グンブロ広告

ビジネスライセンス料  3,000円/月

飲食関連事業用 ライセンス 毎日1セット広告  1,600円/月

お問い合わせは、 info@gunmawen.net

本広告は、30日以上記事の更新がされませんと自動的に掲載されます。 記事が更新された時点で、自動的に破棄されます。  

Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年10月21日

秋休み・・・・・・

秋休み・・・・・・








「パパ、秋休み、どこか連れてってよ」

次女の娘二人がそう言って僕を朝早くから起こしにきた。

そうか、二学期制で・・・・・

なんだかんだと休みが多いいなぁ、最近の学校は(笑)。

で、結局、伊香保温泉と榛名湖に行くことにした。

前橋インターから渋川伊香保インターまではわずか10分程度。

伊香保温泉は子どもたちにはお馴染の“グリーン牧場”を過ぎると・・・・・・・

数分で、思い出深い「伊香保グランドホテル」に到着。

ところで、しばらく伊香保に来ていなかったら“ベルツの湯”にはぺんぺん草が生えて、すでに閉館していた。

長女次女の頃は育成会とかで何かと言えばここ“ベルツの湯”にはお世話になった。

栄枯盛衰。時代を感じさせられた。

実は、訪ねる“伊香保温泉”は友人がよく利用すると言う“日帰り温泉”。

『伊香保黄金の湯』

そう、ご案内の昔の「伊香保グランドホテル」だ。

ふとそれを思い出して行くことに決めたのだが・・・・・・

マズ、ネットで検索して“伊香保グランドホテル”。

結構な施設が案内されている。

それになんといっても料金が安い。大人680円、子ども300円で、天然温泉・・・・・

正真正銘の伊香保の源泉かけ流し(温度が低い為沸かしてはいる)と言うのだ。

実は僕が10代の頃この伊香保グランドホテルで演奏していたことがあった。

当時のこのホテルはできたてのほやほやで連日ショーが繰り広げられ結構なギャラを頂いた記憶がある。

さきの“ベルツの湯”ではないが、ここ「伊香保グランドホテル」も実は左前になっていた。

そこを“伊東園”とかいう「格安」ホテルチェーンが買い取って復活と言うことなのだが・・・・・

聴くと見るとでは大違い、

残念ながら、それは往時の“伊香保グランドホテル”ではなかった。

それに日帰り温泉“黄金の湯”も、どう見ても“黄金の湯”とは?



それに、ネットで紹介されているような施設も実際に行ってみたら・・・・・・

“やっぱり680円”のそれでしかない。

俄仕立ての間仕切りやフロアで。

そんな思いにさせられる“伊香保黄金の湯”だった。

榛名湖は霧に包まれていた。

それでも小一時間するとその霧も晴れ梅雨間だというのに結構な観光客で湖畔は賑わっていた。

「パパ、ボートに乗りたい」

とか、

「パパ、お馬さんに乗りたい」

とか、このご時世高額なリクエストを遠慮なく口にする娘たち(笑)。

と言うわけで、マズは“ペダル漕ぎボート”に乗った。

娘たちは大興奮である・・・・・陸から結構離れた、300メートル暗いだろうか、

4歳の次女が、

「パパ・・・・・怖い」

と、泣きべそをかきだした。

霧の舞っている湖面は確かに不気味である・・・・・

30分ほどでボートから降りた。

次は“お馬さん”と娘たちは決めていた。

馬場の馬車だ。

やはりもうシーズンオフだろうか、賑やかとは言えその馬車は貸切・・・・・・

「大人1000円、子ども800円だよ」

と馬方は言う。

「高いなあ・・・・・サービスしない?」

「乗合じゃあないし、貸し切りだし勘弁してよ・・・・・」

馬方は譲らない。

20分ほどの遊覧馬車だ。

けっこう話し好きの“馬方”で、

「馬って経費かかるんだよこの馬場で年間200万。エサ代、調教代、それに蹄鉄代」

なんでも蹄鉄代が馬鹿にならないらしい。

シーズンともなると一回履くと“一週間”持たないとかいった。

なんでもこの馬方さんアルバイトだとか。

「もう3年やってるだ。もう年だけど、馬車は、畑の合間にな」

年のころなら「古希の声」いかにも“馬方さん”といった風情でぶっきらぼうだが人懐っこい、話し好き。

「馬って利口なんだ。この手綱一本で何でも言うこときく。
ほれ、“Uターン”・・・・・
英語までわかっちまうんだから」

と言って娘たちを笑わせた。

「さて、ロープ―ウエイにでも乗って帰るか」

そんな僕のアイデアに娘たちは大喜び。

しかし残念・・・・・ロープ―ウエイの切符売り場で、

「乗っていただくのは構いませんが頂上は霧で何にも見えませんよ。
それに小さいお子さんは頂上では危ないかも知れません」

娘たちも足下まで霧が舞っているのを見ると諦めたようで、

「また今度にしよ」

と言う僕に、残念そうだが、仕方なしに頷いていた。

「湖、一周して帰ろっ」

“ワーイッ!!”といって喜んだ娘たちだったが・・・・・・

車が動き出して2、3分もしないうちに寝息を立てていた。

秋休み・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 18:07Comments(0)

2010年10月21日

鈴木宗男前議員が食道がん

鈴木宗男前議員が食道がん



なぜ検察は小沢一郎だけをつけ狙うのか?果たして日本は法治国家といえるのか?「検察」「政治家」「官僚」「マスコミ」の邪悪なリンクにより、汚名を着せられた政治家の人生をたどる、渾身のノンフィクション。日本の中枢に形成された闇の権力集団の実態を、実名で、命を賭けて告発する!権力のど真ん中にいた者が転落していく過程で体験したことは、ビジネスマンや組織に属する人間も必読の人間ドラマだ。








鈴木宗男前議員が食道がん=近く手術、収監時期に影響も
時事通信 10月20日(水)17時19分配信

 あっせん収賄罪などで懲役2年の実刑が確定した鈴木宗男前衆院議員(62)が20日、東京都内で講演し、検査で食道がんが見つかったことを明らかにした。来週にも入院して手術を受けるという。
 最高裁は今年9月、鈴木前議員の上告を棄却。検察当局が近く収監するとみられていた。鈴木前議員は「(収監時期は)手術後の検査結果を見て判断しようと検察と話している。万全な体で収監されたいと思っている」と語った。
 鈴木前議員は有罪確定後の9月末、定期検査を受けた。その際に食道がんが見つかり、医師から手術を勧められた。すでに弁護人が手術を受けることを東京高検に伝え、了承されたという。 



まあ、政治家っていうのも因果な商売です。

善かれと思ってやっていても・・・・・・・

善からぬやつと指弾され、国家権力で潰される。

まあ、基本的に来るものは拒めない政治家。

ヤクザもいれば、悪徳商人も来る。

ソコのところの見境も政治家の手腕ということだろうか。

まあ、いくら声が大きくても、腕力があっても政治の世界だけは・・・・・・

いわゆる「国家」なる特殊な世界。

つまり、他所者、平民は革命でも起こさない限りその地位には就けない。

ソレは田中角栄元内閣総理大臣がその典型だ。

最高権力の地位についたと思ってら、実はそうじゃあなかった(笑)。

寄ってたかって叩き潰される・・・・・・

ソレがこの国の今のところの仕組みだから仕方がない。

菅総理も、仙石官房長官も、まあ、平民ですから、「心」しているわけです。

まあ、民主党もクジを引いたら「大当たり」が出っちゃったもんだから、

そりゃ、今さら後悔してももう遅いわけです。

あの手この手で、四方八方から攻められ、試される・・・・・・

菅総理も、「尖閣ビデオ」は「見てない」とか言ってるけど。

そんなわけないじゃん(笑)。

まあ、あそこは米軍の戦略海域だし、実際は米中問題です。

で、アメリカも今や大変なんですから、オバマ大統領も、このままじゃあ再選も難しい。

で、「戦争」するっきゃないわけです。

で、中国ですけど、まあ「冷たい戦争」しかできませんね・・・・・・

中国ですけど「社会主義」だっていうのに、自由経済の国より「格差社会」です。

で、オバマ大統領もだけど、コキントー主席もまあ、時間がありません。

まあ、共産主義っていうか共産党は権力争いの歴史ですから。

まあ、米中覇権争いの最後の戦場がアノ辺りでしょうか、それとも朝鮮半島でしょうか。

まあ、ホントは北朝鮮あたりが一番リスクないんですけど・・・・・・

破壊しても、なんにもありませんから。

まあ、どう日本を巻き込むかみたいな話なんじゃあないでしょうか、とにかくカネはありますから。

まっ、民主党が政権に就いたことで「憲法改正」に反対するものはいなくなっちゃいましたから・・・・・・

ほんと、上手いです。

で、四の五の言う「小沢一郎」は手枷足枷口枷ですから(笑)。

ところで鈴木宗男さん、今度は食道がんですか・・・・・・

鈴木宗男前議員が食道がん  


Posted by 昭和24歳  at 11:57Comments(0)

2010年10月21日

キグレサーカスが事業停止

キグレサーカスが事業停止



前橋公演も中止だとか。
キグレサーカスにはいっぱい思い出がある・・・・・






キグレサーカスが事業停止…新型インフル打撃
読売新聞 10月20日(水)18時35分配信

 民間信用調査会社の帝国データバンク札幌支店は20日、サーカス興行業「キグレサーカス」(札幌市中央区)が、19日付で事業を停止した、と発表した。

 負債総額は約5億8800万円で、今後、任意整理に移行する見通しという。

 同支店によると、同社は1942年に創業、77年に法人化されたサーカス興行団で、日本三大サーカスの一つとして知られていた。

 しかし、入場者数の低迷に加え、2009年10月からの埼玉・川越公演を新型インフルエンザの流行が直撃し、大幅な損失が発生。その後、資金繰りが悪化し、今年9月末には従業員35人を解雇したという。



サーカスの団長

記憶が確かであれば「沖電(沖電気)」のところの高崎線立体高架橋の工事。

ソレが始まったのが、昭和40年代初めではなかっただろうか・・・・・・

当時、沖電の周り中は「田圃」だらけで、昭和47年頃に、

その沖電横の広場で「キグレ大サーカス」の楽団をやったのを憶えている。

キャバレー「ニュージャパン」のバンドマンで、

その時僕はチェンジのコンボでドラムを叩いていた。バンマスは同い年の「田中」。

この田中が器用な奴でフルバンでペットを吹いて、コンボではテナーをやる。

みんなはその田中を「デカタナ」と呼んでいた・・・・・・・

デカタナと言うからには「チビタナ」もいた。

その「チビタナ」は同じ田中という姓でフルバンでテナーを吹いていて、「チビタナ」と言うだけあって実際チビだった。

しかし「デカタナ」が当時の成人平均身長を越すほど者でもなかった。

精々が1メートル60センチがそこそこの「デカタナ」なのだから、「チビタナ」は・・・・・

正真正銘の「チビタナ」であったことは言うまでもない。

「あちらのお客さん六七番テーブルの。バンドさんにチップだって・・・はいっ」

社交のお姉さんがバンマスのデカタナにさりげなく。

<社交のお姉さん=当時は「ホステス」とは呼ばず“社交”と呼んでいた>


「あとで席に来るようにですってこのバンドさん全員」

ステージの合間にテーブルにつけと言うのだ。

「なべちゃん、プーチ(チップ)すげえぞ。頭、チェーマン(1万円)だぜ」

「あのクーキャ(客)ヤバクねえか」

と、スーべ(ベース)の加部ちゃんが言う。

「ヤバそうだな・・・どっかのザーヤク(ヤクザ)じゃあねえのか」

「だって、プーチ貰っちゃたもの・・・こんなに。行かねえ分けにいかねえだろ」

ターギ(ギター)の桑さん。

かなりの体格。しかも皮製のスーツにハンチングで、おまけに体中を「金ぴか」に飾り立てている。

「オーウッ、座れ座れっ。遠慮すんな」

「こちらのお客さん・・・ほら、東口に今度来るでしょ。あのキグレ大サーカスの団長さんなんですって」

「オイッ、心配すんなぁ、俺はこれじゃあねえからよ」


「ガハハーッ」と笑いながらそう言うとほっぺの横を「スーッ」と人差し指で切る。

「まあ似たようなもんだけどな」

そう言うとまた、「ガハハーッ」と笑い女の子の肩を抱いて上機嫌だった。

そうか・・・サーカスの団長さんか。

やはりこれくらいでないと団長さんやってけないんだろうなと変にみんな感心していた。

「実はよう、今度の高崎の公演でな、みんなにバンドやって貰いてえんだ。楽団連れてきても金かかるし、みんなにやってもらえればアゴアシいらねえしな」

サーカスのバンドか・・・なんか面白そうだな。

約2ヶ月間の公演で間休みなしだと言う・・・・・

「給料はずむぞっ、なんたってアゴアシなしだからな。一人7000円でどうだ。7000円 !! 」

「ハッ、ハーセーーンッ !!??? 」

「なんだ、ハーセンとは !?? 7000円だよ、7000円、分けのわかんねえこと言ってんじゃあねえよ、7000円 !! 」


その団長、僕らがきょとんしているので、面倒臭そうに言った。

「やっ、やっ、やります、やりますっ、なぁっみんな」

「オウッ、やってくれるかーーーそいつは助かる。朝九時には入ってくれ、一日3回公演もちろん飯つき。六時にははねるからこっちには問題ねえだろっ。さあ、飲め飲め、さあっ」


そんなこんなで「キグレ大サーカス」の楽団をやることになった。

「九時、六時かぁ、チョッときついけど稼げるな」

当時は同い年の連中、サラリーマンでだいたい月給十万いけば御の字だった。

僕らバンドマンは大体14、5万は稼いでいた。昭和47年頃の話だ。

しかし、バンドマンには、もっともな話だがボーナスはないので実際のところはそう大差はなかったのかもしれない。 

でもこの辺のバンドマン。当時20代、30代の堅実な奴は当然昼間のゴトシ(仕事)・・・・・・・

それも、結構まともな企業に勤めていて相当な稼ぎがあったようだ。

どう言う訳か、国鉄の職員、つまり「ポッポ屋」とか消防署、「火消し」の職員が多かった。

文句を言わずに昼間も勤めをすれば結構な収入になったことは確かだった。

そこへ行くと僕らはいい気なもんで「ミュージシャン」を気取った太平楽、後生楽で、

好きなことに明け暮れていた青春時代。

それは丁度浅間山荘事件で世の中騒然としていたにもかかわらず・・・・・・

考えてみればいい気なもんだったと今になって反省するが時は既に遅し(笑)。

それにしても、象の糞やキリンの小便には閉口した。臭いのなんのって半端じゃあない。

特に難しかったのが「空中ブランコ」の決めの時のドラムの「タイミング」。

そのタイミングが外れようもんならえらいいきおいで叱り飛ばされる。

もっとも空中ブランコの兄さん姉さん慣れてるとは言え「命がけ」なのだ。

ところが台本では「外す」はずの「ピエロ」の決めが、決まっちゃったりすると、ピエロの兄さんからお小言。

しかし大変だったけど面白かった「キグレ大サーカス」。

そう誰もが経験できる話ではないが、そう自慢できる話ではないことも確かだ。

今では「コンピュータ」で何でもかんでもやっているらしい・・・・・・・

何年か前にも高崎のキリン麦酒工場跡地にその「キグレ大サーカス」がきた。

その大サーカスもその頃の趣は消えていた。

だいいち会場のチケット売りのお姉さんも、芸人さんも「東京ディズニーランド」のそれとほとんど違いがない。

僕らの時代、サーカスと言えば美空ひばりの「角兵衛獅子」ではないが、なんかおどろおどろしさを感じていた。

「言うこと聞かねえとサーカスに売っちゃうぞ」

なんて子どもの頃親父に脅かされたものだった。

そんな平成の「キグレ大サーカス」のテントの入り口で切符を買いに列に並ぶ子連れの僕がいる。

ふとあの時の団長さんの怖い笑顔がよぎった。

キグレサーカスが事業停止  


Posted by 昭和24歳  at 09:50Comments(1)

< 2010年10>
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
過去記事
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 125人
プロフィール
昭和24歳
昭和24歳
オーナーへメッセージ