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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2011年02月06日

日本相撲協会解散、ついでに民主党も解散

日本相撲協会解散、
ついでに民主党も解散





春場所中止、正式決定 相撲協会の臨時理事会 65年ぶり、不祥事では初
2011.2.6 12:01 産経ニュース

 日本相撲協会は6日、東京・両国国技館で臨時の理事会を開き、八百長疑惑の影響のため、3月に大阪府立体育会館で開催する予定だった大相撲春場所の中止を決めた。疑惑の真相解明にさらに時間がかかる状況を受け、開催は不可能と判断したものとみられる。同日午後、親方らによる評議員会で説明する。
<以下本文>
ソース:http://sankei.jp.msn.com/sports/news/110206/mrt11020612010005-n1.htm


つまりアレです。

まあ、「八百長メール」ですけど・・・・・・

去年の琴光喜とかの「野球賭博」で、携帯を押収しました。

まっ、その時点で、「八百長」が、発覚していたわけです(-_-;)

なのに「警視庁」はスルーしていましたね。

まあ、「悪のトライアングル」でしょうか・・・・・・

つまり、警察と相撲協会と、暴力団です。

で、当然、その報告は法務省なり、国家公安ナントカに情報は流れてますね。

で、菅政権、この体たらくですから、ソラ利用できるもんは利用しちゃいますね(笑)。

で、ここまで事が、公になっちゃうと、つまり「八百長」ですけど・・・・・・

「十両」なんて嘘です。

まあ、週刊現代でも、週刊ポストでもイロイロあったわけですけど、

「板井」の外国人記者クラブでのアレです↓

詳報・大相撲八百長訴訟】板井氏新たな証言、北の湖前理事長は全面否定(10月16日)2008/10/16 14:18更新 iza

大相撲の八百長疑惑を報じた『週刊現代』の記事で名誉を傷付けられたとして、日本相撲協会と横綱朝青龍ら力士が発行元の講談社などに損害賠償などを求めた訴訟の口頭弁論が16日、東京地裁で始まった。記事の真偽をめぐり、元小結・板井氏と北の湖前理事長の主張がまっこうから対立した。


まあ、「真実はひとつ」なんていうつもりはありませんけど・・・・・・

「真実はひとつ」です(-_-;)

つまり、「板井」元小結が嘘を言っても一銭の得にもなりませんけど、

北の湖元理事長が、嘘言っちゃえば、得しちゃいますから。

で、今度ばっかりは「動かぬ証拠」ですから・・・・・・

まあ、この際だから相撲界の「浄化」なんて眠たいわけです。

まっ、魁皇のアレなんてどう見てもあれです。つまり物理的にっていうか、人間工学的に(笑)。

だからいっそのこと、日本相撲協会って・・・・・・

まあ、引鉄ひいちゃった民主党もこの際解散 !!???

日本相撲協会解散、
ついでに民主党も解散

  


Posted by 昭和24歳  at 15:22Comments(7)

2011年02月06日

元連合赤軍最高幹部永田洋子死刑囚(65)死亡

元連合赤軍最高幹部・・・・・・
永田洋子死刑囚(65)死亡




革命を信じていた時代の若者たち。その中で山にこもり、「総括」の名のもとに仲間を処刑していった連合赤軍。処刑された12人のひとり、横浜国大生・大槻節子の手記。86年3月刊の新装版。〈ソフトカバー〉


永田死刑囚が死亡=元連合赤軍最高幹部―脳腫瘍で倒れ療養中
時事通信 2月6日(日)2時7分配信

 1971年から72年を中心に起きた連合赤軍事件で、殺人や死体遺棄などの罪に問われて死刑が確定した元連合赤軍最高幹部永田洋子死刑囚(65)が5日夜、東京拘置所で死亡した。72年の逮捕から39年、93年の死刑確定から18年が経過していた。
 永田死刑囚は脳腫瘍と診断され、八王子医療刑務所で治療を受けていたが、その後東京拘置所に戻された。
 連合赤軍は71年、過激な武装革命路線を掲げた共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘が統合して結成。「山岳アジト」と呼ばれた山中での活動の過程で、「同志大量リンチ殺人事件」や「あさま山荘銃撃事件」などを起こした。
 一連の事件でメンバー14人と警官2人、民間人1人が犠牲となった。永田死刑囚は13人に対する殺人罪などに問われた。
 一審東京地裁は82年6月、「共産主義社会の実現を、憲法の許さない銃と爆弾で貫徹しようとした独善的、反社会的な犯行」と死刑を言い渡し、二審東京高裁は86年9月に控訴を棄却。93年に最高裁で確定した。 


1972年3月29日 永田洋子初めて反省の供述。

アレは昭和47年だったか、48年だったか ?

「君、傍聴しといたほうがいいぞ」

そんな先生のお言葉で前橋地方裁判所の「連合赤軍裁判」を2度ほど傍聴した。

たしか、森恒夫、坂口弘、その2名の。

そして、永田洋子・・・・・・

連合赤軍榛名ベース(アジト)で行われた内ゲバ、リンチ殺人事件の裁判。



逮捕後、すでに1年以上が経過していたせいか、傍聴席には空席が目立っていた。

世の中そのものが、その凄惨な忌まわしい事件を一刻も早く忘れたいかのような・・・・・

そんな空気さえ感じられていた世相だった。

まあ、田中角栄内閣、そんな時代、オイルショックがあり、日本列島改造があり、

そして、連合赤軍による日航機ハイジャックがありながらも大衆の耳目は「革命」というそれを、

意識して忌避するかのような・・・・・・

アレから40年近くが過ぎようとしている今日「永田洋子獄中死」65歳。

世の中、何が変わって、何が変わらなかったのか ???

そういえば、菅さんと同い年、同世代の連合赤軍兵士。

つまり、全共闘世代とか。

まあ、その意味で総括されなければならないのは今、この時代を創ってしまった・・・・・・

政治のリアリズムはどんな言葉を放つか ???


元連合赤軍最高幹部・・・・・・
永田洋子死刑囚(65)死亡



  


Posted by 昭和24歳  at 08:53Comments(1)

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