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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年10月19日

まあ、柳腰というか柳に風(笑)。

まあ、柳腰というか柳に風(笑)。



理念なき民主党政権の「やるやる詐欺」に、国民よ怒れ!「事業仕分け」に代表される行革ショーの舞台裏を暴く。

まあ、仙石官房長官ですけど・・・・・・
弁護士ですけど、「加害者の弁護士」ですから。
「柳に風」っていうか、蛙の面にションベン。




仙谷氏、ぎらつく存在感=「謙虚さ欠く」、民主にも懸念
2010/10/17-14:33 時事ドットコム

 発足1カ月を迎えた菅改造内閣で、仙谷由人官房長官の存在感が際立っている。深刻な外交問題に発展した尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件では、日中関係修復に向け水面下で奮闘。一方、国会論戦では菅直人首相を差し置く形で答弁に立ち、長広舌をふるう場面がしばしばだ。はぐらかしや挑発も目立つ「仙谷流」には、民主党内からも懸念の声が漏れている。
 15日まで4日間にわたり開かれた衆参両院の予算委員会は、さながら仙谷氏の「独り舞台」のようだった。漁船衝突事件への政府の対応を批判した自民党の石原伸晃幹事長には、「弱腰と思っていない。『柳腰』というしたたかで強い腰の入れ方もある」と切り返し、新聞報道を引用して事実関係をただした同党の山本一太参院政審会長に対しては、「最も拙劣な質問方法」と声を荒らげて非難した。
 質問されていないのに答弁することも多く、政府参考人として出席した経済産業省の古賀茂明氏が公務員制度改革への政府の取り組みを批判すると、仙谷氏は「こういうやり方は彼の将来を傷つける」と発言。野党が「どう喝だ」と反発し、審議は中断した。



まあ、民主党、政権についてみたら・・・・・・・

未だ占領から覚めやらぬってぇところでしょうか。

そりゃあ、占領軍、赦しちゃあくれません、そう簡単には。

アメリカはそういう所はスゴイですから(多分)。

戦時中から日本人の精神構造を研究し尽くして見抜いてます。

つまり、日本の構造、そして日本人の「行動」っていうんでしょうかその時その時の「答え」をわかっちゃってるわけです。

今思えば、僕の母親なんて、子どもの頃の僕に真顔で「神国ニッポン」をあの状態にもかかわらず言ってたわけです。

で、近所のおばあさんなんて、天皇陛下のお召し列車、正座して目を伏せて・・・・・

「目がつぶれる」とか言っちゃったりしてましたから。

まあ、当然、文盲には近い状態でしたけど、社会全体がです。


まあ、この国の仕組みでしょう・・・・・・

旧自民党のほとんどが戦前戦中の「特高」とか「検察」とかです。

まあ、その代表格が世襲の「町村信孝」とか、たちあがれませんの「平沼赳夫」、極右の息子たち。
で、マスコミとかですけど、読売の「正力」が特高で、衆議院議員で、まあ、中曽根の上司でした。
あの大平正芳でさえ中国大陸では「特務機関」、つまりスパイです。

つまり、「検察審査会」なんて存在しないっていうことです。

ってぇことは、もうひとつの「地検特捜」、戦後GHQによって組織された、まあ、旧日本軍の隠匿・退蔵物資摘発のための・・・・・
つまりそういう悪いことをする奴は、軍幹部だったり政治家だったり。

で、当然、公の組織ではないわけですから、元々、その議決には拘束力はなかった。ずっとなかったわけです。
まあ、「アイツは悪党」っていうイメージづくりでしょうか、裁判所が不起訴としても、極めてブラックなグレイってう議決です(笑)。

それが、その議決が「拘束力」をもつように自民党政権時代、まあ、つい昨日のことですけど法改正した。
で、あの漆間とかいう警察庁長官だった官房副長官が、自民党には捜査の手は及ばないとかいって・・・・・
「法改正」しちゃったわけです。

まあ、明らかに「小沢ターゲット」みえみえです(笑)。

そんなもんに、検察審議会メンバーなんているはずがありません・・・・・

その証拠に「証拠がない」わけです。

で、「証拠を出せ、議事録を出せ」とか言われても、

「そんなものはない」の一点張りですから、そもそもそんな「審議」はないわけです。

まあ、民主党政権になっても、一向に自民党の悪事は「よく眠ってます」ね。

どういうことでしょうか・・・・・・

あれほど、疑惑が叫ばれたにもかかわらず「告発」は受理されません。

小沢さんのはどういうわけか「一発受理」です(笑)。

民主党議員も、まったく自民党の悪態を告発する傾向すらありません。

つまり、「組織ぐるみ」で一つの方向にこの国を操ってるわけです。

それにしても、悲劇ですね日本国民・・・・・・

正直、菅とか仙石とかが照りられるのを覚悟でホントのことをしゃべれば道は開けるはずなんですけど。

政権に就いた途端、自民党政府のオウム返し(笑)。

死にたくないのは分かりますけど、まあ殺されると決まったわけじゃありません。

失脚程度です・・・・・

つまり、そこから、如何に小沢一郎という政治家が邪魔だということ。

裏を返せば、その一つをとってみれば、小沢一郎は「国民益」っていうことでしょうか。

おそらく小沢一郎もここまでたどり着くのには相当の紆余曲折はあったわけですけど。

まあ、大阪地検特捜を刺したのもその片鱗でしょうか、内部告発とか。

そもそも野党の代表、幹事長にどれだけの職務権限があるというのだろうか。
パクられるならとっくの昔にパクられています小沢一郎。

まあ、「キレイな政治」の末路、国民塗炭の苦しみですか(笑)。

まっ、政権についてみなけりゃあ分からない事だらけだったんでしょう。

で、逆らっちゃえば、また野党ですから・・・・・・

ぼっとかして、菅さん身体壊して、仙石総理ってありかも(笑)。

まあ、柳腰というか柳に風(笑)。  


Posted by 昭和24歳  at 19:47Comments(5)

2010年10月19日

♪ぼくはくま♪を射殺 !!

♪ぼくはくま♪を射殺 !!


http://www.youtube.com/watch?v=5BT3VwUirZs




まあ、人間って勝手ですね。
もとはといえば、くまさんの大地だったのに・・・・・・
まっ、「熊出没」っていうか、「人間出没」。




斜里市街地にヒグマ 20分歩き回る 2頭射殺(10/19 06:00)

 【斜里】18日午前11時25分ごろ、オホーツク管内斜里町の朝日小学校近くの林で、「ヒグマ3頭を目撃した」と同校から町に通報があった。地元ハンターが約30分後、同校から約300メートルほど離れた市街地で2頭を射殺した。3頭目は確認できていない。けが人はいなかった。

 町によると、市街地でヒグマが駆除されたのは初めて。

 斜里署や町などによると、射殺された2頭は親子とみられ、いずれも雌。1頭は推定4歳以上で体長約1・4メートル、体重約140キロ、もう1頭は同1歳で体長約1・1メートル、体重約65キロ。2頭は商店街など、市街地を約20分歩き回ったという。クマを目撃した会社役員の男性(31)は「2頭は商店街でじゃれあっていた。一瞬目が合い、寿命が縮む思いだった」と話していた。


まあ、全国アチコチで熊騒動ですけど、皆殺しです。

今年の夏の異常気象でエサがないんでしょうか、可哀そうです。

で、まあ、人間を襲っちゃった場合はいたしかたないとしても・・・・・・・

斜里町なんかの場合、親子、ソレも母娘の「あたしはくま」です。

麻酔銃かなんかで、捕獲保護できなかったんでしょうか ???

で、山に帰すとか。



なんか写真↑、哀れみを誘います。

冬眠前、お腹すいてたのかなぁ・・・・・・

僕の家のミドリガメも、昨夜脱走しました。多分冬眠です。

箪笥の裏の狭いところに発見。

でもそっとそのままにしておきます。来年まで。

去年もそうでしたから。

で、そのニュースですけど、消えちゃってました、今朝はあったのに。

「斜里町のヒグマ射殺」

まあ、動物愛護とか言ってるわりには躊躇いが全くないです。

斜里町も他のところも・・・・・・

「危険だから駆除」って人間社会みたい。

「2頭は商店街でじゃれあっていた。一瞬目が合い、寿命が縮む思いだった」

とか、会社役員男性(31)とかですけど・・・・・・

目があっちゃって、「くまさん」の方もびっくりしちゃったんじゃあないでしょうか。

♪ぼくはくま♪を射殺 !!

  


Posted by 昭和24歳  at 18:25Comments(4)

2010年10月19日

無縁社会の現実Ⅱ

無縁社会の現実Ⅱ








幸か不幸か迎えた朝…スーパー銭湯2カ月も居候、男逮捕
産経新聞 10月18日(月)14時39分配信

 24時間営業のスーパー銭湯に、宿泊料金を払わないまま約2カ月間も寝泊まりしていたとして、兵庫県警尼崎東署は18日、詐欺(無銭宿泊)の疑いで住所不定の無職、横内長次容疑者(57)を逮捕した。調べに対し、横内容疑者は「金がなく、行くところもなかった」などと話し、容疑を認めているという。

 逮捕容疑は、8月25日から10月17日までの間、尼崎市内のスーパー銭湯に居続け、宿泊代など総額約15万8千円を支払わなかったとしている。


まあ、「幸か不幸か」です(笑)。

57歳。住所不定無職って、どういうことでしょうか ???

僕はいつもこういう報道のたびに、こういう人の家族関係を想像してしまいます。

「金がなく、行くところもなかった」

まあ、僕らも二十歳、20代の頃は「そんなもん」だったんじゃあないだろうか。

でも、多分1年間くらいは「住所不定無職」でした。

プロミュージシャンを夢見て、東京の友達のところを転々と居候。

で、バイトしてカネが入ると酒飲んでオダあげてましたから(笑)。

それでも、扉が開いた瞬間、やっぱり「住所不定」ってぇのはマズイわけです。

で、「学生援護会」、学生じゃあなかったんですけどアパート斡旋してもらって・・・・・・

中野、新井薬師の全く陽の当たらない4畳半ひと間。

で、都市ガスのガスコンロと水道つき、風呂なんてありません、共同便所。

でも、一国一城でしたね(笑)。

で、「修行」が始まるわけです・・・・・・

事務所の社長からは「アルバイトはほどほどに」とか言われて、

かと言って食わせてくれるわけじゃあありません。

で、「精神を鍛えろ」とか、「体を鍛えろ」とか言われて、社長の知り合いの、

池袋、立教のすぐそばの公園のところの「極真空手」に無理やり(笑)。

昭和45、6年です。まだ、アノ漫画「空手バカ一代」の大山倍達館長、当時50歳くらい?

が、自ら指導でしたからそりゃあコワそうっていうかホントに怖かったです・・・・・・

で、組み手とかも防具なし、寸止めなしですから一発、お腹に蹴り貰ってぶっ倒れるやつ、

顔面に食らっちゃって口から血を吹いちゃってるやつとか。

そんなのを見せられてから、最初は僕らは地下の稽古場で、まあ特訓です。

多分あの頃の師範代って、大学生、それも二十歳前だったけど、まあ、ムチャクチャ強いわけですから、

そりゃあも毎日が恐怖でした。たしかに精神的にいろんな意味で鍛えられちゃいました。

で、稽古が終ると、「天照大御神」とか書かれている神殿のようなところで太鼓が打ち鳴らされて、

大山倍達館長のありがたいお言葉とともに大凡2時間くらいの恐怖体験が終わるわけです。

たしかあの頃で、月謝が4500円くらいでしたから、アパート代と同じくらい(笑)。

で、クタクタになって、ドラムの練習どころじゃありません・・・・・・

で、夕方になると新宿駅南口の甲州街道のところの行列に並ぶわけです。

つまり、「夜勤のアルバイト」、つまり、「口入れ稼業」の人がバスで迎えに来るんです、何台も。

仕事場所は川崎の臨海工業地帯で、僕が通っていたところは、多分化粧品かなんかの「ビン製造」の仕事。

それでも、夜7時から朝7時までで2700円くらい、食事つき。

まあ、いるわけです。つまり・・・・・・・

「住所不定無職57歳男性」みたいなオジサンがゴロゴロ、で、ご案内の通り川崎です。

川崎っていえば「バクチ」、オケラ街道まっしぐらみたいなところで、

そんな、「住所不定無職57歳男性」みたいなオジサン達にしてみれば天国です。

まあ、夕飯っていうか夜食だけですけど、寝食に困りません。

で、朝から川崎競輪だか、川崎競馬高へ直行。

で、勝てばその日はお仕事はお休み・・・・・・・

で、負ければまた、あそこは川崎駅だったでしょうか京浜急行の、その駅前の行列に・・・・・・

まあ、僕が二十歳そこそこでしたから、いろんなオジサンが話しかけてきます。

「青森出身」とか、「秋田」とか、「盛岡」とか、「八戸出身」とか。

まあ、あの時代に50歳前後でしたからそのオジサンたち、もう皆さん黄泉の世界でしょうけど、

やっぱり、30代、40代ってあんまりいませんでしたね。

皆さん、大正生まれじゃあなかったでしょうか、で、同時に高度経済成長が始まるわけですけど。

大正10年前後生まれのそんなオジサンたち、青春は戦争に翻弄され・・・・・・

イザ、結婚適齢期になったらなったで占領下の復員で、まあ、故郷、田舎には仕事なんてあろうはずがありません。

まあ、うまい具合に、やっぱりあれなんでしょうか、そうい「う吹き溜まり」社会のために政府は、

「公営ギャンブル」を政策として掲げた(笑)。

まっ、多くが「行旅人」ですから、不満の発散ていうか、まあ、バクチ好きですから丁度よかったのかも知れません。

で、その川崎の工場で深夜、食券を配られてバカでかい体育館みたいな食堂で並んで。

飯を食い終ると、作業場の近くに競馬新聞かなんかを枕に仮眠。

あのときの「盛岡」から来ているとか言っていたオジサン、やたら訛っていたけど・・・・・・

イロイロ話を聞いて、戦争の話とか、若かったころの話とか、で、今の自分のこととかを。

まさしくあの時代の「無縁社会」を象徴するそのオジサン。

「こんなんじゃあ、田舎には帰れねぇ、ノタレ死にするさ」

当時からすれば僕らのオヤジ世代です。そんなオジサンがいっぱいいた。

つまり、戦争で、徴兵されたことで、まあ、青春のまっ盛りを、その「一生」を棒に振るはめになった・・・・・・・

田舎には仕事がない、かと言って、都会、東京に出てきたところで敗戦、占領そして20年もしたら50の声。

「55歳定年」。そんな時代に昭和40年代すでにそのオジサンたちに「縁(よすが)」はなかった。

つまり、「無縁社会」というよりは「社会」が「無縁化」した・・・・・・

社会が、そういう境遇の人生者を孤立化させて行ったのではなかったか。

その意味では、アレから40年・・・・・・・・

「詐欺(無銭宿泊)の疑いで住所不定の無職、横内長次容疑者(57)を逮捕」

って、今この時代、そういう、あの頃のような川崎の工業地帯もない・・・・・・

「行旅人」の唯一、救われる場所もない。

そういえば、公営ギャンブル、アチラコチラで閉鎖。っていうか、公営ギャンブルがファッション化とか。

「オジサンたち、どこへ行けばいいの ??? 」

そういえば、「ワンコールワーカー」に、最悪だけど救われていたオジサンもいたのではないだろうか。

「グッドウィル」が消されちゃって、途方に暮れてるオジサンたちも・・・・・・

寅● さんのコメント<「無縁社会」の現実。>
2010/10/19 01:39:31

まぁ… 祖父はいつも祖母の墓参りでぼろぼろ泣くんですよね、はばかる様子は全くないんです、未だに80年以上前のこともしっかり憶えているのですが(;¬¬) 僕は祖母の記憶を得る前には彼女が亡くなっているのですが… それが辛かったことも全くなかったとも限らなかったわけですから、涙の意味も複雑なものと思わなないということもなかったんです(;¬¬) それが僕が6歳くらいのときに親戚一同の前で「早く嫁もらえぃ」僕も誤まって誰からと知れず、食前酒を頂戴していたらしいのですが、そんなふうに祖父にいったそうです。その場では祖父もみんなと大笑いしていたそうなんですけど、後でえらく怒られた記憶があります(;¬¬) 感謝しているんでしょう(;¬¬) たぶん痛いくらい身に染みてくるんでしょう(;¬¬) 本当のところ、僕には全然わかりませんが(;¬¬)w


>親戚一同の前で「早く嫁もらえぃ」

「親戚一同」・・・・・・

懐かしい響きの言葉です。

今から50年ほど昔、僕の父母の実家でそういう光景が。

そして今から30年ほど昔にカミサンの実家でそういう光景がありました。

ともに、7人兄弟姉妹、10人兄弟姉妹で、ソレはソレは賑やかなものでした。

祖父祖母が死に、父母たちも、その兄弟姉妹も・・・・・・・

「縁(よすが)」は、はかなくも線香花火のように落ちてゆきます。

その意味では「血縁」の「時代の終わり」ではないだろうか。

今求められているのは「新しい縁づくり」なのかも知れません。それがどんなものかは ???

ともかくそんなオジサンたちがテーマをこの社会に投げかけてくれているような・・・・・・・

無縁社会の現実Ⅱ  


Posted by 昭和24歳  at 15:15Comments(2)

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