率22.1%、発足以来最低に
日本テレビ系(NNN) 2月13日(日)20時16分配信

 NNNが11~13日に行った世論調査によると、菅内閣の支持率は先月より8.4ポイント下がって22.1%で、発足以来最低となった。

 菅内閣を「支持する」と答えた人は22.1%、「支持しない」は先月比9.6ポイント高い63.1%に達した。

  民主党が衆議院議員選挙のマニフェストを見直すことについては、71.9%の人が「支持する」、19.5%の人が「支持しない」と答えた。「見直す必要があると思う政策」については、「子ども手当」が42.8%でトップとなり、「年金制度一元化と最低保障年金」(35.4%)、「高速道路無料化」(32.5%)と続いている。

 「消費税率の引き上げが必要だと思うか」という問いには、58.5%の人が「思う」、34.4%の人が「思わない」と答えた。

 社会保障と税の一体改革をめぐり、「与野党が協議のテーブルにつくことに期待する」と答えた人は65.2%、「期待しない」と答えた人は24.9%だった。


なんだ、民主党の政策は、「マニフェスト見直し」だけど、
支持率いいじゃないか(笑)。
つまり、「菅直人」が嫌われてるだけ、最小不幸でした。





最小不幸が「幸せ」と言えるでしょうか ???

つまり、「最小不幸」って大きなお世話なんです・・・・・

最小不幸であろうがなんであろうが、

その不幸は幸せに変えることができる。

それが僕らが育った社会ではなかったでしょうか。

おごった物言いかもしれませんが・・・・・・

僕らの父も母もその世代、あまりにも蒙昧でした。

生意気なことを言うようですが(-_-;)

僕らは戦後急いでそうした先人たちが隠そうとした風景をしっかりと見定め、

自分を生き、自分を始めてきたと自負しています。

まあ、それが赦された時代でした。

世に見る、政治家、財界の富豪のように最初から「3塁ベース」の上に生まれた僕らではありません。

何度も打席に立ち、何度も空振りをし、何度もアウトになり・・・・・・・

それでも今日、こうして自分を生きています。

昭和24年生まれの僕。

62歳の僕・・・・・・・・

自分に背負わされた過去はズタズタに切り裂いて捨て去りました。

前にも書いたことがありますが、僕には僕の「親」という実存、実感がありません。

それは何故だかわからない。

今、親、それは養母が、一人と、妻の母がおりますが、

僕には「親に孝行を」というつもりが全くありません。

それは何故だかわからない・・・・・・・

なぜそんな気持ちになるのかわからない。

あまりにもひどい時代の最中に生まれた僕ら。

僕らは知らなかったが、無茶苦茶な時代に生まれた僕ら。

昭和24年といえば、漆黒の敗戦からまだ4年足らず。

明日をも知れぬ中に生まれたのが僕ら・・・・・・

僕は自分で子供を持ってみて初めて分かったことがある。

それは、「親はなくとも子は育つ」ということ。

「下手な親はいないほうがいい」ということ。

僕は、子供たちに育ててもらったと思っている。

そして、子供は自分・・・・・・

その自覚がないままに子供をもつ、養子にもらう。

手におえなければ・・・・・・

「お前なんかもらうんじゃなかった」

そして実父、実母の性格の悪さを僕にののしる・・・・・・

僕は、子供をもってみて、僕を養子に出した親が許せなかった。

死んでも許せなかった。

なぜなら、僕にはなにがあっても自分の子供をよそに捨てるくらいなら、一緒に「死ぬ」。

子供たちは巣立った・・・・・

たくましく巣立った・・・・・

僕を大人にして安心して巣立っていった。

今もう一人、僕を育ててくれている16歳の娘がいるが、

彼女もそのうち巣立つだろう・・・・・

その時は僕なんか忘れてくれていい。

自分で始まることを真剣に考えればいい。

僕らは、僕らの時代にオトシマエを付けないとね。

こんなくだらない国のまま終わらせるわけには行かない。

もう一度、デッドボールでもいいから出塁する覚悟だ。

まあ、デッドボールで逝っちゃうかもしれないけど(笑)。

人の不幸はさまざま。  


Posted by 昭和24歳  at 21:00Comments(2)

2011年02月14日

グラミー賞にB'zの松本さん

「グラミー賞にB'zの松本さん」とか






「B’z」松本さんら日本人4人が最優秀賞の快挙 喜多郎さんは逃す
2011.2.14 10:45 産経ニュース

 【ニューヨーク=松尾理也】米音楽界最高の栄誉、第53回グラミー賞の発表が13日、ロサンゼルスで行われ、日本からは米ギタリストのラリー・カールトンさんと共作した人気ロックバンド「B’z」の松本孝弘さん(49)の「テイク・ユア・ピック」が最優秀ポップ・インストゥルメンタル・アルバム賞を受賞。さらに、クラシックのピアニスト内田光子さん(62)がクリーブランド管弦楽団と共演した作品で最優秀インストゥルメンタル・ソリスト演奏賞を受賞した。

 「テイク・ユア・ピック」は、これまでにグラミー賞を3度受賞しているジャズ・フュージョン界の大物ラリー・カールトンからの誘いで共演が実現したアルバムで、日本でも好調な売り上げを記録している。

 また、日本のジャズピアニスト上原ひろみさん(31)が参加した「スタンリー・クラーク・バンド」の同名アルバムが最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞を獲得した。

 最優秀ニューエージアルバム賞には、大阪出身で南カリフォルニア在住の琴演奏家、松山夕貴子さんが参加したポール・ウィンター・コンソートの作品が受賞。同部門には、2001年に同賞を受賞したシンセサイザー奏者の喜多郎さんもノミネートされていたが、こちらは涙をのんだ。



まあ、正直、「B’z」っていうか、

松本さんとかですけど、「ヤマハ」のアレっていう認識しかありません。

で、歌っていうか楽曲ですけど、どの曲も同じに聴こえてきちゃいます(-_-;)

たしかに、スゴイけど・・・・・



で、ラリー・カールトンと共作とかですけど、

ジャンル違うんじゃあないのかなぁ、なんて・・・・・

で、「テイク・ユア・ピック」なんだけど、聴いてみたいです。

で、ラリー・カールトン、フケちゃったけど、ご機嫌ですね。

ロベン・フォードのギターもですけど↓



っていうか、昭和24歳的にはコチラ↓

>日本のジャズピアニスト上原ひろみさん(31)が参加した「スタンリー・クラーク・バンド」の同名アルバムが最優秀コンテンポラリー・ジャズ・アルバム賞を獲得した。

のほうが、グッドニュースです !!



それにしても、戦闘機、五月蝿いですねぇ。

さっきから・・・・・

なんかあったんでしょうか ???


「グラミー賞にB'zの松本さん」とか
  


Posted by 昭和24歳  at 12:55Comments(3)

2011年02月14日

もうひとつの“日本民主主義人民共和国”

もうひとつの・・・・・
“日本民主主義人民共和国”




いまの日本はどうやってつくられたのか?現代日本のルーツを知り、明日を考えるための戦後史。

日本人の精神構造には何が欠けていたのか? 日本人はなぜ戦争をするのか-。日中戦争から太平洋戦争の時代を検証、「底なしの無責任」がもたらした悲惨とは何かを問い、未来を選び取るために今、考えることの重要性を訴える。

まあ、「底なしの無責任」。それは今も変わらない。
年金問題、財投問題とあったことを無かったことにする、その体質。
そら、そうです、その時のままなのだから・・・・・






その共和国の統合・・・・・・

明治維新来僅か80年ほどの『絶対君主制国家』(見せかけ)の“大日本帝国”を、

300万余とも600万余とも云われる“戦災犠牲者”を出し国家破綻、敗戦60年超の今日にも、

国民に覚えのない(戦後の日本国憲法制定時)『立憲君主国家』。

“国民の総意に基づく”とか云われる天皇制の下での・・・・・

“偽装民主主義国家”日本国。

僕ら戦後世代が顧れば、彼の大戦、王道楽土・五属協和・八紘一宇。

その“大東亜戦争”となんとも厳しい現実を、その“天皇”の名の下に、

つまり、金正日の言葉を借りるなら、

「一部の盲動主義者”が“天皇”の名を騙り」

“神州不滅”と8000万の国民を漆黒のどん底に貶めたその“大日本帝国政府。

とでも・・・・・

日本人拉致を認めた先の金正日ではないが、

「戦犯は処罰した」

で、恰もその責任には“ほっかぶり”したままで新生『日本国』とかを。

そして、その“新日本国憲法”という看板で『民主主義』の偽装国家を創り上げるにいたっている。

当然、大日本帝国を十分、研究熟知した戦勝国政府は時を狙えば事の前後、善し悪しはさて置き・・・・・

世にも珍しい、『立憲君主制』の世界に例を持たない“超平和主義理想郷国家”を立ち上げた。

もちろんアレから65年・・・・・・

そのことがこの国で戦勝国の世界戦略的見地から鑑みた日本列島そのものの『戦略基地化』を見ても、

その“平和憲法”なるものが今流行の“偽造国家構造計算”であったことは明々白々・・・・・

その中にもまして、極めてちぐはぐ、頓珍漢な“社会主義国家”を標榜する“思想偽装”の政党までが、

悪の権化であるはずの占領国家の“日本国憲法”を何故の理由か“死守”を放言する様は、

この国がいかに“インチキ”な政治体制と狡猾にして醜悪な“社会主義官僚制度”で、

いわば、体の良い“奴隷”国民に貶められているかが判ると言うものではないか。

一見の民主主義国家“日本国”の装丁はほぼ500兆円のGDP(若干前後するが)。

そして1400兆円の個人資産。

さらには公表される国家予算年額“90兆円超”(実際は240兆円ほど)という・・・・・・

何かにつけて“自由”で“民主的”な“平和国家”日本を、に、

「一体全体どこに不満があるのか」

と言わんばかりの大日本帝国の看板付け替えただけの『日本国』の政府。

確かにである・・・・・

日本国内の移動のみならず海外渡航も自由で、国籍離脱も自由。

その国民平均年間所得は400万円何がしで、“言論の自由”に基づく政府、政治家批判は赦され、

戦後一貫、戦渦に国民が晒されたことはない“これほどに”平和な国、ニッポン。

彼の小泉首相風に言わせてみれば、ソレ・・・・・・

「一体全体どこに不満があるのか」とか、

ガソリン税に始まり、社会保障保険料、はたまた交通違反の罰金まで、

総額、ネットで“300兆円”もの特別会計歳入というもうひとつの“政府”、それは、

「官僚の、官僚による、官僚のための」
真の『ニッポン社会主義国』。


国民、あえていうなら平民に、その一切の国会の介入を許さない“ニッポン社会主義国”。

つまり、「代議士」なんだが、それはお飾りでしかない。

いわば中国の共産党政府と同じで、400万人とも500万人とも言われる・・・・・・

国、地方の平均年所得“800万円前後”の公務員と、その“ニッポン社会主義国”に生活依存する、

官業生活者『日本社会主義党員』総人口4500万人強(家族を含め)。

年金保険、雇用保険、労災保険、健康保険。これらは全て税金ではないのか。

繰り返すが、国庫歳入の各種罰金、重複税の石油、車検等の自動車に“自動的”にかかる各種税。

それら〆てほぼ300兆円(郵貯簡保も)が自動的に“社会主義体制”の官僚に歳入され、その体制の中だけで歳出される。

そのことは、ソ連邦崩壊を見るまでもなく、国民からの徴税、収奪システムが狂い出せば、

この国の行く末は想像に難くない。つまり「財政破綻」とか・・・・・

まあ、徳川幕府の政治体制もつまるところ「財政破綻」だったわけで、

その体制下の、イワユル、今流行の「ローカルパーティー」の蜂起、それが明治維新で、

「士」から「士」への平行移動はこの国に大きな変化はもたらさなかった。

つまり、ソレが、「大東亜戦争」を起こし、「太平洋戦争」の敗戦、大日本帝国崩壊。

それでもなお、このように強固な“社会主義政府”があることからすれば、

そこの“日本共産党”、“旧日本社会党”(元社民党)の存在自体が真、白々しい・・・・・・

それは官僚機構は“それそのもの”であるし、質問時間たったの“5分”の確かな野党。

それどころか“党首討論”とかのマンガ以下の政治討論にも『人数不足』を理由に門前払い。

巨大な“社会主義官僚機構”の中に埋没する“偽装社会主義政党”というか残党。

その高邁な政治思想は大きな政府“官僚機構”そのものではないか。

もうひとつの“日本社会主義共和国”に適うはずがない。

実は「自由民主党」、それこそが“社会主義者”であること。

大日本帝国時代の官僚機構そのものが今日の自由民主党ということ・・・・・・

昨日までの歴史にはそう記されている(笑)。

そして、政権交代とあいなったわけだが、それはより官僚機構、

「護送船団政党」

つまりは、この政治的迷走は、官僚機構の「演出」。

当然、財界とはその「官僚」のもう一つの機関、そして政治はパシリ。


まあ、現役官僚のテレビでの話だが・・・・・・・

菅さんもだけど、ほとんどの政治家、英語はアウトです」

ソラそうです、代議士、大臣のお仕事は英語の丁々発止ですから。

通訳、官僚にコロリと騙されちゃうわけです。言ってもいないことを約束させられたり。

まあ、その意味じゃあ、自殺、他殺(多分)の故・中川昭一財相・・・・・

ちゃんと喋られちゃあ困るから、可哀想でした。

もうひとつの・・・・
“日本民主主義人民共和国”
  


Posted by 昭和24歳  at 11:36Comments(2)

2011年02月14日

萩原健一“アラカンの恋”とか

萩原健一“アラカンの恋”とか



あのショーケンが57年の人生、すべてをさらけ出した!愛と別れ、友情と確執、喧騒と孤独。いつでもなんにでも本気すぎた日々。過剰な本能が周囲をひきつけ、自らをも壊していく。傷だらけの天才、ショーケンの真実。




萩原健一 冨田リカと“4度目の正直婚”
スポニチアネックス 2月14日(月)7時1分配信


 俳優の萩原健一(60)が13日、モデルの冨田リカ(48)と結婚したことを明らかにした。今月7日、代理人を通じて婚姻届を提出。同日、箱根神社で挙式し、横浜市内の萩原の自宅で新婚生活をスタート。関係者を招いての披露宴を同6日に行ったという。

 2人はこの日、甲府市内で行われた「山梨文学シネマアワード2011」の授賞式に出席。「LLADRO AWARDS(アーティストの芸術的輝きを讃=たた=える賞)」を受賞後、報道陣に結婚報告し「今までの生き方はジェットコースターみたいだったけれど、メリーゴーラウンドに乗った気分」と喜びを表現。プロポーズの時期については明かさなかったが、言葉は「俺について来い」。恩師で作家の瀬戸内寂聴さんにも相談した。

 子供はもうけていないが「パパ」「ママ」と呼び合っており「ママ(冨田)から愛をいっぱいいただいた。これから愛をお返ししたい」と笑顔。「彼女と出会って“もう60歳”ではなく“まだ60歳”と思うようになった」と説明した。

 出会いは09年10月、東京・青山で行われた女性月刊誌の対談。萩原のファンだった冨田が熱望して実現、意気投合した。

 萩原は75年に元モデルの女性と結婚したが78年に離婚。80年からは女優いしだあゆみと事実上の結婚生活を送り、96年にはヘアメーク担当だった女性と結婚したが06年に別れた。冨田は36歳の時に飲食店経営者と結婚し、昨年8月に離婚した。

<以下本文>
ソース:http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110214-00000046-spn-ent


萩原健一、ショーケンですけど・・・・・

まっ、大麻所持とか、恐喝とか、で、執行猶予付き有罪判決とか。

まあ、いしだあゆみとの結婚とか、いろいろありましたから。

アラカンラブ・・・・・

おめでとう御座います。






で、萩原健一っていえば、テンプターズです、でした。

デビュー寸前の「テンプターズ」は確かスパイダーズの前座で・・・・・

新宿アシベ、甲州街道沿いの、あそこで何度か。

で、バンドハネチャッタあと、「太陽にほえろ」とかでしたけど、

いつだったか、アレは「大沢悠里のゆうゆうワイド」だったと思いますけど、

石原裕次郎をケナシテマシタネ(笑)。

「役者としては下手くそですね、言いましたよオレは『アンタは下手糞だ』って」

そんな感じで、まあ、ロックですね、破天荒・・・・・

萩原健一“アラカンの恋”とか  


Posted by 昭和24歳  at 08:15Comments(1)

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