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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年08月19日

小3女児、首つり死亡

小3女児、首つり死亡



なぜ、いじめは起こるのか。いじめっ子といじめられっ子の境界には何があるのか。大人の目を狡猾に避けて隠蔽されるいじめは、理想論ばかりの「今時のいじめ」論からは絶対に理解できないし、解決もできない。「いじめの根絶は不可能」という現実を明確に直視した上で、いじめのメカニズムを明らかにし、具体的にどう対処すればよいのか、わかりやすく提示する。









小3女児、首つり死亡 友人いたずら苦に自殺か 大阪8月18日14時17分配信 産経新聞

 大阪府高槻市内の集合住宅で17日午後、市立小学校3年の女児(8)が、首をつった状態で死亡していたことが18日、府警などへの取材で分かった。府警は自殺の可能性が高いとみている。市教委によると、女児が学校でいたずらをされたとの情報があり、動機などについて慎重に調べている。

 府警によると、17日午後6時20分ごろ、仕事から帰宅した女児の母親(27)が、ベランダの物干しざおにかけたタオルで首をつった状態の女児を発見。通報で高槻署員らが駆けつけたが、すでに死亡していた。

 女児は両親と2人のきょうだいの5人暮らし。現在は夏休み中で、17日朝に母親が出勤した後は、自宅に1人でいたとみられる。

<以下本文>


小学校3年で・・・・・・

具体的に「死」などを考えることができるのだろうか ???

小学校3年生のとき。

僕にも思い出がある。ソレは「イジメ」た思い出・・・・・・

3年4組。担任は「田中先生」だった。

その「イジメ」は一人の転校生を、集団でイジメル。

今思い起しても、ずいぶんひどいことをしたなぁ、と・・・・・・

秋田県からの転校生だった。

で、そのイジメが始まった原因は、その転校生「Y君」の言葉。

つまり「東北弁」っていうか秋田弁で、まったく会話にならなかったことからだった。

国語の時間で、本読みのときでも・・・・・・・

教科書に書いてある言葉と、「Y君」の口から飛び出してくる言葉は、まったく違う。

そんなことからエスカレートして、小学3年だったけど、ずいぶんひどいことをしたなぁと、

今さらながらに反省する。

そんな「Y君」、同窓会には必ず出席する。

初めての小学校の同窓会の時、さっそうと現れた「Y君」はチョイとした会社の社長。

背も高く、恰幅も良く、アレは昭和60年頃だったろうか・・・・・・・・

そろそろ40にさしかかろうという時、僕ら「イジメ」たほうはやっぱり忘れない。

当然、イジメラレタ「Y君」だって、よもや忘れはしまい。

「ここであったが百年目」

とばかりに、嫌味をたっぷり言われるんじゃあないかと内心不安だった。

しかも、スーツでビシッと決めて、オールバックで精悍な面持ち・・・・・・

で、一次会はこともなく過ぎたのだったが、二次会。

みんな、お酒が入って、それなりに上機嫌で、すっかり、その「イジメ」のことも忘れてしまっていた。

まさにそんな時、「Y君」がカラオケのマイクをとって・・・・・・

「小学校3年、転校してきたばかりの時、イジメラレタ「Y」です」

その「Y君」の言葉に、見覚えのある、僕をはじめとする連中は一気に酔いがさめて・・・・・・

「でも、いい思い出です。まあ、私もあの頃は、みんなの喋ってることがほとんど分かりませんでした。
でも、学校ではいじめられてたけど、家に帰れば兄貴や弟妹がいて、近所には仲良くしてくれるやつもいっぱいいて・・・・・・」

「Y君」いわく、学校でのことはあまり苦にならなかったとか。

で、僕ら、「イジメっ子」は担任の田中先生にこっぴどく叱られちゃったわけです。

そんな、苦い思い出のある小学校3年の時。

ちょうど、その「自殺」をしたという女の子と同じ年ですね。

たしかに時代背景が違いますけど、昭和33年当時と、平成22年では・・・・・・

しかし、未だ8歳の女児が、自ら「死」を決意するなんてよほどのことというか、

当然、そのイジメは表面化していたはずです。

「イジメ」には、その「イジメ」に至る、要因というか原因が必ずあります。

やはり、学校でのことなら、大変だろうけど、教師がソコのところをしっかりと把握し、

その「イジメ」がエスカレートしないうちに手を施すべきではないだろうか。

僕にも、小学校3年、4年の次女の娘がいます・・・・・・

いつも、学校でのことを聴くようにしています。

親には言えないことも、僕になら言えるかもしれないからです。

ソレにしても、残念です。小3で自殺だなんて、悲しすぎます。

小3女児、首つり死亡




  


Posted by 昭和24歳  at 08:33Comments(0)

2010年08月18日

高崎“あるイタメシの物語”


高崎“あるイタメシの物語”








“ある恋の物語”ではなく・・・・・・・

“あるイタメシの物語”
HISTORIA DE UN ITAMESHI”



以前「初めての喫茶店」を書いた・・・・・・

どうも、その喫茶店には「イタリア系」のネーミングが多かったような気がするのは僕だけだろうか。

なんとなくだが・・・・・

高崎のそれも「ナポリ」とか「ローマ」とか、古典的というか戦後のそれには、

まさか“日・独・伊”の三国同盟ということはないのだろうけど(笑)。

もっとも、高崎メインストリートにある老舗のパン屋さんの「日英堂」はどうやら明治時代のあの、

“日英同盟”

からのネーミングだとか。

なんでもその「日英堂」の創業者、その“日英同盟”に沸いた時代に・・・・・・・

横浜あたりで「製パン修業」に励んでのことからだと、どこかで読んだ憶えがある。

イタメシである。

高崎の“イタメシ”といえば、本格的イタメシ屋は・・・・・・

1にも2にも、3、4がなくてそれは、なんと言っても「シャンゴ」ではないだろうか。

僕が初めて「シャンゴ」に行ったのは昭和44年、

たしか仲通、フランス座入り口のレストラン“ピナン”でコックの見習をしていた友達に連れられて行ったのが最初だった。

それまでの“イタメシ”・・・・・・

もっとも「イタメシ」などと言う言葉、言い回しはなかったが、それは「ナポリタン」しかなかったのではなかったか。
“駅前ナポリ”でも、“ブリッジ”でも、藤五デパートの“森永レストラン”でも出来たての和田橋のたもとの“ファンタジー”でも、
「スパゲッティ」と言えば、

「ナポリタン」

決まって、ウィンナーにタマネギとピーマンにたっぷりのケッチャップで炒めたやつ・・・・・・

僕は「シャンゴ」に連れて行ってもらったが“ナポリタン”しか知らなかった。

コック見習の友だちは、「ボンゴレも美味いぞ」とか、「ミートソースも、ぺペロンチーノも」とか、しまいには「ピッツァ」もとか・・・・・
とにかく聞くもの、見るもの、「ナポリタン」以外は初めてで、僕はその初めてのシャンゴで「ナポリタン」を注文した。

ところが、出てきた「ナポリタン」は・・・・・・

それは、今までの「ナポリタン」とは一味も、二味も違ったなんとも言えない“美味い”「ナポリタン」だった。

シャンゴのナポリタンにはウィンナーもピーマンも入ってないしケチャップもほんの隠し鯵程度で、
それにはスライスされた“マッシュルーム”と、ぷりぷりの“剥きエビ”、それも大きめの。
それ以来、3年間くらいは「シャンゴ」と言えば僕は“ナポリタン”だった。
それに、やはり初めての食べ物だったのが「野菜サラダ」。
それまでの“サラダ”と言えば連想したのは精々が「ポテトサラダ」でしかなかった。

千切った大き目のレタス、ベビーコーン、セロリに輪切りのピーマン、タマネギ、トマト・・・・・・
それにマヨネーズではなく“ドレッシング”とか言う酸味の効いたなんとも言えない味のスープのようなやつ。
なんと洒落た食いモンだろうと思わず感心してしまった。

ところでその初めての「シャンゴ」だが、広さは20坪弱。

請地町、四つ角、丁度ファミレス“ココス”対面にあった・・・・・・・
立て看板、ブームスタンドには今ではお馴染みのあのコックのマークにお世辞にもお洒落とは言えない「シャンゴ」のロゴ。
店の構えは漆くいの白壁で、いかにもマカロニウエスタンに出てくるような趣。
店の中は薄暗く、カウンターに5、6席とテーブル席がやはり五つか六つ・・・・・・
カウンターの中ではマスターが、いかにも「コックです!」と威張ったような出で立ちでフライパンを音を立てて振っている。
あの頃は僕が21、2の頃だったから、マスターも精々三十路を超えたか超えないか・・・・・・

それにしても、いかにも「シャンゴ」と言った、色黒で、ジャガイモのような顔をした、
その分、コックの白衣が際立ってその白さが目立ったマスター。
その脇で、ママさん、奥さん、小柄で色白で可愛らしい女性。
時々、その調理場の向こうでは赤ちゃんの鳴き声が・・・・・・

そんな「シャンゴ」に通って何年目だろうか。

僕がキャバレーニュージャパンでバンドマンをやっているころのことだから・・・・・・・・
昭和47年くらいじゃあなかっただろうか ?

「今度、問屋町に移転するんだけど」

と、マスターがボソッと言った。

「問屋町ですかぁ?何にもないじゃあないですかあの辺。遠くなっちゃうな」
「ここ、駐車場もないしね。それに道路拡張とかでいずれ動かなくちゃあならんそうだからね」


実は、縁というか、その問屋町本店の店舗のタイル工事は僕の義兄がすることになった。

そんなこんなで、問屋町に移転してからも頻繁に「シャンゴ通い」が続いたわけだが、
請地の店でも僕の同級生がアルバイトをしたりしていて、僕のそのイタメシにも次第次第に箔がかかってきて・・・・・・
移転する頃にはスパゲッティと言えば僕は「マーレートマトソース」か、「ペスカトーレ」。
それに、イタリアンドレッシングたっぷりの「コンビネーションサラダ」とすっかりイタメシが日常になっていた。

最初の問屋町の店が改装する頃には・・・・・・・・

そのオープンカウンター、厨房にはマスターの姿は時々にしか見えなくなっていた。

群馬町店、前橋店、伊勢崎店と出店していくうちに「シャンゴ」が「シャンゴ」ではなくなっていった。
丁度僕もしばらく高崎を離れ、それでも高崎にけると・・・・・・・・
「シャンゴ」の味が懐かしく「シャンゴ」でない「シャンゴ」を食いに行く。

いつのことだったか小用でシャンゴのマスター、
いや、シャンゴ株式会社の社長を本店に訪ねた・・・・・・

僕がバンドマンであることを良く知るマスター、いや、社長はギターを弾く真似をして、
あの、色黒の、ごつい顔をニコッとくしゃくしゃにして、

「相変わらずやってるの?」

と、言った。

高崎の“イタメシ”、いや、群馬の“イタメシ”の多くが「シャンゴスクール」の卒業生。

シャンゴカラーを前面に出してやっている店、相当にアレンジしてやっている店と夫々だが・・・・・・
いずれも、僕の初めての「シャンゴ」には適わない。それは僕の勝手な思い込みかも知れないけれど。

でも、その「シャンゴ」自体が、すでに「シャンゴ」でなくなっている・・・・・・

昔の“それ”ではなくなっているのだから仕方がないのだろう。

そうだ、あの時の「赤ちゃん」が今は頑張っているとか・・・・・・
去年の初秋、問屋町のイベントでシャンゴのマスター、いや、社長にばったりと会った。

「孫のお守りさ」

と、あの顔をくしゃくしゃにして・・・・・・

そうだ、今夜の夕飯は「シャンゴ」のミートソースにしよう。

カミサンはベスビオだという、娘はぺペロンチーの。

ソレに、ミックスピザ“L”サイズをテイクアウトしよう・・・・・・

ソレにしても、パスタな街“たかさき”である。

「犬も歩けばイタメシ屋にあたる」

大袈裟ではなくそう思う。昭和42年にそれは始まったと言うが・・・・・


高崎“あるイタメシの物語”

  


Posted by 昭和24歳  at 19:19Comments(0)

2010年08月18日

清水健太郎、逮捕は6回目 !!

清水健太郎、逮捕は6回目 !!








清水健太郎容疑者を逮捕 覚せい剤取締法違反容疑 逮捕は6回目
2010.8.18 14:06 産経ニュース

 覚醒剤を使用したとして、警視庁組織犯罪対策5課と上野署は18日、覚せい剤取締法違反(使用)の疑いで、元俳優の清水健太郎(本名・園田巌)容疑者(57)=東京都台東区寿=を逮捕した。同課によると、清水容疑者は過去に覚せい剤取締法違反や道交法違反(ひき逃げ)などで5回逮捕されており、今回で6回目。

 同課によると、清水容疑者は「8月初旬に自宅マンションで覚醒剤をあぶって使った」と容疑を認めている。

 逮捕容疑は8月上旬、都内などで、覚醒剤をあぶって吸引したとしている。

 同課によると、9日午後、警察官がJR上野駅中央改札口前を歩いていた清水容疑者に職務質問し、さらに任意で尿検査をしたところ、覚醒剤の陽性反応が出ていた。

 清水容疑者は昭和51年、「失恋レストラン」で歌手デビュー。レコード大賞新人賞などを獲得、俳優としても活躍していたが、58、61年に大麻取締法違反容疑で、平成7年、16年に覚醒剤所持容疑で逮捕された。さらに平成20年10月にはひき逃げ事件を起こし、道交法違反罪などで実刑判決を言い渡された。



まあ、昭和51年デビューですから。

アレです。「せんだみつお」がブレイクして、関根勤とか小堺カズキとか、イロイロ。

たしか、「ズートルビー」もじゃあなかったかなぁ ?

TBSの「銀座NOW」です。

そこで歌ってました、♪失恋レストラン♪とか↓



足利工業大学卒だそうで・・・・・・

そういえば、後輩で、足利工業大学へ行っていたやつがいてびっくりしていました。

まあ、「清水健太郎」とかって、本名じゃありませんでしたから。

で、「6回目の逮捕」って、笑っちゃうんですけど・・・・・・

なんでも、「覚醒剤での逮捕は5回目」だそうです。

ホントに「覚醒剤」が、好きなんですねぇ。

で、僕より三つ下ですから、今年57歳ですか、多分身体ボロボロです。

多分・・・・・・



で、

「警察官がJR上野駅中央改札口前を歩いていた清水容疑者に職務質問し」

って、まあ、いきなり「職質」はないわけですから・・・・・・・

当然、通報があって、っていうか芋づる、のもしかして「イモ」かも知れませんけど(笑)。

で、覚醒剤取締法違反「5回目の逮捕」ですから、塀の中の懲りない面々です。



で、芸能界ってアレです。イロイロあります↑

まあ、「可愛がってもらってるんじゃあ」仕方ありません・・・・・・・

憚りながら。

清水健太郎、逮捕は6回目 !!  


Posted by 昭和24歳  at 17:31Comments(0)

2010年08月18日

トットのおじちゃん

トットのおじちゃん



昭和37年4月29日・・・・・・・
トットのおじちゃん。




「おまえは橋の下から拾ってきたんだ」

いつも聞き分けのない僕を父も母もからかうようにそう言った・・・・・・

僕は「一人っ子」。あの時代そう言う子供は結構いた。

可笑しなもので両隣が一人っ子なのだ。

そう、両隣とも「橋の下から拾ってきました(笑)。

まだ小学校の二、三年頃だったろうか、よく母の実家、田舎だが夏休みになると両親に連れられていった。

「まっちゃんによく似て色白で可愛い子だね・・・まっちゃん、おやげないね」

実母は満津子という名前だった・・・・・・

母、養母の実家、つまりはお婆ちゃんの家だが、そのころ、おばあちゃんちは村ではただ一軒の万屋を商っていた。
もちろん農業もやっていて、主に、桃、梅を栽培していた。

「今日泊まっていってもいいだろ、冨美子姉ちゃんと寝るんだ」

お婆ちゃんちには10歳と、8歳違いのお姉ちゃんがいた。

冨美子姉ちゃんは桃原、梅原によく僕を連れて行ってくれた。

桃原で採りたての桃を湧き清水に浸しておいて食べる。

なんとも言えない美味しさ「天津」と言ったか・・・・・・・・

今ではその強烈な酸っぱさが故、品種改良され、その美味さを味わうことはできない。

お婆ちゃんちにはその頃、オート三輪があった。

自転車のハンドルのようなのがついた大きなやつだ。

荷台に、桃とか梅をいっぱいに積んで市場まで持って行くのが僕は楽しみだった。

桃原は今の剣崎の桃が丘一帯にあった・・・・・・

僕が8歳くらいのときにはもう冨美子姉ちゃんは18歳になっていたので・・・・・・・

多分、自動車の免許は持っていたんだろう。

っていうか、あの時代は警察に行けばくれたんだとか、昭和32年(笑)。

で、冨美子姉ちゃんの運転で桃原を縦横無尽に走った。


<トットットット・・・・・>

そのオート三輪の排気音が今でも僕の耳に残っている・・・・・・

おばあちゃん血の伯母ちゃん、つまり僕の実母なのだが、そのおばちゃんは、

昭和24年から脊椎カリエスでもう10年から床に臥していた。

つまり僕を産むとすぐに病に臥したまま・・・・・・・・

伯母ちゃんはお婆ちゃんちの奥の部屋でずっと寝たきりだった。

僕ら子どもは移るかもしれないからとその部屋に入れてもらえる事はなかった。

僕の記憶からも、そのおばちゃん、実母に会った記憶がなかった。

おばちゃん、きっと僕の声を聞いてどんなに抱き締めたかったことだろうか・・・・・

僕が小学校4年の時にその時はやってきたのだったが。


<トットットット・・・>

「あっ、トットのおじちゃんだ」

僕の家の前で、トットットット・・・とその音が止る。

トットのおじちゃんが来るといつも柔道の道場に連れて行ってくれる。

おじちゃんは、武徳殿という高崎公園の中にある武道館で柔道を教えていた。

「おじちゃんは強いんだぞ・・・ほらっ、黒帯だ」

僕にはよく分らなかったが、とにかく強いらしかった。

トットのおじちゃんは映画にもよく連れて行ってくれた・・・・・・

トットのおじちゃんと最後に観た映画は「力道山物語」だった。

まだこの街が砂利道だらけで映画館の前には「力道山物語」の幟がはためいていた。

そして、お婆ちゃんが死んだのは僕が小学校3年の時・・・・・・・・

トットのおじちゃんの機嫌がやけに悪かったのを覚えている。

トットのおじちゃんは酒が一滴も飲めない。

そのせいかどうか、昭和32年、73歳で死んだお婆ちゃんの振舞い酒に賑やかな客が気に入らなかったようで、

ほとんど怒った事のないトットのおじちゃんが、おばあちゃんを丸い棺桶に納める時すごい顔をしていた。

きっと・・・トットのおじちゃん、色んな思いがあったのかもしれない。お婆ちゃんに。

「あっちへ行ってろっ !!」
と僕を叱った・・・・・


“そういう時代”

僕には昔のことはよく分からない。大正元年生まれの、子年だ「トットのおじちゃん」は・・・・・・・

お祖父ちゃんは日清、日露戦争へ高崎十五連隊から出兵したと聞いていた。

大正元年。

一体どんな時代だったのだろうか。

欧州の戦争で好況に沸く皇国「日本」。そして昭和に入って「世界恐慌」から、太平洋戦争。

「トットのおじちゃん」

束の間の青春だったのかも知れない。

「トットのおじちゃん」は毎日のように高崎の僕の家にきていた。

<トットットット・・・>

と排気音を鳴らしながら・・・・・・

僕が小学校3年の頃には丸ハンドルの「マツダ」のオート三輪に替えていた。

僕はその「オート三輪」が自慢だった。

当時、昭和32年頃にオート三輪なんて言うのがあるなんて高崎では珍しかったからだ。

「トットのおじちゃん」は僕が学校から帰るのを待ってましたとばかりに・・・・・・・

そのオート三輪に僕を乗せて市場やお得意さんを回った。

「マルヨさんには似てねえな・・・」
「ああっ、オッカア似だからな」


トットのおじちゃんは目配せをするようにいつも小声でそう言った・・・僕に聞こえないように。

ずっと不思議に思っていたが、僕にはそのことが何のことだかはあまり分からなかった。

と言うより、知りたくなかったのかも知れない。

「マルヨさん、今度バナナとモヤシこっちに廻してくんねえかい」
「モヤシはいいが、バナナは統制かかってるしな」


マルヨとは、トットのおじちゃんの市場での屋号、仲買もやっていたのでみんながそう呼んだ。

よくは知らないが戦友とかがこの地域のバナナの権利を持っていて相当いい商売をしていたらしい。

もともとその戦友、今風に言えばベンチャー企業化か、モヤシの製造を始め・・・・・・・・

そのモヤシを作るときの蒸気かなんかで青いバナナを蒸すんだと言っていた。

・・・ホントにそうだったかどうかは分からない、あくまでも僕のおぼろ気な記憶である。

そんなことが昭和34年くらいまで毎日のように続いただろうか。

ある日、母とトットのおじちゃんが喧嘩をしていた。

喧嘩とは言っても兄と妹の口喧嘩のレベルだったんだろうが・・・・・・・

それにトットのおじちゃんは母の小言を全く相手にしていなかった。

何せ10歳も年が離れてる・・・母、38歳、トットのおじちゃん48歳なのだから。

「あんまり・・・この子、連れまわさないでよ。お父ちゃんが最近煩くて」

どうやら、トットのおじちゃんがしょっちゅう僕を何かと言っては連れて歩くのが父には面白くないらしい。

父は、実に生真面目な国鉄の職員・・・ほとんど僕の顔をまともに見たことがない。寝顔ぐらいじゃあないだろうか。

今にして思えば、僕が「なつかなかった」のかも知れない。

その父との思い出は生涯たったの2回・・・・・・

父の兄、叔父が亡くなった時に父の実家、静岡県沼津に行った時。

蒸気機関車で丹名トンネルをくぐって顔を煤で真っ黒にして、それを父が手拭で拭いてくれたり・・・・・・

沼津の海では父の見事な泳ぎっぷりに驚いたこと。

父は最期まで僕にはどことなく遠慮がちだった。

そしてそんな父は、同年代の「トットのおじちゃん」に嫉妬していたのかも知れない。

母と、トットのおじちゃんとの喧嘩。トットのおじちゃんはいつも最後にぼっそっと。

「テメエの子、かわいがっちゃあ悪いか !!???」

そんな時僕はいつもキューッっと胸の奥が痛くなるのを、今でも覚えている。

それにしても、あの時代の人たち・・・・・・・

僕ら世代もそうだったけど、戦災孤児、生き別れ、混血児 etc........

その時代に翻弄されたのは、生まれた時代が悪かったのか。

ソレを思うと今の僕たちは数万倍幸せなはず。

今でも、トットのおじちゃんにも、父にも時々、夢で逢っている。
 
今度いつ逢えるかな・・・・・・・・

トットのおじちゃん  


Posted by 昭和24歳  at 08:55Comments(6)

2010年08月17日

クレヨンしんちゃん復活 !!

クレヨンしんちゃん復活 !!



<「クレヨンしんちゃん」映画ポスター(C)U/F・S・A・A 2010 >転載









「クレヨンしんちゃん」連載復活 「世界観大切に」遺志継ぐ
8月17日11時16分配信 産経新聞

 「クレヨンしんちゃん」が、帰ってきたゾ-。昨年9月に作者の臼井儀人さんが急逝し、今年2月に連載が終了した人気漫画「クレヨンしんちゃん」が、発売中の「月刊まんがタウン」(双葉社)で「新クレヨンしんちゃん」として復活している。折しも今年は作品誕生から20年。再スタートに踏み切ったスタッフの背中を押したのは、作品継続を望む多くのファンの声だったという。(萩原万貴枝)

   「しんちゃんの20周年のプロジェクトを考えています」

 「まんがタウン」の鈴木健介編集長(36)が臼井さんにこう提案したのは、昨年春。担当となって6年目に入っていた。“永遠の5歳児”のしんちゃんも、翌年7月には誕生から“ハタチ”を迎える。「そうですか、ありがとうございます」。臼井さんはいつものように、自然体で淡々とした返答だったという。

 具体的な打ち合わせをする前の、昨年9月11日。「臼井さんの行方がわからない」と、思いもよらぬ一報が入った。「一報を受けてからご家族と一緒に行動したが、思いだそうとしても、正直、あのときのことはなかなか思いだせない。とにかく無事に帰ってきてほしいということだけを考えていたが…」

 9日後、臼井さんは趣味の登山中に、不慮の滑落で亡くなっていたことが判明した。

 臼井さんの遺稿が見つかり、今年2月まで連載は続いたが、鈴木編集長はシリーズ継続について「やるべきかやらざるべきか、判断はそう簡単ではなかった」と振り返る。

 「ご家族にも葛藤(かっとう)があったと思う。コミック第50巻を出して、それですべて終わらせるという選択肢もあった」

 読者からは「生みの親の臼井さんがいないのに、継続はないだろう」という声もあった。

 しかし、「しんちゃんを続けてほしい」というファンの声は予想以上に多かったという。



まあ、サザエさん、ちびまるこにつぐ・・・・・・

「アニメビッグ3の一角」

で、「クレヨンしんちゃん」なんだけど、まあ、実に一服感があるわけです。

まっ、タバコを吸わない僕が一服感もないもんだけど・・・・・・

あの、ムチャクチャくだらなさが、なんとも言えず、疲れを癒してくれる。

で、子どもたちと見ながら・・・・・・

「しんのすけ、そりゃあまずいだろう」

なんて言っちゃったりしている僕です。

で、その「世界観」って、クレヨンしんちゃんの「世界観」なんだけど・・・・・・

って、いったいどんな「世界観」 !!???

って、突っ込みたくなっちゃうわけですけど(笑)。

まあ、そういう風に、いい大人っていうか、還暦爺さんをマジにさせちゃうところが、

クレヨンしんちゃんの「世界観」かも(汗)。



クレヨンしんちゃん復活 !!
  


Posted by 昭和24歳  at 20:50Comments(0)

2010年08月17日

ゲゲゲの小母さん・・・・・・

ゲゲゲの小母さん・・・・・・



因みにあの時代背景からすれば・・・・・・
僕ら戦後っ子には、
「ゲゲゲの小母さん」でした。




テレビと云えば「アニメ」がこのところの日常だが・・・・・・

流石、日本アニメ・・・人間が演じるよりも「演技力」がある。

また、それなりに子ども達にはこの国の「文化、歴史」を教えているものもある。

少し古いが、「犬夜叉」は現代と中世をタイムトリップして見せる。

僕の末娘は欠かさず見ていた・・・・・・

「こち亀」、「名探偵コナン」。コレも面白い。

まあ、僕には良く分らないが、「テニスもの、囲碁もの」なんてえのも。

長寿番組の「サザエさん」も家族の描写を上手く表現している。

「ちびまるこ」も山本リンダ世代、ドリフターズ世代を描いて・・・・・・・

今の小学生の子ども達には親世代の風俗習慣をそれとなく教えている。

昭和60年代のソレだ。

僕等の世代、子供の頃はテレビアニメは無かった・・・・・・・

それどころか「テレビ」が無かった。

今の子どもには想像できない世界のようだ。

それでも一冊30円ほどの、「冒険王、少年倶楽部、少年画報」。

そこでの、「いがぐり君、赤胴鈴の介、鉄腕アトム、鉄人28号・・・」等が楽しみだった。

今、子ども達は知らない・・・・・・

横丁には駄菓子屋が数軒、貸本屋も数軒あった。

1冊・・・確か5円で2、3日は借りられたと思う。

早い話、今のレンタルビデオのようなものかも知れない。

月刊誌の時代から、少年マガジン、少年サンデーと「月」から「週」へ・・・時代も忙しくなってきたようだ。

もっとも、駄菓子屋で、その少年マガジンも買えた。たしか60円だったか・・・・・・

昭和34、5年ではなかったかと思われる。

時に、本屋で「平凡」や「明星」に浅野鈴子や、森山加代子と坂本九のツーショット。

橋幸夫、吉永小百合を見かけては胸をときめかせたものである。

昨今のテレビ番組・・・低俗とか、何とか云うレベルではない。

歌を歌わせてもらえない「歌手」、役のつかない「役者」、情けない「お笑い芸人」。

それが「島田伸介」とか「ダウンタウン」とかに牛耳られ、けなされ、罵倒されるだけ・・・・・・・

ソレを見て笑う観客、何のテーマも意味も無い番組。

他を廻せば(最近はチャンネルを回すとは云わないが)、まあ、どこのチャンネルも、ジャニーズ系のドラマ。

そしてジャニーズ系の「バラエティ」番組。

そして、先の、出演料の殆んどかかっていない「トーク番組」ばかり。

他所では戦争しているって言うのに・・・・・・

イスラエルがどうしたとか、イランがどうしたとか。どうせわが国にその請求書はまわってくるんだろうけど(笑)。

そういえば、あの貸本屋の時代も、この国以外は戦争をしていた。

あっ、どうせなら・・・・・・

「バカボンのママ」

ってえのはどうだろう ???

NHKの朝ドラで。

因にキャスティングは、若き日の「赤塚不二夫先生」に・・・・・・

都々逸ィストの柳家紫文、そして「バカボンのママ」には大竹しのぶとか。

あっ、赤塚先生ってカミサン二人目でしたっけ ???


ゲゲゲの小母さん・・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 18:05Comments(0)

2010年08月17日

ネグレクト、下村早苗と畠山鈴香

ネグレクト、下村早苗と畠山鈴香



彩香ちゃんの世話が面倒に?
2006年07月17日 00:02 Sponichi Annex

 秋田県藤里町の藤里小1年米山豪憲君(7)殺害事件で、長女畠山彩香ちゃん=当時(9)=を橋から突き落としたことを供述した畠山鈴香容疑者(33)が能代署捜査本部の調べに対し、彩香ちゃんを「疎ましかった」などと供述していることが16日、分かった。捜査本部は畠山容疑者が一人娘である彩香ちゃんの世話が面倒になり、犯行に及んだとみて、さらに詳しい動機を追及する。
<以下本文>



畠山鈴香という女
http://www.asahi-net.or.jp/~VS6H-OOND/suzuka.html

私が畠山容疑者に興味を持ったのは、彼女が本をよく読む女だったと知ったからだ。彼女は娘の彩香をファミレスなどに連れて行って一緒に食事をするようなときにも、相手に勝手に食事をさせ、自分は黙って本を読んでいたという。

畠山鈴香は自分が本を読むだけでなく、科学が好きだったという娘にも子供向けの科学雑誌を定期購読にしてやっていたし、本屋で娘が「これ買って」といって本を持ってくれば、それを買ってやっていたそうである。

テレビでは、畠山鈴香が娘を虐待していたことを誇大に触れ回っているけれども、虐待する親が子供の好きな雑誌を定期購読してやるものだろうか。

娘の彩香は大変人なつっこい子で、大人が働いているのを見ると、「おじさん、何しているの?」と自分から話しかけていたという。もし、彼女が母親から虐待されていたとしたら、大人に恐怖感を抱いていたはずで、見知らぬ大人に声をかけるようなことはしないだろう。

では、なぜ畠山鈴香は娘を虐待していたように近隣の人々から見られていたのだろうか。そして、彼女はなぜ娘を殺したのだろうか。

一つ感じることは、彼女が生活の軸になるような世界を僅かしか持っていなかったらしいことだ。

<以下本文>


時事ドットコム:【ニュース解説】死刑適用の可否が焦点=畠山被告、25日控訴審判決

秋田県藤里町の連続児童殺害事件で、殺人などの罪に問われた畠山鈴香被告(36)の控訴審判決が25日、仙台高裁秋田支部(竹花俊徳裁判長)で言い渡される。 一審秋田地裁は、死刑求刑に対し無期懲役を選択。 検察、弁護側双方が判決を不服として控訴した。 ...


結局、畠山鈴香の場合も父親からの虐待あったりとか・・・・・・

その生い立ちはある意味「ネグレクト」状態だったのかもしれない。

畠山鈴香の高校卒業の寄せ書き で、畠山鈴香がどのような少女時代を過ごしていたか・・・・・・

ソレは、哀れとしか言いようがない、しかしその心ない異常としか思えないソレ。

ソレは、畠山鈴香の哀れさよりも・・・・・・・

その寄せ書きを卒業文集に遺すというその環境の異常さに、怒りさえ覚えた。

そして畠山鈴香への判決は、無期懲役(仙台高裁)。

まあ、2006年4月~5月にかけて起きた児童連続殺人事件で・・・・・・・・

ソレは、世間を騒然とさせた畠山鈴香だったがいつの間にか風化していった。

そしてその間にもいくつものわが子を死に至らしめるような、「ネグレクトと虐待」が間断なく報道される。

しかしこのような事件のほとんどが離婚、そして母親と男、さらに経済苦による育児放棄。

で、ソコにはほとんど「家族」というものの存在が見えてこない・・・・・・

下村早苗の場合もそうだ。父親がそれほどの人物であるにもかかわらずだが、

そもそもその父親に大きな欠陥があって、ソコに「家族」を見せるモノはどこにもない。

そしてその犠牲者が、なんのいわれもない無抵抗な子ども、乳幼児たち。

ソレはこの国の社会のひとつの断面・・・・・・

やはり、その事からすれば、今や「社会の責任」は相当な重責といっていい。

そういう時代。他人同士が関わらないどころか、家族同士が平気でその関わりを断つ。

「無縁社会」というらしいが・・・・・・

マスコミがそんな言葉を繰り出していていいはずがない。

アメリカなどでは「12歳以下の子どもを一人で留守番させてはいけない」という、

まあ、州によっても多少異なるようだが、ソレが通報されればその親は罰せられるとか・・・・・・

日本でも、少なくとも12歳とは言わずとも、小学校低学年「7歳、8歳」まではダメとか、

そのかわり、そうした託児施設、昼夜を問わず安心して子どもを預けられる施設の整備が必要だろう。

高崎の街中にも、夜中まで幼児を預けて仕事をせざるを得ない若いお母さんもいる。

今こそ、そういう民間施設に、行政が手を差し伸べるべきではないだろうか。

このような事件を二度と起こさないためにも。そして最後の手段としての「赤ちゃんポスト」も。

そうすれば少なくとも最悪の事態だけは防げるのではないだろうか・・・・・・


Truemanさんのコメント<下村早苗の真実と父親>
2010/08/16 19:10:48

彼女は誰が何と言おうが鬼畜だと思います。ただ、周辺も酷い。特に親。この親にして… 言いたくありませんがそういうことだと思います。昔のブログの記述を見ても、今どきの言葉でもなく、ギャル文字も言葉もなく、極めて普通の文章に見えます。だからこそ逆にナゼ・・・と思ってしまうのですが。親子の愛情という部分は、本能でもあり経験則でもあるものです。それが根本的にどこかで抜けてしまったと。自分が「オンナ」であろうとした瞬間、「母」の部分がスッと消えてしまったのでしょう。 父親、そして見捨てた母親、元夫、周りの軽薄な友人たち。全ての人々は十字架を背負ってほしい。


ZENさんのコメント<赤ちゃんポスト設置を急げ !!>
2010/08/13 22:34:50

同感です。今の現状から子供の命を守るには赤ちゃんポストの存在を広くアピールし、最悪の結末を「殺人」ではなく「捨てる」に変えていく。どちらも辛いことですが幼い子供が惨い殺され方をするのはもうたくさん。。


タカ派の麻酔科医さんのコメント<桜子ちゃんは保護されていた>
2010/08/12 15:43:15

 この報道の意味するところは、警察からの通報さえ児童相談所はちゃんと対処しないということなんでしょうか?それとも、警察からの通報さえちゃんと対処できないほど忙しいということなのでしょうか? 児童相談所は、虐待されていると思われる状況を一般市民が報告する窓口です。通報された時に、対応は何日待ちですとか、数週間待ってくださいとか、ちゃんと答えているのでしょうか? いたずらもあるかもしれませんが、善良な市民が電話帳調べて通報するのだという認識がないから、児童相談所にちゃんと連絡を取らないということを異常と判断できないのだと思います。


surapongさんのコメント<下村早苗の真実と父親>
2010/08/12 00:52:02

私にも5歳と3歳の姉弟がおり、最初にこのニュースを知ったときから、姉妹が余りにも哀れで、悲しくて悲しくて。そして日々、次々出てくる母親の状況。憤りを超えてます。今でも我が子と重ねて、殺された二人を思うと辛いです。


皆さんのご意見ごもっともです・・・・・・

僕にも、現在、児童幼児を抱えて共働きする娘夫婦がおります。

「学童はおカネがかかるから、ママ、パパ、お願い」

そういって、娘は子どもたちを置いてゆきます・・・・・・

思えば、僕らもそうでした。二人で仕事をしていた時は娘たちは「おばあちゃんち」へ。

おばあちゃんちへ送って行けない時は、おばあちゃんに来てもらったり。

まあ、東京にいる娘夫婦にはソレはできませんから、大変そうですけど。

まっ、なにはともあれ、少子化、高齢化に逆行するような無為無策の社会福祉行政 は・・・・・・・・

どこかで見切りをつけないとイケません。

というのも、これらの事件は全て察知されていたわけですから。

ネグレクト、下村早苗と畠山鈴香  


Posted by 昭和24歳  at 15:14Comments(4)

2010年08月17日

嗚呼ッ、オリタの焼きそば・・・・・

嗚呼ッ、オリタの焼きそば・・・・・



開業は昭和3年。現在は3代目主人夫婦がきりもりをする。毎朝市場を回り、野菜や新鮮な肉・魚を確保している。注文を受けてから作る真摯な姿勢にファンも多い。

まあ、「一二三食堂」焼きそばではないが・・・・・・
ソースかつ丼が売りです。
「栄寿亭」のソレとはまた一味ちがった、いわゆる「昭和の食堂」のソレ。




太田を“焼きそば”の街というが、この高崎も・・・・・・

「捨てたもんではなかった」

そう、「・・・・・なかった」と、過去形であるということは・・・・・・

この街、高崎にはいわゆる“焼きそば屋”。

焼きそばを売りにする専門店が今はない。

強いていうなら、伝統の「もりや食堂」だけだろうか。

その“もりや”の焼きそばは、ある意味、“名物”だろう。

その創業はいつのことかは知らないが・・・・・・・・

僕が15、6のころにはすでにその“焼きそば”にはある種の定評があり存在していたからそれは優に、

半世紀に届くやもと、ソレはその意味では「老舗」であろう。

僕は新田町(?)ある“本店もりや”に通い始めたのは昭和44年ころからであった。

その地域の先輩とバンドをやっていて、その先輩に連れて行ってもらったのが最初だった。

もっとも、それより先に、たしか弓町、東京ガスの前辺りにあった“もりや支店”には・・・・・・・

そう、15、6のころ足しげく通っていた。

とにかく、その“もりや”の焼きそばの「ボリューム」ときたら半端ではなかった。

大盛りを頼もうもんなら、まるでお盆に盛られるようにして目の前に現れる。

それでも15、6のすきっ腹はそれをなんなく飲み込んでいた・・・・・・

今は、その「もりや」も新田町、「本店もりや」しかない。

「本店もりや」の女将さん。そう、年のころなら還暦をチョイトすぎた辺りだろうか・・・・・

なぜ僕がその「年のころ」を知るかといえば、たしか僕が中学生のころだった。

その「もりや弓町支店」に女子高生の仕度で店を手伝っていたのを憶えているからだ。

そう、44、5年も昔の話である。

今も、時々その“本店もりや”に焼きそばを食いに行く。

どういう訳か、思い出したようにそれは食べたくなる衝動に駆られるからである。

つまりソレは脳みその仕業に違いない。

で、もちろんその「もりや」は定食がメインメニューなのだろうが、お品書きの先頭に、

「焼きそば、大・中・小」

がその歴史を物語っている。

さすがに今は「大盛り」はいただけない。

今僕がその“もりや”に行くと注文するのは「焼きそばの中と豚汁の大」。

結構、その“焼きそば”のテイクアウトの注文も賑やかなようである。

その昔の女子高生だった女将さん、何人かの手代のオバサンをテキパキと指図しながら客を捌く。

そうそう、最近というか、ここ何年か、おそらく女将さんの娘さんだろう・・・・・・・

その女将さん以上にシャキッとした趣で注文をこなしていた。

思い出す。その娘さん、確か十数年昔には小学生のランドセル姿だったのを・・・・・・

わが娘、その、「もりやの焼きそば」よりも、“生姜焼き定食”と“豚汁”を好む。

その焼きそばをわが娘は、

「パパ、コレって昭和の味?」

と言って笑う。

そうかも知れない・・・・・・・・

確かに「平成の味」ではないことだけは確かだ。

で、その「焼きそば」だが、好き好きがある。

僕のフェバリット“焼きそば”は、その意味では何の変哲もないと思っていた、

「オリタの焼きそば」

田町、八間道路に、それはあった・・・・・

残念ながら、それは“あった”のである。

まさに「焼きそば専門店」のその間口1間半ほどの坪数にしたら調理場と店を合わせても、

“つぼ八”どころの騒ぎではない。

せいぜいが、3坪?、4坪?

やはりその「やきそばオリタ」の創業がいつのことかが思い出せない・・・・・・

僕の長女が生まれたころ、昭和51年、そのころにはすでにあった。

その娘が東小学校に通い始めて、何かの行事と言えば、その「オリタのやきそば」をテイクアウトしていた。

おそらくその「やきそばオリタ」の始まりは昭和40年代後期ではなかっただろうかと推察する。

「やきそばオリタ」には僕よりも4つか5つ下の息子が二人いた。

いつのころだったろうか・・・・・

焼きそばを作るのはいつも“オバサン”の方で、“オジサン”が給仕をしていた。

ある日から、「焼きそばのオリタ」が“焼き饅頭”も商うようになって。

その焼き饅頭の焼き手はオジサンがやっていたが・・・・・・

ある日突然、オバサンの姿が見えなくなり、息子が、給仕を手伝っていた。

どうやら、“オバサン”、体調をくづして入院かなんかされたようだった。

しばらくすると、「しばらく休店します」の貼り紙のご案内とともに「やきそば」と染め抜かれた暖簾もたたまれていた。

それ以来、「やきそばオリタ」が開かれることはなかった。

今では、オジサンが「焼き饅頭」だけを、その元あった「やきそばオリタ」の数軒先で商っている。

そこに“オバサン”の姿はない。鬼籍にでも入られたのか・・・・・

もっとも、オジサン、どうやら“古希”を超えて久しいのではないだろうか。

「やきそばオリタ」

焼きそばの専門店、しかし、特別に美味いというわけでもなかったが・・・・・・

やはり、時々、思い出したように食べたくなっていたその、

「オリタのやきそば」

それも、平成生まれの娘に言わせたら「昭和の味?」なんだろうか(笑)。

しかし、「二度と食えない」と思ったら、いっそう、その「昭和の味」がたまらなく恋しい・・・・・・

みんななくなってしまった昭和の味、「やきそば」。

東電裏の“松福”?

その松福のオヤジさんは名物オヤジさんだった。

僕らが子どものころたしか「ロバのパン」とかいってそこいら中の横丁を流し売りしていたそのオヤジさん。

いつしか、平成になるころ、その「焼きそば屋」は暖簾を下ろしていた。

「一二三食堂」

スカイビルの脇をチョイと入ったところの・・・・・・

今は「棗」とかいう小ジャレタ、蔵づくり和風喫茶(日本茶だけ)の並びのしもた屋にソレはあった。

なにを隠そう、中学三年のころは昼飯はそこで食うのが冒険だった。

たしかその頃は「焼きそば」よりも、「ラーメン」。たしか35円くらいだったろうか・・・・・・

だから、その「一二三食堂」の焼きそばはあまり記憶にないが、平成の今、

やはり昭和の味が懐かしくて、ときどきお邪魔する。

たしかに、「昔ながらの焼きそば」である、諸兄、おためしあれ(笑)。


ところで、その「昔ながら」だが、

たしか、平成の4、5年のころだっただろうか・・・・・・

そのころエレキの行商で東北を営業していたとき、秋田県の横手市にその「焼きそば」の暖簾を発見!!

思わず、僕は飛び込んだ。

そう、その焼きそばは「蒸した」それではなく「乾麺」のそれだった。

あの「シコシコ感」は堪らない。つまり、ソースがあまりからまない麺。そこが美味いのだ ! !

今日のソレは、食品衛生法かなんかは知らないが・・・・・・・

消費期限だの、賞味期限だのでその製法が「蒸し麺」に限られるとなんかの話で聞いた。

ラーメンもそう。今ではあの麺そのものに独特の風味のある「支那そば」に出会うことはない。

やはり、わが下町、横丁の“ミシュラン”、五つ星は「昭和」にありか。

どなたか、おいしい焼きそば屋さんを知りませんか?

あっそうそう・・・・・・

タコボーズさんの「焼きそば」、
食いてぇーーーっ !!


嗚呼ッ、オリタの焼きそば・・・・・

  


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2010年08月17日

『商売の原点』は改ざんと偽装。

『商売の原点』は改ざんと偽装。



お客様の心をつかむための商売のバイブル!セブン―イレブンを生んだ希代の経営者、鈴木敏文が語る経営実学のすべて!顧客の心をつかみ、ストアロイヤリティを高めるに実践すべき商売の基本原則を説く。





ヨーカ堂、中国ウナギ輸入元改ざん・転売の疑い
2010年8月17日03時02分 読売新聞

 イトーヨーカ堂(東京・千代田区)が2005年に中国から輸入したウナギかば焼きが輸入元を改ざんして転売された疑いがあることが16日、神奈川県警への取材で分かった。

 県警は、イトーヨーカ堂海外部マネジャーだった元社員ら数人を食品衛生法違反容疑(虚偽表示)で立件する方針を固めた。

 05年に中国産ウナギから使用が禁止されている合成抗菌剤「マラカイトグリーン」が相次いで検出され、消費者の買い控えが起きている。



まあ、商売の神様とか、カリスマとか・・・・・・
一時は「発明はモノマネ」、つまりパクリ商法の神様がいたり、
まあ、戦後のどさくさからのし上がって日本一になった神様がいましたけど。


所詮商売なんて、アレですから・・・・・・

昔、そういえば僕もずいぶん偽装はしました。

潰れちゃったら元も子もありませんから。

でも潰れちゃいましたけど(笑)。


海外部マネジャーだった元社員は取材に対し、「『イトーヨーカ堂に迷惑がかからないように取り扱いは慎重に』とお願いしたが、輸入者欄の改ざんは指示していない」と話している。

 一方、高山シーフード元社員は「改ざんは事実。お互いの意思を確認した上でやった」と話した。

<2010年8月17日03時02分 読売新聞>


まあ、こうなると「言った、言わない」の世界ですから、漫画です(笑)。

>『イトーヨーカ堂に迷惑がかからないように取り扱いは慎重に』とお願いしたが・・・・・・


って、「阿吽の呼吸」っていうやつ ???

「越後屋、お主も悪よのう~」

みたいな話で、つまり『イトーヨーカ堂に迷惑がかからなければ』なにをしてもいいっていう話です。

まあ、「事故米」と同じようなもんで、売れなくなっちゃったモノを、バッタで回して、

イトーヨーカドーはまあ、最小限に「リスク回避」。まあ、バッタもんはバッタもんですから・・・・・・

「高山シーフード」とかは儲かっちゃいます(笑)。

輸入元はイトーヨーカ堂なのに、「高山シーフード」(東京・三鷹市)の元社員に指示し、かば焼きの箱の輸入者欄に「高山」とうそを記入。09年7月、仲介業者を介し、数社に売った疑い。
<2010年8月17日03時02分 読売新聞>


まあ、アレです。

鈴木敏文とかのCEOですけど、イトーヨーカドーっていうか、

「セブンイレブン訴訟」とか・・・・・・・

僕の先輩で、セブンイレブンの弁当とか作る工場の責任者だった人がいますけど、

「アレならセブンイレブンは損しません」

まあ、その損は全て、下請け工場が背負わされちゃうわけですから。

で、「セブンイレブン」でもそうです・・・・・・

売れ残りは「廃棄処分」で、「値下げ販売」は許しませんとかで、

「廃棄処分、赤字はフランチャイザーの自己責任」

で、結局、町の「セブンイレブン」のオーナーさんて・・・・・・

鵜飼い、鈴木敏文CEO のタダの「鵜」です。


で、その、使用が禁止されている合成抗菌剤「マラカイトグリーン」の「かば焼き」って、

完売されちゃったんでしょうか・・・・・・・

巡り巡って「セブンイレブン」にも並んでたりして。

下請け工場は食材の仕入れまで指示されてるとかだし。

『商売の原点』は改ざんと偽装。

  


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2010年08月16日

『日本病』の正体 石井紘基の見た風景

『日本病』の正体
石井紘基の見た風景



日本を本当に動かしているのは誰か、真の権力者は誰なのか――

「三権分立」「国会 は国権の最高機関」などのタテマエとはおさらば。本当のリアルな姿を知りたい人のために、官僚組織と政権の裏側、そしてそこにビルトインされているマスメディアの実態を、実際に体験した具体例を元に描き出す。
二言目には「財政再建」を唱える財務官僚が不況を大歓迎し、一歩裏に回ると赤字ばらまきのために奔走する理由、経産省の役人らが天下り先を作り出す「専務理事政策」、大手マスコミの「できる記者」ほど役所の「ポチ」に陥りやすい構造などなど、新聞やテレビでは絶対にわからない、教科書には絶対に書かれない「権力の実体」が浮かび上がる。




石井紘基元民主党衆議院議員

深夜、再放送でしたが「石井紘基」さんのドキュメンタリー番組。
「自民党も酷いが、民主党はもっと酷い」と言ってます。


菅直人、インタビューで・・・・・

「石井さんの遺された資料は断片的で・・・」

と、口ごもる。

刺殺犯の裁判証言で、石井氏に「3,000万円」を右翼大物より仲介。

しかし裁判の証拠採用ともなればその根拠も明らかにされるべきだろうし、今もそれはない。

日本と言う「官僚社会主義国家」は・・・
既に1,000兆円を食い潰していると締める。
来16年度も30兆円以上の「国債発行」・・・


















カナダ人ジャーナリスト、

Fulford氏「「日本がアルゼンチンタンゴを踊る日」の著者も番組内で指摘している。

普通なら「革命」が起きても可笑しくはないが、

この国はメディアがそれを妨害していると・・・・・・・

http://www.randdmanagement.com/c_bunka/bu_024.htm
http://www.randdmanagement.com/c_bunka/bu_025.htm

日本社会に於いて「世間体」を気にする割に、国際社会での「世間体」は気にしない・・・・・

気に出来ない。

言語の障壁で国際社会に映る「日本」の姿が情報として入ってこない。
一部官僚、政治家、ジャーナリストの言う、その意味での・・・・・

国民の金融資産「1,400兆円」の真贋。

あるいは「日本の常識は世界の非常識」と言う国民向けの情報ミスリード。

どうやら、国民大衆の常識こそ世界、「国際社会」の常識なのかも知れない。
先の番組にも登場したカナダ人ジャーナリスト「ヤクザリセッション」も書いているベンジャミン・フルフォード氏。
「・・・日本は、先進国のなかでは、報道抑圧国なのである」と、結ぶ。

さきの国会でもフリーター「400万人」。

これでは厚生年金も国民年金もあった話ではない。
しかも年間20万人づつ増え、この4月から「派遣労働法」の規制緩和で大企業工場労働者の派遣も可能に。
平均時給1,400円・・・そこから「ピンハネ」されるのだという。
まさに、「労働人身売買市場」を政府がバックアップしている奴隷市場社会。

そしてこれが日本社会の実態です↓

76歳が熱中症死、電気止められ冷房使えず
8月16日10時33分配信 読売新聞

 15日午後4時20分頃、さいたま市北区の無職男性(76)が、自宅の布団の上であおむけに倒れているのを同居する無職の長男(48)が発見し、119番した。

 男性は既に意識がなく、熱中症での死亡が確認された。

 大宮署の発表によると、男性は長男と2人暮らし。収入は男性の年金だけで、10年以上前に電気を止められ、そのまま電気のない暮らしを続け、エアコンはあったが使えない状態だった。

 15日の同市は最高気温35・8度の猛暑日で、男性が暑さで体調不良を訴えたため、長男が氷を買ってくるなどしていたという。



因みに報道ではその長男(48)も病身で働けず・・・・・・

生活保護申請は断られていたとか。

で、さいたま市の福祉課は「残念です」ですと(笑)。

『日本病』の正体
石井紘基の見た風景

  


Posted by 昭和24歳  at 20:00Comments(4)

2010年08月16日

朕なる国家の風景

朕なる国家の風景



ヒロヒトの全てを報告せよ----。
インテリジェンス先進国の英国は、かつて七つの海を支配した情報網を駆使
し、敵対関係となった太平洋戦争前後も、わが国を冷徹に見つめ続けていた。と
りわけそのターゲットとなったのは、日本のトップ、"天皇裕仁"だった。
退位計画、カトリック改宗説、皇室の資産隠匿疑惑。
そして、天皇の"名代"として動いた、吉田茂、白洲次郎の暗躍まで。
何から何まで、英国に筒抜けだったのだ。
ロンドンの公文書館に眠っていた、知られざる昭和天皇の真相!




8月16日(月)晴天、猛暑日。

まあ、大日本帝国の敗戦だったわけですけど・・・・・

アメリカ政府の日本統治、精神的戦略がその風景なわけです。

為政者は、それすらも社会の「自然淘汰」と看過、否、監視しているのでしょう。
人心と経済の貧困による腐敗、そして自虐。
為政者は、困民同士のテロを眺めています。
本格的貧困からの自虐的な犯罪。精神的に病んだ上での犯罪。
世界で起こっている経済格差からの「テロ行為」を、極めて限定したこの模造国家に実演させている。
それがこの国の「世の中の空気」です。

今は、僕等世代があらゆる組織の「長」になっている時代。
まあ、還暦ですから「ヒラ」は定年退職ですけど・・・・・

そしてなにかチョンボがあると辞任する役員、社長は戦前戦中世代。後5年もすれば「ウルトラマン世代」が「長」・・・・・

それって、第一次家庭内暴力、校内暴力世代です。

高度成長期に生まれ「コカコーラ、ポテトチップス、ハンバーガー」に浸食された脳みそは完全に「欲」・・・・・
それも「性欲、物欲、消費欲」のみにしか反応しない、スポンジ状と化しています。

これも、世界規模での二極化と同じで、著しい経済格差が世界に類の無い人口密度のこの国の空気です。

為政者にとっては、実に好都合・・・・・
思考力の弱体と生存意欲の衰退は願っても無いことなのです。
まあ、為政者とはいっても、
それは「戦後世代」ですからアレですけど・・・・・

今の子供達、小学生、中学生世代・・・殆どが何の躊躇も無く、戦争が始まったら「戦争に行く」と、応えています。
ホントでしょうか・・・・・???

ゲームセンターでは、ヴァーチャルの戦闘機操縦、銃の撃ち合い、殺戮ごっこ・・・
それに何の疑問も持つことなく自分の小遣いの限界を超えて遊んでいます。
行く先は、「刹那」でしょう。確かにそのその通りかもしれません。彼らが社会の構成の一員となる時は、このままではこの国の実態は崩壊しているでしょう。

かつての、日ハム、先の雪印に象徴するのは「偽装ラベル」、産地を偽るとか、消費期限を偽るとか、二重価格とかの小ズルイ商人の発想ではないのです。
そして度重なる「事故米の転売」での政官財のぼろ儲けだけど、そういうのって、政府が税金を充て食の安全と国民の健康を確保するための最終的手段だったのです。
300億円も使って、該当牛肉を買取る・・・酪農家の悲鳴、焼肉業の倒産。
それらを犠牲にしても・・・・・
輸入しなくてもいいコメを、無理やり輸入させられて途中で腐った事故米の処分。
と、政府が決定したはずのものであったはずです。

税金詐欺、明らかに国賊的犯罪です。しかも業界ナンバー1、業界団体トップの犯罪。
確実に、政財官の癒着構造からの事象。この事犯が政府首脳、自民党中枢、農水省トップが初めから承知の上でのことなのですから・・・
これほどの犯罪にも関わらず、だんまりを決込む政治家、恐らく300億円の上前をはねているからなのでしょう。
委員会で「鈴木宗男」が「300億で方がつくんだっ!」と怒鳴っていました。
あれが全てを物語っています。
まあ、犯罪者に仕立てられる前の鈴木宗男、イケイケの時代のお話ですけど(笑)。

で、国内も国内だけど・・・・・・
これだけ情報が発達していて、この国の仕組みもおおよその国民が知っているというのに、相変わらずの朝鮮半島外交。
まあ、やらされてるんだろうけど、アッチのほうに(笑)。

で、昨日も12チャンネルで、ジャーナリスト日高義樹氏とかがニクソン時代の大統領補佐官、キッシンジャー博士にインタビューしていた。

「日本は憲法を改正する必要がある」

だって。だったら、アメリカさん、とっととやっちゃってくださいよ「憲法改正」とか。
だいたい「日本国憲法」とか作ったのはどこのどなただったんでしょうか???
で、キッシンジャー博士・・・・・

「中国の軍備」がどうだとか、「北朝鮮」がどうしたとか、こうしたとか。

何処の国も侵略なんかしてきやしませんよ。
敵はこの国の中にいるのです。米日経済、又は、西側先進国支配者階級の経済的欲望はそれらの国の、「軍産複合体」を頂点にする戦争経済政策なのです。
米国が施策する「NMD」、そして米日の「MMD」。2005年が目途だったそうです。

明らかに怪しい、いつだったかの9月の、いわゆる「9.11」ニューヨーク国際貿易センターテロ。
アメリカが仕掛けたのか、アルカイーダが誘いに乗ったのか、いずれイスラム教徒の多い米国、テロの訓練も米国内だという(そんなバカな)。
如何に自由の国「アメリカ」と云えども、あの防衛ネットワークで果してあそこまでの結末を待つほどに脆弱には思えない。
穿ちすぎかもしれないが、犯人は既に特定していたようだし、FBI自体が告発している。国内の機関に捜査を妨害されていると。
問題は、被害者の数よりも、被害者の質。そして、世界経済の中枢への破壊工作。
さらには、米国の再度の「イラク攻撃」。怪しいから、殺すのだという。魔女狩りと何ら変わりがない。しかも、「フセイン大統領」が尚更無事であるとしたら、答えは見えている。

ならば、地方自治体単位で「市町村広域防衛軍」でも創設したらよい。
当然、失業対策になるし。

また人殺し・・・・・

それもわが子を餓死させるという鬼母。
想像を絶する幼子の見捨てられた衰弱死とこの国の制度。

それにつけても、いやな世の中だね・・・・・

朕なる国家の風景

  


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2010年08月16日

黙殺、NHK景山解説委員の死。

黙殺、NHK景山解説委員の死



景山日出夫、NHK解説委員。
最後の放送となった8月1日の「日曜討論」・・・・・






影山日出夫さんを追悼…NHK日曜討論
2010.8.16 07:35 産経ニュース

 NHKは15日、討論番組「日曜討論」(日曜前9・0)の中で、局内で自殺を図り12日に亡くなった解説委員室副委員長で同番組司会を務めていた影山日出夫さん(享年56)を追悼した。

 番組の最後に影山さんが出演時の映像を流しながら、テロップで「『日曜討論』の影山日出夫キャスターが今月12日に亡くなりました」「昭和51年に入局 『日曜討論』の司会を259回務めました」「心よりご冥福をお祈りいたします」とナレーションは付けずに数十秒間放送した。

 影山さんは11日夕、東京・渋谷の局内トイレで首をつった状態で発見された。同番組司会は別の解説委員と交代で務めていたが、後任は未定。



>テロップで「『日曜討論』の影山日出夫キャスターが今月12日に亡くなりました」「昭和51年に入局 『日曜討論』の司会を259回務めました」「心よりご冥福をお祈りいたします」とナレーションは付けずに数十秒間放送した。

テロップでって・・・・・
数十秒間って、なにかのお呪いですか ???

まあ、昨日の「日曜討論」て、「高齢者失踪」とかでしたけど・・・・・・



黙殺する、NHK景山解説委員の自殺!!

メディア、ほとんど報道してませんね。

「景山日出夫」

NHK、一行の報道もなかったかと・・・・・・

「官房機密費」

返してきたのは「田原さんだけだった」とは、時の官房長官、野中広務氏。

なぜ自殺 ???

自殺だとしたら、なぜ局内、それもNHK放送センターのトイレ!!

ソレもネクタイで・・・・・

よほど、「上手く結ばないと」なかなか死ねませんね。

この手は「自殺偽装」だとか。つまり「他殺」です・・・・・

なぜ他殺 ???

13日の金曜日「官房機密費」に関する裁判で、その官房機密費の全てを知る、
官僚の「証人出廷」がありました。結局「証言」はしませんでしたけど。

つまり、ソコで「証言」アルやナシにかかわらず「官房機密費」、自民党政権時、延々と・・・・・・
その「毒饅頭」がくまなく、当然、歴代の「NHK最高幹部」にまで。
もちろん、各民放の、いわゆる政治部関係の「ジャーナリスト」とかにもです。

で、民主党政権・・・・・

いくら、ボンボン「鳩山」政権、市民派「菅」政権でもそりゃあ、バレバレのはずです。
まあ、「官房機密費」を取り扱う部署を手中にしたわけですから・・・・

で、なぜこの時期に、突拍子もなく「NHKの景山」だったのか ???

しかもその週の「日曜討論」ではソコの司会進行を「いつも通り」仕切っていた。





では、その「日曜日」から、自殺する「木曜日」までの間に何があったのか・・・・・

「政権」からの脅しか、それとも、「寝がえり」の強制か???

そして13日の金曜日の「裁判」。

一切を黙殺する、いわば「NHKの顔の自殺」・・・・・

そして、他の民放各局も、ホントなら重大ニュース、まあワイドショーものだけど、黙殺。

ってことは、メディアの隅々までに「毒饅頭」ってえことを証明しているようなモノ。

まあ、週刊誌がどこまでネタにするかは分かりませんけど・・・・・

日刊ゲンダイ、タブロイド新聞がわりと克明に描いてましたけど。

実は僕の義兄も事業の失敗から姉たち家族を遺して自殺しました。

まあ、自ら死するなんて相当の覚悟か、心身膠着の極限でしょう。

つまり、「生きつづける」ことが、「死の恐怖」より勝っていた・・・・・

自殺だとしたらですけど。

しかし、「死にきれなかった」わけです、景山日出夫氏の場合。

で、トドメを刺された・・・・・

そんなわけないか ???

黙殺、NHK景山解説委員の死
  


Posted by 昭和24歳  at 08:36Comments(0)

2010年08月15日

終戦の日に、ふと・・・・・

終戦の日に、ふと・・・・・



終戦…蛍のように儚く消えた二つの命。激化する戦火の下、兄妹で生きることを選んだ清太14歳と節子4歳。愛情と無情が交錯する感涙の物語。



雨上がりの夕暮れを見て・・・・・

娘が、言いました。

「空になりたいな」

・・・って。

「どうして?」

って聞くと・・・

「死なないから」

って。

「パパも死んじゃうの?」

「パパは死なないよ。ず~っと生きている、リョウがいいよって言うまで」

「よかった」

ですって・・・・・

子どもの幸せって、「安心」なんですね。

欲望の欠片もない・・・ただ、安寧を安らかに求め、そして健やかに。

日の丸も「パンツ」・・・

憲法も「パンツ」・・・

だって、はいてなければ恥ずかしいでしょう(笑)。

その程度のものなのに・・・・・・

・・・・・なのに、寄って集って「パンツを下ろせ」とか、「パンツを替えるな」とか。

この国に限ったことではないけど、生活する人と、為す人は、どうやら人種が違うようですね。


この歳で、小さな子どもを持つといろいろ考えさせられます。

世界中で子どもが泣いている。

笑っている子どもは僅か・・・・・・

“ホタルの墓”の季節ですね。

・・・・・僕は何度も子どもと観ます。

「パパたちの子どもの頃って可哀相だったんだね」

って。

昭和24年生まれですから敗戦、終戦は知りませんけど・・・・・・・

そういうことにしておいてます。今のところ(笑)。

アンドロメダ・・・・・

200万光年余。

その銀河には、未だ僕たちの存在はないのです。

“200万光年も彼方・・・・・

未だこの地球の姿は“石器時代”。

光の速さが映し出す今のこの地球は“石器時代”。

拝金資本主義は生活を消耗します・・・・・・

それは医療も社会保障も知りません。

社会保険も、医療保険も実は官僚の打ち出の小槌。

僕はもういいけど、子どもたちにはきっと重石。

娘が母親になる頃・・・・・

終戦の日に、ふと・・・・・  


Posted by 昭和24歳  at 14:42Comments(1)

2010年08月15日

8.15“終戦記念日”

8.15“終戦記念日”



東條英機とは何者だったのか。感情的な断罪や讃美を排し、綿密な資料調査と徹底的な取材を通して、なぜ軍人が総理大臣となり、戦争へと突き進んでいったのかを明らかにする。幼少期から軍人の道を歩み始め、やがて戦争指導者となり、敗戦、東京裁判へといたる過程と、その人物像をさぐることで、近代日本の実像へとせまる。あの戦争を歴史として、冷静かつ正確に認識するためにも必読の名著。

「海軍は腰ぬけだ・・・・・
戦争はやってみなければわからない」とか。

<東條英機首相>




なぜ戦争をはじめたのか!!???

4年間にわたる米英との「太平洋戦争」。

今にして思えば“4年間”も戦争をするというその日本政府の無謀さ・・・・・

当時、昭和16年、その時点で日本の国際的位置付けはどうであったのか。

たしかに、明治来「日清戦争」「日露戦争」と・・・・・・

この米欧の「白人至上主義」の国際社会にアジア地域における、唯一、

独立軍事国家

としてその将来を模索する時代だったが・・・・・

はたして“米英”を相手の開戦が日本の命運のカギであったかは今にして、多いなる疑問だ。

つまり、「米英」がいかなる思想の国家なのか・・・・・

当時は地球上のほとんどの民族を白色人種、英米仏蘭西独伊が、その地を武力で侵略、略奪、虐殺を繰り返し、

植民地支配、隷属化し、さらにそこで、その侵略者である白人種同士が、国家間で植民地の・・・・・・・

権益争奪戦

を繰り返していた、そんな時代だった。

当然、それはこの日本もその対象の例外ではなかった。

それが江戸幕府崩壊から明治維新の流れとなっていったのだが、その意味では、欧米にとってこの国、日本を、

「植民地にするほどの“価値”」

がなかったか・・・・・

それに、とりあえずは武士、武家が統治する「軍事国家」であったがため、

あえて侵略戦争を仕掛けて手間をかけるより、

内乱、内戦工作、つまり革命を惹起させその「革命政府」を隷属化させる政策を米英はとった。

明治革命(維新)政府に莫大な戦費を貸与し、武器、弾薬、軍艦を売り「日清・日露戦争」を工作した米英。
つまりそれが、「日本の近代化」、文明開化の源泉であった。
まもなく勃発した、欧米の「第一次世界大戦」は遠く離れた極東、日本の産業、経済発展に大きく寄与し、
結果、そのことが日本の中国大陸侵略戦争へ道を開くこととなり・・・・・・

そもそも英国の「アヘン戦争」来、米欧の権益争奪の場であった中国大陸。

そこへ日本がその意味では「米英の子分」の存在であるにもかかわらず、

「辛亥革命」

で没した清朝、最後の皇帝“愛新覚羅溥儀”(アイシンカクラフギ)を皇帝に仕立て昭和7年・・・・・

“大日本帝国”は関東軍を侵攻させ満州全土を占領し、

満州国



“愛新覚羅溥儀”復活させたラストエンペラー

を、事実上日本政府の傀儡政権として誕生させた。

しかしその満州一帯は、欧米、とくに「米国の権益」・・・・・・

つまり「親分のシマ」に「子分」が勝手に入り込んで賭場を開いてしまった。

当然、米英は日本政府に「満州から手を引くこと」迫り、そのためのあらゆる手段を講じ、

決定的な最後通牒が後の・・・・・・

米国国務長官「ハル・ノート」

アメリカ側から提示された交渉案である。

その内容は、アメリカが日本とイギリス、中国、日本、オランダ、ソ連、タイ・・・・・・・

およびアメリカ合衆国の包括的な不可侵条約を提案する代わりに、

日本が日露戦争以降に東アジアで築いた権益と領土、軍事同盟の全てを直ちに放棄することを求めるものであった。

概要は以下の10項目からなる↓

1.アメリカと日本は、英中日蘭蘇泰米間の包括的な不可侵条約を提案する
2.日本の仏印(フランス領インドシナ)からの即時撤兵
3.日本の中国からの即時撤兵 
4.日米が(日本が支援していた汪兆銘政権を否認して)アメリカの支援する中国国民党政府以外のいかなる政府をも認めない
5.日本の中国大陸における海外租界と関連権益全ての放棄
6.通商条約再締結のための交渉の開始
7.アメリカによる日本の資産凍結を解除、日本によるアメリカ資産の凍結の解除
8.円ドル為替レート安定に関する協定締結と通貨基金の設立
9.第三国との太平洋地域における平和維持に反する協定の廃棄 –
10.本協定内容の両国による推進


つまり、大日本帝国はこの米国の通牒に従い中国(満州国は含まれず?)、欧アジアの欧米植民地からの即時撤兵し、

英米に屈し隷属化(?)の道を行くか・・・・・・・

この通牒を無視し米英と開戦し将来への死活を探るか・・・・・・

現在の北朝鮮の核開発廃棄にからむ「米朝交渉」に似ているような似ていないような(?)。

そこでの大きな違いは、ありとあらゆる段階において、北朝鮮政府が「狡猾」であると言うことはいえまいか(笑)。

当然、当時の日本と英米の国力は、今日の“米朝”のそれほどではないにしても、そこには天と地ほどの差があった。

はっきり言えば、「天皇の」という、大日本帝国の“沽券”でしかなかった・・・・・・

「交渉力」の貧困、つまりは「外交力」が無力だということ。
それにしても米英相手に4年間も戦争をするとは狂気でしかない。
もっとも、実質戦争をしたのは日本政府ではなく「日本国民」だけだった・・・・・・
「天皇陛下の命令」「天皇陛下のため」。


そのために死んでいった無辜の命300万余・・・・・・
それは、その姿は今も変わらない日本国政府の国民無視。

財政再建のためと消費税10%を言う政府、何人国民を殺したらすむのか・・・・・・

8.15“終戦記念日”  


Posted by 昭和24歳  at 08:50Comments(0)

2010年08月14日

♪ Route 66 ♪

♪ Route 66 ♪





6月のLAは久しぶりだった・・・・・・

“LAX”

梅雨空の夕暮れに成田を発った時とは比べ物にならないくらい「カラッ」としていて・・・・・・・・

この時差から来る独特の躁鬱感さえなければきっと心地よいに違いない。

だからと言って到着ロビーでボーッとしているわけにもいかないので、

「ヨイショッ」と日本から持ってきた数千個のボビン(JB用)を担いでレンタカーのカウンターに急いだ。

円形のカウンターにはレンタカー会社が数社デスクを置いていた。

特別に細かいオーダーをするわけではないのだが僕は日系のお姉さんのいるカウンターで申し込みすることにしていた。

ハッキリ言って、「日本語」が通じる方が細かいオーダーができるからなのだが・・・・・・

僕は一番小型のフォードにした。もちろんそのリーズナブルさからだ。

早速とランクに荷物を押し込むと戸惑いつつも「あっ、そうか」と左側の運転席に腰を落とした。

まあ、慣れるのにはチョイとと時間がかかる。一番苦労するのが、フラッシャーだ。

つまり、フラッシャーを操作すると、ワイパーが回転してしまう(笑)。

で、キーを回すと自然にシートベルトが・・・・・・・

自由の国アメリカでも不自由なことがあるものだと変な感心の仕方をする。

日本にはこのシステムというか、サービスは無い。これがあれば反則切符の心配はいらないのに。

さて、いつもの事だ、一路、10番のフリーウェイにのる。

何故ならそれはドジャーズスタジアムの裏手にあるチャイナタウンの外れ・・・・・・・・

「ゴールデンシティ」

という広東料理屋へ「ワンタンヌードル・エキストラ」と「チャイニーズブロッコリー・オイスターソース」を、

僕の胃袋が「早くしろ、早くしろ」、と急かせるからだ。

ゴールデンシティのすぐまん前の駐車場に車を停める。

5ヵ月前に通った時のウエイターがまだいた。

香港から留学している学生だという、彼は僕の胃袋の気持を察してくれたかのように・・・・・・・・

僕を見つけると聞覚えのある広東語訛りの英語で厨房に向って、

「XXXXXXーーー!!」

っと大声で叫ぶと、お茶を手に余り清潔そうでない箸と茶碗を「ガッチャッ」とおいた。

とくに愛想はない。

「ハイ」と言って厨房に消えた・・・・・・・・

厨房ではまるで言い争っているかのように広東語が飛び交っていた。



ハリウッドのユニバーサルスタジオで、“ダク博士”と握手(笑)。

数ヶ月ぶりの満足感で10番に戻るとそのまま、あの観光パンフレットでお馴染「Hollywood」のサインを正面に、

サンセットブルバードを西に降りた。

以前シェクターのスタッフだった「ジンボ」のいる「ブギ・ショップ」にパーツの注文をしておくために寄ったが、

ジンボは留守だった。

ところで、アメリカは実に面白い習慣がある。

というより、アメリカ人に言わせると日本の場合が全くその逆になるのだが・・・・・・

それは楽器屋であろうがなんであろが、ローカルなショップは日曜日は休み。

土曜日は半日、ウィークデーでも昼休みはしっかり2時間はちゃんととる。

そんな訳だから、何か注文しておいてもそのこと忘れているととんでもないことになってしまうのだ。

おおよそ、それはアメリカだろうがヨーロッパだろうがそうだろう・・・・・・

まあ、宗教観から来ているのかどうかはわからないが、日本のソレはどうやら世界の非常識らしい。

しかし、アメリカ経済というかGDP、それでちゃんと周っているのだからスゴイといえばスゴイ(笑)。


♪ Route 66 ♪



ナタリー・コールとダイアナ・クラル・・・・・・・
何ってったって、♪ルート66♪はこのバージョンが最高 !!



ジンボとは89年、シカゴ最後の「ナムショー」に行った・・・・・・

僕らはLAからヨレヨレのダッジで、出発寸前までかけてやっと調整の終えた50数本のシェクターを積み込み、

ルート66をまるで歌の文句のようにシカゴへ。

とはいっても、すでにあの「ルート66」は今はない・・・・・・

まあ、全くないというわけではないのだが、早い話が「旧中山道」みたいなもんで、

途中で、途切れ途切れになっていたりで、つながる街町もすでに「ゴーストタウン」だとか。

しかし、あの「ルート66」は今はないが、やはりアメリカに憧れた青春時代を持つ僕らの世代は、

テレビドラマそのものの「ルート66」をひたすら走ることを夢見てしまうのである。

まあ、全長は3,755km。つまり「東京=青森」を5往復する勘定だ・・・・・・

で、どこをどう走ったかは分からない。とにかく「シカゴ」のショーに間に合わせるために丸二日タダひた走った。

まっ、 「フリーウエイ」です。

二日間徹夜同然でビルドアップしていたため、その初めての「LA-シカゴ」の旅も、

車、ダッジの中では爆睡状態で、トイレタイムにフリーウエイを降りてガソリンスタンドでハンバーガーを食べながら・・・・・・

ようやくたどり着いた「シカゴ・コンベンションセンター」。ミシガン湖まで車で数分のところだった。

まあ、とにかくこんなに長い距離車に乗ったことはなかったのでただただだ疲れました。

ソレでも、日本で最長距離、連続で走ったのは札幌から高崎まで。

まあ、途中、「函館-青森」間のフェリーがあったので、連続とは言えないが・・・・・・・・

ソレでも走行距離数は1000キロはるか超えていた。

ところで、僕の夢は、ずっと言ってるんだが、そのアメリカのマザー・ロードの「ルート66」をホンダスーパーカブで走破すること !!

まあ、別に「ホンダスーパーカブ」でなくてもいいわけだけど・・・・・・

僕が初めて乗ったバイクが「ホンダスーパーカブ」だったこと。しかも無免許で、15歳の春でした(笑)。

♪ Route 66 ♪

  


Posted by 昭和24歳  at 17:09Comments(1)

2010年08月13日

“前商”明日、北大津戦 !!

“前商”明日、北大津戦 !!



小さな大投手、野口 !!





はばたけ前商:全国高校野球 さあ北大津戦、打撃練習に汗 /群馬8月12日12時24分配信 毎日新聞

 夏の甲子園で1回戦を突破した前橋商は11日、大阪府豊中市の豊中ローズ球場で、ノックやフリー打撃など約2時間の練習をこなした。
 この日の練習は、中曽根竜介投手(3年)や狩野亜也投手(同)、林駿弥投手(同)ら右横手投げから本格派左腕までさまざまなタイプが打撃投手を担当した。次に対戦する北大津のエースの岡本拓也投手(2年)は、右横手投げを基本に時に上手投げ、下手投げを見せることから、「目先を変えながら打たせてみる」(富岡潤一監督)という狙いがあった。
 練習の後、勝山大輝選手(3年)は「徐々に球をバットの芯でとらえられるようになってきた」と話しながらも「まだ体の動きが悪い」と本調子ではない様子。甲子園で安打を放っていないものの、毎晩宿舎で素振りを続けており、「次戦に向けて体のキレを取り戻したい」と話していた。【塩田彩】



まあ、久々の群馬勢・・・・・・

前評判も上々とか。

たしか、朝一の試合です。

今からドキドキ。

はばたけ前商:全国高校野球 あだち充さんが宿舎訪問し激励 サイン色紙贈る /群馬
8月10日11時17分配信 毎日新聞

 人気野球漫画「タッチ」の作者、あだち充さん(59)が9日、母校・前橋商の宿舎を訪れ「後に続く後輩たちのためにも、一つでも多く勝てるよう頑張ってください」と激励し、サイン入り色紙を選手一人一人に手渡した=写真。
 あだちさんが身長163センチの野口亮太投手(3年)に「君が頼りだから頑張って」と声を掛けると、野口投手は「期待に応えたい」と笑顔で話した。あだちさんは報道陣に「小さなエースは、キャラクターがはっきりしていいね」と語った。【塩田彩】



「小さなエースは、キャラクターがはっきりしていいね」

しかし、ホント、スッゴイです !!

163センチメートルって・・・・・・・

“前商”明日、北大津戦 !!  


Posted by 昭和24歳  at 20:39Comments(1)

2010年08月13日

NHK景山解説委員と官房機密費

NHK景山解説委員と官房機密費



やっぱり出た・・・・・・
景山解説委員の自殺と官房機密費 !!???




8.13 現役のキーマン官僚が証言台に
政治・経済】2010年6月1日 日刊ゲンダイネット

官房機密費訴訟
「官房機密費」問題があらためて話題を集めている。自民党の野中広務元官房長官や、平野貞夫元参院議員らが相次ぎ「政治評論家に配った」「政治部記者の遊興費に使った」と衝撃告白しているためだ。そんな中、官房機密費をめぐる注目裁判が今夏、大阪地裁で開かれる。すべてを知る現役官僚が、法廷で初めて証言台に立つのである。

●ダーティー政治家、新聞記者は戦々恐々
 この裁判は、安倍晋三元首相らが官房長官時代に支出した官房機密費の詳細が開示されないのは違法として、07年に市民オンブズマンの上脇博之・神戸学院大大学院教授が不開示処分の取り消しを求めて提訴した訴訟だ。8月13日の証人尋問で法廷に立つのは、内閣官房総務官の千代幹也氏。歴代政権で官房機密費を担当してきた人物である。
「千代氏は官房機密費の支出をすべて知る立場にいた。東大卒業後に旧運輸省に入省し、03年から内閣官房審議官を務めています」(霞が関事情通)



今日、8月13日の金曜日が官房機密費訴訟の裁判とか・・・・・・

その官房機密費の全てを知る官僚が「証人出廷」する。

まあ、その全容を証言するかどうかは、まったくわからない。

なぜなら、証人も官僚であると同時に、裁判所もその官僚の最たるものだからだ。

しかし、「官房機密費」で疑惑をもたれている・・・・・・・

ジャーナリスト、メディア関係者は戦々恐々としているはずに違いない。

そうした中、自民党寄りとの噂のあった、

NHK、景山日出夫解説委員、ソレが噂通りなら、万死に値する。

それどころか、NHK全体の問題に発展しかねない。

NHKと政治


日刊ゲンダイが報道する様に・・・・・・・

「・・・・・・初めての尋問で、証人は一体何を明らかにし、何を隠そうとするのか。それが分かるだけでも大変興味深い公判になります」

8月13日。その裁判、証人出廷を前にしての・・・・・・

NHK景山日出夫解説委員の自殺(?)であった。

それにしても、なにゆえ、職場、NHKセンター内での自殺なのか。

看板解説委員の局内での自殺は、NHKとしてもそのイメージは最悪のモノとなる。

つまり、景山氏としては、その「局内での自殺」、そのこと自体に・・・・・・・

大きな「メッセージ(遺言)」を遺したことになりはしないか。

まあ、今NHKの6時のニュースで「官房機密費裁判」のニュースを報道しているが、

逝った、景山日出夫氏はこのニュースをどのような思いで聴いているだろうか。

それにしても、非業というか悲運だ、56歳という若さで、

公成を遂げたというのに「自ら命を絶たなければならない」(?)なんて・・・・・・・

NHK景山解説委員と官房機密費  


Posted by 昭和24歳  at 18:13Comments(7)

2010年08月13日

自民党って未だあったん???

自民党って未だあったん???









脱派閥唱え中曽根担いだ世耕氏「デモクラシー生まれた」
2010.08.12 zakzak

 自民党参院議員会長選は、脱派閥を唱える中堅・若手に支えられた中曽根弘文前外相(64)が当選した。ねじれ国会のカギを握る最大野党の司令塔に中曽根氏が就くことで、何が起きるのか。推薦人を務めた世耕弘成参院議員(47)は「平場でオープンな議論をしようという人たちが(中曽根氏を)支えた。民主党はやりにくいだろう」と意義を強調、早くも与野党対決ムードが高まっている。

 11日午後の自民党参院議員総会で、中曽根氏は、町村、古賀、額賀の3派閥の支持を受けた谷川秀善参院幹事長(76)と40票で同数だったが、くじ引きで勝利した。同会長選が、複数候補による対決で決着したのは初めてで、新会長の任期は3年。

 世耕氏は「まず、これまで派閥のトップが談合で決めていた会長選でオープンな選挙が行われたのが非常に大きい。派閥順送りの人事で、政策ができない政審会長、交渉ができない幹事長というのもいたが、中曽根氏が適材適所の人事をできる。自民党でデモクラシーがやっと生まれたという感じだ」と意義を強調した。



ところで「世耕」とかですけど・・・・・・・

まあ、終わっちゃってるわけです。

で、

「・・・・・・自民党でデモクラシーがやっと生まれたという感じだ」

って、なにって !!???

「あんぐり」、開いた口がフサガラナイほど、バカっていうか・・・・・・・

まあ、バカを通り越して、「アレ」なわけです。

まあ、たしかに、そいやあそうなんですけど、今まで、自由民主党って、

「不自由民主党」

そんなの当たり前じゃあないですか(笑)。

だいたいが、「世耕」とかって三代目目だし、そもそも数のうちっていうか、

多数決の時の「数」でしかありません。まあ、ソレって、立派に・・・・・・・

「民主主義」

なわけですけど。やっぱり

なんですけど、まあ、とっちゃん坊やです。47歳ですけ・・・・・・

まあ、 「近畿大学副理事長」とかいう肩書って、実に「非民主的」です。

まっ、北朝鮮の「金正男」(キム・ジョンナム)みたいなもんです。



つまり、「自由民主党」が、ホントに「自由民主党」だったら、アンタはソコにいません(笑)。

まあ、宮沢喜一以降は「自民党総裁」って、ほとんどが「金正日」、「金正男」だったわけです・・・・・・

で、今度の参議員会長の選挙結果、「中曽根弘文」元外相だって、

「金正男」、まあ、顔立ちでいえば、「金正哲」なんでしょうか。

つまり、ただそこに生まれたった言うだけの話です。まっ、「森祐喜」なんていう、

ソコに生まれちゃって、不幸になっちゃったみたいな、悲しいお話もあるわけですけど(笑)。

まあ、自民党王朝の代々将軍様、総理総裁はいずれも、

「非民主主義」

の結果だったわけですから、まあ、参議院議員会長なんて・・・・・・

「くじ引き」

で、いいわけです。

ソレにしたって、代々の「参議院議員会長」って、逮捕されちゃった村上正邦センセイとか、

闇の仕掛け人みたいな、青木幹雄センセイとかの、参議院のドンとか。

で、中曽根弘文センセイなんて、たしかに民主的ですけど、多数決で同数、くじ引きって・・・・・・

どうせなら、

「じゃんけんポン、アッチむいてほい」

でもやって見せてくれれば、いっそう「民主主義的」だったかもしれないのに(笑)。

まあ、森元首相の令息、自民党石川県議会議員の逮捕とか、

浜田幸一元自民党衆議院議員の逮捕とか・・・・・・・

刻一刻と、落城がミエミエなわけですけど。たしかに民主主義です。

自民党って未だあったん???



  


Posted by 昭和24歳  at 12:25Comments(5)

2010年08月13日

NHK景山日出夫の死を無視 !!

NHK景山日出夫の死を無視 !!



NHK、昨夜のニュース中止してたんですけど・・・・・・
景山日出夫の「か」の字もありあせんでした !!???





自殺図った影山NHK解説副委員長が死亡
8月12日17時35分配信 産経新聞

東京都渋谷区神南のNHK放送センター内のトイレで11日、自殺を図り重体になっていたNHKの影山日出夫解説副委員長(56)が12日午後、搬送先の病院で死亡が確認された。


ハッキリ言って、日曜日の朝っぱら9時のの顔でしたよね !!???

まあ、事故死とかじゃあありません・・・・・・・

局舎、それも総本山の“NHKセンター”のトイレで、

偲ばないの・・・・・・???

ああっ、やっぱり、そうなんですか・・・・・・・・

首っ吊り !!!

なんで、報道しないんですか !!???

NHK景山日出夫の死を無視 !!





  


Posted by 昭和24歳  at 08:13Comments(1)

2010年08月12日

NHK景山解説員死亡 !!

NHK景山解説員死亡 !!



自殺 !!???
自殺に見せかけた他殺 ???





自殺図った影山NHK解説副委員長が死亡
2010.8.12 17:17 産経ニュース

 東京都渋谷区神南のNHK放送センター内のトイレで11日、自殺を図り重体になっていたNHKの影山日出夫解説副委員長(56)が12日午後、搬送先の病院で死亡が確認された。


で、局内のトイレで、ネクタイで、首つりって・・・・・・

局内のトイレって、どこでしょう ???

アソコのトイレだったら使ったことありますけど。

NHK、広いからなぁ。

っていうか、大道具、小道具イッパイあるから、どこでも・・・・・・


まあ、自殺だったら、

死ねなかったら、辛かったんでしょうね。

でも、56歳ですか。

なんでまた。将来が嘱望されてたんじゃあなかった !!???

不穏です・・・・・・

NHK景山解説員死亡 !!  


Posted by 昭和24歳  at 17:51Comments(0)

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