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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年10月07日

祝「ノーベル賞」とか・・・・

祝「ノーベル賞」とか・・・・



実は、この写真の中に・・・・・・
未来の「ノーベル賞候補」がいる !!???
エレキの行商人“昭和24歳”も。

<平成2年秋>





根岸・鈴木氏、特許取得せず…栄誉の道開く一因
読売新聞 10月7日(木)12時46分配信

 今年のノーベル化学賞に決まった根岸英一・米パデュー大学特別教授(75)と鈴木章・北海道大学名誉教授(80)は、パデュー大の故ハーバート・ブラウン博士の下で学んだ同窓生だが、2人とも、受賞対象となった技術について特許を取得しなかったという点でも共通している。

 経済的なメリットは逃したかもしれないが、特許を取らなかったことで技術は世界へ広く普及し、研究者最高の栄誉へと道を開く一因にもなった。

 根岸氏は6日、受賞者発表会場のストックホルムからの電話インタビューで、クロスカップリングについては特許を取得しなかったと明かした。根岸氏は「特許を取得しなければ、我々の成果を誰でも気軽に使えるからと考え、半ば意識的にした」と述べた。


「クロスカップリング」  

まあ、その研究に成功したのは根岸先生が昭和52年(1977年)。

そして、鈴木先生が昭和54年(1979年)その「クロスカップリング」とか、出会い系のキャッチみたいな(笑)。

ソレに成功したそうです。

で、特許は取得しなかったとか・・・・・・・

で、つまり、その「クロスカップリング」発明は世界中で技術応用されちゃうう。

まあ、極めて「世の中」の役にたちゃったわけです。

「なんと太っ腹」

と思いきや、北大教授の鈴木先生・・・・・・・

「いや、当時は、特許を取るおカネがなかったんです」

まあ、ハッキリ言って、今から32、3年昔の話ですから、当然その「クロスカップリング」とか、

「海のものとも山のものとも」

で、今ではほとんどの大学も、っていうか「産官学」で、ほとんどの研究開発には「特許取得」するとか。

因みに、日本のその筋の「特許申請」&「特許取得」は今や世界一だとか・・・・・・

まあ、そんなわけで、もし特許を取っていれば、その応用技術は、医療医薬、そして液晶パネルの進歩は、

ここまで、進んでいなかったのでは。それと、まあ、特許取得していれば、

「ノーベル賞」

もなかったかもしれないとか。まあ、世の中ってそんなもんです。

で、↑の写真なんですけど、露天風呂の。

あの中に、未来の「ノーベル賞候補」がいるんです。ホントです。嘘じゃありません(笑)。

もう定年になっちゃったかもしれませんけど。

で、今は大学の研究室あたりっていうか、特殊法人「原子力研究所」勤務でしたから・・・・・・

で、どんな研究に成功したかっていうと、コレが凄いんです !!

「芽の出ないジャガイモ」

つまり、原子力っていうか、「ジャガイモ」に「放射線」を照射して・・・・・・・

「芽の出ないジャガイモ」の開発に成功したんだとか。

で、それって、様々な分野に応用できるものすごい技術だとか。まあ、解説してもらったんですけど、

全くチンプンカンプンでした・・・・・・・

「芽の出ないジャガイモ論」

ようこそ高崎量子応用研究所へ

しばらく会ってないなぁ・・・・・・・

未来の「ノーベル賞候補」のOさん。

今62歳だから、あと10年後、20年後 ???(笑)。

祝「ノーベル賞」とか・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 17:40Comments(0)

2010年10月07日

小島弘一高崎市長(36歳)とか。

小島弘一高崎市長(36歳)とか。



<たかさき100年より抜粋引用>
明治33(1900)年の市制施行以来、高崎市長は、政府が選ぶいわゆる「官選」により決められていました。選挙によって市民が直接市長を選べるようになったのは、第二次世界大戦後の昭和22(1947)年4月5日に行われた選挙からでした。このときの市長選挙には、小島弘一、住谷啓三郎、小林儀緑、堀口芳雄が立候補、小島が13,220票を獲得し、450票という小差で住谷を破り当選しました。

小島弘一は、商業会議所会頭を務めた市内の実業家小島弥平の孫で、旧制高崎中学、横浜高等商業を卒業後現在の高崎製紙に勤務、昭和11年には小島機械製作所の社長に就任、昭和22年に36歳の若さで市長となり、2期8年間在職しました。

昭和22年には市庁舎(宮元町)、昭和25年には仮庁舎(本町の公会堂)を火災により焼失していたため、小島は新しい市庁舎を昭和29年高松町に完成させました。また、昭和22年に発足した新制中学校を軌道に乗せ、昭和27年には新日本子ども博覧会の成功や高崎短期大学(現高崎経済大学)の創設など、「新しい時代には若い力で」と「決断即決主義」をモットーに市政を進めました。

<以下本文>
http://www.city.takasaki.gunma.jp/docs/2013120901247/

「新しい時代には若い力で」と「決断即決主義」をモットーに

小島弘一市長のお住まいは僕の家の近くでした。

近くとはいっても、僕の家は横丁の路地裏(笑)。

僕が小学校5、6年の頃のことだから多分、小島機械の社長をやられていた頃ではないかと・・・

小島機械は高砂町にあってその会社から弓町の御自宅まで徒歩での通勤、その途中、

高砂町の横丁を颯爽と歩いて、時たまお顔があったりすると「ニコッ」と笑ってくれって、とっても優しそうな。

でも、その小島さんが、戦後、初めての高崎市長だったことを知ったのはたしか中学に入って、音楽センターの竣工のあたりの頃だったのでは。

2011年統一地方選挙4月10日、24日に閣議決定。

県議選が4月10日市長選、市議会議員選挙が24日とか。

富岡賢治前県立女子大学長が正式に高崎市市長選に立候補を表明いされました。

富岡賢治候補は上毛新聞の記事の中で、「中核都市行移行という新しい段階を迎えるにあたり新しいリーダーが必要と考えた」と、出馬の動機を語った。

その中で「文化と産業が相乗的な効果発揮するようなまちづくりを進めたい」と述べた。

さらに、「若者を活用したまちの活性化」「弱者に優しいまちづくり」をかかげ、首長の多選については「一般論だが、多選は組織の硬直化を招く恐れがある」と指摘。

自身が当選した場合は「2期が限界。退職金も受け取るつもりはない」と。


ちなみに、富岡賢治氏は元官僚、そして64歳、まあそれらを云々するわけではないが、たかさき市が「新しい段階を迎えるにあたり新しいリーダーが必要と考えた」とするならば、真の新しいリーダー、つまり、年齢的にもである。

ソレはちょうど戦後初の、というか、市民が直接選べる「選挙」で、当選してきて、ダイナミックな市政を敢行した、

若干、36歳の「小島弘一市長」。その存在を思い出さずにはいられない。

まあ、誰が市長になっても、「2期8年」っていうのは、好ましいし、ソレは現実的だろう。

やはり、富岡賢治氏には失礼だが、64歳なら、コレまでのキャリアからして優秀な後輩を推挙できないものか。

現市長、松浦幸夫氏の6選目も噂される中、もしそんな選挙になったら、この時代の閉塞感が払拭できない。

このまち、高崎は大きく変化しようとしている、ソレはいろんな意味で。

そして「最小不幸」な社会、空気。いいわけがない。

ただ単に、「中核都市移行」云々とかでなく、50年後、100年後を見据えた高崎市政。

拙ブログ“「子どもの日」2055年5月5日(土)”

2055年5月5日(土)そのとき僕はいない。
次女と夫76歳の子どもたち・・・長女54歳、二女53歳、長男50歳

高崎市の子どもの数13245人・・・


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Posted by 昭和24歳  at 08:06Comments(5)

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