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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2011年01月02日

オセチの通販、グルーポン(-_-;)

オセチの通販、グルーポン(-_-;)



笑っちゃいました(-_-;)

まあ、こんなもんでしょう普通。
騙されるって・・・・・







グルーポンで買ったおせち料理が「見本と違う」と話題に! 腐っているという報告も多数
2011年01月01日15時37分

共同購入サイトで一気に人気を集めている『グルーポン』にて21000円のおせち料理が、500人の応募が集まることにより10500円という半額で購入出来る。そんなおせち料理が今話題になっている。
話題の内容は半額の値段ではなく、見た目のようだ。見本はかなり豪華な内容の4人前おせち料理がサンプル写真。しかし実際購入者に送られてきたのは中身スカスカのおせち料理だったという。品数も33品なのに対して数えてみると25品程しかないとのこと。

このおせち料理を販売した『バードカフェ』の掲示板は大荒れしており現在閲覧不可能な状態。さらに客の中には「おせちが腐ってます」、「おせち 腐敗」と苦情を寄せる人も居る。掲示板には「即冷蔵庫にいれて、夕方 来客とともに食べたら煮物はヤバイいたんだ味。鶏肉(手羽元)はもろに腐敗  かずのこは食べられないくらいのまずさ 新年そうそう食中毒は怖いので食べずに処分いたしました」と投稿されている。これが本当ならリコール問題になるだろう。
 『グルーポン』とは複数の客が共同で購入することにより50%以上の割引が出来るというサービス。“共同購入型クーポン”と呼ばれ世界中に似たようなサービスがあるが日本では『グルーポン』が人気を集めているようだ。今ではテレビCMを流す程にまで成長している。

 今回の問題は『グルーポン』よりもおせちを提供した店舗側にありそうだ。元旦のおせち料理を楽しみにしていた人はどうなるのだろうか……。



まあ、『グルーポン』とかですけど・・・・・・

お節を通販で買うって、まあ、時代だからでしょうか。

それにしても、お節ですけど、まあ、大晦日に昔は母がやってました。

つまり、三が日、小メンドクサイ台所仕事しないでいいわけです。

っていうか、昔は近所の八百屋さん、魚屋さんとか三が日はお休みでしたから、

つまり、食料備蓄なわけです。

まあ、冬ですし。それでも煮豆とか酢の物とか、まあ精々がそんなもんです。

まっ、スーパーとかショッピングセンターとかができて、

下手をしたら元旦から営業しちゃってるわけですから・・・・・・

「お節」なんて、まあ、家でつくるのが、それ、「文化」ですから、

まあ、出来合いをスーパーとかデパートで注文、買ってくるか、それくらいが常識です。

で、「お節」の通販て、クロネコ、それとも「ゆうパック」、それとも「飛脚」ですか ???

しかも、21000円が500食以上の注文で半額とか・・・・・・

そんなもん、「クズ」に決まってるじゃあないですか(-_-;)

大体が、運賃とか、手数料とか、箱代、広告代とか入れたら、そんなもん、

10500円で仕上がるわけがありませんし、そもそも「500食以上」を前提の仕込みですから。

そら、業者も悪いですけど、ひっかる方も引っかる方です。

つまり、「手抜き」てぇのはそういうことなんですね。なんでもそうですけど。

まあ、それを考えると、スーパーっていうか、あっ、イオンですけど・・・・・・

日本のそういう文化を見事に破壊し尽くしました。まあ、町も破壊しちゃいましたけど。

まっ、その意味では「街づくり」りなんて掛け声だけです。ポーズ(笑)。

大体が、行政ごときが小細工でできることじゃありません。

高崎駅の東口にまたひとつですけど、つまり「駅ナカ」ショップとか・・・・・・

まあ、これで、近い将来「タカシマヤ撤退」とか、「スズラン跡地再開発」とかになっちゃったりして(-_-;)

まあ「藤伍跡地」とかって、しっかり、マンションになっちゃってますし。

そういえば、20年くらい前までは、町の魚屋さん、「持田鮮魚店」で正月用の刺身の盛り合わせを注文したり、

丸井のの煮豆屋さんっていうか佃煮屋さんで煮豆、昆布巻き、伊達巻をお願いしたり、

そら、今の3倍から「お正月」にお金使ってました。

まあ、大体が、門松っていうか、正月飾りを紙っぺらにして、行政が配布なんですから、

門松やさんは潰れてなくなっちゃうわけです。

まあ、その意味では、高崎の街も今や、アレです。アレ・・・・・・

『グルーポン』(-_-;)


オセチの通販、グルーポン(-_-;)
  


Posted by 昭和24歳  at 19:59Comments(0)

2011年01月02日

平成23年元旦「初詣」とか。

平成23年元旦「初詣」とか。





アレはいつごののことだろうか・・・・・

僕が物心ついての初詣というと、母に連れられて行った高崎神社。


昭和29年。

高崎神社の入り口にはアコーディオンやバイオリン、ギターを、

物悲しそうに奏でる白服の傷痍軍人の姿が必ずあった。

もちろん兵隊帽子を深々と被り、色眼鏡に松葉杖、義足に片腕での演奏と、色々だった。

それをまるで無視するかのように、いや、無視するというよりは忌み嫌い蔑視するようにして聴き流し、

見て見ぬフリをする母のその時の何故かしかめた顔もその音とともに僕の脳裏に焼き付いている。

そんな「傷痍軍人」は、ほぼその時の母たちと同世代・・・・・・・

戦前、戦中と南方、北支にお国のためと、家族の、国民のためと銃後の守りを信じての負傷復員兵。

新生日本「万歳万歳」の出征も敗戦焦土に迎える同世代の目はこうも冷たいものだったのかと、

今にしてみるとえもいえぬ焦燥感が湧いてくるのはなぜだろうか。

そして、それはこの平成の世に上野公園、墨田公園のブルーテントの脇を見て見ぬフリをしながら通り去る、

僕らの顔を映しえに見るようで心地は悪い。

「パパ、寒くて大変そう・・・・・・」

まだ末娘が小学校5年生の時だったから、それは今から5年ほど前・・・・・・

西日暮里の「駄菓子屋問屋街」が再開発で取り壊されるとのニュースで浅草観音初詣に行ったときの光景。

時代それは、僕が6歳のときに見、感じた光景。

それは「傷痍軍人」も、ブルーテントの「ホームレス」のみなさんも、その時代を括る光景」をそこに見る。

時代に創られたその光景は、ある種の音をみみに止めながら、

きっと、末娘も生涯忘れられない「光景」、そして「音」ではないだろうか。

平成の時に、そこに見た寒空のしたのブルーテントの人たちは僕等世代に違いない。

それが、あの昭和29年の高崎神社の物乞いする傷痍軍人が母と同世代だったように・・・・・・

高度成長期、バブル経済崩壊。

いや、それ以前の受験戦争、企業戦士といわれた競争社会を生き抜いてきた。

それは、ある種の生存をかけた「戦争」、内戦ではなかったかと、今ふとそういう思いが過ぎる。

「ソレ」が僕ら世代の答えなんだろうか ???

こんな答えを得るために、そしてこんな光景を見るために、僕等は生きてきたのだろうか。

そんな気がしてならない。

それは昭和29年の、そのとき感じた母世代のそれとは全く違う物であるはず。

母たちのそれは、今日では想像すらできないほどのこの国の異形がそこにはあった・・・・・

母たちのそれは、けして背くことの出来ない日常の現実がそこにはあった。

つまり、母たちのそれは、母たちの「責任」ではない。なかった。

ところが今日はといえば、曲がりなりにも「民主主義」とかが日常、隅々に蔓延する。

一国の首相を「バカチョン」呼ばわりしても、「天皇」でさえも、

その批判の対象となっても国家権力は異様なくらい冷静というか、その口は閉ざされる。

まあ、秋篠宮に「早く座れよ」とかつぶやいた民主党の衆院予算委員長がいるほどだから・・・・・

それは、ぼくら世代と、母世代のそれとは比べるべくもないことかも知れないが。

翻って、この間、月光仮面世代がこの国の中枢で悪戯にどうしたことか余念がない。

かとおもえばニュースを騒がせるのは「子殺し、親殺し事件」や、得体の知れぬ「伝染病」やら、

当時、昭和29年には想像することもなかった「ネット事件」を報じる新聞、テレビの毎日。

情報過多なのだろうか。あの時代、知らされないことも随分とあったようにも思えるが、

逆にそれが、それ故「嘘のニュース」を創作することもなかったような良心の時代だったのかもしれない。

いわれる敗戦直後から昭和後期の政治腐敗、政官財汚職、疑獄。

今思うと、それらも単純明快でそこには幾分その「良心」の呵責が見て取れたような気がする。

それはいつでもやり直しのきく「悪戯」のようなもので「嘘に嘘を重ねる」といったような・・・・・・・

慇懃なものではけして、なかったような気がする。

それが、平成、今日のそれはひとつの嘘に幾重にも嘘を重ねに重ねて、

なおボロボロとほころびを見せ、しかもそれで平然とする事件の醸す異様な社会の光景。、

そこには聴く「音」は何もない。空耳なのか、耳鳴りなのか・・・・・・

記憶に留まる「光景」そして、「音」は何処を探してもあの頃のそれは見当たらない。

そう感じるのは僕だけだろうか。

その意味では、僕ら戦後世代には「夢」があった。

それは「戦争を知らない子どもたち」と歌われ、その意味では極めて「幸せな」な時代を過した、

世界でもまれな国、社会時代に生まれ育ったからではないだろうか。
 
まあ、それにしてもその時代、何もなかったせいなのかも知れない・・・・・・

たしかに何もなかった。

テレビどころの話ではない。ラジオだって物心つくころでさえそう記憶はないし、オモチャや、ゲームがあるわけでもない。

その毎日は学校の校庭で、原っぱで、横丁で汗まみれ、泥まみれで仲間同士遊ぶしかなかった。

履物はズックなどは上等な物で、正月にやっと買ってもらえるくらいで、普段はゴム草履か下駄。

靴下なんていう洒落た物はなく「足袋」それも幾重にも継ぎ当てをしたような代物で、

真冬だって素足に草履、下駄なんていうのも珍しくはなかった。

その、真冬は「しもやけ」、「アカギレ」、青ん洟垂らしたり「ハタケにタムシ」など等・・・・・・・

着るものといえばお下がりのズボンに詰襟のツンツルテンのテッカテカで汚いの汚くないのと、

今時のパパやママが見たら目をむいてひっくり返ってしまうかも知れない、

そんな僕ら世代の子ども時代。それは時々テレビに流れるお隣の「地上の楽園」の子ども達のよう。

それは今に言う、〈あの頃は良かった〉などといった代物ではない、それしかなかったのだ。

時代そのものが貧しく、それまでの軍国主義、富国強兵一辺倒時代から解放された・・・・・・

それは、僕らの親世代の安堵感の中にも「明日をも知れぬ」といった不安な日々、日常にあった。

しかし僕等、子ども達には「夢」があった。とてつもなくデッカイ夢をもった。

それは敗戦による自由解放、民主主義のお陰とでも言えばいいのか、おそらく物不足の中にもその時代、

齎されたものではあったが、初めて手にした自由に、大人たちは雑誌創り、そしてを読み漁り。

僕等、子どもたちは次々と発刊される「少年王、冒険王、漫画王、少年画報」等々、つまりそれはメディア。

そしてそれらに連載される月光仮面、赤胴鈴の助、はては二一世紀の現代を予測する鉄腕アトム、

正義、正義、正義「正義は勝つ」のオンパレード。

やがて、ラジオ、映画から、それは白黒テレビの西部劇に、アメリカ製のホームドラマに・・・・・・

そして洋楽のヒットパレードに夢中になる頃になり、その夢は外国へ行くこと、自動車を乗り回すこと、

自分のなりたいものになるという将来未来を思い描くこと。

しかしそれはけして手の届くことのない、叶うことのない「夢また夢」の毎日だった。

それでも僕等は夢を追いかけて、求め続けた。

はたしてそれが今は、この21世紀平成23年にあるだろうか。

僕らが夢にと描いていたことが今ではそれがいとも簡単に「手品」のように叶ってしまう。

しかし、その「夢」は掴むのではなく買う「夢」。じっくりと時間をかけて、心から願ってのそれではない「お金で買う夢」。

自分で想像した夢ではなく誰かが拵えた、作り物、売り物の夢。

僕のいう夢とは小学生が見るような夢ではない。女の子なら看護婦さんになりたいとか、ケーキ屋さんになりたいとか。

男の子ならパイロットとか野球選手、サッカーの選手とかのことではない。

やはりそれは15、6歳で見る夢。それは「自分」探しの夢の、夢だった。

まさか僕自身、その時には自分が60歳になるなどとは「努々」思いもしなかったがその15、6で見た夢・・・・・・



昨日の初詣。


そこには、人群の雑多感がなく、「シラ~」っとした空気の中なぜか行儀正しいひと生きれだけ。

それが良いことなのかどうか、その「シラ~」とした空気の中に、

昭和29年の、その時の「僕」が玉砂利を蹴飛ばしていた。母に手をひかれながら。

平成23年元旦「初詣」とか。  


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