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Posted by 株式会社 群馬webコミュニケーション  at 

2010年08月29日

2010年08月29日

小沢一郎ヒストリア

小沢一郎ヒストリア



なあ、オオクボ・・・・・・
おまえにゃあ話しておかなければならないことが、
山ほどあるんだがなぁ。

ハァ・・・・・








去年の今頃の話です・・・・・・

虎の尾を踏んだ小沢一郎!!

とかいう小見出しが週刊誌に踊っている。

ということは「検察は“虎”」なのか・・・・・

そして小沢一郎の政治の師は田中角栄。

その田中角栄はその卓越した政治的才覚が故に独自エネルギー外交から、

“アメリカの虎の尾”を踏んだと・・・・・

ということは「検察」と「アメリカ」は一体なのか。

で、今度の小沢一郎の「検察批判」だが、新聞、テレビ、メディア、そして政府、自民党、

いや、民主党内部までその小沢を批判する声がある。

では、検察は絶対善なのか。けしてそうではあるまい。

なかなか表面化することではないが元検事、大阪高検公安部長三井環氏の告発にもある・・・・・

そしてそのことでいえば警察も、北海道、宮城、群馬、福岡等々県警の「裏金作り」も表面化している。

検察警察とてその意味ではあくまでもそれは組織であって、

一人の人間としては国民を超えて特別な存在であろうはずがない。

それを「検察批判」はまかりならんといった風潮は暗黒政治を彷彿させるものとなるばかりではないか。

つまり国民には「検察批判」は、「国家権力批判」は口に出してはいけないということなのか。

そこまで、検察、警察権力が強大なものになっているのでは、国会議員ですらこの有様だから、

一般国民なんかはいとも簡単に事件をでっち上げられてしまうことだろう。

で、小沢一郎です。

ハッキリ言って僕ら世代はリアルタイムでその「小沢一郎」を見てきている。

正直、田中角栄、竹下登、金丸信と、昭和40年代~昭和末期までの・・・・・・・・・

いわゆる「田中軍団」の功罪は相まみれるものがあったと確信している。

その典型は「金権政治」と轟々の非難を浴びた田中角栄元首相の政治手法だった・・・・・

ついに、「信濃川河川敷買収問題」を立てられ、その「カネづくり」金脈を暴かれるようにして首相の座を退く。

そして「ロッキード事件」だ!!

小沢一郎は田中角栄元首相の秘蔵っ子として昭和44年に初当選以来その裏表をずっと見届けてきただろう。

それが故に、40代にして自治大臣になり幹事長になり官房副長官にもなり、

その意味ではこの間の政治劇のすべてを熟知している政治家である。

まあ、そのロッキード事件ではこのニッポンが軍事の面どころか司法の面でも「非独立国」・・・・・・

「被占領」国であることを明らかにしてしまった。

つまり、「アメリカの司法制度」で元内閣総理大臣が小菅にしょっ引かれて裁判でさらし者になる・・・・・

「嘱託尋問調書」である。

おおよそ日本の裁判では証拠採用はされないしかも贈賄側を免責してという嘱託尋問だ。


そこで田中角栄元首相の弁だが・・・・・・

 「俺は絶対にこの汚名をそそいでやる。百年戦争になっても構わない」。

そしてこれらの事件が動く中で記憶に残るのが「鬼頭判事補ニセ電話事件」である。

偽メール事件じゃあない「ニセ電話事件」である・・・・・

そういえばだいぶ前だが民主党の永田某代議士、自殺しちゃいましたけど「ニセメール事件」とか。

で、こっちの方は未だ「電子メール」なんてない時代の話ですから、その鬼頭史郎判事補の、

「ニセ電話事件」


読売新聞スクープで、京都地裁の鬼頭史郎判事補が、布施検事総長の名を騙って三木首相に電話をかけ、

中曽根幹事長逮捕に対する指揮権発動を要請するという事件が発覚した。

それは後に内閣総理大臣になる・・・・・・

中曽根康弘自民党幹事長逮捕許諾に関する「指揮権発動要請」のニセ電話だというのだ。

アレレレーーーーーーッ、

中曽根さんってどんな悪いことをしたんでしょうか ???

っていう話なんですけど・・・・・・

そういうことに始まって、小沢さん、みんな知ってるわけです(笑)。

で、その「ニセ電話事件」ですけど昭和51年ですから、僕の長女が生まれた年です。

で、翌年、田中角栄元首相逮捕っていう前代未聞の政治ヒストリアです。

まあ、一介の博労のセガレが内閣総理大臣にまで上り詰めたという立身出世を絵にかいたようなお話。

ソレを思うと、まあ、菅総理も一介のサラリーマンの小倅とかですけど・・・・・・

なんてったって、政権交代の功労者はっていうかそこの積年は小沢さんだったんじゃあないでしょうか。

まあ、浪花節的に言うなら菅さん「清濁併せ持つ」、そんな気持ちはおありになるのか ???

菅さん、よしんば勝っても棘の道ですけど、どうしますか ???

小沢一郎ヒストリア


  


Posted by 昭和24歳  at 14:19Comments(7)

2010年08月29日

成り上がり政党「民主党」。

成り上がり政党「民主党」。



まあ、威勢が良かったわけです・・・・・・





【新民主党解剖】第8部(下)「小沢時代からの決別」 (1/5ページ)
2010.8.29 01:17 産経ニュース

 9月1日の民主党代表選告示を間近に控えた28日午後、北九州市内の視察先の工場。首相の菅直人は、記者団に前幹事長の小沢一郎に「敗れた場合」の対応を問われ、淡々と語った。

 「何回も代表選をやっているが、終わった後はノーサイドで一致結束してやってきた。結果がどうなろうとも、党の一員として全力を挙げたい」

 首相の座を追われて無役となっても、自分は党を出る意思はない-。そういう表明だ。さらに勝った場合に小沢を要職に登用するかを聞かれるとこう述べた。

 「すべての党員、議員が、適材適所で力を振るってもらえる態勢をつくりたい」

 菅が用いた「一致結束」「適材適所」という言葉は一見、小沢や前首相、鳩山由紀夫のいう「挙党態勢」と同じように思える。だが、両者は似て非なるものだ。菅は小沢を登用するとは一言もいっていない。

 小沢が代表選出馬を表明した26日夜。菅は側近の首相補佐官、寺田学らと会食し、感慨を込めて語った。



結局、なんで鳩山が辞めちゃったのか ???

どうせなら、9月の代表選まで、で、参院選も鳩山で負ければよかったじゃねぇか・・・・・・

っていう話なんだけど。

まあ、それほど普天間問題はドロドロしたコワい話だったわけです「鳩山」には。

で、鳩山の敵前逃亡で「棚ボタ」で転がり込んだようなもんの「菅内閣総理大臣」ですけど・・・・・・

考えてみるまでもなく、副総理とか、財務大臣とかで「普天間」は同罪のわけなんですけど、

菅さん、お得意の「オトボケ」で、まんまとせしめちゃったわけです「総理の座」(笑)。

で、参院選で「消費税増税」言わされちゃってボロ負け、っていうか「過信」でしょうか・・・・・・・

財務官僚辺りからヨイショされちゃって、

「菅総理、あなたが真剣に国民に問えば、国民は必ず分かってくれます」

とかナントカ、まあ、自信過剰っていうかバカっていうか、そりゃあ野党時代は耳触りのいい・・・・・・

国民受けすることを言ってりゃあ良かったわけですから、そりゃあ「喝采」もありますよ。

で、政権交代、与党の代表、さらに「内閣総理大臣」になっても、気分は「野党」ですから、どうしょもない(笑)。

まあ、自民党が完全にコケちゃってますから救われてますけど。

で、予算編成も菅さん初めてだし、かといって教えてくれる人もいませんし・・・・・・・

結局、奇兵隊内閣とか、維新内閣とか言ったって官僚のいうがままの慣例に倣ってっていうしかできません。

まあ、官邸に入ってみたら、見ると聞くとでは大違いで、マニフェストだって大上段に構えてたのが、

いつの間にか鞘におさめちゃってしまいました(笑)。

で、とっとと、尻尾をまいちゃった鳩山前首相ですけど、話になりません(笑)。

コレです↓

「私を首相へ導いた…小沢さんに恩返し」鳩山氏
8月28日10時56分配信 読売新聞

 【モスクワ=貞広貴志】ロシア訪問中の民主党の鳩山前首相は27日、党代表選への対応について、記者団に「小沢さんは政権交代を導き、私を首相へと導いた。その恩に対して恩返しするべきだ」と述べ、小沢一郎前幹事長を支持する考えを改めて表明した。

 鳩山氏は、「小沢さんのパワーが今まで以上に必要な時だ」と強調。また、「党内が結束を固めていけるようにするため、(自分の)役割があればと思っている」と語り、帰国後に党内調整にあたる考えも示唆した。


鳩山って・・・・・・・

「小沢さんへの恩返し」

だから、小沢さんを「支持」なんですか !!???

まあ、敵前逃亡した分際で「恩返し」もないもんだが・・・・・・

>「小沢さんのパワーが今まで以上に必要な時だ」と強調。

そんなことは大方の国民もそう思っている。まあ、悪党でも今はそんなことを言ってる場合じゃアないと。

だから、次期総選挙「不出馬」とまで公言した、前総理がなんでそこまではしゃいでるんですか !!???

っていう話で、まあ、「贔屓の引き倒し」っていうか「恩がある」から「恩返し」なんて・・・・・・・

一国の内閣総理大臣選びに個人的感情で物事を言ってもらってはイケません。

民主党代表選 鳩山前首相「菅首相の政策に友愛政治が見えない」と批判

菅首相と小沢前幹事長の一騎打ちの構図が固まった民主党代表選挙。民主党の鳩山 由紀夫前首相は、「菅首相の政策に友愛政治が見えない」と批判した。一方、弟の鳩山邦夫元総務相は、「兄は菅首相に相手にされず、切れたと聞いている」と話した。
鳩山 由紀夫前首相は「菅首相のさまざまな政策の中に、あまりこういった(友愛政治の)議論が含まれてなかったなと。小沢さんの活動というものは、国民の皆さんの生活が第一だと」と述べた。
鳩山邦夫元総務相は27日午前9時すぎ、「兄は菅さんと話をしに行ったけど、相手にされなかったから、ぶち切れて、今度は小沢さんの支援に回ったと。政界再編につながる形で騒ぎをやって、そのことによって、左翼・右翼が分かれるのが筋だと思いますから」と述べた。

FNNニュース(08/27 11:53)

まあ、この期に及んで「友愛」って笑っちゃいます・・・・・・・

そんなの国民すっかり忘れちゃってますから。

コレだから趣味で政治をやられちゃうと、後始末が大変なんです。

この騒動って、みんな鳩山さんのケツ拭きですから(笑)。

成り上がり政党「民主党」。

  


Posted by 昭和24歳  at 12:11Comments(5)

2010年08月29日

嗚呼っ、夏休み・・・・・

嗚呼っ、夏休み・・・・・



真っ黒に日焼けして、遊びに明け暮れた毎日。夏の終わりが近づくと、宿題や自由研究・絵日記を思い、決まって憂うつになった。―そんなあの頃の夏休み、思い出の旅に出てみよう。





今日で夏休みもお終いだとか・・・・・・

しかし、この頃はその夏休みにも子どもたちのにぎやかに騒ぎたてる声はどこにも聴こえない。

あの頃は、毎朝のラジオ体操、朝飯を食べると脱兎のごとく家を飛び出して、

三角ベースの草野球に、相撲をとったり、かくれんぼをしたり・・・・・

そこかしこの横丁、路地裏には子どもたちの嬌声、歓声がいつもわき上がっていた。

そしてまたこんな悲しい事件が↓

<小6死亡>17歳兄を殺人容疑で逮捕 愛知・岩倉
8月28日20時56分配信 毎日新聞

 愛知県岩倉市の病院職員の女性(40)宅で28日、小学6年の次男(11)が刺されて死亡した事件で、県警江南署は同日、特別支援学校高等部2年の長男(17)を殺人容疑で逮捕した。同署によると、長男は駆け付けた警官に「けんかをして刺した」と話す一方、逮捕後の取り調べには「覚えていない」と供述しているという。長男には中度の知的障害があり、慎重に動機や経緯を調べる。
<以下本文>



“地域社会”だなんていうと大袈裟だが・・・・・・

僕が子どもの頃の近所“横丁”にはその地域社会というか“子ども社会”がはっきりとあった。

それは学校とは全く関係のない“子ども”だけの秩序というか“掟”というかそういった不文律の約束された社会があった。

僕らのガキ大将は“俊雄ちゃん”・・・・・・

米屋の次男坊でそのガキ大将でも頭の上がらない2つ年上の“幸雄ちゃん”ときかん坊で腕白の弟の“良雄ちゃん”。

双子の妹もいた。

そんなガキ大将の“俊雄ちゃん”を中心に7人ほどの悪ガキグループが僕の地域、横丁にはあった。

後々知るところだが、その俊雄ちゃん学校では体格もそれほど勝れているわけではなくどうやら目立たない存在だった。

しかし地域、横丁での俊雄ちゃんの存在はいわゆる“親分”である。

相撲は強い、喧嘩も他所の横丁の悪ガキとも突貫小僧よろしく先頭を切って戦った。

そんな俊雄ちゃんの子分、配下には僕をはじめに、“もっちゃん”ともっちゃんの弟の“ノリちゃん”・・・・・

もっちゃんちはその頃はお父さんは蒸発してしまっていて“母子家庭”でお父さんとお母さんは満洲帰り。

そして最近訃報を聞いたがとても野球の上手な“しゅうちゃん”と弟の“てっちゃん”と“まさみちゃん”。

お父さんは僕の親爺と同じポッポ屋で、なんでも組合活動に奔走していて、横丁では“アカ”と評判だった。

それに、俊雄ちゃんの家の前の鶏屋の“セーちゃん”と弟の“まもるちゃん”。

そうそうその俊雄ちゃんの兄貴分の鍛冶屋の“ひろしちゃん”先代のガキ大将とその従兄弟の“かっちゃん”。

まだまだいた・・・・・・山田の“マーちゃん”、越沢の“じゅんちゃん”田端の“マーちゃん”、

鈴木の“マーちゃん”、塚越の“マーちゃん”、尾崎の“マーちゃん”ととにかく“マーちゃん”だらけの横丁。

ミシン屋の“ひろしちゃん”、関根の“ケンチャン”、湯浅の“一郎ちゃん”夜泣きそばの“もりや”、額田の“たっちゃん”、

箪笥屋の“あきおちゃん”、樋口の“ケンチャン”、長井の“明ちゃん”、山盛の“としおちゃん”・・・・・

全部でほぼ同い年が20人からいた・・・・・・

まず、学校の同級生と遊ぶことはなかった。

ビー球、メンコ、ベーゴマ、相撲、かくれんぼう・・・・・

とにかく遊ぶことには欠く事はなかった。

兄弟のいなかった僕だったが、学校でのつまらないことなんかはそんな横丁の喧騒に何もかも忘れ思い切り遊びまくった。

時には喧嘩をし、それでもそのガキ大将の“俊雄ちゃん”が仲裁に・・・・・・

そしてあるとこはそんな俊雄ちゃんに食って掛かって殴られて(笑)。

たしかに学校ではイジメもあったし、あだ名をつけられたりつけたりとか、喧嘩をしたりとか。

それでもそんな一人一人の同級生が家に帰れば夫々に“横丁”があった。

不文律の“子ども”の“子ども”による“子どもの”ための地域社会が厳然と存在していた。

つまりあの頃の夏休みは人生のたたき台・・・・・・

子ども社会を通して、世の中を修行して時代。

まあ、少なからず、そうした時代の賜はいくらか僕らの心の中に残っているのかもしれない。

つづく・・・・・

嗚呼っ、夏休み・・・・・
  


Posted by 昭和24歳  at 07:58Comments(1)

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